2019年11月29日

リクエスト関連(書籍「女の子どうしってややこしい!」さん補完質問)


書籍「女の子どうしってややこしい!」さん
>障害児への虐待が多いのでは?「定型の子は愛しいけど障害の我が子は可愛くない」「同い年の子と比べて出来ないことか多い、普通ではない我が子を受け入れられない」親が多いです。あと健常の子が幼少でも親の喜ぶことを察して振る舞うのは自然なことなのですか?

■そのような有意な統計はどこにも存在していません
むしろ「相模原障害者施設殺傷事件」や、「ナチスの優性思想」への強い批判(強いもクソもそれを容認してたら現代人として「それこそどうかしている人扱い」ですから)、こっちのが有意なエビデンスになります。

実際虐待例の各種事案は、
(赤ん坊対象の育児ノイローゼは例外に←これは個体差問題では無く、人類ヒト科幼児全ての特性に対処できない親サイド固有の課題なので)
刑事事件などに及ぶほとんどの例が
「むしろ殺害された子供が涙ぐましいほどいい子である場合がむしろ多く(生存本能に近いものだと思います)」
だいたいのケースで再婚などで、義父同居の環境含む(いうなれば銀行合併後の双方からのリストラ攻勢みたいな)組織論のグダグダさが原因だったり、
●言うまでもありませんが「親がメンタルに「強迫心理」的課題を抱えているから」発生するものです(子供に対して自己を「投影」してしまうため)。


●福祉社会になる近代以前には、産婆がその職責で”し○て死産と告げる”などのプロ的なんとやらが実在しましたが(当時の『共同幻想』道徳)、
近代以降は、それこそ許されざることであり、
(だってペット相手に人間同士以上の関係性構築できるのですから、関係性に能力的優劣は全く関係ありません。「イヌのくせに足が遅いから虐待」←個体差の問題じゃないですよね、飼い主の人格の問題です。)
(時に奇異の目で見られる、医学上の自閉症患者のみなさんも「実は冷静な中の人がいる」事が確認されており、関係者ならこの筋の書籍など読んでおられると思います。)


■ご質問の問題提起のポイントと思われるココですが
 ↓
>「定型の子は愛しいけど障害の我が子は可愛くない」「同い年の子と比べて出来ないことか多い、普通ではない我が子を受け入れられない」親が多いです。

多分この辺が理解されていないのだと思います。
”親”とは俗称、役職名で、業務です。
「係長として(上から負託された責務があるので)会社業務でトラブっているバイトを叱責するのは職業上の責任で(できなければ自分が解雇・総括されるのですから)」←それ以上の意味はありません。
真性に『共同幻想』適応する人格というのは無くて(ある意味そこまでいくと”サイコパス”的に別の意味になる)「公私混同」なんて言葉があるように、
”親”の業務終わりのタイムカードを押しちゃっていいなら、
「仕事でトラブった事が故意でなけりゃ、バイト君への人物像には何ら関係ありません」
(自分だって、仕事なんざ早く帰りたいんですから。言えば「どうだっていい」)


●むしろ「有能過ぎるバイト君」そら業務上は褒めますが、
(”表向き””世間向き”には褒めますよ【表の顔で体面上は】、しかしオフタイムの個人的にはそこ全然どうでもいいことなので)
それがバイト君への個人的関心に何か意味あるかって「まったく意味ありません」。
確かに、自分のオンタイム(役職上の時分の立場)は楽になりますから、
「いつも助かるよありがとう」と思いますが、
「優等生相手は疲れるよ」ってのもあるわけで、
個人的親密さとは、どうなんでしょう?反比例する可能性すらあります。
(※それが近代以前の跡取りの生業における伝統の継承なら話は別だけど←しかしこっちは確信犯的選択者の別世界ですから。「歌舞伎の跡取り」など、)

所謂(これ俗称なので私は何とも断言しにくいので一部非公式になりますが)
俗称「定型ナントカ」と呼ばれる現象は、
前述の「個人的親密さとは、どうなんでしょう?」などが原因で(よくできる部下へのナチュラルネグレクトと言うか)、親は無関心になりますので(手がかからない)、
(親の無関心は子供の死活問題)→余計優等生に過激化する構図があると思います。

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posted by kagewari at 18:55 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リクエスト関連(makaさんこれで最後だそうです)


makaさん
>ですから敵ではないことはわかっています。「親切で」とか「頑張っている」とか「やらかした」とか書かれると(擬人化してるじゃないですか)、私の力の及ばないところで別人格が…?と思いかねないじゃないですか。でも、またか!またやったのか!何度言ったらわかるんだ「自分」。と、自分を責めても何の意味もないので(興奮のるつぼになるだけ)、「脳の反応」に対して違うアプローチがあるのだろうと書いたんです。ここから先は自分で考えます。何度もありがとうございました。※個別返信なしでかまいません。

■多分ここがわかっていないのじゃないかしら?

心理学の原則ですが、
●「道徳論は禁句(これは「強迫心理」元ネタ『共同幻想』の強迫武器ですから)」
●=「いい悪い論の持ち込み禁止」

自分を責めるって「道徳的糾弾してる」ってことですから←ガチ「強迫思考」です

「バカか俺」技で意図していることって、むしろ”司法取引”です。
(一切罪に問わないので、何がいいとこか悪いとかどうでもいいので、「で、どうなんだ」と自分に関わっていく。故に「ささやく者」であるべきなんです。)

■昔ササイドバーの推薦書籍に(今もあんのかな)
三島の『不道徳教育講座』や、
ニーチェの『善悪の彼岸』とか紹介しているとおりで、

「自我どうすんよ論議」に、道徳論やいい悪い論を持ちこんじゃいかんのです。
(『一拍置く』「バカか俺」はワンセットであると右サイドバーにも紹介してありますが、これは「ちょ、ちょっと待て、まー落ち着け俺」って事ですから。「一服どうだ?」とタバコでも勧めて、「腹減ってないか?」とかつ丼とって、「これは司法取引だから安心していいから、で、なにがあった」みたいにね。)
 ↑
つまり、誤読していない限り「自分を責める形になることは不可能」
自分を責める形になっているのだとしたら、「強迫心理」に煽られて”逆やっている”’って事です。
(禁則事項の道徳の持ち込みやらかして、無意識に精神分析プロセスをぶち壊しにかかっている=現状の自己防衛)

※確かにHP各所に記載のとおりで、自己防衛で別の意味の興奮状態になるなど(防衛反応出ますから)、精神分析はコンフォ〜タブルな代物じゃありませんが(疲れている時には控えるべき)。


また、
>「親切で」とか「頑張っている」とか「やらかした」とか書かれると(擬人化してるじゃないですか)
 ↑
これを疑似人格化とは言いませんよww
(多重人格っぽいとおっしゃってましたが)

これらは主として、強迫心理に踊らされている『自意識』の様で、
別人格化された強迫心理のことではありません。
インチキな絵日記思い出して、あられもないことやらかしてる”自分”のことです。
 ↑
これって「ノストラダムスの大予言」読んで大変だと騒いでいる人と同じなので、
(自分を責めるもクソも無いでしょうww)

「バカか俺」でしょ(笑
「冗談が過ぎるぞ自分」って意味です。

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posted by kagewari at 17:47 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仲間はずれの”仲間”(暗韻:隠されたフラグ”家族”←これ一種のトリックじゃないのか?)

確かに世帯でバラつきあるとは思うけど、
「家のお母さん(お父さん)には遊び仲間がいてね」←どちら言えば聞かない話でしょ
遠からずってのに
「家のお婆さん(或は自分の兄弟)にはカラオケ友達がいるので今日も遊びにいったらしい」←こっちは何気に耳にすることがあり得る話ですよね
 ↑
考えるまでも無く、遊び仲間の影がちらつく人って家族のコア(夫婦)から属性的に離れた独身個体に想定・観測される。

■学校などで昭和に行われた「みんな友達」の意図した裏コードは「家族的経営企業」みたいなものです(部活なんてさレギュラーが監督の家に寝泊まりしているなんざザラなんだから)。
※イタリアマフィアの俗称からして「ファミリー」なんだし

会社構造の中でもどうですか?
交友幅ってのか仲間や群れで行動する”人数”ですよ、
当然ここはピラミッドバランスだから上位者ほど減る(頂点の「社長の孤独」なんてね、)
「50代以上の部長達が8人も集まってとっての仲良くカラオケに」←そらさ【知人の話】で探せば珍しくそんな人達いると思うけど、
社会学的に立論するとさ、
 ↓
「地位の低いものや若年層ほど(上部構造から外れるため)群れの人数やスケールが大きくなるだろう」
(小学低学年にもなれば「どらえもん」的人数を想定しても違和感が無い、総勢5、6人)
(小説、ラノベ、アニメや漫画の青春漫画の主要登場人物数は、2、3人)
(サラリーマン奮闘ドラマの”群像シーンでの部下は多いが’”大事な密会シーンは必ず2人)


●この集落の目的だけれど
原始『共同幻想』から言えば、世帯の構成・結成(性対象の発見)を促す、
コアである”家幻想”外郭メンバーの補完だよね(その周辺の下部組織:サブセット)
※故に家長は門限設定など「交友関係での遊び時間などを管理する権限」がある


<<<<故にそもそも論として、>>>>
■「交友関係であるとか仲間意識」なる概念の理解は、暗黙の『共同幻想』肯定の始まりで、
 ↑
その概念を共有するんだから、母体組織となる”群れ”そのものへの共通認識(仲間意識)無しに不可能だから、”仲間意識感覚”って言語がもう『共同幻想』なんだと言える。

結果として「同世代などの交友関係や仲間ってのは(ヤクザ社会なら兄弟の盃)、家族『共同幻想』の予行演習やその補完や代用品」と位置付けられる。

逆説的に言えば、現代個性化多様化社会の場合、
そもそも論としての「仲間意識」なんて〜な概念を最初から知る必要も無いのだよ。
(日本国民としての共同体意識は別次元だから→災害などで助け合うのは”仲間同士では無く”、見知らぬ者同士の共同体意識です。→共同体意識とは災害救助や安全保障など「社会的合理性の事」→災害解決後即時解散する。)
 ↑
(民度の高い先進国国民なら災害時など協力する事が合理的であると考えるのが”インテリ的意味で常識”であるため。『単独者』的には”その用”がある時にはいつでも呼んでくれ)

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posted by kagewari at 05:41 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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