2019年11月21日

「投影」ってのを個別に説明したことなかったよね(2)

●放っておいても脳は勝手に投影やらかします(エンタメ性による『興奮』体験のチャーンスだし)
「同じだ、あなたも(お母さんみたいに・お姉ちゃんじゃなくて)私だけに(なんとかかんとか)なんでしょ!!」
周囲の人は、、、「はっ?」(と口ポッカンに、、)

ここには”他所様(よそさま)とのボーダーライン”みたいな概念が更に関係してくる


岸田心理学において「(ユダヤ人だった)フロイト時代のキリスト教系一神教権威性認知をベースにしたエディプス・コンプレックス論」を、西欧限定でそら汎用性に欠けるだろうと、吉本隆明氏の「国家契約論から宗教や共産主義など諸々を包含する『共同幻想』論を用いて説明したものが『唯幻論』なのだが、
その時岸田教授が示唆したのは
「日本の文明は一神教では無いし、天皇制も宗教というか習俗というか、厳しい戒律の宗教文化が無い代わりに、その権威性イメージは”世間様”をあたかも神に見立てた世間様教みたいなもので、、」
 ↑
ということなのね(岸田心理学ではあまりにも有名な部分)


■さて、そこには似た言葉があるんですよ

「あんたね、他所様(よそさま)に向かって、なんてことしてくれたの!!」
 ↑
昭和後期生まれの人にはもう耳にすることなかったかも知れません
上記台詞は「明治生まれの母」という言葉に代表された『共同幻想』ガチガチ堅く厳しかった時代(武家の歴史の尾っぽを引き摺っていた)、日本近代『共同幻想』時代の有名な躾ワードです。

この『共同幻想』道徳の基本構成は

本来大人になれば「家幻想と(性愛的関係性)一般社会の違い(赤の他人同士)」を説明する必要性ありませんが、子供は「他人の子供に対してあたかも自分の兄弟に対するような(無礼講の)節度を欠く関わりを行うことを”それは最悪である(○○家の恥)”として禁じたもの」で、
・『世間様』がそれを神に見立てたのなら
・『他所様(よそさま)』は守護天使ガブリエルみたなもんスよ
「他所様は、『共同幻想』公的関係者であり、「家幻想」のような私的関係者では無い」
(極論すれば、明治の厳しい時代の子育てにおいては、他所様相手に私的感情をあらわにすることさえはばかられた《女子は笑顔を見せるな的に歯を見せるな的指導》、公的な場《『共同幻想』社会》でその態度はなんですかと厳しく罰せられた。)

何の事って、
●ガキが調子こいて、赤の他人相手に「お母さんなら違うもん」みたいな甘えた依存的態度を見せる事は「○○家の一大事」に相当する”恥”だった。
(てか当時は家の中においても、武家では家族同士も敬称付けて会話してましたし、”家幻想”空間においても「大きな声を出したり」「感情を露わにしたり」「親に逆らう行為そのもの」が厳しく禁じられていた。)

たとえば、この時代のイジメ問題などのケジメの付け方は
「イジメられたのでやりかえした」なんて事があった場合【既にやり返しているとこが鍵】
「あんたね、他所様(よそさま)に向かって、なんてことしてくれたの!!」と、
明治の母は(自決用の小太刀を)【帯刀し】
相手の家に出向き(一方的に最初に非があったのは先方でも)、
「○○家の恥、大変申し訳ありませんでした」と口上切って、
玄関先で自分の子供を土下座させ、
「とっとと謝りなさい!」(と自分の息子に激しい体罰)
土間に小太刀置いて自らも命を懸けて二度とこんなことはやらせないと明言した。
(もしもの時にはこの土間で私が”自決”すると)
 ↑
この行為が、”相手様”にも「下手したら刃傷沙汰(にんじょうざた)で死人が出るよ(相手は武家筋のシグルイ(死に狂い)だからね)」の脅しを伴って、
(”お宅”様のガキが当方○○家とわかって意図した狼藉なら、赤穂浪士みたいにあんたの家”皆殺しにして自決ずるぞ”と、)
 ↓
「失礼しました、御免なすって」の後に、
 ↓
相手方の家では、イジメ主犯の子供に対して殴る蹴るの体罰が自動発令するって仕組み


※ヤクザのケジメと似ているのは「ヤクザ社会が武家文化を模倣している」ため
(切腹:詰め腹→転じて「指を詰める」、「他所様」→転じて「カタギに手を出すな」)
ヤクザの親分は十手持ちとして(帯刀は許されていないが)地元警察業務を幕府から委任されており(銭型の”親分”・清水の次郎長”親分”)武家の下部組織でもあったため。


■つまりね、
ストーカー心理とかってな〜、赤の他人相手に(下手したら口をきいたことも無い相手に)あたかも親子関係みたいな快感依存関係が成立した場合の、甘えた子供のバックグラウンドを投影しているから。
「(お母さん・お父さんは)なになにするって約束した筈なのに!!!!」
無意識に、他所様相手に自分の家幻想社会を投影しちまってんですよ。
 ↑↑↑↑
明治の名家『共同幻想』を体現する保守本道の権威から言えば、
秩序が”乱れている””崩れている”(『共同幻想』崩れ)って形になる。


■そもそもがー
近代『共同幻想』の『自意識』『抑圧』レベルってのは半端無いもので、
好き勝手に『自意識』の存在を露わにすることもはばかられたって感じでしょうか。

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posted by kagewari at 19:48 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「投影」ってのを個別に説明したことなかったよね(1)

TVドラマやアニメや映画、小説から演劇から歌やゲーム、ダンスや祭事もそうかな、
”感情移入”ってあるでしょ。
「主人公や登場人物を”あたかも自分に見立てて”その場にいるかのように(プレーヤーとなって)やりとりされる事象を実体験のように認識し(まさに脳内ヴァーチャル)感じいる様」
 ↑
ざっくり言えば、自分を「投影」しているのです

逆パターンって言うとアレだけれど”感情移入の類似例”に、
”自己を投影する”能動《抗(あらがう)》では無く・”自己が投影される”受動《被(こうむる)》)、
確か漫画アニメの『ヘルシング』(ドラキュラと英国貴族のその討伐秘密組織の話)
劇中で、主人公の”アーカード”(ドラキュラの逆読み)が、
「お前は俺と同じだ、あの時かくかくしかじかしてあれこれどうこうし化け物になってしまった俺と同じだ、ダメだお前は化け物になってはいけない、俺のような化け物を倒すのは人間と決まっているんだアンデルセーーン」←こんな感じの台詞あったと思うんだけど、
 ↑
これは「自己投影」では無く、なんだろうね
「連想や同一化による背景や境遇の投影が”不意に発生してしまう”」みたいな
 ↓
もう一つ同じシナリオが黒澤の名作「七人の侍」にも出てきます
自称武士(絶対嘘で百姓の生まれの)菊千代が、野武士との戦闘の中で(躯となった母親の手からだったかな)孤児となった赤子を見つけ抱き抱えます。
そこで初めて菊千代は号泣し
「お前は俺だ、俺と同じだ、俺もこうだったんだ!!」と叫びます

(それぞれ内省的な感情が連想・同一化された対象を媒介にして溢れ出す現象、大規模ノスタルジーがトリガーとなるフラグを原因にパッシブ(受動系《被(こうむる)》認知で)発現する)


●投影ってのは”一種の錯覚”です
(自分だったら?それは自分かも知れない?自分に起きた事が再現したのか?)
(ある種の「フラッシュバック」と解釈することもできるかも知れない)
シミュレーションです

 で、

「感情移入」は自己の投影ですが、
「投影現象」そのものは(前述のとおり)自己だけとは”限らない”

たとえば、
■車のことはよくわからないだけどさ、ボディ剛性がハンドリングに大きく関係するって話は、格闘技で言えば体幹ってことでいいのかな?

■■■<<<<さて、ここで問題です>>>>■■■

投影は「その対象をよく知らないので、自分の記憶や知識のストックから似たものや・フラグを踏む連想性のある過去事象をあてはめて認識する」って能力です。←実に合理的手法であり、自我活動において必須の能力でもあるでしょう。
※誰でも日常的に行う認識技法である
(これって言語学的なメタファーのなんとやらだの比喩がどうしたみたいな話にも及ぶと思う)

●さて、自己のメンタルに問題意識を持つ個人(略して”メンタル問題”)に関わる重要なポイントはどこだろうか?

■「人間関係の連想と投影」です

『反抗期』をプルーフしている自我の場合、子供時代の家族『共同幻想』は壊されていますから、よっぽど深いノスタルジー攻撃でも受けない限り、投影元として浮上することは”ありません”。
(トラウマ事象に及ぶような事件性のある固有体験があれば誘因フラグ的に例外事項も有り得るかも知れないが、本来それは別個のものだから、一律にトラウマが子供時代の家族『共同幻想』をぶら下げてくると考えるべきでは無いと思う。)

しかし『反抗期』のプルーフに不都合がある場合(多くの謎が残るとか、難解なテーマが存在するとか、過剰な関係悪化など←過剰な”快感代謝《エンタメ性》”が存在することを意味する)、
『反抗期』発現の理由である”思春期の生理的成長により獲得される大人の快感代謝”(わかりやすく言えば”狭義の性的関心事項”)では、子供時代の『共同幻想』を”獲得快感値の天秤”として越えられない場合があり得る事になります。

(そら勿論大人の快感代謝というのも主体的に想像したりイメージしたりしていかようにもなるので、『自意識』活動領域的自由度と深い関係があるのも事実。=幼児期の『自意識』抑圧レベルとの関係。←つってもこの抑圧レベルが全て外的要因って事に限りませんからね。溺愛への依存など子供の側から主体的に『自意識』抑圧に加担してしまう場合もあるのだから。←偶発的とさえ言える。)

いずれにしても『反抗期』の損得勘定(快感代謝の経済原則)が、バッタンと「大人の世界の勝ち」とならない場合、
思春期『反抗期』は大規模な(オーバーシュートするような)”大返し”には発展しない。
 ↓
子供時代の家族『共同幻想』が発言力(エンタメ性)を残したまま自我表層に留まることになる

<勘のいい人なら気が付いたと思うけれど>


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posted by kagewari at 00:54 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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