2019年09月30日

常識論の変遷(というか常識の時代は終わるのか?)

ブログ読者の方なら
「あー常識って言えばそのまんま『共同幻想』により共有されている”権威上位者の博識水準偏差値”mたいなものでしょう」←なんてことになると思います。

<それじゃ話は終わってしまうのでww>

「俺にとっての常識」だとか「特定専門家集団の常識」のようなモノって何?
それも時代の変遷で変わるの?
みたいな事を考えてみよう。
(※一義的には冒頭説明の総論で問題無い事も抑えておいてください)

■そんなワケで”あえて個別各論で考えてみる時”「常識のは、文字通りの(ことさら共有の意味を外れ)常に知っておくべき知識」となるのかな。。
(てかさcommon senseからの明治あたりの翻訳造語?だとすると《コミュニティーやらコモン・ローの”コモ”だと思うけど》全てに及ぶ知識・良識が正確なのか?)
※言語学は全然専門外なので適当に推定してるだけだから勘違いしないでくださいなww

うーんこの辺考えると
そもそも論として”公共”であるとか”社会”などの概念そのものが時代の変遷で違うのだから、
(欧米語語源時代の概念が国などの『共同幻想』登場とかを対象としている場合)
国是からして『個性化の時代』であるとか、
同じ社会という概念も「特定小集団の意味からネットワーク型への変遷」があるので、
(ほらネット社会なんて概念になると、国境を離れ「特定の論議を行う参加者の合意」みたいなことになるので、”国民社会の”なんて概念を突破してしまう)

個別各論で考えると、
ウィンドウズで言えば”クイック起動に何入れてる?”みたいなことかな。
何故って、単純に知識だけを知っているだけでは論議にもならないし(ナクヨウグイスなんとやらとか年表覚えてるだけだとクイズの回答ぐらいにしか使えない)、
”その知識は何をどうする(動作させる)時に必要となるものなのか?”

■うーんとたとえばだ
「銃の狙い方は(相手がどう動いてもどこかにあたる確率が最も高いので)身体の中心を狙え」
ダブルタップで言えば
「コンバットシューティングの一派では、前述の相手が動く可能性や自分自身の初動の正確性を考えれば、常に2発速射で(バッバッ)撃つのが効果的である(自力2点バースト的な)」

これPCソフトの使い方で言えば、
クイック起動にも入っておらず”常時使用せず”年に1回ほどしか起動しないソフトは「あれ、どうやって使うんだっけ」状態になることありますよね?
 ↑
「このソフトを頻繁に使う事は俺の常識に無い」とか?
「俺の常識にはこのソフトの使い方は入ってない」みたいな?

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posted by kagewari at 06:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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