2019年09月04日

急速に篠原常一郎氏はじめ上念氏などが発信力を強めている


N国党の存在もあって、youtuberジャーナリズムとでも言えばいんでしょうか
相乗効果が発生していて(盛んに海外K国などでも視聴され始めるなど)、
●「ある効果の逆」が起き始めている

その「ある効果」って何?と言えば
(かなり確度高い推定だと思う←俺けっこう自信ある)
行政担当者からスペシャリストを次々更迭(乃至逮捕)し、活動家を排しているK国青瓦台が、日本の情報を朝日を筆頭とする左巻きメディアの報道で取得しとんじゃないのかって話です。
※「そんなバカな」って人いると思うけど、考えてみればそうそう離れた話では無くって、日本の報道だって外信翻訳するだけだったりある訳だし、内調業務も記者さんからの聞き取りだったり「公開情報の取得」としてメディア情報も無視できない情報であるのも確か。
※歴史的事実としても慰安婦問題の火元は朝日新聞のフェイクニュースだったのだし。

日本の輸出管理やホワイト国関連の情報も
■「朝日新聞の(フェイクニュース)記事見て逆切れしちゃった」←自爆マッチポンプ「贔屓の引き倒し謎理論の発動」があったのじゃないかと(ここかなり本気に)私は思っておりまして、

<ここである現象が起きた>
元々そうだったと言われちゃうとアレなんだけど、
現在K国の偏向報道が酷くて(政権の工作が調子乗り過ぎ)、翌日「嘘でした」報道となる顛末が連発してしまうだけでなく、困った事に青瓦台からして小学生のような嘘をつくものだからフェイクニュースのレベルだけでは無く、政府の嘘をそのまま報道してしまうというダブルパンチでメスメディアへの信頼が急速に落ちている。

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posted by kagewari at 02:18 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

リクエスト関連(”遊び論”その続き)

前回と同じ方かと思いますHN無し匿名の方より


>何度も申し訳ないです。純粋にこの友人といると楽しい!と思うから時間を割いて会ったり、遊んだりするのではないですか?つまらない人とはわざわざ会いませんし、友人は選びますよね?料理教室や仕事などでも一人でやるより、みんなでやる作業が楽しいとか一体となってやることも充実感を感じるとかありますよね?幼少期に親や友達、周囲の人間と一体感となっていたことが楽しい思い出や快感となっていて(これがkagewariさんの仰る共同幻想による洗脳教育?)、それを追体験として再現してるのかなとも感じますが。


ちょっと言語学的な説明が必要なのかなと思います。
「21℃であったが、現在は17℃である」←これと
「随分涼しくなりましたねぇ」←これ
●前者は事実関係の説明であると同時に後者で”語られている原因”を表しています

その時に
「涼しくなったねという私的情緒を伝えたいんです、その根拠となる因果関係を数値で表されても趣旨が違うんです」←となった場合

(哲学関係者の”メタファー”なんとかじゃありませんが)
情緒的表現に傾斜する場合、たとえば以下のような表現もあります。
「夜も更けて、風が冷たい長月の庭」←こうなると”温度は何度か?”はあまり論議になりません。
反面どうなりますか?
今度は伝えるべき主題が「涼しいに始まる誌的情緒(事象全体を俯瞰し”風景のように”表す)」となります。
この段に及ぶと、
 ↓
(こう考えるとわかりやすいでしょう)
 ↓
絵画論を考える場合
「ゴッホのひまわり」は何を表現しているのか?がテーマになりますよね。
まさか、
「コッホが伝えようとしたのは”何の花か”(=温度の数値は?)」の論議とはなりません。

■それらは別の事なんです

もういっこ説明しましょうか
「雑職系哺乳類は、高いレベルの栄養素食材を食べると(油の多い肉であったり高カロリーの甘いものなど)、厳しい飢餓がデフォルト環境であるため”この時とばかりちゃんと食べろ”と伝えるため、脳から快感物質が分泌されます。」
雑職系哺乳類は、その現象を「美味しい」と認識します。
いささかながら、”美味しい”は人間特有の情緒的表現になってますから、
もう少し客観的に言い換えると「また食べたい、チャンスがあれば是非に」となります。

しかしですよ、ここにも(哲学関係者の”メタファー”なんとかじゃありませんが)
詩的情緒のある比喩表現を使ってみると?
グルメ評論家の言葉
「あたかもそれは、繊細に美麗に口だけでなく鼻腔を刺激し、得もしれぬ刺激となり、笑みを浮かべてしまう心情を抑えることができない味覚であった」
この段に及ぶとですよww

「それは何カロリーですか?」←この発端となる仕組みの話ではなくなりますよね。
(話はそこに関連する雑味すら論議となる)
そこで体験される”食の風景”を語った話になっているからです。

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posted by kagewari at 03:02 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月01日

「集団心理ハイってどういうことなのか」論


何気なく説明の必要もなかろうみたいに思っていたけど
よく考えたら「あれれここ案外大事なとこじゃん」と気が付きまして、
(記事リクエストの返信書いてて気が付きました。リクエストいただいた方ありがとうございます。)


■主としてオンザレール『共同幻想』論だが、集団心理ハイって何のことか?

結論から言えば「自力で動機形成しなくても(同調圧力的強迫により)背中を押す形で、通常はやれない動機形成が”外形的に”出来上がってしまうこと(勿論その実行も可能である)」。
 ↑
人間心理の原理原則として(退屈したら死ぬ病なので)
「快感代謝が確認できる『興奮』とその実行や(成功・失敗は無関係)、カタルシス的終結感が人間には定期的に必要」←しつこく説明してきました。
(●これが定期的に実行できないと、人類ヒト科は様に発狂乃至・鬱的状態(自虐や悲劇的快感代謝へ転じること)となってしまいます。)

なにやら怖い話のようですが(笑
「散歩でもいこうかしらね」←これが可能であればOK事項という課題的には実に簡単なものです。

と こ ろ が
承認欲求不安を煽る形で(てか強迫的に)ひとりで勝手に動機形成を禁じられてている「オンザレール『共同幻想』適応自我の場合(絶対の掟が抜け駆け禁止)」、
日常的に実行すべき快感代謝のお題を自分独り勝手に決めることは禁じられています。
(あれですよ、小中学校洗脳教育でお馴染みの「団体行動の時に勝手な事をしないでくださーい」みたいな訓練でお馴染みの奴)
●勿論、風呂とトイレの中だけは許されているプライベートな時間や(深夜の寝室であるとかナンチャラホテルなど”隠蔽された空間”における性行為もそこに含まれる)、とても限定的なオフタイムは自由に動機形成できますが(LINEなどのSNSユーザはその自由も剥奪される場合もある)、
「オンザレールな『共同幻想』適応人格」は、日常性含む”主力の活動時間”の動機形成は「アタシは何やればいい?」の確認無しに勝手なことをしてはいけないのです。


普通に生活しているだけでも欲求不満になります。
しかし抜け駆けは許されていない。
「だったら全員で(ここだけ許可すると承認されているような)集団ハイではめを外そう(無礼講)」のようなインセンティブもアトラクション的に組み込まれます。
(●キモイ「定期的に行われるカラオケの日」だとかさ、、「週末の夜は飲み会」だとか、、「日曜日どこそこ峠でドリフトしようぜ」だとか、、「月に一度の食事会」などなど)
 ↑
■この行為を「オンザレールな『共同幻想』適応人格」は”遊び”と呼んだりするのです

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posted by kagewari at 04:36 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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