2019年05月20日

リクエスト関連(再びHN「幸せ者」様から)


どうしようも無い内容なので無視しようかと思ったんだが
「あまりに聞き捨てならない内容」なので
誤解あるといけないので全文引用し分析・解説します
 ↓
>台風で雨戸がない窓が割れた時にご近所さんが応急措置をしてくれたり、私が怪我をしている間は同僚が車で乗せてくれるなど、色々助けてもらいました。 私も人が困った時には助けます。 コミュ障や人として問題がある人が困ってても誰も助けませんでした。 遊ぶ元気はあるくせに働く元気はないのは何故でしょうね? 問題職種はなくすべきですが、単純作業の仕事しかできない障害者であれば子供を産み、将来税金の世話になるような子を増やすことも問題でしょう(問題ない夫婦の間に障害児ができたなら別ですが)。

どう思います?
キタコレ
相模原障害者施設殺傷事件(「津久井やまゆり園」)の被告:植松聖と同じ発想ですよ
【ナチスの優生学】

同様の思想に傾倒する若い人も少なくないって論説もありますよ、そりゃ
なぜ、相模原障害者殺人事件の犯人は一部の若者に支持されたのか?
若者の「報われなさ」を読み解く(中島丈博:脚本家)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50230



●何度も言いますが(個人的に言えば私の実家は北海道で例の震災ブラックアウトの街のひとつです)「被災地でコミュ障がどうした」などのくっだらない暴論を聞いたことありません。
また、知人には阪神淡路被災者もいますが同様に聞いた事ありません。
「災害時コミュ障がどうした」などの話は”事実無根”です。←これがファクト
(上記によりこの話の前提はフェィクであることが確定している)
あなたが適応を自称している『共同幻想』口語調で言えば→そんな馬鹿げた差別的発想は一般の日本人にはできない芸当です。

その妄想がどこの世界線の話なのか知りませんが、
あなたの言っていることは、
「私は災害があっても相手がコミュ障なら助けない」←こう言ってるだけです
(誰も災害時にその人がコミュ障か否かなど判断の前提にすらありませんから→あなたの説の「コミュ障や人として問題がある人が困ってても誰も助けませんでした」に根拠があるのだとしたらそれは「そこに含まれる自分はそうしなかった」でしかない。)

だとするとよ、
あんた自分の子供がコミュ障だったらどうすんだい?
「助けないどころが蔑視するんだろ」→「幼児虐待」直行じゃネーか
自分が何言ってんのかわかってる?
(末尾にこの点「『共同幻想』社会口語」による補足あり)
「え?私の子供が?」←おいおい(自称『共同幻想』適応が)そういうこと言えんのか
天皇家におかれては皇后昌子様の関係障害だけでなく、愛子さまも(不登校を経験あそばされ)対人関係障害系であらせられるんだぜ?
自分は天皇家よりご立派だと、何を根拠に論証できるのかね。
(あくまでゴシップだが秋篠宮殿下におかれても「小室圭」問題で投薬を受けているという話しもある。)

あなたは
「(コミュ障のような夫婦が)将来税金の世話になるような子を増やすことも問題でしょう(問題ない夫婦の間に障害児ができたなら別ですが)」と発言されていますが、
愛子様のことでしょうか?
不謹慎にもほどがあるというか、(あなたが適応を自称する『共同幻想』口語で言えば)日本人として恥ずかしくないのですか?
(社会適応以前の問題だろ)


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posted by kagewari at 22:58 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

日本人だから時間に正確だったワケでは”無い”らしい


概念”ってのは自我におけるモジュール的なパーツであって、
装備すると、その性能ってか機能に自我キャラクターの一部は拘束される。
キャッチフレーズやプロパガンダやセールストークの有効性の理由でもある、
または自己暗示や自己啓発やら洗脳にも関係してるかな?

明治前後の文明開化の流れの中で
「社会」とか「経済」とか「健康」とかの言語が登場し
その言葉を知った自我はちょっと変容するワケだよ。
”教育と民度”ってのもそうだよね
「差別」だとか「人権」って言葉(概念)を知った人間の自我はちょっと変容する。
(コンピューターで言えばソフトのインストールみたいなもので、自我における概念ってのは「会計ソフト”大蔵大臣”」みたいな意味でもある←余計わかり難いかww)


■この仕組みを俺は多く知らないのだけれど(言語学は専門外なので悪しからず)
数学の「π:3.14」ってあるでしょ
これを意図的に受け入れないようにするためには、なんらかの論駁なり論戦において勝てる根拠が必要になる。しかし数学上の定理を常人が覆すとかま〜ないワケでww
円の面積だとか円周を計算できる自我にちょっと変容するワケです。
 ↑↓
ここは社会学系用語も同じで、説明される概念の意図や根拠ってものを当時者が論駁なり論戦において勝てる根拠が無ければ、「あーそういうことなのか」とそれを理解した自我にちょっと変容する。

※ちょっと話逸れるけど、この”概念”の導入がすこぶる上手な人が成績上位な秀才と呼ばれたりするのね。そしてその反対語のようにこの”概念”の導入が「え?どういうこと」的何らかの反発なり抵抗なりが発生すると(現代用語で言えばさ)「学習障害」なんて呼ばれたりする。
ここさ、必ずしも「え?どいいうこと」的反応は普遍的に”間違いでは無い”からね(それをひとからげに障害呼ばわりすのもどうなんだろうと)、
”概念”の導入がすこぶる上手だって特性も「それもまたどうなんだろう」って要素あるのですよ。
(現代的な学閥エリート階層ってのは一種のサイコパスじゃね?だとかさ、、)


●心理学の仕組みも”概念論”の延長上にある
「強迫心理」「エディプスコンプレックス」「自我」「抑圧」「反抗期」『共同幻想』『自意識』←この辺の言葉(概念)を知ることで、それまでわからなかった謎が解ける(円の面積が求められるように)。
自我に組み込まれた謎のレトリックが解けて「なんだそういうことか」とネタバレ崩壊する。
(※特に『被(こうむる)』『抗(あらがう)』なんてのはそこが顕著な概念だと思う。)
知る事で同じ自我ではいられな訳ですよ(知るだけでも「強迫心理」は一定程度の力を失う)。
※なので心理学にも弱点はある→言語におけるコミュニケーション不可能な分裂状況には無力。
(絶対無力って意味では無いが→外的環境としてどうあるべきかなどの対応に留まってしまう)

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posted by kagewari at 02:07 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

リクエスト関連「やれコミュ障だとかディスりたい人」


<再びHN「幸せ者」様からのリクエスト>
この人、お金まで支払って執拗に「コミュ障」などの差別語をためらいもせず乱発し、ひたすら(現代用語で言うところの:心理学用語では無い)「なんとか障害」の人をディスることに熱心な方ですが、そういう意味じゃ「あんたが(自分の発言と逆さまに)困っている人を助けない(むしろ差別主義者であり)嫌われ者」であることは確かなんだろうと思うよ。

(こりゃ保守思想ですらないわね→てか前にも説明したが「あんたが適応強迫」でしょうにと)
web『投げ銭』規定に従い一部引用
>色々と仰っていますが、私達が困った時には周りが助けてくれます。かけつけてくれる仲間がいます。災害時などはご近所さんと助け合っています。コミュ障や人望がない人はこんなことしてもらえないです
私は主人にも恵まれて幸せです。 取り巻きや共依存の人間関係しか築けないのも人望がない人やコミュ障が多いです。
給料を頂きながら生活保護を不正受給をしたり、生活保護生活なのにパチンコしたり、ブランド品や海外旅行などと贅沢をしている人、コミュ障ニートが働かずに怠けている人が多いから。 精神病か発達障害で週に2〜3日しか働けないと言っている生活保護受給者がオフの時は友達と遊び回っているなんてざらです。 働けないのに友達と遊び回る元気はあるのですね。 だから安部政権もそれを問題視し、働いている私達が報われるようにと生活保護削減し、働いている人には優遇措置を取ろうとしているのでしょう。

 ↑
ブログ読者の方は口ぽっかんだと思うけど、
所謂現代用語における”情報弱者”のいかにも言いそうな”謎理論”ですわね、
現実に対し正確なところがどこにも無いというね、、)

災害時”互いに”に助け合うなど”当たり前”であり、コミュニケーション能力に応じて支援に差異があるなんて世界はどこにもありません(阪神淡路しかり311しかり)。
当然の如くコミュニケーションに問題ある人だって救助活動や支援に協力します。
ましてや精神障害などの弱者をコミュニケーション能力高い者秋適応者が意図的に見捨てたなどの話を聞いた事が無い(どこの世界線にお住まいですか?)
「そんな人を見捨てます」←ってお前の主観だろうがww

公務員(とパレートの法則)、所得分配政策における公共事業、ほぼ東京以外の全ての自治体が需給している”補助金”、パレートの法則(社会学統計的に組織で役に立っているのは2割を越えない)、←偉そうなタイトルのついた”生活保護”は山ほどあるワケで(しかもいらん事して時に社会を混乱させる場合もある)、
政府も重視しているNPOやNGOなどの民間組織の存在もある(フリーエコノミーグループ)、

●そして経済の原則論
資本過剰な先進国の場合(=いつでも過剰資産可能の意)、陸上のバトンリレーの都度に走者にお米200gを渡す循環を行っているとする(=競技場の裏には過剰生産古々米含む200tもの在庫が積みあがっている)、
このリレー競争は慣習で走行中にバカ踊りなどして”走者感”などを表現するのだが、主たる目的はバトンリレーである。→よってバカ踊りが苦手な走者も、ほとんど走行できずすぐに前の走者にバトンを渡す人も、走者として参加する事が合理的判断となる(少しでも在庫がはける)。
※しかしこの時
「お前はバカ踊りができないから参加するな」と、トラックから追い出しても”誰も何も得せずに単にバカのやる事”でしかない(てかバカ踊りはそもそもこの企画の本質的趣旨では無い)。→過剰在庫でレース自体が破たんする。

仮に、
公務員も小さい政府縮小(過剰な行政改革)、公共事業の停止、自治体への補助金停止、
【生活保護】や年金への加算などの制度廃止やったとする。
失業者があふれ、(デフレになるため)資金保有者は投資せず格差は更に拡大(実体経済の縮小)、
日本経済は壊滅的打撃受けるんですが?

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posted by kagewari at 03:16 | リクエスト関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月16日

ネコの知性とイヌの知能(知性・知能論)


人材とか人事部?
判断は人それぞれだけれど、
人間の能力を偏差的にランク付けすること自体が本来人権侵害だわね。
(左巻きの人はこういうところに着目してくれと←いやほんと俺は左翼インテリを全否定している訳では無いから、求められる役どころってあると思ってる。)
(注:それから知能を否定している訳でもないよ)

てか、同じ人間なので実際には能力なんてものにたいした差があるワケでも無く、
(理系を例外に、赤本片手にテスト受ければほとんどの生徒が100点だろうさ)
個体差・個性差ってのが本質的な実存領域の話となる。

■凄く乱暴な表現で恐縮ですが
一般慣用句で「バカとか足りないとか」の話
難しい言葉もよう知らず、歴史だとか雑多な知識もこれと言って無く、暗記競争の意味のわからない学校のテストがさっぱりだってタイプの人がいるとしてだね。
そりゃ知能の話で、
知性と別物だから。
(全く関連が無いとは言わないが、巷で言う「頭がいい」とかクソほどの意味も無いだろうって)

多分この話は
ちょっと前に話した「時制の話(人類誰もが年齢も寿命も関係無いかも論)」と関係しているかな。
或は「時代と人類」だとか「パレートの法則」も包含するようなって言えばいいかな、
子供は大人に比べてバカかも知れない、
地球が丸い事も知らない時代の人類はさ、現代から見ればバカかも知れない
社会学的統計として常に一定数の怠け者が”必然”である件とか(有能訳もある意味順送りのようなもので→地位が人格を造るって話にも通じるかな)、

知性って呼ぶと仰々しいから”センス”にしてみましょうか、
子供は高尚なブランドものを知らないかもだが、趣味のいい奴悪い奴ってそこへの関心の違いが存在する。
和服しか存在しない時代にもそりゃ粋な着こなしは存在したし、
前線に立たされたものは脳の活動限界まで戦術的思考を行うだろう。

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posted by kagewari at 17:06 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月13日

ネコの知性とイヌの知能(雑感だけれど)・末尾リクエスト関連アリ

最初に言っておくけど、
自分が”ネコ飼い”(羊飼いの発音で)であるが故に、ネコ贔屓になってますので、
今回記事は上記事情により一部偏向しておることをご容赦くださいませ。

加えて、俺の犬経験などおおよそ根拠のあるレベルにも無く、
ちょっと先日個人的事情でイヌと触れ合う機会があったものだから、その時思った雑感を残しておこう程度の話でございます。根拠もいい加減な与太話です、
※ここまで読んで「期待外れ」と思った方は以降スルーでお願いします(笑

さて、そんな事情はともかくにだ、
(※最初にネタバレしておくと、多分今回の話は『共同幻想』リミッターや認知領域と空間の話なんかなと思う。→勿論それは人間にも通じる話として次回に引き継ぐ予定)

■確かに犬は知能が高い
芸もすれば、単純な言語は苦も無く理解している。飼い主と高いレベルのコミュニケーション能力を持ち散歩に限らず共同での活動も可能だ。
その反面、
イヌは好き勝手に主体的に知的活動をする様子はむしろ少ない。
(あたかも飼い主のオーダーに備えて無駄な動作を抑えているような側面もある。スタンバイ状態的な、)
同時に野生においても高い社会性を持つ犬は(本能で規定されるため犬同士の世界は『共同幻想』と呼ばない)、人間社会の『共同幻想』と高い親和性を持ち、客観的に見るとそれは依存性にすら見える。

■よく馴れたイエネコに依存性が無いとは言わないが
ネコの場合、好き勝手に自由意思で行動する状況が損なわれる事は無い。しかし飼い主との共同生活に知的共存不可能かと言えば、全く違い高いレベルでの共存が可能だし、コミュニケーション能力も高い。
基本芸はできないが(というかそういうことをしない)、
会話も可能で(基本ネコ同士は鳴き声を交わすことはほとんど無く「ニャー」と知られるあの声は専ら人とコミュニケーションするために彼らが開発した発音だという説もある)、
知能が高い印象は無いけれど、その表情や失敗した時恥隠しで知らんぷりする様など生活における知的活動領域はとても大きい。
 ↑
この点、イヌネコ差は無いと思うけれど「自我の萌芽」を思わせるような深い表情は、長い年月(ひょっとするとワイルド環境における彼らの寿命を超える)人間と関係する中で(ヒト同様に)獲得されるもので(昭和の外イヌやおおよそ馴れている思えないネコにそのような表情を観察することは難しかったりする)、

●加えて(ここ重要)
人の乳幼児と違い、彼らは長期にトラウマ級の不遇者(言葉はおろか立って歩くこともままならない)時代を過ごすなどのコンプレックス・フラグを持たないため、謎の反抗期なども無しに下手すると人間世界における親子関係や夫婦関係以上の平均的年月を飼い主と良好な関係で静かに過ごすことになる。
(BBQイベントで幸せごっこインセンティブも必要としない)

ひょっとするとその自我モデルは(コンプレックス・レスな関係であり)、
人間のそれを(知能は全くそこに至らなくても)知性レベルで越えてる可能性すらある。

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posted by kagewari at 16:49 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月11日

「『自意識』マター全開」の可能性


過去記事で、マキシマムザホルモンのドラム叩いてみた女子高生動画でも触れましたが、
「『自意識』マター全開」時特有の”ギラギラした目”というか、
それは、マラソン選手などにおけるランナーズハイなんかもそうなのか、
脳が主として快感代謝の判断基準にしている、脳内『興奮』物質の種類が通常と違うものあるような気がするんですよね、「『自意識』マター全開」状態。

時にそれは、スポーツ選手などにおける「迷いの無い状態」なのかもしれないし、
時にそれは、(昭和だけの話だけれど)権利モノ台における最後の判定チャッカ―に玉が落ちる瞬間に向ける視線なのかもしれないし、

●強い『自意識』関心事項に対する度を越した集中力見せる瞬間の話
かな?

個人的にはフロイト心理学における昇華論はまゆつばなとこあると思っていて、
(ニーチェみたいな話だとは言わないけどさ)
そのアイデア元になっているのは、誰でにでもある「『自意識』マター」の事なのじゃなかろうかと思っているのです。

脳内経済をあたかも貨幣経済学的に見ればさ、
無意識や強迫性なんかもあり得る「脳内『興奮』値による快感代謝判断」レベルで言えば、
ひょっとして『自意識』って量的評価でワンランク下なのかも知れないんだけれど、
 ↓↓↓
”ここ”と対象関係にあるのかもしれない
 ↑↑↑
無意識的だったり強迫的(場合によっては不快手段も含む)興奮快感代謝って、強欲と言ってもはずれと言えない欲求ありきの話でさ(それだけ強く希求されている)。
たとえ悪いけどドラック中毒みたいな様相になっていたりする。


●これに比べて「『自意識』マター」における快感原則って
そこから先はしんどいとか、ちょっと無理みたいな印象ある中で、
敢然と「これは『自意識』オーダーだから」とそこを突っ走るというか、(そのエキセントリックな行為を相当する欲求に応じて行うのでは”無い”)、欲得関係無くそう決めたという意思の表現でもあるよね。
「未体験ゾーンへ自らの意思で突入することを目的としている」のだから。
確かに快感代謝の量的数値は「強欲に呼応するエキセントリックな行為」に負けるのかもだけど、
『抗(あらがう)』意思で、壁をぶち破る(自由の獲得)行為は、それとは比較にならんものでしょ。

興奮ともなう脳的快感をゲットするのでは無く、
自らが興奮を体現する状態に突入するのだから、
(※根本的に違うだろうと)

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posted by kagewari at 23:19 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月09日

だとすると、日本人ってのは「日本語ペラペラの人」ってことじゃ?

言語と自我構造の関係を考えれば考えるほど
所謂オカルトネタ的なさ”民族のDNA”なんてものにいかほどの意味があるかと、
(勿論末端組織である家族社会により伝播される『共同幻想』もあるけれど)

事象の認定や思考方法なるパターンはかなりの部分が使用言語に依存するのではないか?
一時の論議で、
「欧米言語は表音文字で、日本語は表意文字だから」みたいな話もあったり、
「いやいやかと言って漢字を使う中国語は運用的に表音じゃね?」だったり、
ここは言語学のアレじゃないので、それ以上の話は無しにしますがww

英語表現のなんとか記事を書いている時に、
存外に人の脳に言語の文法や思考法の流れが大きく影響及ぼしていると感じたのです。
さらに
●それが欧米人の心理でどうなのかわかりませんが
少なくとも、日本人は思いっきり容貌が外国人が「日本語ペラペラだと妙に安心する」のも確か。
この妙に安心する心理の中に、「日本語話せるならわかるよね」みたいな暗韻がありはしないかって話です。

それは期待だけなのかもしれない。
いやはやそうだろうか?
様々論議もあると思いますが、

日本人の傾向の中に
「日本語ペラペラの外国人は何かが別で仲間だから」
という心理が存在するのは確かだと思うのね。
流石の日本人も腹の底からバカってこともないでしょうから(笑
そこには、自我同士の情報流通における”ナントカ性”みたいなさ、
どこか気が付くところがあるんじゃないのかね?

※重要なボーダーラインに「ペラペラと認定したか否か」が関係してるけど


■以前から思っていたことですが
外国人労働者云々の件
コテコテ保守派のみなさんは相当に強い批判していますが、
(特定アジア某国はともあれですよ)
そんな保守派のみなさんでさえも、ランダムに多様な国籍からの来日、そして日本語ペラペラ後の帰化後の日本人には何も言ってませんよね。
そのこころも”そこ”じゃないのかしら

「あー日本語ペラペラなのね」

古くは故野坂昭如氏などが、
「言葉というものが壊れている、言葉を大事にしなければ云々」
酔っ払いながら激怒してましたが、
野坂氏の発言趣旨には重く受け止めるべき内容があったのではないかと思うのです。

(そして英語をひっちゃきに勉強して無理して英語で歌った日本のタレントはさっぱり成果を挙げず、BABYMETALじゃないけれど、そのまんま日本語で歌って実は全然OKだったことなども←前回紹介した日本シティポップに対する海外からのアクセスの件もそうです。)

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posted by kagewari at 19:14 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月07日

実現してもちっとも認められない(満足しない)欲求

特に承認欲求や(ある意味醜形恐怖と整形の関係もそう)、
反動化した欲求(一次欲求の断念により代償満足・二次的利得化及びエスカレート構造)
 ↑
だいたいこれに類する欲求は
「当該人物が脳内で”どうしてこうならないのか”」と明示されている条件が完全に解決しても
”満足することはありません”
(場合によっては条件満たす解決自体を”認めない”←某国が日本の戦争責任論で持ち出す”真正性のある謝罪”なんていう謎理論も同じ。)

■脳が快感獲得している経済構造と全く(明示される問題解決は)”関連性が無い”からです

すっごく単純化したモデルでたとえると
「割引セールと聞いて前から購入しようと思っていたレザージャケットを買いに行ったのだが、ふと立ち寄ったパチンコ店で予算を全てすってしまった」
酷く落ち込みってか、怒りも込みでその日は荒れ放題。
 ↑
さて、この状況で「割引セールも終了し後日なんとか希望のジャケットに近い物」をゲットしたとして、すっかり何事も無かったように満足するなんてことは”有り得ません”。
脳内経済状況では「そういうこっちゃなくなっている」からです。

●仮にスムースに事が進んだ場合の経済収支
・「バーゲンでレザージャケットをゲット」
●後者の経済収支
・「パチ屋で大損、不快と怒りの『大興奮』快感ゲット」
・「この時だけのバーゲンで入手可能だったジャケット喪失『興奮』ゲット」
 ↑↑
サラッと書いてますが、下手すると獲得されている『興奮』値は”倍かそれ以上”ってことになります。
前段説明にあるように、
代償満足や二次的利得なんて具合に「欲求を寝返りさせて、且つ等価な体感とするためには”謝罪と賠償”じゃないけれども、、更にその倍とかのレベルになる」。
つまり、
パチ屋でやらかした結果、下手すると「その事件が無かったことのように解決するためには(更にその倍となるため)、購入予定だった予算の4倍を超える経済収支の話になってしまう」。



こうなっちゃうとだね、
「買おうと思っていたジャケットワンランク落ちだけど、これでいんじゃない」←こーんな投げかけじゃ”なめとんのか”とばかり(更に不快興奮が加算されて期待賠償額を積み上げてしまう)、想定外の悪循環となってしまったりします。
 ↑
●ただし、無意識に脳内で起きている経済収支は『自意識』は全体像を掌握しておらず(納得いかない感情みたいな感覚でしか認知できない)、
周囲に「どうしたの?」と尋ねられても
「バーゲンセールでジャケット買いそこなった」←これ以上何も言えないんですよ。

さ〜こまりましたよ、
口を開けば「あのジャケットが」って話になりますが、
そういうものだから、周囲が可能な範囲で手を回して「これでいいじゃないの?」と打診すると、
何故か逆切れされたかのように「それじゃないんだぅてば!!!」みたいな謎のやりとりとなる。


■自我経済的にこの状況をどう分析すればよいのか?
発生した事象の切り分けと、
無意識に進行してしまった脳内収支を『自意識』が自覚すること(感情のネタバレ)
 ↑
大きく分けると上記の2つ

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posted by kagewari at 19:26 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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