2019年02月28日

わりとどうでもいい告知です(有料相談申込ページの更新)

いつものことでどうしようもない話ですが、
有料メール相談申込ページの文章など(流石に誤変換はなかったようですが)、
わかりやすいと言えない表現も散見されていたため、いい加減校正しました。
遅いっちゃ遅いんですがww
ブログの原稿優先ってことでご容赦ください。

今回の更新で(要望少なくなかった)『総合プロファイリング』を新設しています。
実際は、同趣旨の運営は以前からおこなっていたのですが、
申込ページにも明記しておこうと。
http://kagewari.cside.com/kage2.htm


●過去有料ページの大きな更新と言えば
荒れて利用停止となった『公開掲示板』と同趣旨の簡単な質問や相談
代わるものとして開設された『簡易相談』がありますが
’有料ってこともあるのかも知れませんが、量的に『簡易相談』を超えるものが多発し、
要望としても、広範なテーマで『精神分析プロファイリング』並みの分析と根拠を明記した返信を必要としているとのことで、

■それなら『総合プロファイリング』かなとHPを更新して
(「プロファイリング総合」でもいんだけどさ)
公に新設の告知となったワケです

実際『精神分析プロファイリング』では、家族との関係や子供時代など(場合によっては当事者が話したくない)詳細な聞き取りを必要とするため、『自意識』立ち上げは自力で可能な状況が無いと申込み難い部分もあります。
かといって掲示板程度の相談では付け焼刃ってか、あれもこれもと飛び火している「強迫心理」を抑えられない場合に対応するコースも必要だろうと。
→結果として「『簡易相談』が連発し→依頼文の再編集を求めたり、依存性抑止のため相談規制が入る」状況が少なからず発生していたため(そうなると廉価な設定の筈の『簡易相談』でかえってコストが高くなるとかにもなっちゃうので)、
現場では今回新設された『総合プロファイリング』的な運用を既に行ってました。
 ↑
新設の趣旨はだいたいこんな感じ


●相談の現場から言えることなんですが
どれほど個別各論に意味が無いと説明してきても「個別各論の質問が連続する」ケースがあります。
何故個別各論がどういう意味かって、
「不安症」というカテゴリーの質問とならず
(あたかも相互に関連性の無い個別独立の相談であるかのように)
「こんなことがあった」「そんなこともありました」的に相談が個別各論に分岐してしまうワケです。
逆説的に言えば、その意味は問題を「不安症」というカテゴリーに”まとめさせたく無い”
極端に言えば、「メンタル問題では”無い”こなことやあんなことなどの、道義的個別具体論の相談があります」みたいなケースがよくあるのです。
 ↑
説明するまでも無く、何故って「不安症」のように論議のテーマが根源に及ぶことを”避ける”ためです、
「強迫心理」の自己防衛ですよ。
(極論すると「根本的な問題を”解決したくない”ため、不快事象を個別各論の”外部事象”による道義的問題なのだと事実認定したい」←「強迫心理の構造を温存したい」=現在進行形の不快心理による代謝を維持したい。)
 ↑
この状況になると「話長くなる」
誰しもそんな経験あるかと思います。

実際の話『公開掲示板』が荒れて、利用停止になった理由も同じなんですけどね、、
そりゃ、同趣旨で開設された『簡易相談』も荒れるだろうって話です。
●但し有料相談であれば(相談依頼を行う主体の意思を明確化できる)
ここは相談を依頼するところで、主眼は心理的不快トラブル解決のための心理学的分析であり答申であるって建前を担保できますから、
「問題解決のための相談を自らの判断で行った」という形式の確保を目的に←実は”無意識”に相談の名を借りて「話を個別具体論に追いやりたい」とならないように設定することも可能だろうと、


そんなこんなで『総合プロファイリング』を新設しました
(更に「個別各論から心理的不快トラブルを根本的背景に言及させるのが目的ですね」的に逆方向へネジを巻くため)
わかりやすく言えば、
●国会質疑などでよくある「野党が各論を紛糾させることで(論議を矮小化し)総論である法案そのものの論議を追いやる(廃案が目的)」みたいな状況を回避するため。

<<<心理学のテーマは「強迫心理」トラブルの解決>>>
ですからね(笑
ここは「なにげに心理系っぽい人生相談事務所」じゃありませんから、
(”無意識”に出てきてしまう「有形無実化の仕組み」を抑止するのもこっち側の仕事だろうと)




タグ:強迫心理
posted by kagewari at 03:56 | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月21日

リアリズムと不条理(ある意味『共同幻想』バカフィルターの話なのかも)

今回は小ネタかもしれないのだけれど、
非常に興味深い題材があった、
今季のアニメは意欲作が多いのだが(題材的にはモブサイコ2期でもよかったんだが)

■往年の手塚治虫先生作『どろろ』が時代に追いついた
(原作は「エディプスコンプレックス」の元ネタとなる紀元前のギリシャ神話『オイディプス王』や、誰もがご存じ『モーゼの十戒』を下地にしている)
評論家筋では、手塚治虫が(当時水木しげるなどの流行から)「自分にも妖怪ものを書けないか」的な発想に由来する説があるようだけれど、そこはわからない。

内容がダークすぎて当時は全く売れずに打ち切りとなるのだけれど、後年に与えた影響は大きく(「ベルセルク」なんかそのままま「どろろ」のモチーフがベースになってる)、異色作として有名。
(手塚的には『ブラックジャック』の系譜だと思う→どろろはピノコのような存在でもある)

現代にリメイクされた「どろろ」が海外の反響動画などで”別次元”の様相を見せている
●明らかに悲劇におけるカタルシスって水準では”無い”
それは「不条理による実存」そのものであり(リアリズムを踏破した”何か”)

ちょっと話をその前提に戻そう、
文学でも哲学でも演劇でも芸術でも映画でもドラマでもアニメでも漫画でもスポーツでも、感動で人の人生に影響を与えるなんざ話には事欠か無い。
(「あしたのジョー」なんて想像超えるものだろうし、歌に救われたなんて話もある。)

それって何?「時にはフィクションでお話しだよ?」

そして人が考えるって何(或は動機形成とかさ)?

語弊あるかもだけれど、
■人間は各人その脳に世界を持っている
そして”理解される現実”がそれを超える事は”無い”。
理解できない事象は(当時者にとって)この世に存在しないのも同じである。

逆に言えば?
この世に存在しない事をやらかすのが創造(想像)だけれど、
それって何?「脳内には在る事だから」その希求だよね(成功すれば実現となる)。
それって常に成功しなけりゃ意味のないことんだろうか?
事がさ、理解って事に及ぶと別次元の話になる。
「あーそうか、そうだったのか」
世界を理解する←これって現実とは違う、実存領域の話だから。
「わかる(=在る)」
故に、感動のフィクションは脳内世界において”在る世界”であり、人の自我において現実との区別は無い(当時者の脳内においてはね)。
 ↓
●量子論オカルトみたいに「観察者の視点により現実が改変される」なんて話では無く
●はたまた「二次元嫁」とかの話をしようってのでもない(笑
精神分析にしても、記憶の中から”考えられていない””説明されていない”時系列(推理小説における謎解き)をネタバレ展開して「そうだったのか」と(抑圧されていた)世界を解放する行為だし、
芸術やエンタメとして高いレベルのリアリティー(そうだと思える仕組み)を持つコンテンツはフィクション・ノンフィクションに関わらず自我に影響を与える。
時にそれは演劇や映画における感動だったりするワケで、

少なくともさ、
(影響を与えるネタが文学や演劇や映画であっても)
影響を受けた自我が変化するのだとしたら、
当時者の自我が変化するって形で”現実は改変”されたのであり、、、
それは「考える事で現実は変化する」ことの証明である。

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posted by kagewari at 22:28 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

「承認欲求」が一番めんどくさい

メンタル問題に関わらず、所謂『行動幻想』社会適応系自我においてももっともめんどくさいのが「承認欲求」かも知れない。
■端的に言えば自らのアイデンティテイーを何らかの権威による承認に求めること
(受動系『被(こうむる)』式に”認められる”)
なんだけれども、

そもそもこの話が依存系欲求なので、それを主体的に解決する方法は”無い”ワケだ、
”無い”って事もないが、それは「承認欲求そのもののをネタバレ崩壊させる」事なワケで、メンタル問題であればいざ知らず(この場合は自らの意思で強迫心理の崩壊を意図するのだから)、『共同幻想』境適応系自我においては逃げようが無い。

確かに、そのストレスを契機として
現代社会は『共同幻想』崩壊過程なワケだから、彼ら自身が『共同幻想』適応人格もどうよって考えることもあり得ると思うけれど、既に社会適応しちゃっている場合、獲得した地位なり順位なりってキャリアもあるだろうから(それを唐突にバカみたいな事だと転換するとか)容易な事では無い。



「承認欲求なんかバカらしい」なんてのは『共同幻想』の間でも(各人”それこそ”の暗黙の了解的『共同幻想』において)60年代から”共有”されており
植木等のスーダラ節です(演奏は勿論クレージーキャッツ、作詞は青島幸男)

(それこそ立派に立身出世みたいなネタに対するナンセンス認知は裏『共同幻想』だったワケだ)


●逆にメンタル問題の場合は
その設定が(何にどう認められればいいのか)「強迫心理」なワケで、パチもんってか現実世界に実存する権威を対象と”していない”のだから(あくまで暗韻として想定されている権威は脳内設定だけの世界)、ネタバレ崩壊も何も予め獲得されたキャリア自体存在しないので”そこからの離脱”及び、「強迫心理」そのものの解体は望むところなので(難易度はともかく)論議すべきポイントは無い。


※補足【重要なことだけれど】
「強迫心理」が関係する自我問題ってのは、当事者が自身のメンタルに問題意識を持つ「メンタル問題」に限らない。所謂心理的に起きている現象は【同じ】な訳で、
多数決共有化による自我設定を普遍性と錯覚してしてしまう分(故に問題意識に至らないのだけれど)、『共同幻想』適応系自我における場合の方が「問題意識そのものを認識できない」とも言えるので(だとしたらそれは問題では無いってレトリックも成り立つんだが)、心理的負担が過剰に感じる場合は(下手に自分で理由を考えると防衛反応で自動的に何でもない事にもされ兼ねないので)「ひとまず何かおかしい」と理解する方がベターだと思う。
ある意味『共同幻想』適応系自我における過剰な心理的負担って、問題意識レベルでは”無く”外部現実に関わる事件や問題に発展するまで放置される場合が多いとも言える。
(なんせ『共同幻想』適応系はデフォルトの自我モデルが「強迫系」なので判断が難しい)

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posted by kagewari at 18:38 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

主人公論(と腐女子論)

ちょっと話逸れるのだが、
必ずしもエンタメ(興奮ネタ)ってのは、主人公や同格の助演役に自分を感情移入できれば成立するものでも無い。
確かに「俺強ぇ〜」ものや「私って素敵」ものなどベタなストーリーもあるけれど、
所謂エンタメが成立させるための(ここ音楽と羞恥心にも似ているだが)仕掛けってのがある。
●それを「リアリティー」って呼ぶんでしょう
「そういう設定なら(暗韻として”自分にも”)あり得るかも知れない」っつー話

たとえば
主人公が「今はド貧乏だが、実は○○」だとか
主人公が「凄く○○のコンプレックス持ちなのだけれど、実は隠れた○○」が〜
主人公が「民度の低い下品な世界の住人だが、金持ちに見初められてマナーを学んだら貴婦人に」(有名なマイフェァレディ的な)
主人公が「一見頼りないのだが、メンタルと知力が凄くてトンデモな作戦で」だとかね、
 ↑
ちょっと音楽と羞恥心に似ているのわかります?
”凄い事を隠す仕掛け(設定)”がキモになっているんだな。
(逆さまにいうと「完璧超人ギルガメッシュの大冒険」だと英雄譚だけに留まる←エンタメとして盛り上げるキモはその弱さでエンキドゥ登場させないと始まらない。)

ことほど左様に、
所詮一般人に過ぎない視聴者をいかに壮大なエンタメに感情移入させるかの手法なワケだけれど、


●ちょっと話逸れるけど(俺はぶっちゃけこの発想は失敗だと思っているんだが)
日本がダントツで得意としているAVにおいて(笑
「キモいオヤジとホニャララ」みたいなジャンルもあるのですよ。
(構造的解釈は理解できるんだが、、、それは違うだろみたいなww)
 ↑↑
構造的着想としては、案外ここに被るのではないかと思うのが、
●「腐女子」って概念です、
わかりやすくいえば、モーホーなイケメンな男ばかりのボーイズラブなドエロな漫画やライトノベルをこよなく愛する女性達のことだが(この説明への異論はみとめますが、このブログはそういうディープな話を詰めようって事じゃないのでお許しください)、

■なんつーか「野次馬観戦」とか「のぞき見的背徳」ってのかさ、
エンタメの物語の”外”にそのままの自分を(登場人物に感情移入することなく)観察者としてこれを楽しむってジャンルです(ある意味アイドルなどの追っかけなどもそこに通じているかも)、
視聴者である自分を完全な安全地帯に置いて、色恋沙汰の物語に”リンクさせない”ところがミソ。
決して今の自分の生活などに影響及ぼさない状態でありつつ、どす黒いほどの背徳とエログロの欲求を満たしたいというですね(笑、一挙両得みたいな楽しみ方です。

(こんな事いうと叱られると思うけれど、「エンタメのしての宗教」にも似たとこあるのじゃないだろうか、、、。)

話を戻すと、
一見可憐な文系女子が裏の顔として「腐女子」としてのどす黒いエログロな欲求を持っている。
 ↑
あんたの存在が既にエンタメだよ(笑
ぐるっと回って、これは感情移入では無くってさ「腐女子という主人公」なんだね。

この構造はかなり高度な仕掛けだと思います。
そこいらの緻密なドラマのリアリティーを超えている(それ以上の表現上の自由度がある)。


■などなどつらつら考えるほどに「羞恥心」ってのは重大なテーマなんじゃないかと思う
先日『サタデーナイトフィーバー』でお馴染みの米俳優ジョン・トラボルタがズラを脱いで(殊更禿げのカミングアウトとか思わないけどさ)スキンヘッドを堂々公開なんて記事がありましたが、
男性における禿げの羞恥心ほどバカらしいものも無いっていうかさww
(自分を女子に見立てて言えばだ「オメーはそもそも性対象ですらネーだろ」だとか「男選びに毛の量が重要と女が思うだろうと思いこんでいること自体バカ過ぎるだろ」などなど、、次々思いつきますよね。)

羞恥心ってのはそれ自体ある意味”罪作り”だよ。


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posted by kagewari at 23:12 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

続・快感獲得と羞恥心

以前芸術やとりわけ「音楽と羞恥心」の話やりましたが、
あれこれ考えるうちに「あれもか、いや、これもか」とズルズル同様の話が出てきまして、
別項として書いておくべきだろうと思った訳です。

仕組みは実に簡単で
(ひょっとするとここにも承認欲求が関係しているのかもしれないのだが、、)
■「盛れるものなら、少しでも盛っておきたい」
一種の保険のようなものですが
しかしながら、これが結構邪魔というか…、
いやいや「羞恥心の壁」があるのだからやむを得ないともいえる、

そもそも論的に羞恥心ってのもかなり意図的な設定というか、自己暗示のようなものですから(現代的にはマインドセットの一種かも)、当該自我には罰ゲームみたいなものでもあります。
説明するまでも無く、羞恥心には個人差・民族差・国際間の差が広大にありますしね、

そこで”粋”というかセンスというか、
表現者には”邪魔にならない羞恥心の壁突破法”がひとつの見せ所にもなる。

広く社会一般に見られる現象としては、
・芸術表現のひとつに代表されるのが『道化師・ピエロのコスプレ』であり、
・日本の伝統芸能における『面』であったり、
・学問好きな人の「キテレツな専門用語」であったり、
・文化的ハイソを自認する人の「(アウフヘーベンな)横文字病」だったり、
・『共同幻想』適応人格における「ブランド志向」や、
・ドイツ人職人の「オーバーエンジニアリング(過剰にギアが多いよ)」
・日本大工の「その欄間はやり過ぎだから」だとか、
・ヤンキーの謎ファッション
・ゲーハーの「濃すぎるズラ」や、
・夫の前でも外さない米国黒人女性のウイッグや、
・アンチエイジングな人の注入過ぎななんとかオイル
 ↑
あげればきりが無いのですが、

■羞恥心ってのは密接にエディプスコンプレックスと深い関係にあるため、
権威の概念とは違うんですが、羞恥心の概念は「あたかも超えるべき権威条件のハードルが存在するかのような振る舞い」をします。
昭和のアンチテーぜには以下のようなものがありました
「休日のお父さんがステテコ一枚で外を出歩くので恥ずかしくて」なんとやら、
(これを象徴化したのがドリフターズのコントにおける加藤茶のオヤジコスプレでした)

つまり
「オンデューティー(on duty)状態の社会に暴露中は羞恥心が稼働する」
逆説
「オフデューティー(off duty)状態でプライベートと認定された空間では羞恥心が解除される」
∴故に
「職務上の行為やその関連、他、音楽や芸術など、一般社会を対象に表現される行為には必ず羞恥心の壁が発生する」
●昭和の言葉で言えば「よそ行き」
(※逆に言えば、現代社会はSNSなどの普及で「オフデューティー(off duty)」が監視され、息を抜く空間が不足しがちな傾向にあります。←勿論『共同幻想』社会のケースですけれど。)


<話を「”粋”というかセンスというか」に戻してみると>
(誰が思いついたのか知りませんが)
そこを皮肉って編み出したのが、
「ダメージジーンズ」であったり「エージング加工」だったり、
(ひょっとすると現代のミニマリズムにもここ関係しているかも)

無意識に”羞恥心の壁が(脳の快感獲得上)邪魔であること”は(それこそ皮肉なことに)かなり普遍的に”共有”されてるんだわww
(心理学的対処として、恒常的な欲求不満への一次的且つ初期的対応に「ひとまず自室で全裸」ってのがあるのは、ホントこれ論理的根拠のある話だから。いかにも『共同幻想』適応人格における定番「自家用車で大声出して歌うたう」とかも着想としては同じ。)

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posted by kagewari at 20:41 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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