2018年12月06日

『結果論』のあれやこれや

時に”やたらと結果論に拘る”状況ってありますわね。
「そんなことして食べていけるのか」(低水準だと)
「簡単に成功する筈もないだろう」(まあ一般レベル)
「能力的に(やろうと思っても)できないのだから無駄だ」(ちょっとだけ高度)
「できたとしてもこれぐらいのレベルだと意味が無い」(かなり高度)
 ↑
仮にオンザレールな『共同幻想』適応自我でなんやかんややれているなら「それも向上心だ」と言えなくも無いだけれど(厳密に言えば強迫思考なんだが)、


■結果論の”原則論”として考えるならば
基本原則は(比較級や出来不出来の偏差認知ってのは)『共同幻想』論です。
逆説的に説明する方がわかりやすい、
『単独者』の場合「個性化しているためあらゆる価値基準は個人オリジナルなので(この段階で他者と比較したり偏差認知で事を判断する概念が無い)、」、主観的に(或は能動的に)「ここまでやったるか」みたいな動機形成はあっても、まー言えば趣味の世界のようなもので”結果に拘り”はあっても”結果論に拘っていいたり振り回されるってのは無い”、無いってか概念として存在しない。

∴故に
どこまでいけないと意味が無いなどの思考や発想は
 ↑
既に「ガチの強迫心理」です
(元ネタ『共同幻想』である証明←オンザレールな『共同幻想』における動機形成ならアリなんだけど、、厳密に言うとその『共同幻想』思考からして強迫心理を利用しているって落ちだから→一種のド・M心理ちゃ〜そういうことで)

●自由ってスタンスには「結果に対する評価も好き勝手(自由である)」
つーところ抜きに語れないのであって、
∴故に
こうでなくちゃだとか、こうじゃないから嫌だだとか、こうではないので意味が無いなどの発想は権威性認知に拘束されているか依存していないと発想そのものが不可能なので、
 ↓
逆説的に(前提としてメンタルに問題意識があるのであれば)、
元ネタの『共同幻想』権威性認知(偏差値認知)をどうにかしろと←この順番になるワケさ
コンプレックスハードルみたいなのと、権威性認知における”権威偉い感”って同義なので、そこ(平たく言えば現在の常識感)を壊さないと(ハードル競技って飛ばずに障害ぶっ飛ばすなりぶっ壊しつつ走ってもアリですから)トラックを走ってナンボの競技の筈が、高いハードル見上げる(そして嘆く)宗教みたいな様相になっちまうワケです。

◎◎◎しつこく定義を書いておきますが◎◎◎
■自らのメンタルに対して(なんかこれでいいのか的な)問題意識がある時点で、当該自我は現状『共同幻想』選択者では”ありません”。
(オンザレールでも無い:オンザレールって問題意識の自覚が無いって意味でもあるから)
『共同幻想』に被(こうむる)認知でズルズル従属するような状況にあってだ、
適応しているとも言えない。
(適応ってのは”成績的に条件満たす”みたいなことでは”無く”てさ、自らの利益保持のため”対抗・対応できる”って意味だから。)
『単独者』を選択するにしても『共同幻想』選択するにしても、
まず状況や現実に対して”抗(あらがう)自我”(その自由度心理の担保)を前提に、どっち行くのか(歩留りを含む)自己決定が確認できないといかん訳で、
=フロイト的に言えば、そこにコンプレックスなどの心理が介在しているなら、抗(あらがう)とか論理的に無理なワケで(抑圧構造)問題の本質が別のとこにあんぜって話。

→続きを読む

posted by kagewari at 19:32 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)



LINK
□ダークサイドオブkagewari(ミラー)
■retour&Retour
□etc;;Blog

kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0