2017年12月22日

「依存性と強迫性」

事実上「依存性と強迫性」は個人差ありつつもワンセットのものです。

まず、メンタル問題と構造的には同様の、
■「(昭和的)オンザレールな『共同幻想』適応人格の場合」
『共同幻想』論で何度か説明してきましたが、
所謂、軍国全体主義時代や昭和高度経済成長期の一般社会の傾向であった「オンザレールな『共同幻想』適応人格」の特徴は、同調圧力の形で認知される強迫的情報共有(プライベートな旅行の報告や記念撮影画像の共有)だけでなく、日常生活の振る舞いを確認する意味で、
「○○でいんだよね?そうだよね?」
「○○ぐらいでいいのかな?そうだよね?」
などの確認行動も”無意識に”派生します。

確認行動はプライバシーレベル(羞恥心度)に対応し、
「日常性の高いよくある事項」は→所属組織全般誰でも間
「個人的な生活に関わる事項」は→休憩時間を過ごす仲間の誰か間
「極めて個人的な事項」は→親しい友人関係間
 ↑
だいたいこんな流れになりますが、
上記の行為は事実上の「権威承認的な依存」です。
(端的に言えば「依存」とは「個の実存」の反対であり、自己の存在が希薄になる様子=没個性)

(注:昭和的な『共同幻想』社会適応は、戦争の時代や高度経済成長などの社会的合理性が強いインセンティブとなり「強迫的要素も適応すべき普遍的現実と仮想される結果(幻想)」、無意識に定着。自我は強迫的認知下にあるが《時代背景が時代背景なので》「事後追認的な『歩留り』成立」に至り強迫性は一定幅に収まる。時に『興奮』を伴う不快認知やエスカレートした行為が見られても、自身にはメンタル問題として認知されない。)



■「志願制の職場や部活や恋愛婚姻や職業軍人など予め確信犯的選択社会の場合」
よくある事項は→「で、いいかな?」
個人的事項は→「なのかな〜」
極めて個人的事項(トイレや浴室のプライバシー)→確認せず
 ↑
上記のように「選択が確信犯的である分(応じた自己責任が担保されている)だけ」、”確認や報告程度”の情報共有は行われるが、依存性は後退する。
「帰属性は高いが、依存性は低い」
(軍人の場合は、語尾が「であります!」に変化しますが、依存性が高い事を意味しない。→というか軍人の場合高い水準で個としての判断も求められる訳で、)

前者と後者の違いは、
●「選択の場面において、それが自覚的か無意識的か」の差異であり、
選択の自由度にも関係する→親子関係のように関係性の選択に自由が無い場合「事後追認的選択しかできない」ため、自動的に強迫性・依存性の高い関係性となる
(自覚的か無意識的かの差異=自己責任担保の有無=担保が無ければ所有権が派生しないので「無自覚・無意識的」となるって流れです。)


そのため、
地方公共団体の条例や法律で、未成年の性行為などが人権を保護するため禁止されるワケで(子供が誘拐されてしまう構造も同じ)、自我の依存性がその背景にあるからです(能力的に自己責任の担保金が制限されているため=依存性の分量だけ自己決定の証明が不足するって寸法です)。
幼児教育における「褒めて伸ばす」なんてのも同じ線上にあります。
(半ば自我の依存性を利用している話で、現代においては「一歩間違えば過干渉」です。)
 ↓
極論ですが、「(権威的に)なになにすればいんだよ?そうそうよくできました」←この投げかけで、依存性の高い自我は”釣れる”構造にある。
幼児教育の是非はともかくですが、、依存性を利用する褒めて伸ばす手法だと「自由選択意識はむしろ狭まる」のだから自主独立性が抑制されるのは事実。
(専門外なのでいい加減な事は言えませんが、現代における教育の在り方は「知的刺激としてサバイバルと合理性をからめ選択の可能性をその都度説明する」って事なんだろうと思いますが。)

→続きを読む

posted by kagewari at 21:48 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

論議が難航するポイントに「いい悪い論」があります

どうしても出てきてしまう、
避けられないと言ってもいいでしょう。
(特に鬱病などの症例で顕著だと思いますが、)
何の話かと言えば、
(※このテキストもかなり重要なので『基本用語』リンクに入れておきます)

<たとえば>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Q)かくかくしかじかの事象は何故起きて、どうしたらいいのでしょう。
A)この状況だと無意識下の「強迫心理」が、このように刺激され(はたまた「強迫心理」の裏付けとなる権威者のイメージがあれこれなどに投影されであるとか)、自我は『被(こうむる)』認知にあるため(『自意識』が抑圧されているため)、この刺激がもろに不快(や落ち込み)『興奮』のトリガーとなってしまっているんです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ↑
「いい悪い論」が関係してくると、上記のようなやりとりで「もうアウツ」です。

カウンセリングなどの場合では(HPにもそのテキストあるんですが1章3項)、
必要に応じて「まずいい悪い論を使用しないでください(半ば文章としても使用禁止です)」と予め注意する場合があるだけでなく、
実際のやり取りの中で何度も繰り返しこの点注意事項として伝えても、
それでもアウツなケースが頻発します。
 ↓
どういう方向かって、、、
●「私の問題があるって言うんですか!納得できません」みたいなズレ方です。


(※「流石にその反応はレアでしょう」と思われるかもですが、この展開は”決して少なく無い”のです。→思いっきり「強迫心理」の防衛反応なので心理学知見のある方には「そのまんまじゃないかもっと注意して説明しろ」って話でもある。←そういう簡単な話じゃないんです。)

■■■「いい悪い論」は勿論道徳感を根拠としますが■■■
基本的に一般的に流通している道徳とは(哲学的に検討された道徳論では無いの意)、
『共同幻想』社会内部の規約のようなものであり(わかりやすく言えば「宗教団体の教義(ドグマ)」)、
現代社会における、法治国家を前提とした広い意味で社会契約的な日常的なマナーだとか倫理だとかの慣習法的な(=処罰などには縁遠い)覚書水準では”無く”、
「何々の関係者がしかじかするとか悪いんじゃないですか」←この段階に及ぶと組織論としての道徳感になります。
(”いい悪い”の判定を上部構造の権威認定に委ねている《問いかける》ワケで→自動的に内部的な処罰にも及ぶ論議となる)

●仮にその道徳感が、
(ある意味『共同幻想』崩壊後の現代社会にあるべき方向として)「個人的美意識の範囲(乃至個人的哲学や信念)」だとしたら、別個性となる他者にはその適応を求める事に”なりません”から(極論自分の美意識と他者が真逆でもなんとも思わない)、
他者を指したり、他者との関係において自分を指したりして「いい悪い論」に至る事は”あり得ない”。
(所謂、一般論の道徳的に自分が悪いと感じても「忸怩たる思い」的な範囲に留まる。→何故なら自らの『自意識』の存在を賭けて選択している”美意識”なので、それから逸脱する事があり得ないからです。→逸脱するケースは「やむを得ないケース」に限られる=「忸怩たる思い」)


■説明するまでも無い事なのですが、
「強迫心理」の元ネタは子供時代の『共同幻想』であり、
(親権と子供や乳幼児の関係であり→圧倒的な上下関係下における階級社会)
この時代は親などの代表権威者がトップダウンで「それはいい、それは悪い」を決定します。
逆に言えば、その代表権威者に部下として合格の認定があれば、不快事例は全て外部事情が悪いのであり、「代表権威者がきっと罰してくれるだろう」のような認知がセットになります。
(ベタな言い方すると子供の「お父さんに言いつけてやる!」です。)
自動的に当事者には強い『興奮』を伴う処罰感情としてそれは認識されます。
(ある意味エディプス関係者との幼児期の性愛的関係性とセットになっているため。)

→続きを読む

posted by kagewari at 20:02 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

マスメディアもいよいよ変化始まるでしょ

業界内の事情はよくわからないんですが、
なんだかんだで朝○の報道がメディア内における方向性を結果としてリードしていたらしく(朝○が報じれば間違いない的に)、そこに昨今の「朝○の信頼性瓦解」です。
これが波及するような形でなんだかんだと様相変わってきているようです。
●あまり巷で話題になっていませんが、
ネットメディアのアベマTVで報○ス○ーションが放送されていることはデカいと思います。
「ニコ動と同様に、アベマTVはコメントが付けられる(youtube的な)」
そこはネットメディアだから、政治ネタともなれば批判コメントが殺到しており、

元朝○新聞の某記者が前回の衆院選で立憲から立候補した時(選挙は落選)、街頭演説に出て初めて「実際の世論から朝○がどれだけ批判されているのか初めて知った」と、このように言っているんですね。「ホントに初めて知ったとか、、」と別の意味で驚いたワケですが…。
ネットメディアに慣れている人なら「コメント欄の存在」なんてことないでしょうけれど、
そんな心配も無く堂々と偏向放送を(当人達は前衛的で民度が高い意見のつもりで)やっていた面子としては、ちょっと気になって見る事もあるのじゃなかろうかと、
「そこで初めて知るでしょう」
(いや本当に自覚無いんだと思いますぜ。)

※ちなみにですが、TV局がガチガチに新聞社などの指示命令で偏向路線にあるとは”言い切れない”ところがあります。資本関係にもよるんでしょうけど、以前からラジオの報道番組は左巻きだったり右巻だったり番組単位でで自由にばらけており、各メディアが採算悪化から「不当な安値で払い下げられた本社土地などを開発して不動産業化している」中で下手したら本業が不動産業になる可能性も囁かれている。
何時までも新聞部門が直接的な影響力を保持し続ける事はできないだろうし、その力が年々落ちているのは事実でしょう。→その証拠にワイドショーでは森友加計ネタは唐突に消えた。
 ↓
(故に現状に至っても続いているTVメディアなどの偏向は陰謀論的なものでは”無く”、本気で「朝○が報道しているんだから間違いない」的な延長上にあるんだろうと、)
てか、先進国で巨大新聞があるのは日本だけ。
それがGHQにも都合がよかったから続いてきちゃったというだけの話です。

■「ようやく気が付いてきたのか」の証拠が、
維新「足立議員」のSNS投稿や。文芸評論家「小川栄太郎氏」の朝○批判書籍に対しての意味不明な抗議文送付であり、「これでは批判が更に拡大する」という危機感の表れでしょう。
(その動機も「偏向報道が実ネタでバレて拡散することはマズイ」って話で、実に恰好が悪い。)
 ↓
並行して昨今のNHKの最高裁判決なんてのが出てくると(TVを見ない層が更に拡大すると思われなので)、放送メディアの存続を考えれば否が応でもネットとのリンクは更に重要になってきます。アベマTV状態の批判コメントにさらされるだろうことは(特にコメンテーターなる謎の職業やっている人にとって)、意識しないワケにもいかなくなります。
政治権力同様にTVメディアもその都度民意を問われる。
(支持率=視聴率では無くその中身を)

→続きを読む

posted by kagewari at 22:07 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

基本用語のまとめ(8)「反動形成」(反動係数)

継続的読者の人はあえて説明を必要としていないのだろうけれど、
新規閲覧者の方にとっては「何のことですか」ともなり兼ねない頻繁に使用されるいくつかの用語を別カテゴリーでまとめておこうと考えたものです。
(重要項目なので予告なく編集される場合があります)


■この話は二次的利得だとか防衛だとかあれこれ含んだものなので、一概に定式化できない部分もあるのだけれど、大まかに「反動形成」で全て説明してしまっても問題無いかなと思う。
(その仕組みや論理的根拠はほぼ同じですから)
HPだとか各所で例示してきた凄くわかりやすい事例が以下。
●「食べようと思って大事にとっておいた冷蔵庫のプリンを食べたのは誰だ?」
この賠償を求める場合(裁判で言えば精神的被害に対する賠償)同じプリンを用意したからと言って納得できない感の事。
その補填について考える場合、(半ば自動的に)何らかの係数かかって倍増されたものを期待する心理が派生します。
更に言うと、前述事例のプリンが個人的に強い思い入れがあるだとか、食べた加害者が性愛関係であるとか人間関係上深い関係にある場合、この倍増係数も上昇し「個別具体的な事象と賠償などにおける満足度は比例せず、心理的に大きく上下幅に振れる」って話です。

<語彙的には>
「被害感などが(実際に起きている個別具体的事象と別個に)エスカレートする構造」です。
故に『反動係数』と説明する場合もある。
注)実際には、仲がいい関係の相手が対象で、その行動予測ができている場合、被害感情が個別具体事例より過少化する場合もあるので(係数的にマイナスになる)、冒頭説明のように正確に言えば「個別具体的な事象と賠償などにおける満足度は比例せず、心理的に大きく上下幅に振れる」って話。

(メンタル問題関係無しに)本来的意味は
■「ドッジボールなどの球技は苦手なので、幾分得意としている長距離走をやたら頑張る事にした」などの、「一次的事象に阻害要因がある場合、これを代償するための二次的選択が過剰化する事で動機形成が均衡する現象」です。
(一般的日常会話表現における「コンプレックスをバネに何々を頑張る」などもほぼ同じ構造)


<詳しい解説は以下>
この話が心理的にやっかいなのは、
■『被(こうむる)』認知における”実被害”と”実被害感”が比例関係にならない部分で、
(被害”感情”は、個別具体的な被害実例に比例しない←背景事情に応じて係数が可変する)
繰り返しになりますが、
すごく簡単な事例で言えば、
・「単価が千円だろうと10万円だろうと、特別に大事にしている物を壊されると被害感は想像超えて大きなものになる」(個別具体的事実と比例関係に無い)←誰にでもあることですね?
・更に言えば、性犯罪などのように(身体的損傷など云々は問題外に)精神的被害係数が相対的に多数のケースで大きくなる”性愛的関係事象”や、
・「TVのニュース番組で赤の他人の死亡報道を見た場合」と「目の前で肉親が殺害される場合」(死亡しているのは一名で同じですが)当事者の感情は大幅に違います。

→続きを読む

posted by kagewari at 19:40 | 『基本用語』の解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

やたら語られだした「発達障害」系用語のメディア的逆効果

ある時には「マザコン、ファザコン」、ある時には「アダルトチルドレン」、ある時には「プチ鬱」、ある時には「なんとかハラスメント」、ある時には「ブラコン、シスコン」、ある時には「PTSD」、ある時には「LGBT」、ある時には「サイコパス」、ある時には「パワハラ」、ある時には「ブラック企業」、ある時には「アスペルガー」、ある時には「ヘイトスピーチ」、ある時には「モラハラ」、ある時には「PC(ポリティカルコレクト)」、ある時には「マタハラ」、ある時には「発達障害」、
●などなど個人の心理や社会心理から社会倫理に関する半ば”流行語”のような言語に何の意味があるのか、
(※思うに先進国化・高学歴化によって以下に説明する問題が拡大傾向にあるのかなと思われ)


時に「社会的認知」なんて言葉もありますが、
心理学的に言えば(ある程度の水準でも理解が進めば的意味で)個人の権利や尊厳的に啓蒙的意義があるケースもあるのですが、
「その副作用」も考えておかなくちゃいけません。

■政治学的に見ていくと”流行語”になっている時点で「もう怪しい」とかの判断もあります。
つまり、『デマゴーグ』だとか『プロパガンダ』とかの意味です。
喧伝される話の内容の精度や事実関係に間違いが無ければ問題ありませんが、そこが怪しいとなれば「謀略論」も疑われる話となる。←ここが鍵ですよね。

さて、そうなると(実にやっかいな事でもあるのですが)
フロイト心理学と、所謂現代の臨床系心理学や精神科の論議が「噛みあっていない」ところに突き当たってしまいます。
現代の臨床系心理学や精神科での論議を揶揄したり批判するつもりはありませんが(それこそ心理学の知識が無いところで模索を続けているのは事実でしょうし)、
「うーん心理学的には、そういうことでは無くって」な部分が多々出てくる。
『デマゴーグ』だとか『プロパガンダ』の意思は無くても、結果として同様の効果が出てきちゃうってワケです。

社会学的に見れば言語の流行は既に『共同幻想』なワケで、
(個別詳細に各論の文化的だったり学術的意味を簡略化した”イメージ”で、社会に対する”語彙の広範浸透”を図る。マスメディアなど言いだしっぺの社会的信用で《内容についての詳細な論議を省略し》「こういうものなんだね」のイメージだけが浸透する。)
しかも、現代社会において本来マスメディアの信用ガタ落ちですから(流石に小池知事のアウフヘーベンは流行り損ねましたねww)、
●本質的には(或はネット世論などにおいても)「そこにある意図を一部揶揄するブラックジョーク的意味も不可され」流通している側面もある。

しかしながら、
メンタル問題などがある場合(事の発端は子供時代『共同幻想』だったものが「強迫心理」化し残存するなどの問題とも言えるので)、
悩みを抱える個人は何かにつけ『共同幻想』に対して脆弱な側面を持ちますから(これ虚弱体質的意味では無く「そこ突かれると弱いんだよな〜」的意味です)、
■「ブラックジョーク的な批評性を欠き、そのまんま『共同幻想』が『デマゴーグ』や『プロパガンダ』みたいな事になり兼ねない副作用」を考えないといかんのです。


現代用語より、昭和の言語で考える方が(現代における影響力がダウンしているので)説明しやすいかなと思います。
■昭和における「マザコン」という言語にまつわる問題を考えてみましょう
語源といっては何ですが、フロイトの「エディプス・コンプレックス」に由来する事は間違い無いのですが、(ご存じのように『共同幻想』イメージ化するには難しい部分を一般的理解水準に落とし込んで要約する必要が生じる)、一般的に知られる「マザコン」などという言葉の意味が心理学的にまったく見当違いの意味になってしまいます。
 ↓
てか説明するまでも無く、
フロイト心理学はなかなか『単独者』的自我の持ち主しか理解できないという重大な傾向を持つ学問なので(理解できる=自分の自我を構成している『共同幻想』がネタバレ崩壊する)、『共同幻想』社会にその意味というか、イメージを浸透させる事からして論理矛盾もあり、
「だいたいこういうことだと理解してください」みたいな話があっちの方向に行ってしまう事も自明です。


■現代社会において臨床系や精神科が(どちらか言うと分類投薬心理学みたいな学派)「アスペルガー」であるとか「発達障害」などを(社会的必然性もあったため)言葉として流通させたことは社会的に大きな意味があるのは事実なのですが(症例を紹介する説明として)、
その狙いは「かくかくしかじかの名前の症例に一致する部分があれば、メンタル問題の存在を疑いましょう」であったり、専門性の高い判断が必要で「昭和の精神論みたいな対応は全くの間違いである」事を社会的に周知させるためのもので、
前述の「マザコン」事例同様に(そもそも論として臨床系や精神科にはフロイト心理学の知見は無いですから)、心理学的な理解の点で「あー発達障害ってこういうものなんだ」だとか「発達障害があるから(何々はこうなる)」のように自己判定する目的の言葉では”無い”ワケですよ。

もうちょっと言語や記号と『共同幻想』の関係を説明しておきますと、
●この世には数学ってありますね?
円周率の3.14を何故そうなるのか詳細を理解する事は(社会に周知する意味でも修学上も)あまり意味が無く、計算時に「円周率は3.14なんだね(難しい何故なんだは大学の頭いい人がわかっていればいいことだ)」を”知っていればいい”、社会的にはこの状態で十分に合理的です。
詳細にはれば難解な概念なりが、簡略化されイメージ化により『共同幻想』化され広く普及するって話です。

→続きを読む

posted by kagewari at 21:36 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

考えられるシナリオ(半島有事)

(12/5参考報道記事など一部追記)

個人的意見だけれども、
(過去記事では51%と書いていたかな)
美国の「武力による解決」可能性は60%超えたと思う。
■それだけ北朝鮮のミサイル開発の速度が速く、米軍が周到な軍事的圧力を準備できないからこそその可能性は高まったのじゃなかろうか。


北朝鮮もイラクやアフガンの米軍の動きを十分に研究しているだろうから、
米軍の攻撃配置が”これ本気だ”と判断した場合(勿論米軍側も圧力のための配置では無く本気で攻撃するための配置を行った場合だが)、白旗挙げると思う。
●理由は、北朝鮮のミサイルが「自身の安全保障のため」であり(核があればイラクのように攻撃されないが根拠ですから)、核があるぞあるぞと言っても「関係ネーから」と攻撃準備が行われ始まってしまえば(その目論みは大ハズレして)”詰む”からです。

或は、米軍の核施設に対する限定的攻撃などがある場合も、
大規模な反撃すら行われず早期に白旗挙げるでしょう。
(理由はこちらも同じ→そもそも米軍の攻撃抑止に失敗したって事)
但し、この作戦には中露間に根回しが必要で(現在詰めの作業中)、明日明後日にできることでは無いし、戦力投入的に前述の全面攻撃可能な水準のバックアップも必要となる。

■外交交渉を考えれば北朝鮮は事を急がず引き延ばす方が有利な筈なんだが(米国も疲弊してくるだろうし中国の頑張ってますアリバイも引き出せる)、
事を急いでる動機は不明、
何故かどんどん本丸のICBMの開発を先行させている。
(それだけ核さえあれば米国は攻撃しないと確信していると思われる。或は、ひょっとして、、偶然天才的科学者が現れとんとん拍子に”いってしまっている”可能性もある←この見方も結構有力。)

しかし、現実は真逆であり、
米軍は「弾頭小型化確証の核実験」が行われる前になんとしても北朝鮮の非核化を行いたい(北が相手だと相互破壊ナントカ論の均衡が成立しない)。
同時に、全面戦争規模を整える十分な準備期間も無い。
(故に本気の準備にビビって北が白旗挙げる流れは難しい)
米軍は万全とは言えない現有戦力のままの攻撃オプションを選択することになる。
北朝鮮としては「いつもの演習規模だな」と思っていたら、
(白旗のチャンスも失い)米軍の限定的攻撃が開始されるってシナリオになるのではないか。


ひょっとしたらですが、
●昨今注目されているのが北朝鮮の防空能力がザルになっているという話
米軍機が機体の姿も見えるほど低空飛行で平壌上空を飛ぶ的な(パイロットにとっては大きなリスクになるけれど)「ホールドアップ」をやる事で、実戦闘を避け白旗のチャンスを与えるって可能性も無いでは無いかも知れない。
しかし、それに近い事は既にやってますから「今後ペンタゴンがどう判断するか?」まだわかりません。
(過去にもやってますね)
米の北朝鮮攻撃Xデーは12・18前後か 最強ステルス戦闘機「F22」投入の狙いは?
http://www.sankei.com/world/news/171204/wor1712040027-n1.html


→続きを読む

posted by kagewari at 18:28 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)



LINK
□ダークサイドオブkagewari(ミラー)
■retour&Retour
□etc;;Blog

kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0