2017年01月13日

現実世界と自我の認知

ちょっと前の話に被る話です。
生き物は現実そのものを”リアル”として認知”できません”。
五感で得た情報を脳内で再構成することで認知しています(実際に情報処理タイムラグも存在し認知が”リアルタイム”ではない事は確実)。

過去ログで、何故映画のBGMに違和感感じないのかなんて話をした事ありますが(日常生活に効果音とか無いからみたいな)、
SONYがウォークマンを開発して以来、通勤時だとかジョギングする時に音楽かけながらって姿は一般的な日常風景です(60年代から80年代における「デートの時にカーオーディオで何のカセットをかけるのか」なんて世界もありました)。
実際にBGMかけながらの生活が実体化している。
この場合映画と違って、自ら積極的にBGMを選択し現実世界を演出しつつ自分の現実を補完しているのであり、体感されている世界はこの段階で”既にバーチャル”です。

前から思っている事ですが、
VR技術が進歩した世界では現実をより多様に”選択”できます。
媒体としてそれが各個人や階層のリビドー解放にどのように関係するのか予測できませんが、産業革命超えるインパクトを与えるだろうと思います。
VRコンテンツ成功のポイントは思ったとおりの(夢に見たまんまの)世界に耽溺しようって事では”無く”、「現実”同様に”容易に思う通りにならない仕様」です(難度の高いゲームが好まれるのもこれが原因)。
前述括弧の話じゃないが、ゲームの世界において欧米は日本と比べ極端に難易度の高いゲームを好みます(日本版には存在しないモードがあったり)。求められている世界は「容易に思う通りになる世界では”無い”」からです(欧米の高難度志向も彼らの文化固有の「リアリズム体感の壁」なのかもしれない)。

競技者が全員パーフェクトスコアを出すゲームはゲームですらありません。
ゲーム性とは「難易度とそれに挑戦することで発生するリアリズムのこと」である。

時に保守派のみなさんはVRなんてのが拡大すれば、人類は怠け者になるみたいな前近代な発想するかもしれませんが、開発者が挑むのは「たとえばそれが登山VRならいかにリアル登山に符合する難度を組み込むか」となるでしょう(勿論命の危険まで織り込むことは無いけれど)。
怠けるどころかVR世界における動機形成の水準は特Aクラスとなる可能性もある。

→続きを読む

posted by kagewari at 17:01 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




comments他

・コメント欄は『公開掲示板』同様に原則削除禁止です
(基本的に削除依頼には応じられません、削除依頼は投稿禁止ワードとなってます)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となってます
(同規制キャリアから登録抜けによる投稿がある場合、投稿は自動削除されると同時に規制IPに追加登録されます)



現在コメント欄閉鎖中 (2014.7.26〜)



LINK
□ダークサイドオブkagewari(ミラー)
■retour&Retour
□etc;;Blog

kagewari01
タグクラウド
RDF Site Summary
RSS 2.0