2016年12月01日

「実は世の中”必要の無いものだらけ”である」(2)

>経済学的に言えば「需要不足があるなら消費性向の高い階層に直接所得分配すればよい」論点の方が重要になります(企業の内部留保が問題とかの話とも関係しているんだけども)。
>●先進国経済においてはある意味「消費活動単体でも立派な仕事」だからです。
>(勿論この場合の仕事は、労働を意味しない”運動”や”物理的仕事量”みたいな意味ですが)


さて、ここで実にめんどくさい話が登場してきます。
既存の実体経済における所得分配構造です。
カルロスゴーンはひとりでうん億円に上る実利益を叩き出しているのではありませんが(社長職や上位管理職の場合「動かしたプロジェクトの利益や総額の数%が成功報酬」みたいに考えるとその妥当性も納得がいく)、その高額所得に社会的異論はほぼ発生しません。
皮肉な事に、ゴーン級の人材を失っても「料亭が板前を失うような問題は起きない」のですよ。
それでもゴーンはうん億円の報酬を得る事の合理性は保たれている。

世の会社法人の花形は営業職ですが、
昭和であれば”接待ゴルフ”でお馴染みの、手練手管と申しましょうか、、
しかしそれって、体のいい押売りですよね?
(取扱い商品やら技術が本当に取引先に有用なら、何も先の担当者をやれゴルフだ風俗的なものに接待する必要性など無い←見様によってはこの行為は市場経済を阻害する障壁でしかない。)
しかし、飛び込み営業に奔走する営業マンを賞賛しても揶揄する人など滅多にいません。
皮肉な事に、その営業職が失われても市場原理が(フリーエコノミーも内包する)情報化社会への変遷により広範に機能していれば「無理なく市場経済がマクロの生産調整してくれるのでむしろ社会的には合理的です」。
それでも、営業マンの奔走に対して高額の給与が支払われても誰も文句は言いませんし、ましてや営業マンは自分の所得を恥じたりしません。

すっかり外圧で逆ザヤ構造は消えていきましたが、
昭和の大減反時代などに見られるように、農業はなんやかんや政府に統制されたり保護されてきました。直接所得補償制度なども登場し、実質農業は生産=所得ではありません。
勿論の事、仮に保護政策を全て撤廃して輸入に切り替えても誰も困りませんが、
それでも、国土保全など含めて営農それ自体に社会的評価は存在しているし、
農家に対する直接所得補償は民主主義により合理的であると選択されています。

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posted by kagewari at 21:45 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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