2016年10月31日

やっかいなことはダントツで『依存性』問題である

何が問題って、それは薬物中毒にも似た習慣性というだけでは無く(脳内物質の比率云々が変化してどうこうは生活習慣ナントカと同様で常に変動すると考えている)「容易に再現可能である」ところがやっかいなんですよ。
脳としては「容易に再現可能だからこそそれを『自意識』に提案」しているワケだから、依存性関連事項が(実際の再現率とは別個に)当該自我に「容易に再現可能だ」と判断されていることは間違い無い。

この話を説明する時に「DVの、次の男も又DV」よく使いますけれど、
そのまんま自作自演であるかのように誤解されると全然違いますから補足しておきます。
それは(スカウティングや脳のプレゼンは)無意識だから『自意識』にはそこの自動処理過程をつぶさに理解しているワケじゃありません。
「とっても気になる(これは好感かも知れない)」と本気で『自意識』は思っているところろが話をややこしゃしくさせるのです(ご存じのとおり愛着は費やした継続時間で自然発生する)。
同様事例を身近に体験している方はよ~く理解いだだけているところかと、
「あの人物はダメだとあれほど言ったでしょ(誰が見てもそっち系でしょうが)」のような経験が連発しているだろうからです。

人間の自我が事象を判断する場合、確かに『自意識』は最終決定権者ではありますが、
脳が『自意識』に情報を上げるとき、無色なサラの情報なんて”存在しません”。
「どれ系、これ系のアレが来てます」みたいな経験値処理された提案があり、最終決定として『自意識』が(経験処理による様々な余談や憶測フラグの付箋用紙などを参考に)「だとしたらあ~だね~」のように事実認定を行っており、
そうしないと(たとえば人の顔を3Dポリゴン情報化して全ての座標をなんとかするみたいな情報処理していたとしたらどんだけ脳の負担がアレになるか考えてみてくださいな)、脳はパンクしてしまうのです。

■話をわかりやすくするために「圧倒的多数の絵の下手な人」で説明しましょう。
絵の下手な人のトレーニングに「対象物を20分割などしてひとマスずつ描く」なーんてのがあります。そうしないと絵の下手な人の描画は典型的デフォルメによる実に落書き程度の水準になってしまうのです。
人の鼻を書けば誰のどんな形状の鼻も全部「すごく単純な三角形っぽいイメージに描かれる」の方が一般的なのです。
これどういうことかと言うと、脳が人の鼻を認識した瞬間速攻”単純化圧縮処理”みたいな事をやっており、単純図形分解モデル処理みたいに(せいぜいが三角丸四角)”記憶格納”されているんです。
「だから思い出して描画しようとすると、よく見る”下手な絵”になる」
これが絵の下手な人の原因であり、意図的に描画範囲を分割限定し「顔イメージ処理」を稼働させず(何の図形等の名前を出させずに)、「分割された限定的情報を描画する(情報処理も余裕を持たせる)」と、全く別の絵になるワケです(唐突にリアルになる)。
 ↓
●「整形手術でえらいことになっている人の皮肉」そのままなんですよ。
(稀に存在する絵の上手な人を例外に)大概の人はなんとなく印象はあるにせよ、そもそも人の鼻なんてものはテキトーな三角形デフォルメ二次元イメージでしか脳内で認知できていなってのに、鏡を見る整形依存な人物は「分割された鼻の一部の細部のディティール」に視線が限定されるため、「そこだけ画家年増」みたいな認知が発生し(誰にも認識できないような)整形に異様に拘ってしまう。
結果として「三角丸四角だけの絵の中に、異様に鼻だけリアリズムで描画されたみたいな顔」が登場するというお話。

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タグ:依存性
posted by kagewari at 04:14 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月27日

「どうでもよくないことなどこの世に無い」を解説してみる

なかなか説明が難しく、そのまんま書くとほとんど誤解されてしまう原則論です。
「どうでもよくないことなどこの世に無い」
この話は主として岸田心理学からの派生ですが、フロイト先生からしてエディプス論から始まる云々は直面している個別各論は”ともかく”(置いておいて)、トラブルとなるポイントを自我構造論的な話においてあーである、こーであるとなっているワケですから、俯瞰で見れば(トラブル個別各論に対して)「そこじゃないから」となってます。→故に、総論的には同じ中身です。

この辺相関関係から、
ええいめんどくさい「どうでもよくないことなどこの世に無い」っつーことだと、(異論反論を含めて)理解が早い的なとこから出てきたまとめ的な原則論です。

■鬱や葛藤話の局面打開において、どうしたって相談現場では「個別各論の比重」が大きくなるという論理矛盾を発生させます。
そこから解説していきましょう。
大前提がメンタル問題にあるってのに、最優先課題は何故か個別各論になる。
仮に個別各論の問題ならメンタルどうこう心理学どうこう関係無いって話になってしまいますが、当該自我が具体的に悩む事項は個別各論ですから、なんだか知らない間に(心理学的見解はどうでもいいので)個別各論の解決方法は無いのか、悪い奴らは誰でどうやって対抗するべきかみたいな?何の相談なのやらわからない状況は「頻繁であるどころか相談の典型例ですらある」ワケです。

勿論この構造は「強迫心理」の思惑”そのまんま”です。
投影された外的事実が個別に問題を引き起こしていると『自意識』を振り回し、間違っても「強迫心理」などへのネタバレ崩壊へ関心を向けさせない(或はその余裕を削ぐ)。
心理学に留まらず医療系においても「まずストレス要因から離れるように(休職や離職など)」と助言しますが、一丁目一番地だって事です(そこだけは関係者全員見解も一致している)。
●事情の背景事情が何ら変化していなくても、個別事案の認知速度や用例解釈、結果としての感情的固着、そのいずれも僅かな変化でも全体像の心証は変化します。
「トラウマ論やエピソード記憶の投影(また”アレ”が起きたんだ)」で考えてみてください。
「あ~この事例は”ちょっと”違うかも」←この差は”ちょっと”どころかどえらい違いなんです。

心理学では更にその無意識的事情も解説しており、
快不快原則として『興奮』は当該『自意識』が快と判断しようが不快と判断しようが脳内分類は「快感代謝である」(エンタメとしてのホラー映画論や人は何故ジェットコースターに喜んで乗るのか論であり観念的にはSM性倒錯論)、実際に今日の恐怖が(自我スタンスの変化で)明日の行楽イベントに化ける事も”頻繁に発生”するのであり(下戸の飲み会論やらカナヅチとプール論)、『自意識』が今熱心にそれを快だとアピールしているのかその不快さを訴えているののかは「ほとんど関係が無く」、同事項を脳は(生物の本能的判断として)再現しようとする。
(快だろうと不快だろうと)『興奮』状況が”恒常化”すれば、脳の(筋肉の発達同様の)構造に影響を与えるだろうし、結果としてそれは『依存傾向』に転じる可能性がある(薬物依存と仕組みは同じ)。

当該状況下にある『自意識』の『興奮』状況の説明を、解決すべき具体的事案と考えるのは本末転倒であり(事実関係に疑問が無くても)、その『興奮』の水準が何故各種事案において再現(結果としての追体験)されているのかってとこが本丸で、
「絶叫コースターが問題だから、遊園地のジェットコースターの速度を下げればよい」みたいな話になってちゃってたら何も解決しないことは小学生でもわかる話です。
(加えて「何故また乗るワケ、、、」って部分も。)

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posted by kagewari at 18:43 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

リアル『単独者』の台頭

(※10/20あまりに校正ガタガタにつき再編集)

今となっては笑ってしまう話ですが、私の世代が思春期の頃「新人類」なんて呼ばれ方で(現代のゆとり的に)その異質性を旧世代から云々されたものですが(語源的にはガンダム世代ってことで「ニュータイプ」とやらも関係していたのかも知れません)、もう旧世代もいいところです(笑

ゆとり世代の進化に関して、半ば俺は過去記事でも予測として書いてきたところなのだけれど、ついに『ナチュボーンの単独者』が台頭してきたかと思うワケです。
全く角度の違う話から展開してみようと思うのですが、
ロシアのスポーツ界には「性的関連事項をパフォーマンスのために制限する場合もある」なんて話があるそうで(あまり根拠のある話だと思いませんが着想はわからないでもない)、その意図は仏教における「煩悩払い目的の粗食」逆張りですわね、
成功していたのかは置いておくとして、心理学における「広義の性欲論・狭義の性欲論」でお馴染みのように、総括的な生物の繁殖欲求全体を見た場合「牡同士の闘争やボス争い」もそこに含まれるワケで、人類ヒト科における出世競争含む社会的競争は「広義の性欲(生物としての包括的生存欲求)」に含まれます(性行為を連想される”性欲”と表現するのは不適当なのかもしれない)。

「60年代安保の団塊から新人類程度の世代における『単独者』」ってな〜奴は、なんだかんだあからさまに性的欲求も各所にちりばめつつの世界観でした。
たえば、ウッドストック的平和運動にフリーSEX的乱交が暗示されていたり、どんな著名ロッカーでも思春期にバンドを始める動機は「カッコいいから」「もてたいから」だったり、それ以前の欧州における実存主義哲学始まりの頃って言えばやれ『第ニの性』だとか、哲学者自身梅毒で死んじゃうのが「わかるわかる」って話だったり、性的側面もそのまんま包含する世界でありました。
(※勿論その対抗面における保守系『共同幻想』社会の力の源泉は結婚制度と配偶者の斡旋権力やみだらな行為を権威性道徳で許認可制にするなど、こちらもあからさまだったのですが。←故にこれに反抗する60年代の運動はなにがしかフリーSEX的「ラブ&ピース」な着想に傾倒した。)

しかしフロイド心理学における『昇華』を考えた場合、
本筋『昇華』は偶然に「強迫心理的モチベーションがそのまんま投影できる芸術なりに出くわした人の話」であり、おおよそ褒められた状況では無いのですが、その意図は間違ってもカサノバ的な成功者をイメージしたものではありません。
人類には誰にでも「強迫心理」がありますから、梃の原理で言うところの圧倒的パフォーマンスを可能とするためには、何らかの反動形成を「待ってました」とばかりに実行できてしまった”偶然”が、トンでも芸術やトンでもスポーツ選手などの「あだ花」とでも言うべき結果を、社会が奇跡と認めざるを得ない場合の事例です。
(心理学的に言えば、反動形成に至らず平和裏にオルタナ選択を発見するのが賢い選択となる。)

ここまで書いてきた構図は「時代はなんだかんだ『共同幻想』優勢につき、『単独者』は反動込みの反抗者や反骨の闘志や戦うアウトサイダーみたいな事になりがちだったから」つー部分あるワケですよ。
しかし時代は文明化により勝手に『共同幻想』が崩壊する時代に突入し、
『単独者』もことさら『共同幻想』的世界を意識する蓋然性が大幅に後退しきました。
そしてゆとり教育の登場(事の是非はともかくAO入試なんてのもそこに含まれているんでしょう)、
様々批判があるとおりで、成功したとは言いません。
しかし「ナチュボーンな『単独者』台頭」を後押ししたのは事実だろうと思います。

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posted by kagewari at 05:15 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

あえてガチ右派の方へ書いておこうと

ちなみに私は政治的に「保守系リベラル」ですが、
■古い世代の政治評論家は「左派と福祉=大きな政府」、「右派と自由主義経済=小さな政府」と規定しますけれど、それ大きな勘違いで、
福祉に関して言えば、先進国の場合民間やNGO・NPOの社会資本を前提に(所謂民間公共セクター)、福祉政策を行政に依存する必要性が無いことと、所得分配を進め自由に選択できる福祉とするのが筋論だろうと思うからです。
すべからく「所得分配による小さい政府の高福祉」がモデルになります。
そこに右も左も差異はありません(これ同時に経済政策ですから)、

政治と経済政策というか、大きく分けて「経済学的には大きな間違いと思われる緊縮財政派」と、「財政含めてインフレターゲット派」がありますが、特に日本の場合政治資金含めて官僚のお世話にって議員さんもおりますので(政党と関係無く)、選挙に弱い議員は前者・選挙に強い議員は後者の政策を標榜する傾向があるって感じです。

(ちなみに福祉を行政に依存するから、天下り含めて無限に行政コストが肥大化してしまうのであって、所得分配系の選択的福祉の場合小さな政府志向となる。)

■現在の安倍政権は現代先進国政策を模索するなか「小さな政府の高福祉」にチャレンジしている側面もあり(政策内容は小沢民主党に近く、あー見えて小沢氏本音は安倍政権評価していると思います)、ご覧のとおり、迷走している民進党も(政権時代に財務省派が台頭してしまっため)政策内容が矛盾だらけで見えにくいですが「小さな政府の高福祉」とならなければ表向きの政権公約と辻褄が合わないのも事実。←そのまんまだと実は違いが無いというか、政策論だけで言えば民進党はおおさか維新的に非主流派である安倍政権を支持していてもおかしくなかった。

大きな対立軸が”無い”ものだから、国会では「なんだか妙なプロレスのための対立」みたいな斜め上の話になっているところです。

この辺から本題ですが、
●与党野党において本質的対立軸を求めるとすれば「安全保障」でしょう。
「日米安保を前提とした軽武装」か、
「自主防衛系を前提とした重武装」なのか、
(※自主防衛で軽武装の可能性は末尾に記載)

■重要なことなので抑えておきたいのですが、
日本の国防予算は世界的に見れば「異例に少ない」です。
(世界を標準することはないけども、抑止力論で考えれば世界標準にしなければ均衡しないことによる空白が、日本一国の問題だけで無く地域の安全保障そのものを不安定化させてしまう→周辺国に軍事的冒険主義を台頭させてしまうなど。)
●世界標準を前提にするなら国防予算は「少なくとも現在の倍」は必要になります。→日米安保のコストでどうでしょう総額1兆円ぐらいかかってるかなと思いますが、それでも「年間3兆円程度はお得」になる計算。
ちなみにですが、防大系識者の計算では「今から日米安保無しの地湧防衛整備をするなら(著しく現行装備が不足しており)少なくとも10年間は25兆円近く(約5倍)積み上げてようやく整う」計算になります(整った後にダウンできるととしても)。
自主防衛を考えるなら、憲法趣旨が非戦ですから打撃群を大幅に割り引くとしても最低100兆円近くはなんとかしなければならないでしょう。
しかもその増額規模は周辺国や左翼思想な方からやれ軍国主義だと批判されるだろう事は言うまでもありません(=そのままだと実現性が無い)。
 ↑
ガチ右派の方や反米独立派の方は、日本が戦争に負けて一度完全に武装解除されちゃった事実を忘れちゃいけません。
国防費を幾分かでも低額のまま整備を進めるつもりなら、何らかの「革新的な軍事ドクトリン」をセットに政策提言しなければ単なる空想になります(周辺国も迷惑する)。

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posted by kagewari at 23:16 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月09日

オーディオ(原理主義では無く)現実主義

かく言う私も若かりし頃は重厚長大系「故長岡派」でありまして(ミニマル派である江川氏も参考にしてましたけど)、ややもするとオーディオ原理主義みたいな方向性だったように思います。
憧れのNECプリメインアンプA10には最後まで手が出なかったですけどね。

オーディオと趣味の世界の話かと思う方圧倒的多数と思いますが、ま〜聞いてやってください、最後には心理学の話でまとまりますから(笑

そんなオーディオ原理主義とはどういうものか?
昔を思い出して列挙してみましょう。
・ケーブルは太ければ太いほどよく、且つ最短距離で、
・機材は重ければ重いほどよい
・音は高低フラット、ダイナミックレンジ重視で
・アンプのトーンコントロールはご法度(回路的にも最短距離・接点最小化)
・音速は早く(振動板は軽量高能率なほどよい)
・最も重要なのは電源である(お金持ちはマイ電柱を目指せ)
・アナログレコードはデジタル音源より音がいい(実際ここは一理あったみたい)
この方向性で詰めていくと、異論反論ご意見多数覚悟で言い切りますが「ストレートだが躍動感的にどうだろう?聞きやすいかな…」というか、マニアの耳とマニア音源でしか良さがわからないなんて〜な事になるのでした(笑

長らくそんなオーディオへの拘りもどこへやら、あたふたしていると生活の忙しさに追われうっかり20年ばかし過ぎ去りました。
諸般の事情で自宅でも喫茶的な空間が必要になる事情があり、現在はすっかり「おおよそオーディオファンなどと自称できなくなった」今日この頃でしたが、ちょいと自慢のセットを鳴らしてみようと思い立ちました。
30年選手のマランツCD60のスイッチ入れますと「う〜ん、とスン」しか言わないワケです。
しかし(コンデンサーが完全放電とかしてたのでしょうか)しばらくONOFF繰り返していると復活するんですね〜さすがCD1メカ搭載「安いながらもギリギリ名機」、無事に復活してCDトレイもひゅーつと出てきてくれました。

ちなみに現在のシステム構成上「まったく必要無い存在である」某英国製真空管プリアンプなどかれこれ20年一度もスイッチ切っていないなど、アレな世界もあるのですが(笑
パワーアンプに見立てている、バジェットハイファイとして知られるド・チープな中華デジタルアンプで、60年選手か70年選手のアルテックを鳴らしますと(もうユニットはツィーターにフォステクスとエレクトロボイスのアルテック後継機種フルレンジに換装されている)、
聞くに耐えないハイあがりじゃないですかww
帰省時には実家のオンボロステレオの調整などもしていたため、耳がそっちに慣れたからかなと思うのですが、迷わず「トーンコントロールをON」しましてバランス取った次第です。

この歳になるとオーディオも現実主義と申しましょうか、
・機材はダイナミックに鳴れば軽量でも無問題(高能率重視はこの場合も正解)
・ケーブルごときで音は変わらない
・リスニングルーム大音量でも、小音量ニアフィールドでもトーンコントロールは積極的に使え
・サンプリング周波数によってはひょっとするとPC(ハードにデジタルな)のが音がいい
・電源はタコ足に注意するぐらい(間違っても高価なテーブルタップなど拘らない)
・録音がどうこうより好みの”音楽”を鳴らせてナンボ(リファレンスはありますけどね)
・それっぽい事したければツィーターのコンデンサー交換ぐらいで
・ウーファーは小口径でも十分使える(大音量再生の渇望は消えました)
なんてことに”躊躇なく”宗旨替えしているのです。
(喫茶でこの辺の下書き書いていると絶妙のタイミングでドナルド・フェイゲンが流れてきたりするのであります。)

現在の自分から見れば、若かりし頃は(間違いだって言うんじゃありませんけど)「バランスより構造」だったかなと思います。
心理学で『歩留り』論を展開したもの40代越してからだったかな〜と思ったりもします。
確かに融通無碍にバランス重視するのは(根拠となるものが不足してしまうので)「それもまた際限がない」という矛盾に突き当たるので(妥協論には終わりが無いですから)、どこいら辺までアリなのか考える上で根拠となる構造論なり原理原則ってもが重要でありまして、

ああなるほど、原理原則や構造論ってのは「そういうことを考えるためにあったのか」と安いオーディオ鳴らしながら思うのでした。
心理学的に考えるなら「ワイドレンジからダイナミックレンジまでフルスペックでリニアな特性」なんてな、あたかもノーリミットな『自意識』の完全勝利のような概念もあくまでも概念であって、
本物の無重力空間は自由なのか?に疑問があるように「それじゃアイデンティティーの置き所もネーよ」って話になるのであります。

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タグ:『単独者』
posted by kagewari at 18:05 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

果たして本当に上位に立ちたいという話なのだろうか

お題読んで「何の話なんだよ!」な声も聞こえてきそうですが、
ええとですね、今回エントリーの趣旨は「承認欲求関連の強迫心理や反動形成」なのであります。
読んでみたそのまんまなんですが、

・説明必要無いと思いますが「反動形成」とは「冷蔵庫のプリンの恨みはただのショートケーキでは解消しない、”高価な”ショートケーキでなければ許さない」という心理的梃の原理というか関数心理とでも呼ぶようなエスカレーション機能のこと。

・「強迫心理」とは(その元ネタは『共同幻想』が組織運営で得意としている”権威性認知”)、権威上位の概念として「こうなんだから、こうあらねばならない(好き勝手に判断していいものではない)」というような設定を発端に、それがうまくいかないときに「強迫性」にエスカレーションするのですが、どういうことか言えば「指導→説諭→失跡→追放→村八分」みたいにもっぱら権威性認知が自我にも余裕で概念として認知される時の姿「倫理・道徳感→処罰感情」のような強制力の原理じゃないけれども、つまりこちらもエスカレート構造なワケで、
「こうなんだから、こうあらねばならない(好き勝手に判断していい話ではない)」→「こうでなければ意味が無い、できていない→もう死ぬしかない(自分には存在意義すら無い)」のように(前述はそれを極端にした例ですが)、方向性として”自由な自分の考え”として認知される『自意識』を抑圧していく(=強迫的である)図式の事です。

●どこから考えても上記双方に見られるエスカレーションは「おおよそ建設的な話では無い」のですが、『共同幻想』組織運営なんてものは強制力あってナンボのものなので、経済学における市場原理におけるゲームの理論最適化なんて〜な話は出番が無いのです。

●誰にでもある「強迫心理」に見られるように、脳はそれを放置するのかっていうと、そんなことありません。存在そのものが不毛なのですから(言い換えると組織運営や理念徹底のためのハムラビ法典的必要悪みたいなもので)個々人レベル内ではそれを先鋭化しない機能が求められます。
言うならば基礎的な『自意識』反抗のロジックですね。
それが、
「ナイナイナイって、たかが何々関連の話に目くじら立てて意味無い。一服どうだい?ま〜落ち着いて(合理性を重視して考えればエスカレートに意味が無い事誰にでもわかる筈だ)。」
この一文が「うーんと、」「えーっと、」「どうかな〜」などの言葉を発っした瞬間に走って、
「さて、報復感情みたいな馬鹿らしい話は置いておいて、リアリズムで考えましょう」みたいなテンションに戻るワケです。
(ですから、アルコールなどの影響で自意識酩酊状態につき歯止めがつきませんなんて〜なことになると喧嘩も頻発してしまうと、このような仕組みです。)

■アルコールじゃありませんが、メンタル問題”渦中”などにあると脳も機能的に『興奮』しやすい状況になっていたりするので(やれシナプスやら受容体がどうこうなど)、精神科は投薬の有効性を説くことにもなりますが、「身体固まっているからストレッチしておこう」的な変質でもあるので(故に心理学では直面するストレス要因からまず離れることを勧める)、
この「ナイナイナイ、ちょっと待て俺」を意識的にやることがリハビリ過程で重要になります(『一拍置く』原則)。

メンタル問題”渦中”にある時の認知ってのはエスカレートの構造下にあるのだから(妄想では無い)、合理形成可能な認知になり難いのです(論旨が破綻しがちだと)。
『一拍置く』を合いの手に(「ナイナイナイちょっと待て」と発音すればよい)、『自意識』の自由度を広げ合理性を担保して考える習慣性の回復が求められます。

■これを対人関係に当てはめてみると(所謂適応障害なんてな分類の)、
そもそも論的に『共同幻想』適応選択をするか否かも決まっていないのですから、社会適応をあたかも普遍的に是とすることからして間違いなのですから(後日結果として『共同幻想』適応を選択するのだとしても)、少なくとも離脱期間・リハビリ期間に関しては「仮想単独者状態」が好ましいのも相まって、承認欲求的に”周囲に認められる”的フラグはもうダイレクトに「強迫心理でしかありえない」と断言できるワケですから(或はその影響を受けない事があり得ない)、
ひょっとすると、何らかの組織を感じさせる集団において名誉ある地位として認められていないだとか、その対応状況を(現行メンタル問題の解決無しに)どうにか操作できないだろうかって発想は「もうバレバレに強迫心理だ」と考えるのが自然です。

「あたかも承認欲求の延長上で、人間関係の上位に立ちたいみたいな勢い(或はそうとしか解釈できないような話)」になっていたら、100%それは『自意識』が自由に考えたことでは無いだろうと断言してもいい(そもそも出世欲求からして『共同幻想』における必要悪としての「強迫心理」なのですから)。

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posted by kagewari at 18:50 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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