2016年08月25日

『賭け率』「統計学的偏差と認知」

●「なんとかパーセントって表示で、ほんとうにそのままなのはバーゲンの割引率だけ」でしょう。
地震発生率0.5%でしたかね?それでも起きた熊本地震なんてのもございますが、予知連的には確率上判定が間違っていたワケではないって見解だったように記憶しております(0とは言っていないんだから的に)。
宝くじにも当選確率ありますが、きっちり20万枚買ったらそれに応じた当選が保証されるとかそういう類のものじゃないこともみなさんご存じかと思います。
ある意味それは賭け率みたいなものだからです。
JRAの競馬でも「的中率」みたいな分析のほかに「胴元のJRAの返金率」みたいなマクロの数字があった筈です。所謂「使える数字は後者のマクロの返金率」って事のなりますわね(自分の負け額がそれ以下なら馬券の買い方に無理があり過ぎと考えるとかね)。

(ちらっとググってみたところ、「宝くじの返金率は46.3%とかだったりしますが、その中で高額当選の設定があるため500万以上の高額当選率は10枚買っても20万分の1、3000円以上の当せん確率でも約11.12%」←こんな感じの数字らしいです。)

さすが日本で最近の天気予報の降雨確率は6割7割近い信頼度かと思いますが、
降雨確率が凄く「その数字のまんま現実化する」理由は実に広範囲に平等にそれが発生するからです。仮に雨って現象が「1000人の中の誰かひとりの頭の上だけに全部降る」となれば、さてそんな降雨確率の中で自分に傘が必要な確率はまた別個になります。
しかし、この場合も降雨確率そのものが変動するワケじゃありません。

■個別各論となれば必ず偏差があるのですから。
逆に考えると実にわかりやすい話でありまして、
「競馬で連勝、流石の”読み的中”といえるな。」
上記のように攻める姿勢で(抗(あらがう))主体的に勝負かけている場合、自分だけ当たりが集中しても(前述の雨が自分の頭の上にだけ降るのと同じ偏差が発生していても)競馬の当選確率が変動したとは考えません。的中率は同じだが自分の工夫でそこに割って入ったのだ、してやったり的な評価となります。
「確率が自分に対してだけ変動している、オカルト現象が起きているに違いない」←このようには考えない訳です。そこに(低い確率は同じ条件)特殊な賭け方やDATA分析を行った自我の関与の方が勝者にとって重要だからです(自慢げに語る上でも)。

ところが、雨の話じゃありませんが、
曖昧な関与で(付き合いで馬券を買っているだけでDATA調べたことも無いなど)、自我が『抗(あらがう)』的に主体的関与の自覚無く「馬券を買い続けてまったく勝てない状況が継続した場合」、認知背景が『被(こうむる)』となった場合ですよ、
「馬券なんか絶対当たりっこない(特に自分は)。付き合いで損しかしないものを買わされてつらい。」なんて認知になります。
その発言の意図にも無自覚なのですが、よーく文面を読むと「あたかも自分だけ当選率が変動しているかのような認知」になっていることがわかります。

更に落ちがありまして、
同じ負け続けでも、自我が『抗(あらがう)』的に主体的に関与して自信満々に購入を続けている場合、「まったくもって穴狙いを続けてみたりだとか、嫌な予感がしてるのに弱気で1番人気外してみたり、馬鹿なんだろうな、笑うしかない」←この人も当選率の偏差があっても自分だけ当選率が変動しているかのような認知は行わない。

●重要な事は「マクロとして公開されている確率的なものが、自分にだけ偏差として発生しても(その結果がポジティブでもネガティブでも)」自我が『抗(あらがう)』的に主体的に関与している場合、背景となるマクロとしての確率を疑うことは無いってところです。
「自分が悪いってことか?」←いえいえ違います。それをやっちゃ〜言外に「自分だけ確率変動している」と言っているのと同じなのです(わかり難いと思っている人は何度か読み返してください)。

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posted by kagewari at 16:10 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

原則論だけれど「人間の欲求が人間の限界を超えることは無い」

動物的限界、
「いくら腹ペコでもお米を1トン食べることはできない」
お金は無限大に貯金できますが、
その使い道って言ったって
「100億超すようなプライベートジェットが仮にあっても、民間航空機のちょいといい席との違いがあるだろうかって(100億の差を体感できる感覚器官が無い)」
「隣の芝生」だの「友人の細君がどうこう」などなどありますが、そもそも1日は24時間しかいないのだし、自分を分身の術により倍増することもできない。

原理原則の欲求として「衣食住」がある程度の水準にあれば、仮にそこに金額的な大きな差異があってもその差異を認識するためには「趣味性などの専門知識」が無ければそれを体感できない。
 ↑↓
この体感を『共同幻想』社会はブランド権威主義で随分と楽に提供することに成功しますが(評判の店現象も同じですね)、その『共同幻想』が絶賛崩壊中です。

■逆説的に考えるなら
そもそもの趣味性などの専門知識が無ければ(基本的水準越えの価値論は)何も始まらない。
さて、高い趣味性の知識がある場合何にもまして資金力によるアレが必要となるかと言えば、どちらか言えばその逆パターンも増える(お題目的ブランド主義などがほぼ無意味となるため)。
自作・安価な改造・自分の趣味時間コスト投入労働力は事実上無限大など、
趣味に投入する自分の投入労働力は睡眠時間を例外に「人類平等(全員1日は24時間)」であり、

「趣味性が高度になればなるほど、自由になる自分の時間の価値が倍々ゲームで増加する」
究極「自由な時間がどれだけあるのか?」←これが価値論的にも人間個人が獲得できる利得の最大値を定義しており、
日常生活における「衣食住」ある程度の水準論の話になれば、「今日はカレー食べたくないのだが」と思っていても、実際カレーを食べてしまえばお腹一杯になってしまうのも事実(食欲は貯蓄できない)。

■たかが人間の人生でありまして(ネコには洋服も美容師もいらない論じゃありませんが)、
単一の人生で人間を超える進化を可能とするなんてのは考えるまでもなく不可能です(それに近い錯覚をモチベーションにぐいぐい行くアスリートの世界もありますが)。
この世に大騒ぎするようなことはほとんど無いのであり(価値論やるならその中で最も重要なのは自分の自由な時間となるのだし)、
岸田心理学的原則論となる「この世にどうでもよくないことなど無い論」ってのは、殊更に心理学や哲学的にひねって導き出された話では無く、そのまんまにそうでしかないからです。

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posted by kagewari at 23:24 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月18日

「確信犯的選択」の内容ってのを具体的に考えてみる

なんだか文字面からもの凄く仰々しい決断みたいに思われる方もいらっしゃるかもですが、
元ネタは「苦闘の思春期『反抗期』の後に僕は家業を継ぐくことを決めたのでした」みたいな戦前から存在していた『共同幻想』社会適応近代モデルみたいな奴でありまして、
言うならクラシックなタイプですよ(勿論諦めによるそれしかない選択も含む)。

オンザレールな「なんちゃって『共同幻想』社会適応」のが後発であり、戦後55年体制のインチキなプロレス政治にも似た、「サラリーマン社会」なる似非っぽい(高度経済成長は長く続かない経済現象なのに)、そして詐欺っぽい与太話でもあったのです。
「言う事聞いていれば悪いようにはしない」なる『共同幻想』の言葉には「女子は全員一般職で高学歴でも女子大止まり、男子は全員終身雇用なので黙っていても大人しく勤務していりゃ30前後にエレベーター方式で役職付けるから。それまでは社員旅行で温泉街のコンパニオン付けて遊ばせてやるし、接待費の枠で残業帰りに飲ませてやるから会社の命令は絶対な、」←こんな”レール”は女性差別と高度経済背帳抜きに成立しないのです(ですから速攻『共同幻想』詐欺ネタになった)。

■同時にそれを可能にした最大の要因は
公務員で想像するのが一番わかりやすいのですが、労働力に依存する一時産業的な重農主義経済(故に原始時代からこの時代まで奴隷制度の有用性も高かった)、ここから産業革命を経て機械化経済になって以降のホワイトカラーってのは”民間公務員”みたいなもので(笑、IT業界のプログラマーにしても近代までの通訳翻訳業みたいな存在とも考えることもできるので、「ぶっちゃけ人が働かなくてもいい時代へ突入していた」のですよ。

ILOの勧告だけでなく、各国は「高所得可と出生率の低下による労働力化年齢人口の自然減と、休日増や週休二日制導入」に代表されるように(働かなくてもGDPの生産が可能となった割合に呼応するように)労働時間の短縮を進めていたので体感できなかっただけです。
そんなもん数学的に考えれば(後にワーくシェアリングなどとドイツが導入した6時間労働もそうですが)誰の目にも明らかな経済成長のプロセスであり、むしろ現代社会は「経済の労働集約率の低下(ぶっちゃけ働かなくてもいい経済)」から労働市場が機能せず(急速な需要の低下)、所得の分配率の低下によるデフレ経済が課題になっているぐらい。
 ↑
うーんとこの現象、サプライサイドの頭の固い人は「昇給ばかりしていたら企業は存続できない」みたいな救いようの無いバカな論議を始める人もおりますが、、、
「やれデフレだインタゲだって論議は”マクロの話”」だって事忘れちゃいけません。
全員の基本給が上昇すれば競争他社の人件費も同率で上昇するので、企業間の競争にはなんら影響が無いのです(目論見どおりマクロ経済がインフレ基調になるだけ)。
 ↑↓
●ところがこの動きがスムーズにいなかなかった。
理由は「グローバリズム覇権主義」って奴で、労働市場の外に「外国2部の労働基準法鄭鴎外市場」みたいなものが織り込まれたからですが、これ厳密に言えば限りなく違法なんですわ(極端に言えば公害対策でめんどくさい国内には工場を作らずに規制の弱い海外に公害垂れ流しの工場を作るのと似たようなもの)。
ILOなりWTOが「人件費ダンピング」として違法認定すべき話だったんですよ(国際労働ナントカ基準を設けて本社のある国の最低賃金を下回る雇用を禁止すべきだった)。

この市場経済を無視する国際化なる近視眼的バカな動きで(そのやり方じゃ最後に先進国側の首がしまることは誰でもわかることなのに)、時代の変革は停滞しちゃいましたが、
上記の中途半端な停滞は「それでも尚、なにゃかんやと人件費を支払続けていた(労働時間の更なる過少化や所得分配の経済学が確立していなかった)」旧態依然な経済体制によるなんとやらだったのでありまして(味方帰れば独禁法違反なのかもしれない)、


■「文字通りに戦後のオンザレールな社会適応」ってものは社会運営側にとって、そのままってわけにはいかない(いつか確信犯的選択を必要とする)社会体制だったワケで、

「今後どうすんの?」
(女性の場合はその前に”男女雇用機会均等法”施行時にも違う意味の「さあどうしますか」という社会規模の選択がありましたが)
この件は「オンザレールな『共同幻想』与太話を信じちゃった人全員がいつか問われる話」だったワケです。
(なんでしょうね「東京六大学の体育会系サークル入っておけば、OBのいる商社に自動的にいける」みたいな”物語”は口約束ですら無く、「そもそも中東とかいきたくねーよ」や現代社会において幻想ですたな無くなったのであります。)

そんな話は地方の寒村にいたる通津浦々に至る全土に(インチキなオンザレール幻想なんですが)あたかも堅い選択の社会適応常識として拡散しており、
現在経済が「働かなくてもいい時代へ変遷している実態」すら殊更意識されてもきていなかった。
(ちなみにですが、この労働の概念も、近代以前の労働集約型一次産業の時代には「高い達成感」のような快感インセンティブも明解に存在していたんですが、現代は「どうしてあの人がこんな給料高いのネタ」や「そもそも粗利50%以上のこの商品の売り子やっていても罪悪感でまったく労働の意義を見出せない」だとかもろもろアレなことにもなってくるのであります。)

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posted by kagewari at 01:13 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

心理的なんとやらと居住内容の関係

■「メンタル問題などの解決を意識するのであれば、(できれば都会の)一人暮らしが望ましい」
この原則論に関しては”絶対”と言い切るべきところでしょう。
その意味ですが、
素朴に『反抗期』の定番「一人旅でもするか」です。

何度も心理学テキスト記載してきたとおり、メンタル問題からの離脱過程(リハビリ過程でもかまいませんが)、言うならば『思春期』反抗期状態の自我となる「仮想単独者状態」が求められます。
常識や権威性認知による余談などを排し、同時にエディプス的対象人物との関係をひとまず疎遠にして(近くにいれば問題の中核を成す権威性認知や抑圧が刺激されますから)、安心して(或は安全に)ひとりになれる状況の確保が望ましいからです。
付け加えると、私が個人的に定義している「『共同幻想』社会の取り巻き(中途半端な友人関係や知人との関係です)」ここも是非切っておきたいのが本音です。

と、考えれば住環境からして「ひとりぐらし」が好ましく、
可能であれば「それも都会で」がベター(関係者とのアレを踏まえると)。
 ↓
見た瞬間こう思う方が多数でしょう。
●「なるほど昭和の進学や就職で都会にって流れはいろんな意味で王道か」←そのまんまです。
実際のところこれといったメンタル問題を発現せず、まだまだ潜在期状態な自我の多数がその環境でナチュラルに「仮想反抗期状態を醸成し離脱過程を踏んでいるパターン」ってものが想像以上に多かったのではないかと思います(特に文系は有利って注釈必要かもですが必ずしもそこは重要じゃないでしょう)。

※建て前が個人主義と呼ばれる(実際は違うのですが)欧米社会の場合、子供部屋は生まれた乳幼児の頃から準備すべきものですですし、日本の戦国時代やら所謂皇室の帝王学のケースもひとり暮らしじゃありませんが幼児期から親との関係を疎遠としましたし、欧米における上流層の学校は全寮制でなんて世界も世界の帝王学系のアレにおいて(自立を早期から高い強度で促すという意)定番です。

■話を戻しますが、
加えて、現代『単独者』予備軍とも言える「新卒入社で3年以内に3割退社」パターンの自我においても、その居住条件として「都会の一人暮らし」がいろんな意味で優位性が高いと思われます。

●反面『ローカル共同幻想』との関係で言えば、
当該人物が確信犯的『共同幻想』選択や、『歩留り』選択の可能性が高い場合=「批判対象から除外し鉄板の権威(聖域)として『ローカル共同幻想』を位置付ける場合」、地元居住の方が有利となるので「都会の一人暮らし」が絶対とは言い切れませんが、その後の選択は予見できないのですから(確信犯的『共同幻想』選択で『ローカル共同幻想』を重視することになればUターンすればいいであり)、原則論として「都会の一人暮らし」がベターである事に違いはありません。

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posted by kagewari at 05:30 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

もう少し詳細に「メンタル問題」の”問題とは何か”について

・メンタル問題は心理学的には誰にでも起こり得る様々な自我構造問題であり、
・法的には労災などの事例にあるように障害認定もあり得る問題であり、
・社会的には(一般的に心理学的知見のある人とかいませんから)病気(と説明すべき)、
・昨今力を持ってきた脳外科系の一部からは脳の問題であり、
・文学や哲学的には限りなく個性の幅で認識されることが多く、
・心理学的知見を期待できない精神科にとっては臨床例分類として対処の必要な症例となる。

観察者の立場で変化するじゃないけれども、
●当事者にとっては変化もクソも同じ問題なワケでいったいどうなってんだって事になるワケだが、
そもそも病院案件や障害事例なるものは状況・状態・認識に幅があるもので(風邪のように病院で対処療法しかしないものもあれば、通常は問題の無く放置の肘の痛みもプロスポーツ選手となれば外科手術マターにもなる)、トラブルや問題事案ってものは「主として当事者の判断による」訳ですよ。

思うにメンタル問題における原則論でもある『被(こうむる)』認知や、「強迫心理」事例の背後に必ず関与してくる(これは強迫構造の公式のようなもので)権威性認知などが関係するため、余計にわかり難いよってな話になりがちなワケです(主体的認知が抑制・抑圧されると同時に依存性フラグもある)。

「インフォームドコンセント・インフォームドコンセプト」なる医療現場の判断の場面で言えば、「明らかに癌だけど何もしない方向に決めたので帰ります」もアリアリなのであり、呪い師が跋扈する前近代じゃあるまいし「症状乃至障害乃至問題は悪霊が原因だ、悪いもので解決しなと大変なことになる」なんてことは無いのであって、特効薬が見つかっていて法的報告義務のある感染症を例外に「症例も障害も各種問題もその取扱いはプライバシーです」。
「主として当事者の判断による」訳です。


■どうすんのかって、それは主体的に判断・選択するもので、
メンタル問題の場合、当人が「これは耐えられない」であるとか「これは尋常なことだと思えない」であるとか「どっから考えても詰んでいる」などなど、自らそれを”問題視(メンタル問題として認知)”している。
或は(メンタル問題に起因するのかはわからなくても)どうにもこうにも外形的事実として看過できない状況が(対人トラブルであるとか事件性に発展しそうな勢いのなんとやらなど)あるとか(この場合心理学が関与する可能性は知見や運や縁でばらつく事になるが)、
いずれにしても「諸問題に心理学関係で何かあるのかも知れないと認識した場合に限り」問題になるワケです(と初めて認識される)。


※ちょっと話が逸れますが、上記内容が筋論となるため、自我問題が極めて潜在的で表面的にはなんちゃってでオンザレールな社会適応できてしまう自我の場合、潜在的問題をメンタル問題であると認知する確率が極めて低くなり、心理学との接点可能性もどうしても下がってしまいます。なんとなく現状社会適応できちゃっている自我がラッキーだともお世辞ににも言えないワケで、
なんらかの破綻などからメンタル問題を自覚するに至る自我は「表面的には実トラブルを多く抱えたとしても」、そこはそれ『思春期反抗期』を軸にいずれにしろ「誰もが直面すべき現実アップデート」なのですから、問題意識をしっかり持てることはラッキーな一面もある(”身体の人・生命としての本人”が教えてくれた的に)、
どの状況だからあーだこーだなど考えるのは無意味です(心理学的原則「結果論には全く意味がない」もここに被っています)。


<話を戻しましょう>
分析時の説明にもよく出てくる説明文ですが、
「関係者誰それのそんななんとかにも「強迫心理」が関係しているのでしょう」←この文節には「メンタル問題」との記載は無く、「「強迫心理」が関係しているのでしょう」という説明文になります。
何らかのルートで自己申告されない限り、どんだけ自我問題があっちの方向にいっていたとしても(どれだけ苛烈な「強迫心理」により現実との乖離がトンでもになっていても)当事者がそれをメンタル問題であるとかただならぬ外形的事実と認識していない限り、「そこに「強迫心理」が関係しているのだろうな推定」以外の説明はできないワケです。

(※逆に言えば、その登場人物がプライベートにガチで「自分は精神病かも」などと思っている場合も当然含まれてくると思われるのだとしても、第三者的には当事者の申告あるまで「「強迫心理」介在の可能性」以外言及できない。←この辺は私の「刑法39条批判」にも一部繋がる話でもあります。)

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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 05:08 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

先日26日の記事に関する補足「それでも『共同幻想』は楽しそう」な反論について

7月26日の以下記事ですが
『結婚願望』という強迫心理の変遷
http://kagewari.seesaa.net/article/440449073.html


過去にも同様解説しているところですが、
それはともかく以下の部分に関して、
時にメンタル問題がある時、当該自我は自動的に『共同幻想』適応社会の姿や幸福度イメージが過剰化し現実と乖離します。
つまり「普通の人達には全員に恋人がおり、全員が結婚するのだ(私一人が取り残される感)」のような現実から乖離したイメージを抱え込んでしまう確率がとても高くなるわけです。
「普通の人達には全員に恋人がいて青春を謳歌しているように思ってしまう」

結論から言うと、被害認知や強迫性を徹底保守するためなんですが、、

「そんなことはありません。(統計がいかなる数字であろうと)現実がどういう状況にあろうが、”私の現実”は違います(ですから現実から乖離しているんですが…)、それでも私の周囲の知人含めて(それを無意識のスカウティングであるとか強迫心理の取り巻きと呼ぶと別記事にて解説もしているんですが…)それでも『共同幻想』は心底楽しそうにしています。おっしゃる説明は文章としては理解しますが心情的には全く理解できません。説明を求めます」的な反論が必ず出てきます。
過去にこのような押し問答で数万文字に渡るナントカが、、、それ以上言いませんけど。

えー、さて、
そんなワケで、以下の補足説明をしたとしても全く反論根拠となる「私の現実」なるものは揺らぎもしないのでしょうが…。
心理学テキストとしては確かに「楽しそうな彼ら」の背景事情を説明しておく必要性はあります。
てなワケで以下に補足しようと思い立ちました。

ここも過去ログ別項にて説明済みの部分なんですが、
■『共同幻想』の原則論「富の分配とその権限(権威の証明)」
そもそも『共同幻想』の原型は草食動物にみられる安全保障上の群れに始まります。
「生き残るための必然性」からです。
(かといって捕食獣を飢餓により絶滅に追い込む防衛力は無く、自然界では両社の関係が均衡しているのもポイントのひとつで、うがった見方をすれば捕食獣との均衡を保つための安全保障なのだとも言えます。安定的な群れが存在してこそ捕食獣も生き残れるからです。)

人類ヒト科の場合、両手に食糧を抱え保存までした延長に農耕などその後爆発的人口増に至る”生存率”を誇り(多数の動物も絶滅に追い込みつつ)、それでも飽くなき生存可能性を模索してきました。
しかし原始時代ともなれば「学校も無い、寿命が著しく低い過酷な環境」において一部の賢人が発見した高度な知識を文字文化も無いのに伝承することは極めて難しく、
これを(細かい説明や根拠を省き)「とにかくそういうことだから」として文化や慣習パッケージとして残すやり方は効率が良かった(てか他に方法がない)。

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posted by kagewari at 23:09 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

VR技術は世界を変えるでしょうね

開発会社のみなさんいいアイデア企画しますよ。
VRゴルフゲーム『(仮)全英・USオープン』
全方位傾斜機能付きウォーキングマシン・ゴルフクラブギア付属35万円
「定期バージョンアップでコースは改修され続けます、6台の扇風機が風も再現。」
6帖間の空間があれば本当のゴルフコースと同じ歩行距離・運動量、ネット対戦機能付き。
 ↑
絶対売れると思う(笑
これまでゲームに理解が無かった高齢者が腰抜かしまっせ。

これもいいかも
VRマラソンゲーム『ボストンマラソン』
VR釣りゲーム『渓流釣り』『カジキマグロ対戦』(手ごたえ数百キロ・器具の固定が必要です)
VR競馬ゲーム『天皇賞』(乗馬マシン付き50万円・武豊解説動画付き)
VR殺陣ゲーム『宮本武蔵』模造刀二本付き・刀ギアは正確な手ごたえを再現・ボディスーツが痛みを再現40万円(”成人向け”「付録『ゲルマンの傭兵』」)
VRツーリングゲーム『ツールドフランス』(傾斜機能付き室内自転車マシン付き60万円)

そして、
VR『重機で建築』ともなれば本当に遠隔操作で仕事ができるようになるでしょう。

●個人的には「リアル過ぎる本当にシューティングだけのゲーム『ブルズアイ』だとか『シューティングレンジ』(実銃同様の重量と反動のギア付属)」←これ出たら絶対買います。

「室内の家財が全て高級素材に見えるVRゲーム『大塚家具』」だとか、
「世界のあらゆる名画をあなたのお部屋に『ルネッサンス』」だとか、
「室内空間をスキャンしてリアルにペットが飼えるヴァーチャルAIペット『人語を話すよ』」や、
「室内空間をスキャンして死ぬほど怖いホラーゲーム『呪怨』(発売禁止→後に『エア家人』として再販→更に『エアアイドル家人』に至る)」や、
「赤の他人に見える『VR鏡』(性別もチェンジ可能・ボイスチェンジャー機能付き)」だとか、
必殺、VR登校ゲーム『学校』各種学校からハーバードまで「本校に負けないリアル勉強ゲーム」
(これ下手したら放送大学より上かもですぜ。)
VR受験ゲーム『家庭教師』←そのまんま実用可能でしょう。
VR裁判ゲーム『最高裁』本当の判例がDATA化「司法試験に合格するかも」(六法全書付き)


■バーチャルどころか「新しい現実」として認知される可能性すらあります。
社会をどう変えるのかわかりませんが、そこにロボット技術まで組み合わされてきますから、自我の個性化を加速させるのは間違いないでしょう(あらゆる可能性が無現に担保されるようなものですから)。
ちなみにバーチャルな世界の拡大でオタク的な引きこもり度合が高まる云々の話も「ポケモンGO」で完全に払しょくされました。
ヴァーチャルな空間を投影するのは部屋の中だけではありませんから。
ヘッドギアの共有リンクを可能にすれば、複数人で同じ空間なり人物なりを共通に認知も可能ですし「外社会において新たな『共同幻想』構築」も可能となるでしょう。

ラノベの異世界ものじゃありませんが、
異世界に飛ばされなくても現実世界そのものが変容しますので、”VRな現実”をどう定義すればいいのかわかりませんが、いずれにしても世界は変わりますね。
「ポケモンGO」な時に自然界の本物の昆虫への関心あーたらな批判もありましたが、そりゃね勿論「本物の丹頂鶴にしか出現しない”なんとか”」な方向でいかようにもモデファイされますし、
いつのことだったか「なんちゃってペットの声を翻訳するギア」みたいな商品ありましたけれど、それが更に発展すれば、「植物から虫や鳥からあらゆる生物を人語に翻訳」なんて〜なものも登場した時、どうすんのって。

以前google関連会社が研究していた「死者の再現」な話も込みで考えれば、
(俺は現代社会は無意識に『不老不死』への渇望を既に始めていると読んでいるのですが、)
現実社会における死生観そのものが変化していく可能性すらあります。
仕事に関してもホログラフィは無いけれど、ヘッドギア付ければ出社中のアバターを目で確認できることになりますから、自宅SOHO無限拡大の可能性もあります。

どうなることやら。


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posted by kagewari at 19:19 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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