2016年07月28日

この話にコメント必要かなと思いましたが「19人殺しの件」

(8/3:訂正と加筆修正)

※大事な事なので最初に書いておきますが
「強迫心理」など心理学で説明される自我に関わる構造や現象というものがメンタル問題や症例そのもののように考えると全く違います。
メンタル問題云々は「あくまでも当人がそれを問題だと認識した時に初めて問題となる」のであって(或はそれが予測される外形事実が合理的に説明される場合)、サイコパス論議によくあるように、社長だとか政治家や弁護士などの職業選択動機には強迫心理などの介在可能性がとても高く、フロイトが昇華とまとめた事例にあるように、プロスポーツ選手や芸術家など当人がその尋常ならざるモチベーションを問題視しない場合、自我の特徴として「強迫性」などの状態が観測されても、メンタル問題となりません(実際フェチシズムなどは個人の性癖分類です)。

更にメンタル問題発症(自己申告乃至確実に問題化する外形事実がある場合)、その後カウンセリングなどを経て『歩留り』選択の可能性も再三説明しているとおりです。
『歩留り』選択とは、「自我の強迫性も俺の個性だから(ここからここまでは関係する不都合も受け入れますよ)」と理解した場合の話ですが、その根拠も前述の「問題視されない場合がある」「強迫性そのものが病気(疾病)みたいな判断は間違い」だからです。
(※『共同幻想』社会適応を無意識に選択する心理からして「強迫心理」なのですから。)

同じメンタル問題の”背景事情”でも、それが問題化するしないの差異は人それぞれで(それ原則論としても当人の個性は抑圧されている本音の方で派生で出てくる「強迫心理」では無い)、兄弟の事例にあるように環境が同じでも人の認知が均一になるなんてことはありません。

※しつこいぐらい今度も書きますが
私は「刑法39条に反対」ですし、刑法39条は心理学的にも全く根拠の無いものだと断言しています。
理由は簡単で、確かに反動形成の中に(反抗期の不良化などが典型)アウトロー的スタンスが浮上することはありますが、それは動機形成された犯罪の実行とは全く別の概念であり、
犯罪とは言い換えれば自営業の起業なみの”固有の””犯罪という特定の”動機形成を必要とする行為なので(衝動的に行われる万引きなどの軽犯罪は別)、重犯罪の企画実行はメンタル問題のある自我にはほとんど不可能であり(鬱病患者はフルマラソンが得意みたいな飛躍である)、正確な統計はありませんが「メンタル問題などの問題を抱える自我の犯罪発生津は一般社会適応者より低い」という説も実際にあります(前述とおりそれは心理学的にも論証されている)。

要約すると「強迫心理や強迫傾向」というのは(心理学的に本音と違う人格傾向となるのは事実だがアイデンティティー論的には個性でもある)誰の自我にも含まれる要素であり、
「メンタル問題」とは(あたかも生物と共存している常在菌が炎症起こしたみたいな話で)、「強迫心理や強迫傾向」が原因で派生する精神的不快感が恒常化している状態のことで、
フロイド心理学的にも「エディプスコンプレックスそれ自体が病気とか無いから」です。
(その後の派生の方が心理的負担の直接の原因だったりする)


■■<ここから本題ですが>■■
下記説明に、「強迫心理である」だとか「メンタル問題(と同様の自我構造の意)に至る可能性」などの文言は出てきますが、19人殺しの犯人がメンタル問題を抱えていたなどの意図では”ありません”。
(報道によればむしろ犯人は社交性も高く友人関係もあり、生活上のメンタル問題に関わるいかにも症例のような状態に至っていない。当人も問題性を認識していない。)

■この話にコメント必要かなと思いましたが「19人殺しの件」
何故書くのかといえば、
いつものごとくで、報道などの犯人の分析が「あまりにも的外れなトンチンカンな話」であり、
関係者がこのブログを読むとは思えませんが、
突拍子もない勘違いが拡散することを0.00数%でも抑制できるなら記事として書くことの社会性もあるのだろうと判断したものです。

現状補足できる情報から類推されること。
(情報不足なので以下の説明はあくまでも推論であることをお断りしておきます。)

「両親が権威職(教師)」「父親が権威職(教師)」=メンタルリスク家族構成である。
(8/3:訂正と加筆修正、新しい情報で母親が作家?という話があるため訂正。加えて「父親に溺愛」の情報もあり、この点もメンタルリスクであることを付記しておく。)

(8/3:以下追記)
・他情報に、友人の話「彼はひとりでいることが得意なタイプではなかった」とあり→依存性リスクの可能性を示唆しているとも言える。

・「某四流大卒で教職(養護の教師志望)」=この段階でも既に彼は挫折・妥協的選択を行っていると類推できる(エディプスコンプレックスの類推)。

・「大学在学中に入れ墨などの謎のマチズモ系アウトロー化(それを明るく説明していたりする)」=思春期反抗期的な不良化もなんちゃっての不発で(教師志望の人生観は何故か反抗の対象外)、あたかもファッション?のような曖昧性の中で男性誇示的な自己顕示だけがひとり歩きしている。

・「教職の実習時、子供たちとは仲良く楽しげでも、保護者などと揉めた時に激昂するなど不安定な様子もあったとの情報」=彼の仲良く楽し気な振舞は周囲が時に理解できないハイテンションな場合も目だっていたようで、そこから類推できることは「強い承認欲求」の表れである。
●認められるために過剰な無理(ハイテンションなど)をしているにも関わらずそれを認められないと「こんなに頑張っている僕を何故わからないのか」的な反動性”梃の原理”でバチンと現実と乖離した激昂などに至る。

・逮捕後の証言「意思疎通のできない人達」とは、自分の頑張りに対して好感や感謝を表さない人たちの意味である(弱者に対しても承認欲求が満たされるどころか関係悪化していたことが類推される)。

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posted by kagewari at 15:39 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

『結婚願望』という強迫心理の変遷

お題はこちら
20代男性の53%が交際経験なし 恋人がいるのは5人に1人、結婚願望も激減
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0622/blnews_160622_7568338403.html

(一部引用)
明治安田生活福祉研究所は、全国の20歳から49歳の男女3,595人を対象に「恋愛と結婚」に関する調査を実施し、結果を公表した。
調査結果によると、20代未婚男性の53.3%、30代未婚男性の38.0%が交際経験なしと回答。女性では20代未婚の34.0%、30代未婚の25.7%が交際経験なしだった。3年前の2013年度調査と比較すると、20代・30代の男女とも交際経験がない人の割合は増加しており、特に20代男性は30.2%から53.3%と23.1ポイント上昇している。

恋人がいる人は、20代男性では 22.3%で5人に1人、20代女性では33.7%で3人に1人だった。恋人がいる人の割合は低下傾向で、特に男性は、20代が2008年の45.8%から22.3%に、30代も37.7%から18.0%へと、いずれも半減している。

結婚願望がある人は、20代では男性が38.7%で2013年度調査の67.1%から28.4ポイント低下、20代の女性は59.0%で82.2%から23.2ポイント低下。30代男性は40.3%で52.9%から低下、30代女性は45.7%で60.3%とから低下と、30代でも男女とも10ポイント以上低下した。

現代社会構造の変遷で重要視している「新卒社員の3割が3年以内に辞職」であるとか、
総選挙などにおける「支持政党無し浮動票の比率」などにも符合するもので、
アバウトに要約すれば、『戦後自由恋愛幻想』や『昭和の結婚願望』の過半数割れが明確化してきたことを表しています(世代分析的に今後その動向はより進む)。政界における55年体制終焉などと同じ意味です(社会学的な構造の変遷)。
曰く『共同幻想』社会の崩壊時代であると、


■時にメンタル問題がある時(物理的に社会適応選択すら留保しているケースが大半なので)、
強迫心理成立による”梃の原理”(反動係数のようなもの)から、自動的に『共同幻想』適応社会の姿や幸福度イメージが過剰化し現実と乖離します。
たとえば「普通の人達には全員に恋人がいて青春を謳歌しているように思ってしまう」などなど、
この心理は「大事にとっておいた冷蔵庫のプリンを関係のうまくいってない家人に食べられてしまった時の激怒がプリンの価格に比例しない(係数がかかって怒りはインフレする)」のことで=この現象は言い換えると「(怒りの感情で表現されている)失ったプリンの価格があたかも名店のロールケーキ一本分に匹敵している」乖離を派生しているのであり、ここから転じて→「普通の人達はみんな名店のロールケーキとかを食べているんだ!」みたいな話になりますよってお話。

注:「単にプリン単価+食べられた損害不快(更に加害対象人物により変動)が加算された”報復倍返し”の法則なのではないか?」このように理解されてしまうかも知れませんが(流れ的にはそうなんですが)、上記説明の主眼はそこではありません。
プリンの実態は当初から無いが(『共同幻想』一般論として)誰もがプリンを食べている筈だというイメージが(既得権の喪失被害だという設定により)、あたかも冷蔵庫のプリンを関係悪化している人物に食べられてしまったかのような係数がかかり(脳内設定によって)、プリンを食べる日常性も”無いのに”関わらず、「プリン願望」のような強迫観念化した時のスケールが”無意識に”「ロールケーキ一本分の既得権物語」のように変容し(話の流れ的には単純な倍返しの法則でも立証可能なように)、自意識のまったく気が付かないところで「ロールケーキ一本分の喪失」と認知される(現実との乖離に無自覚なまま)誤認心理現象がその話の主眼なのです。
「みんなが日常ロールケーキ一本分の権利を行使しているのに」、、、(と思ってしまう心理)。


えー、話を戻します。
時にメンタル問題がある時、当該自我は自動的に『共同幻想』適応社会の姿や幸福度イメージが過剰化し現実と乖離します。
つまり「普通の人達には全員に恋人がおり、全員が結婚するのだ(私一人が取り残される感)」のような現実から乖離したイメージを抱え込んでしまう確率がとても高くなるわけです。
すると、
『共同幻想』適応選択者の誰しもが思った事も無い強い欲求で『結婚願望』がふつふつと湧き上がってきたりしますが(しかも想定されている幸福イメージがロールケーキの法則に肥大している)、ここまでの展開お読みいただければわかるとおりで「それは全く本音では無く、どこのどなたも(現実との乖離無しに)感じることができない大スペクタクルな話」となってしまうのです。
(上記心理は強迫心理本体ネタでは無く、連想による二次派生なので「桶屋が儲かる2回転」ぐらい本音から外れた強迫心理となる。)

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posted by kagewari at 18:29 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月20日

あまり大きく取り上げたくは無いのですが(メディアにも出ちゃっていたので)精神科投薬の話

お題はこちらです
「うつ病」は薬を売るための病名だった!? 実は投薬のほとんどが無意味だと医者は知っている
「薬漬け社会」のタブーを斬る

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48911

(驚くようなネタは書いてありません。唐突にCMが増えるとアレだみたいなところが読みどころか。)

この辺の話は一部ネット世論あたりでは”既知”の事実だったりするので、話を難しくするつもりもありませんが、
俺は精神科投薬の全部が全部問題だとは”思っていない”し、書いてきてません(喧嘩するつもりないですから)。更に付け加えれば特に男性の場合微妙な問題があるのです(詳しくは後述)。

当サイトの見解は「医療機関は基本”対処療法”を基本にしており(風邪の特効薬は無くても解熱剤などケースバイケースの対処療法を行っているなど)、炎症などある場合にはその原因はともあれ炎症を止める処方を行うなど精神科においても脳内物質の受容性など含む即効性のある対処を得意としており、風邪の治癒が体力回復後の自己治癒であるように精神科の対応は”自分で問題の本質を考える時間的猶予”をその対処で確保するところを主眼とする(風邪ひいたときに自己治癒能力回復まで対処療法を行うのとパターンとしては同じ)」というもので、興奮の度合いが尋常じゃないなど「”即効性を要する劇症化した事態が発生している場合”医療機関は最もベターな選択」になります。

(※しかし心理学の原則論として「問題の本質を認知できない抑圧構造」など知見のある第三者による聞き取りや分析を抜きに当人が問題の本質に対峙できない状況が予見されるため、解決のプロセスに直接投薬の有用性は”確認されていない”と考えている。←風邪薬の構造と同じです。)

また、問題がメンタル問題ではなく実際に脳外科的要因も考えられるため”検査という見地”からも医療機関の有用性には疑問が無い。

■精神分析などの場合もそうですが、前述の投薬問題についても『依存性』が弊害を引き起こしており(営業上医療機関の一部は同種の投薬を永久に行うことに躊躇しないケースもあるでしょう)、その点自己管理ができていれば問題無くても、カウンセリングの場合でも投薬の場合も同様にその利用に過剰な『依存性』を発現すれば別の意味で大きな問題となる可能性があります。
というか、メンタル問題の場合心理学的見解として『依存性』に関する自己管理ができないケースが多くなってくるため(当サイトも『依存性』に関する告知記載がありますが)、同種の問題が起きやすい傾向があるのは事実というか自明なのが問題を複雑にしているのだと思う。
(※その辺の『依存性』に関わる心理学見解を果たして医療界がどこまで理解しているのか疑問であるのは事実としてある。←勿論医学的に確認される障害実態が存在し医療方針として「一生服用」を想定している療法もあり得るので、十分に投薬方針の説明を受けて判断すべき部分です。)

■加えて(性差:ジェンダー差別の意図はありませんが人格傾向として)とりわけ男性の場合、
カウンセリングなどの心理学的アプローチそのものに対する忌避感が発生する率が自我構造の特質として高くなる部分があります(心理学の精神分析は初期段階において権威性認知を”逆手にとって利用する”ことで可能になっている部分が自我における男性的プライド要素部分に抵触してしまう)。
端的に言えば「ガードを落として話をするなら寡黙なバーテンダーやタクシーの運転手さんの方が楽」のようなスタンスです(「言いっ放しまでが限界」など)。
この場合医療機関の存在が無ければ相談先がどこにも無くなってしまいますから、様々な問題があったとしても精神科・心療内科の有用性は社会的に認められるべきでしょう。
 ↑
ここの「男性自我タイプ固有の傾向」を解説します。
フロイト心理学で最も有名なアレ「エディプスコンプレックス」典型例のひとつとして、男性にはマチズモ(男性誇示的な)強迫傾向がどうしても高くなるワケですよ(所謂男性DVの原因のほとんどはこれ)。
「男性誇示的なプライドを保持できなければ自我が強烈な防衛反応を引き起こす」的な強迫心理です。

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posted by kagewari at 22:36 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月14日

『嫌な奴』の相対論

さて、嫌な奴とひとくくりにできるものでは無いでしょう。
嫌な奴もその意図するところは様々です。
今回の論議でテーマにしようって嫌な奴談義は以下のようなケースのお話です。
・「あからさまに険悪な関係で、どう見ても原因となる行動はその人物に非がある」などな人
・「やたらと自慢げで、あからさまに周囲を見下す調子も無頓着に自分自慢が止まらない」人とか
 ↑
どこにでもいる感じの悪い人を基準としてみましょう。

■実は上記の説明に答えがあるのです。
おかしくないですか?お題は『嫌な奴』となってますが、前提となる人物評は「感じの悪い人」になっている。『嫌な奴』と「感じの悪い人」は同義語でしょうか?
さてここからが心理学です。

何かの都合で身近に「感じの悪い人」がいた場合どうなります?
「それだけ」ですよね。
できれば関わりあいたくないものだ(終わり)。
これじゃ『嫌な奴』と認識されません。

何かの都合で「感じの悪い人と半ば強制的に関係を継続しなければならない事情があった」、
その人物は「凄く『嫌な奴』だった」。

●はて、前述と後述の違いはどこにあるのでしょう。
後述の「何かの都合や関係を継続しなければならない事情」←これって自己都合なワケですよ。
ぶっちゃけ「感じの悪い人」には関係が無い(勤務先の雇用主とかになればアレかもだけれど)。
自分がその場面における因果というか、事情をなんとかしてとっとと関係を切ればただの「感じの悪い人」に変化するのです。

て、こ と は?
■『共同幻想』適応強迫心理などがあった場合どうなります?
自己都合の関係性から『嫌な奴』が相対的に大量発生したかの認知上の錯覚が発生することが証明されます。
いやいやいやいやいや「そもそも出先に「感じの悪い人」が少なければいいじゃないですか?」なご意見が聞こえてきますが、
さて困りました。「何をもって感じが悪いのか?」ってこれも自己都合なんですよ。
(あばたもえくぼの反対で、何が感じ悪いと感じるのかって100人いれば100とおりですからね。)
自分が個性的なので、相対的に(俺からみたら)感じ悪い人が多くなっちゃうんだよねな場合(別段だからどうってことはないのですが)、所謂「人間嫌い」ってスタンスが予測されますよね。

「そんな事例が一般的とは思えない」な方は以下を参考に考えてみてください。
JAZZの偉人にして帝王マイルスデイビスは裕福な家庭に生まれているのですが、とにかく「白人嫌い」で有名で、ピアノのギルエバンスを例外に白人をバンドに入れた事が無い。
(マイルスの人生的には全然これでオッケーなんです、)

更に、過去にも紹介したことありますが、
以下鶴田浩二先生の歌を参照ください。

(ご存知のとおり昭和歌謡の大ヒット曲ですから、この歌詞に当時『共同幻想』バリバリ時代の市井の人々とりわけ男性サラリーマン諸君が大共感していたことを証明してくれます。『共同幻想』適応人格の本音みたいなね。)

■な解説をはさみつつ話を戻します。
・自分にとって感じの悪い人の総数は(自分の個性にも強く関連するので)選べない。
・そこに『共同幻想』適応強迫がある場合、数学的には個性的度合いに比例して『嫌な奴』は増える
ところが、
当事者が(強迫心理部分などを)無意識で取り立てて自覚が無い場合、
数学的に自分以外の関係者は(『共同幻想』適応人格系などであれば)相対的に「感じの悪い人総数が少ない人格タイプ」になり、彼らはその『嫌な奴』とも(巧みな世渡り術で)表面的な関係性を維持できていたりする。
この状況だと、当該人物は(相対論で)「自分ばかりいつも嫌われている」と錯覚してしまうのです。

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posted by kagewari at 15:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

国際政治というか安全保障の原則論

法治国家として法の縛りが機能するのは”国内”だけであり、
確かに”目安”としての国際法や国際ルールはありますが(時にこれが国を超えた拘束力を持たせる条約もあるけれど)、基本それが憲法なり国内法によりその遵守を定義されない限り「全く拘束力はありません」。
努力目標だったり、多国間調停する時などの目安です。
(安保理による制裁議決についても基本的には集団的安全保障の延長上にあるもので、実際の運用も関係国のコンセンサスで可能となっており、国連決議が努力目標を超えることはありません。)

そりゃそうです、国連だとか国際機関のその担当者の権限なりは世界が投票したものでもないのであり、それ系の組織に顔の効く官僚だったり名誉職だったりに過ぎないワケですからね、
まさかそんな国際機関に各国の主権を超える司法権限があったら大変です。
基本的には大国相手に「話をすることができる調整役」を超えることは無く、何を実行するにも加盟国(とりわけ加盟大国の)賛同なしには進みませんから実態は「集団的安全保障の応用」です。


■国際関係とは原則「無法地帯」という認識が正しい。
各国の憲法にはおおよそ「国民の生命と資産の安全を守る」云々の記載があると思います。
ぶっちゃけ「その大前提を守るため、国民に選ばれた権力者は躊躇無く他国民の生命の存否に関する判断を躊躇しない」つーのが国際関係の原則です。
 ↑
なんだか随分ひどい話に思えますが、
たとえば、
国民が飢餓で苦しむに至るまで他国に食糧援助してはいかんのです(憲法違反)。
他国が飢餓で苦しんでるとしても自国民の生命の危険に及ぶほど大規模な援助をしてもいけない。
どの国にも自然権として自衛権が存在するように、所謂正当防衛として他国の軍隊を攻撃して(仮にそれで他国軍人に)死人が出ても、憲法により権力者は防衛行動の選択に躊躇してはいけません(外交関係も国益なのでそこの兼ね合いは別途ありますが)。
下世話な表現で言えば「自国の憲法の規定により権力者は躊躇無く他人を殺害する判断ができなければならない」のがリアルな国際政治の姿です。

■これまたそんな無茶なみたいに思われる方もいらっしゃるかもですが、
国内法においても、ハイジャックなどの現行犯である場合半ば超法規的に「射殺命令」を出せますわね(時々死刑廃止国家はどういう根拠でテロ実行犯を射殺しているのかわからないのですが)。
権力に従事している側の責任としては上記と前述には大きな違いはありません。

ですから、某国が自国民の生命や資産保全のために(或いは当該国が無政府状態の大混乱とならないため目先を逸らす目的でも同じって言えば同じ)他国を侵略するオプションを持つことは国際政治においては”当たり前”の話です。
●日本の憲法9条が異例なのは、前述の国際法規定を自国憲法により上位概念と規定しているみたいなアレで、他国を攻撃する云々の「自主的な選択オプションを放棄する」ものです。
 ↑
隣にISみたいな国が唐突に登場したとして、盛んにテロリストを養成し送り込んでいるのがバレバレな場合でも日本から自主的判断によって攻撃することは原則不可能です。

可能性としてありそうな話と言えば「(オウム真理教のような)過激派が隣国の保護の元でIS並みの軍事力を備え、テロリストも養成している(十分に軍事力を整備した後にその隣国でクーデターを起こし宣戦布告の準備中)。」なんてことになっても、現行憲法だと可能な対応はとても限られています(自衛官の武器の使用はほとんど警察官のそれと法的規制が同じ)。
極論そんなテロ国家が近所に存在しても、じっくり時間をかけて戦力を整えるまで(後に100%宣戦布告してくることが確実でも)経済制裁以外に有力な対抗策はありません。
第三世界の部族間紛争などに実際よくある話かと思います。

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posted by kagewari at 05:05 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

「組織の論理」自分に処罰感情を発生させる謎現象

結論、それが集団心理って話です。
あるいは『共同幻想』マジックとでも言うべきか、
たかが体育祭のクラス対抗なんとか大会などというものに”善悪”もからむような特別な意義も意味も無いことは誰にでもわかることです。単にクラス対抗でなんらかの球技をやりましたって、大人から見れば遊びみたいなものです。

しかし、

勿論のことですが、大本営である文部省も(所属は左翼なのにこの辺はなぜか熱心な)教師の組織も、この団体圧力というような社会(集団)心理現象を積極的に運用します。
狙いは「団体がこれと決めた企画に対し、構成員は”正義の戦い”と受け取り、ミスがあれば罪悪感にさいなまれるのが普通でしょ」ってな〜あれ(初歩的『共同幻想』モデル)を刷り込もうってワケです。
大概の子供は(よっぽどの天邪鬼かひねくれ者じゃない限り)まんまとひっかかります。
見事にそれを身に着け、大人になって就職先がどこから考えても「違法な詐欺グループではないか?」な部分に薄々気がついてなんてな状況でも(或いは「どこから考えても税金泥棒な公務員」であることに気がついていても)、内部では素で「もっとがんばらないと」などと真面目に考え、成績でも悪ければ悩んじゃったりするのが市井の人なのです。
(●時事ネタ的には「ブラックバイトを辞められない心理」ってのがこれ関連です。)

遠くから見れば誰しもが「馬鹿なのか」と思ってしまいますが、
その場にいるとなかなかどうして、あっさりそんな風に思えないものですよね。

この仕組みは「狼が来たぞ話」の反対みたいなもので、
自分を除く全員が「狼がくるぞ」と一生懸命対策していると、仮に自分自身は「いやいや狼なんかこないし、そもそも絶滅してんじゃん」と思ってもですよ、
「お前ら馬鹿じゃん」なんて振る舞いをすれば、自分以外全員を敵に回すことになるのは誰の目にも明らかです(「狼を手引きしているのはお前なんだな!」←まんま村八分トリガーです)。
半ば自動的に「嘘でもがんばっている調子を見せて合わせる以外に手が無い」状況となります。

■「社会的説明責任なんてものは全部悪魔の証明だ」とかと似たところもありますわね

どうすりゃいいの?って聞かれてもですね(笑
組織に参加している以上、もうどうにもなりません。
(そんな風物詩がどうにも嫌ななら『共同幻想』と縁を切って『単独者』に転向するしかない。)

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posted by kagewari at 05:40 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月05日

『共同幻想』の原則論「上下関係」

時にいじめ問題トラウマ系の相談に「対等の関係性」みたいな話が共通して出てきます。
(それこそメンタル問題における類型性論議ですが)
言語的表現としては「なめられたくない」などもかなり共通するフレーズとして登場する特徴があり、そこんところの背景を少し考えてみましょう。

上記のメンタル問題事例に共通するのは「驚くほど当該人物が安易に『共同幻想』社会と関係していること」にあります(実態としては「社会適応的部分では問題無いどころか、引きこもり事例タイプの人から見れば”随分積極的な人ですね”」と驚くぐらいの適応性を見せている)。
上記後述括弧書きからも明らかなように(そこにいじめ問題の構造も関係していると思います)、このタイプのメンタル問題は「対人関係的恐怖症がまったく無いに等しい」のです。
当該人物にはそのような自覚は無いでしょうけれど、第三者から見ると上記判断は鉄板です。

さて、更に突っ込んで考える時、
●上記鉄板判断における認識(実は対人関係恐怖症的要素が皆無)、何故か当該人物は「そのような自覚が無い」部分を掘り下げないとその実像は明らかにならないのです。

■実は当該人物の対人関係は「強迫傾向で刷り込まれた行動様式的であり、主体的な選択では無い」ため、好きでそうしているワケでは無い不快感は想像以上に大きく、このような状況で自分の行動を(対人関係ができちゃっているからといって)あたかも「対人関係を得意としているかのように言われると大変違和感を感じる」となっているワケですよ。

と、考えると、当該人物に共通する特徴「随分安易に『共同幻想』社会と関係している様」の理由がそこにネタバレされていることがわかります。
●「強迫的な社会適応が確定的な背景事情となっている」
この時、当該人物が強く意識する「対等の関係性」は強烈な論理矛盾となります。
何故なら『共同幻想』社会には対等の関係性など概念としても”存在しない”からです。

■『共同幻想』の原則論ですが、
これ幼児期からの刷り込みの現場は家族社会や保育園などのクラス(階級)社会です、
特に強い影響力があるのは家族社会となるでしょう。
さて、社会的地位として「父親と幼児が対等の関係」などあり得るでしょうか?
更に「兄弟関係で、対等の関係なのだからどちらが兄でどちらが弟などの上下関係を示唆する呼称を使わずにいこう」などの合理があるでしょうか?
双子の兄弟でさえどちらが兄だ弟だの分類をするにです。
年功序列を基本とする家族社会の階級性において、生物学的に「対等の関係性」は不可能です。
(※動物の生態でも明らかなとおり”群れ”の内部では更に細かい順位が決まっており、これを覆すのは実力闘争でしかない。)

なんせ『共同幻想』社会からして上下関係のヒエラルキー構造により構成される社会ですから、
上下関係を失えば『共同幻想』社会は崩壊します。
上下関係とは「建築における柱」だとイメージするとわかりやすいでしょう。
(あれですよ「人間ピラミッド」みたいなもの)
『共同幻想』社会とは高層建築の事であり、
『単独者』とは平屋のひとりぐらしの事だからです。

(『単独者』選択でなくとも、大人年齢でひとりぐらしをはじめれば「自宅内だけなら誰でも単独者」になるため「家族社会幻想」だけは表面上誰でも一律に解体できる。それに対して軍人などの組織はプライベートでも安易に対等な単独者気分になられても困るので寮で共同生活だったりするワケで、)

●勿論「対等な関係性」は『単独者』の専売特許です
 ↑
ここが先進国における『共同幻想』自然崩壊→個性化名目の『単独者』化の促進→主体的民意により民主政治が本格稼動、という社会学的循環にも関係している話。

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posted by kagewari at 02:43 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月02日

メンタル問題の類型性

ある意味統計DATAや臨床例的に機能するぐらい「公開掲示板過去ログ」は十分な数になっていると思います。
時に臨床ナントカに見られる統計学的ナントカには限界があり、メンタル問題は個人個人違うものだ的な話もしてきていますが、かといってメンタル問題に類型性が無いという意味ではありません。
(何々系の問題を派生させる背景事情の個別具体論が個別なだけで、)

フロイトからしてエディプスコンプレックス論を持っているように、自我が強迫構造にさらされるケースというものはいくつかのパターンに類型されるのは事実です。
その理由は、メンタル問題は「基本反抗期関連事項である」ことと、
「対峙する権威は(もう権威となっている時点で)『共同幻想』であること」に由来します。

見方を変えれば「概念の強迫性(強制力)」なるものを発明したのは『共同幻想』であり、
(群れを構成し、命令系統含めて意思統一や共同行動を可能とする概念ですから当たり前の話でもある。)
この辺のネタが「個人の自我の中で対峙する権威が十分に”反抗期ネタバレ解体せず”に強迫性や抑圧の図式が恒常化してしまう状況」がメンタル問題という訳ですから。
時に関係障害や、社会適応の局面で問題が表面化しやすいのも「内蔵する権威性の概念の投影対象であるから(元ネタは『共同幻想』ですから)」で、表現としては正確性を欠くのかも知れませんが対人関係や社会適応それ自体がトラブっているのは”無い”とも言えます。

現実認知として状況判断なりを脳内に取り込む過程で”判断する自我内の雛形”がネタバレ崩壊していないため、認知や解釈のプロセスで違う事になってしまう訳です。
つまりその”自我内の雛形”の元ネタが『共同幻想』がらみの権威性認知になりますから、自ずとそのバリエーションは限られたものになってくるで、類型化傾向も見受けられるって話です。
(一部のフロイト非公認心理学で”自我内の原型”みたいな象徴化分析やらかしている事例ありますが、そこんところの誤解は”自我内の雛形”の判断を取り違えたと考えればわかりやすい。)

●実際にサンプルとなる「公開掲示板過去ログ」には「驚くほど似た相談(や類似する強迫性)」が散見されており、このブログでは「心理学は経済学によく似ている」と説明していますが「それこそ二重帳簿の損益隠しから過剰な店舗拡張による倒産まで、”問題は社会的状況などとして観測されてはじめて認識される”」ので、出現する状況としても(認識される概念からして「現存する社会的行為のジャンル数を超えない」ため)類型化傾向があるのは驚くポイントでは無い。

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posted by kagewari at 21:45 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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