2016年05月30日

実にいい加減でありそうでなさそうな予測(アジアの安全保障)

さて、トランプ大統領が登場するのか知りませんが、
(現在中国元が暴落フラグ中でありまして)「中国関連最悪の状況」をちょっと考えてみようと思います。
ポイントは条件付ながら「日本は案外関係無しでいけそう」ってところです。

■「中国崩壊内戦でありそうな、なさそうな予測」
(以下、冗談で書いてるので本気で読まないように。)


中国経済のバブル崩壊経済危機に呼応する形で香港で空前の大規模デモが発生。
解放軍によるデモ弾圧によって人権問題が多数発生(大規模武力鎮圧に発展)。
ベトナムを中心としたASEAN諸国は(カンボジアを除く)これを大きく批判、
カンボジア(極度の親中国)・ベトナム間で民主化テロ?を発端とする軍事紛争が勃発(中越代理紛争)、
カンボジアへの輸送物資を積んだ中国籍船舶をベトナム軍が撃沈。
これを発端として第二次中越紛争が勃発。
ベトナムはフィリピンと海洋警備の軍事同盟を締結(カンボジアを海上封鎖)。
タイでクーデターが発生(親中派が一掃され)、ベトナムと軍事同盟を締結の後カンボジアへ侵攻(カンボジアは大きな紛争にならずタイ・ベトナムとの和平交渉が始まる)。
タイ・ベトナム・フィリピンによる軍事同盟が成立。
中越紛争は正面対決の構図で更に拡大、

香港デモの解放軍鎮圧に対し(バブル崩壊による北京政府の経済運営に大きな不満を持つ)上海閥は香港民主派を支持、鎮圧にあたっていた旧南京軍区部隊の一部は北京政府の命令を無視し武力鎮圧を停止(事実上のクーデターが発生し旧南京軍区は北京政府の命令に従わない事を宣言)。
結果、旧南京軍区(現東部戦区)と旧北京軍区(現北部戦区)で緊張関係が発生、

■これを期に(上海閥との関係も噂される)旧瀋陽軍区(現北部戦区)が「朝鮮半島平和統一」を掲げ北朝鮮軍を援助しつつ南進、
核戦略部隊である第二砲兵瀋陽基地の”一部”を占拠する。
(注:同部隊には米国を狙うミサイルは無いとされている。)
旧北京軍区(現北部戦区)は上記侵攻を認めず鎮圧部隊を派遣(にらみ合いだけで大きな戦闘には発展せず)、「北部戦区」は分裂内戦状態となる。
南京軍区(現東部戦区)が香港とともに独立を宣言し台湾に参加を呼びかける(日米はこれを支持)、ベトナム中心のASEAN軍事同盟との協力関係を表明、
この結果、旧広州軍区(南部戦区)との間で大規模軍事紛争が勃発。

北京政府は分裂した北部戦区の旧北京軍区に中部戦区・南部戦区を統合する形で「中央軍」を編成。この動きに西部戦区は参加せず中立を表明(同軍区内の第二砲兵基地はこれに参加を表明)。
西部戦区は独自にインドと不可侵(核兵器の相互未使用)を確認。
事実上「独立宣言した東部戦区・台湾・ベトナム連合(日米はこれを後方支援)」と西部戦区を除く「新中央軍」との内戦状態に突入。

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posted by kagewari at 17:13 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

やれ「自分の考え」だとか

時々「自分の考えって何か」みたいな疑問も呈されますが、
さして難しい話では無く、当該人物が自由に好き勝手って考えた結果か否かです。
反対語で考えるとわかりやすい(必ずしもその反対=権威性認知では無い)、
「誰それもこう言ってます」←思いっきり「他人の考え」ですわね。

凄く似た表現でも(ここが権威性認知=他人の考えでは”無い”根拠)全く内容が異なる(自分の考えとなる)表現になります。
「誰それがこう言っていたのだが、俺もそう思う。何故ってかくかくしかじかなのだから。」
 ↑
上記の場合、仮にその言論を批判する場合でもその対象は”俺”であって、”誰それ”とはならない。
(前述の文章だと「誰それ」はその概念のソースの紹介程度で、本質的には「俺がかくかくしかじかの理由でこう思うのだ」がメインになるため。)

何段活用とかじゃありませんが、
「超・他人の考え」パターンもあります。
「誰それにこう言われました」←差し詰め「他人の考え『被(こうむる)』バージョン」
こうなるとある意味最強、
当事者責任は100%無責任化しており(言論の所有権は0%=自分の考え0%)、
あたかも文章になっているようであっえも、ある意味「日本語として壊れている」ことになります。

前述の表現そのものが壊れているって話ではありません。
その用法が壊れているのです。
前述表現でも日本語として有効な使い方があります。
たとえば、
「俺さ、かくかくしかじかじゃネーか、だから言ってやったんだよここはこういう事だろうって。そしたらあの野郎にホニャララどうたらとかでお前の話はなんとかだと言われたワケ。そこでさ、俺は冗談じゃないぞと・・・・・」
本来の用法は「自分の思惑とは別の事を”言われた”」となるので、
その言説が何か自分の行動や認知を縛る要素は0になります。
(単に当該人物同士のやりとりの中で登場するだけの文章。論争相手の言い分を紹介しただけ。)

つまり、
「誰それにこう言われました」って表現は、
その暗韻は→「自分は違うと思います」になる。

ところが強迫系の相談になると、
「誰それにこう言われました」って表現が=「それによって自分の判断なり行動が拘束される」話に及んでいきます。←言語的に本来あり得ない流れになっているところに何故か当事者は気が付かない(無意識化の構造)。
ですから、第三者がそれを見た場合、
「いやいやいやいや、そうならないでしょ。誰それに言われたあなたは(違う考えなのだろうから)、(話に登場した誰それの話と”違う”)あなたの自分の考えはどうなの(てか話のネタに登場した誰それって話に全く関係無いと思うんだが)。」

「誰それにこう言われました」って表現は、
心理翻訳校正すると=「という強迫心理があったのです」みたいな意味と考えてしまっても問題ありません。
強迫構造の鍵は「結局筋立ての論理矛盾に当人気が付くか、無意識的となり不思議と自覚できず何故か相手の言説の方が正しいと主張したりしているおかしな現象となるのか」の差異な訳です。

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posted by kagewari at 16:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

マトモだとか○チガイだとか

うーんとこの話は(かなりエキセントリックでもあり)ワカラン人にはトンデモな内容にもなるので、
なんと申しましょうか「サブカルネタ」的に読んでいただければと思います。
(よって内容的には本来”心理学テキスト”カテゴリなんですが、あえて”時事放談”であげてます。)

時々生物学やら動物行動学系の知見で、
「人間は本能の壊れた狂ったサルである」系の話をしてきておりますが、
風刺的比喩のようでもありつつ〜の、
心理学的によーく考えるとですね、
「そのままのマジもんの話」なのですよ。

●誤解を招きそうなので意図的に行間空けます

(心理学とかちょっとアレじゃネーかと思っている方は”ここで退場”宜しくお願い致します。)
(現在重度のメンタル問題状況にある方も以降の閲覧を控えてください。ヤバイ話になってるかもなので、ちょっと危険かもなので。)














■あのですね
この世には”歌”って文化がありますね。
”音楽”でもいいです。
時に人は何かするとき「鼻歌」だとか、普通に「歌を口ずさんだり」します(子守唄なんてのもありましたね)。
調子いい時だとか、『共同幻想』適応な人すらプライバシー空間となる「お風呂の中で」だとか、人はよく歌を口ずさんだりします(数は減りましたが昭和では「口笛を吹く」なんて洒落た文化もありました)。
更に、
そんな姿を予告無く、予定外に人に見られると恥ずかしかったりバツが悪かったりするのです。

(プライバシーエリアが予告無く破られたからでもあるのだけれど、歌的状態は殊更にプライバシーの結界が視覚化というか、この場合視聴化されていてそれを見られた・聴かれたって話に及んでいる。)
※説明するまでも無いと思いますが”カラオケ”とは(そんなプライバシーの機微に深い関係のある)歌っている様の個人所有では無く”共有”することで、え〜結束と申しましょうか(もっともシンプルで簡単な『共同幻想』密度の深化方法は”秘密の共有”)、ま、そういうことです。

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posted by kagewari at 18:37 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

権威性認知と依存性の関係

ひとつの因果関係と申しましょうか、
「強迫性」を力学的に発生させる”仕組み”の話をしておきましょう。

依存性と権威性認知の関係は各所でやってきましたが、
(権威性認知に頼る=自動的に・無意識に社会関係を考える上で身分制度や階級制度などのヒエラルキー構造を肯定する事になる。←どうしても論理的にそういうことになってしまう。)
その力関係ってとこを考えてみましょう。

■権威性認知が(認知速度的に)優先させ、現実認知における判断基準として支配的になってしまう場合、相対的な「思考停止」となります。
そういうつもりも意欲も意図が無くてもそうなっちゃうワケです。
何故って、権威性認知の雛形を当て込めばいいのだから主体的には何も考えなくてもいいことになりますから、この時の『自意識』の仕事と言えばせいぜいが「いかに権威性認知が優先されるべきか」など後付の言い訳を適当に考える程度でよいことになります。
(人間の自我は一から十までそう思っていなくても認知速度の速い論理が優先し後から思い直さない限り初見の認知が支配的となる。←故にその天敵は『一拍置いて考える』となる。→「あれ、、ちょっと待てよほんとかよ」って奴です。)

■さて、メンタル問題とはなんぞやと考えると、
多数の事例に「社会不適応」や「人間関係上の問題」として散見されますね。
つまりそれは権威性認知を『共同幻想』でプルーフ(証明)できない事になります。
権威認知による判断を一般化している『共同幻想』社会適応な自我が頻発・連発する「それでいんだよね、そうだよね、だよね〜」技が円滑に使えません(勿論当該社会から「流石にそれはちげーよ」なダメ出しも無い)。
権威性認知を「認知や認識の機軸」としているとしたら、それはともて不安定な状況となります。
しかも、
この時自我は半ば因果関係上の「思考停止状態」にありますから、自力解決の可能性も結果論の構造の中で無意識の内に”ほぼ皆無”となってしまいます。
そこんところの不安の穴埋めは力学的に「自分の権威性認知をプルーフしてくれる『共同幻想』社会を希求する」格好に(そんなつもりも”ないのに”)陥ります。
 ↑
これが「適応強迫」が発生する仕組みです。
(一見真面目で”常識的”な人ほど鬱のリスクが高いなんて話にも符合するとこがこの辺に漂ってますね。)

●困った事にそこに二次災害が発生します。
本筋権威性認知は所属した『共同幻想』社会に適応する中で「だよね、そうだよね、だよね〜」技で確認されたり修正されるなかで獲得されるものですから、
考えるまでも無く「どこの『共同幻想』に所属するのかで内容が変わる」ワケです(国が変われば大幅にそれは変化する)。
さて困った、
じゃあ、自分は今どこの『共同幻想』ともこれといった円滑な関係が無いのに今自分の自我の中にある権威性認知って何だ?→考えるまでも無く、その答えは「家族社会当時に刷り込まれたもの」=「幼児期水準の知識」に他なりません(下手するとサンタクロース幻想まで残存しているかもしれない)。

結果「”何処でもいいから”いかにも『共同幻想』っぽいところがいいのではないか」のような、、あり得ない方向につき抜ける可能性も決して低くないのです。
(唐突にDQNな体育系社会にDV女の原則みたいな形でフラフラとってパターンが起きても驚きません。)
こうなると完璧な「強迫心理」となります。

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posted by kagewari at 17:59 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

スイスのベーシックインカム国民投票

6月5日国民投票らしいですが、どうやら劣勢らしいですね。
そりゃそうですよ、スケールがデカ過ぎ(成人約28〜9万未成年約7万で消費税を30%とかかな)、
私が過去エントリーで試算した「貧困世帯あたり平均で年100万(成功の鍵は”大きすぎる医療費”問題)」の計算と比べるとトンデモスケールです。
ベーシックインカムの「経済学的趣旨」としては「構造的な労働市場の所得分配機能低下をよる需要不足を代替し補完するもの(ぶっちゃけ全額消費してくれるか)」となるので、経済学的水準としても法的根拠にしても「最低賃金や生活保護の金額ベース」が筋論で、それ以上になってしまうとやれ貯蓄だ投資だとなってその意味を逸脱してしまいます(実体経済で回らない余剰分が出てしまう)。
経済学的根拠のある話であって、社会福祉的発想で考えられちゃうと違うんですよ。
(過去説明のとおりでベーシックインカムは保守系から出てきた政策論。)

それでもこの国民投票は試金石となるだけでなく、広く「ベーシックインカム」という政策名称が知られることになるのでその意義はともて大きなものになるでしょう。

その認知を広める意味で何度でも書きますが、
「働かざるものなんとやら批判」は先進国社会ではド・ナンセンスになります。
高学歴・高寿命社会においては「人生の中で労働力化年齢が4割程度に低下(=労働市場の所得分配機能は構造的に低下)」するだけでなく「高い水準の消費性向が労働力化年齢に比例しない」ので、
実態として「そのまま放置しても子供手当てや老齢年金や生活保護により”非効率な6割水準のなし崩しベーシックインカム”状態になっている」のです。

制度の一本化を行わなければ行政コストも膨大となり「補助金のように使途を限定するような財政出動は経済の自由な成長を阻害する」ため、消費性向の高いセクターに自由に使えるマネーサプライを当て込むってのがベーシックインカムの狙いです。


いやほんとにね、「働かざるものなんとやら批判」「ばら撒き批判」ほどいい加減なものはありません。
それ系批判者には「エコポイントや自動車減税や住宅ローン減税やソーラー発電補助金やふるさと納税」などの恣意的特定階層限定の”ダントツのばら撒き政策”を批判する発言を聞いた事がありません(しかもこれらは極めて不平等なばら撒きです)。
無茶苦茶ですぜ、
日本が世界に台頭した時代も産業育成のため国策として投資が行われ文明化が進んできたのですから、仮に(あり得ない話ですが)金融セクターが圧倒的な投資銀行機能を発揮したとしても(消費者金融と言う名の所得分配を行ったとしても)その効率性・合理性・経済学的根拠ってのは「よっぽどいい加減」な話になります(豊かな需要をベースにした市場経済の合理性のが信頼おける)。

(※石原都政の新銀行東京失敗は金融機関の姿にしたからですが、かといって倒産待った無しの法人に対しても市場原理のプルーフなしで直接補助金を出せばそれでいいのかと言えばまた違うでしょう。)
■日本は他先進国に比べて公務員の数が少ないという説もあり(あれって統計の読み方でいろいろ変わると思われですが)、ベーシックインカムにより制度が一本化され公務員に余剰戦力が生まれれば不足している行政サービスに回す人員も確保できます。

「ベーシックインカム」は社会福祉政策では”ありません”。
経 済 政 策 ”ですからね。



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posted by kagewari at 14:35 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

くるぞ「トランプ大統領」

大変なことになっております。
「こりゃひょっとすると、ひょっとしますぜ」
なんと言ってもトランプ氏にとって好材料なのが「サンダース氏が健闘していること」です。
情報筋の話によれば、サンダース支持者は「アンチ・エスタブリッシュメント(支配階層・階級)」という共通項で、サンダース氏が民主党候補にならないのであればかなりの数が本選でトランプ氏に投票するだろうと言われているためです。

はてさて、平成生まれの方には馴染みがないかもしれませんが、
「アンチ・エスタブリッシュメント」って言ったらあなた、
それは毛沢東主席の『文化大革命(知的階層全粛清)』とコンセプトは同じじゃないですか(笑
確かに、
『共同幻想』崩壊過程によって、「マスメディア・学問から産業界・政治」この辺の権威性認知がネタバレ崩壊して正統性を失っていくのは自明なんですが、
話が『文化大革命』かよってところに及べばいささか行き過ぎ(=反動って奴)。

おいおい米国大丈夫なのかと思いますが、
少なくともトランプ氏の政策は「日本大歓迎」ですので(よかったですねようやく米軍基地が撤廃ですTPPも無しにしていただけると聞いて感激しております)、「ほんとそれでいいの?(嬉しいんだけど)」となりますが、
米国市民が何を思うのか、、うーん、なんと申しましょうか、
特に日本を含む先進各国の”メディア”って奴が自身のネタバレ崩壊正統性喪失に気が付くのが遅すぎるって部分において責任重大でしょう。

それだけ一般世論には「アンチ・エスタブリッシュメント」(な反抗=自立認知)が強かったのであり、報道にとってはそっち方面に需要があったって話ですからね、
プロなんだからさ気が付かないと(気が付いていても軽視していた)。
メディアが自らの権威性・正統性の崩壊を真っ先にテーマに据えていればかなり違った事になっていたと思います(新聞社が傾いたり・web版の有料化がさっぱりうまくいかないとか・ウィキリークスの登場があったり端緒はいたるところにありましたから)。
(昨今は欧州の左翼メディア論「報道しない恣意的報道」などなども問題になってます。)

しみじみ日本にうまれて運がよかったと思う事しきり、、。
島国であるため(地学的に因果関係あると思うけれど)地震災害はありますけど、陸続きに隣国のある暮らしとはやはり地政学的な違いがありますよ。
話は戻りますが、
心配なのはトランプ大統領が軍のコマンダーオブチーフになるところかと、、
他人事ながら「どーすんだろ軍部(特に海兵隊)一緒にやれるのかしら」と考え込んでしまいます。

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posted by kagewari at 17:04 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

「『共同幻想』崩壊論」その仕組み的なものは不滅です

これがまた『共同幻想』って言葉には重層的な意味があるものだから(半分皮肉の意味もあるなど)、わかり難い部分もあるのですが、
『共同幻想』の崩壊ってのは「それが幻想であることに気が付く」って意味です。
何が幻想?って、
そもそも『共同幻想』の定義からして「その典型でもある”スローガン”のように、組織を現す”合言葉”のように、組織を組織と認識させている構成員に内容が共有・共通化されている概念(その代表例が国家や民族や貨幣など)」の事ですが、
更に岸田『唯幻論』的心理学的意味を付け加えると「その情報共有化は当該社会適応強迫と同義であり・同時に無意識的であり、そこからまた更に社会適応系人格はその帰属性認知により当該社会においてヒエラルキー構造(階級社会的上下関係)を形成するので、頂点に立つ権力者以外は(いわば末端は)”その概念”を疑う事も無いため(”その正統性”に関わる部分が無意識的であるが故に)、構造論としてそれがあたかも”普遍的現実”であったり”神聖化・聖域化”されている現象の事」となるのです。

つまり、『共同幻想』”現象”を派生させる「情報共有化により意味を成す概念(典型的なものに”流行”など)」という原理や仕組みが崩壊するのではありません、
貨幣も「所詮紙である」だとか「信用想像の事だよね」的に(その幻想部分が)ネタバレ’していれば「単に概念が共通認識されたもの」であって(貨幣としての使用に何の変化もなくても)、『共同幻想』における幻想性は消滅しています。
それがあたかも”普遍的現実”であったり”神聖化・聖域化”されているのだとしたら(そんな現実は元から存在しない=”幻想である”って話なのだから)、「所謂銭ゲバ信仰」みたいな要素は先進国化の中で絶賛崩壊していく(貨幣経済を学ぶことによる”ネタバレ”)つー流れの話です。
(貨幣『共同幻想』の極端な幻想系事例は某原始宗教系国家の一部に存在した「大金持ちになることは神の祝福の証で天国が近くなる」→要約すれば「所得の高い事が人格評価として個人が偉い証明である」みたいな発想のこと)。

しかし、言語的に「保守系の文化伝統歴史共有による政治思想や地域コミュニティー」の存在は(内部の人がネタバレ崩壊で”普遍性””神聖化”マジックから醒めていても)現象論としては「『共同幻想』社会」となるので(なものだから話がややこやしくなる部分もあるのだが)、
『共同幻想』の概念というか”仕組み”が消滅するとか、そういう意味じゃありません。
うーんと、「流行歌」という言語は『共同幻想』”現象”なのだけれど、「昭和の大歌手が年末歌番組で視聴率60%」みたいな構造は崩壊するって事。
(※ましてや『単独者』が貨幣を使用しなくなるとか、そういう話じゃまったく無いのでありまして、、、。「金持ち」って言葉の語彙として社会生活上のキャリアやタイトル的意味がその属性から外れ「お金を多く持っている人」だけの意味になるって事です。)

実際の話(『共同幻想』論では重要ランクの概念である)「偏差値」なる概念が消え去るとか、そりゃ数学的にもあり得ないことだし、
政治の場において「多数決の概念」が消えてなくなったら大変な事です。
結果として多数決的に担保される「便宜上の正統性」は消えません(それを普遍的権威などのように認知する部分が崩壊するワケ)。
「その政策は多数の票を取った」は今後もアリアリだが
極端に言えば「国民はこの崇高な目標に邁進します」みたいな「勘違いしたノリ」が昭和時代後期から自然崩壊してきたわけです(古くは識字率の向上に始まり、後に文明化・高学歴化といった流れに応じて順次比例崩壊してきた)。
※革命では”無く”、社会的ネタバレ崩壊(反抗)が自然現象として継続する。
※権威性認知の典型は個人としての思考停止ですから=『共同幻想』の崩壊は→個々が主体的にあーでもないこーでもないと考えるようになる姿を意味する(民主主義の深化としてもここからが本番)。

ある意味『共同幻想』”現象”が「あーこりゃ幻想だわ」と自覚される中でその「便宜上の正統性」が担保され(通常性能の)効力を身の丈サイズで発揮しますよって話です。
(普遍性の反対語的意味の”便宜的正統性”)

『共同幻想』は崩壊しますが身の丈サイズの有効性はより確かとなり、ここが「保守系政治思想再選択などによる確信犯的『共同幻想』社会適応の選択」つー形で”残っていく”ワケです(左翼運動から後に保守派に転じた団塊世代なんかの一波もこの流れです)。
故に再選択者は「幻想部分を幻想であると理解しつつ、神話性や神聖視部分も文化として(その趣旨を理解しつつ)受け入れることを再選択時の条件」として認識しているので、自らの意思として進んで適応するワケだが「いかにも『共同幻想』系の強迫性」みたいなものはその崩壊度に応じて落ちていく。

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posted by kagewari at 21:46 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

高齢者・幼児含む「所謂不当にも弱者レッテルを含む収容型施設の大問題」

この話はむしろ『住まいの心理学』で扱ってきてますが、
どーんと遠慮抜きに書いておくべきテーマだと思っていたのでこちらの心理学ブログにまとめます。

まず結論から
■収容型って限りなく懲役刑と大きな違いが無いのであり「そもそも人権侵害タイプ」です
『共同幻想』華やかなりし頃はですね、やれコミュニティーであるとか助け合いなどという意味不明のキャッチコピーで「過去に運営されきた状況を保守的解釈で模倣」する事は合理的に見えました(それこそ実感の裏付けたるリアリティーがあった)。
しかし現代社会には模倣するべき元ネタとなる「共同体が慣習として延々に継続してきた”何”」みたいな姿は主に地域ローカル『共同幻想』社会など僅かに残存するだけです(それが機能していた時代ってのは「社員旅行の温泉でコンパニオン呼んでエッチななんとやら」とかやらかしていた時代の話)。
更に、現在残っているそんなアレに関しても(現代社会においては福祉行政や生活水準などにより)存在自体が『依存性』や「共依存」を誘引するリスクが俄然高まっているのであります。

(※震災など緊急時に火事場のなんとやら的に原始共同幻想的記憶が集団心理で召還されるような事例は”例外事項”です。←瞬間その場が「サバイバルを優先する第三世界と化すため」過去の共同体設定が機能回復しその時だけ可能となる構造。)

遠慮なしにばしばし書きますが、
たとえばですね、
高齢者収容施設なんてものは「モンスター高齢者」みたいな現象も誘発するワケです。
(決して介護施設などの虐待職員を弁護するつもりは1ミリもありませんが、注意深く見ていれば理不尽に高飛車な高齢者のような姿は通常の報道などの情報にも散見されるものです。)
乳幼児においてもそうだろうと(同列に言えば「モンスターなガキ」や「モンスターペアレンツ」を誘発する)、

繰り返し指摘しますが、
「収容型の施設」ってものが概念として『依存性』や「共依存」を誘引するリスクのある社会システムであり、心理学で言えば「退行化ゲーム」の実験をやっているようなものです。
●先進国の福祉は一にも二にも「自立支援」であるべき(勿論障害者のケースも同様)。

とっかかりとなる話に、
「欧州では監獄型の精神病院なるシステムには成果が無いことが証明され、存在意義を失い”精神病院という存在からして違法的な判断をした”」ってところに注目(効果が確認されたのは”解放療法”)。
勿論この話はWHOあたりでも周知の事実となり、日本にも「いつまでやってんのの指導」がきており、厚生省も(その背景にも同意しており)2007年だったか記憶は定かじゃありませんが、同様趣旨の行政指導を継続的に行っています(一発で廃院しなさいみたいなことではありませんが「閉鎖病棟」みたいな運営を組織的に廃止してくれみたいな)。

(この話をすると『措置入院』の件や、刑法39条的な意味で「それはマズイだろう」という異論が出ると思いますが、この点は私は欧州の見解とは間逆に「刑法39条は違憲」と判断しており、免罪するのでは無く「法律に従って刑務所送りにすればよい」と考え、等ブログでも表明しております。理由は刑事罰を受ける権利も基本的人権のひとつであると考えているからです。→深いところでは『動機形成論』的に当事者責任を論証可能だと判断しています。)


■<話を戻して本題>
「いやいや、解放型といっても予算的に(ヘルパーさんがつきっきりなど)自宅介護や幼児の自宅保育支援は無理でしょう」というご意見もあるかと思います。
いきなりそういう発想になるところがまた無茶な話。
学校制度で言えば、ゼミや必須科目の語学などを覗き自由選択の講義形式の授業は「解放型」であり、個人参加形式です(「クラス=階級」運営では無い)。
ある程度の大きな枠で保護・保安の体制を構築するがメニュー的なものというか、福祉サービスの内容は「個人選択自己責任であるべきだ」って話です。

(高齢者の生活においても、法的解釈すると「刑務所ルーチン的なもの」は半ば健康・衛生上の判断として一部メニュー化があってもいいが、毎日の食事の回数であるとか就寝時間や運動がどうこうなど個人が好きに選べばよいのであり「組織的にメニューを提供する」形式は根本的に誤りである。)
訪問介護についても、
基本「呼ばれたらくるけど、必要無いなら(仮にその高齢者の状態が相当悪くても)自主的判断に任せる」←こう書くと「遠慮がちな人が次から次と断るのでは無いか」って思われるかもですが(そんな事を言ったら119番が機能しないと思うんだが、、)、住宅の改装や自立補助の予算措置は十分に行い、個人の尊厳を最重視するってスタイルです。

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posted by kagewari at 23:47 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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