2016年04月29日

普遍的エンタメ系シナリオの変遷について

「毎週のように殺人事件→1時間以内にこれが解決(作中では1時間じゃないけど)」
ぶちゃけ、そんな毎日殺人事件に追われる警察署はこの世に存在しません(笑
番組構成以前に「どんだけ犯罪発生率の高い荒れた国なのか」って話です。
昭和の時代劇には、
「毎週、最後に主人公が「テメーら人間じゃネーやたたっ切ってやる」と大立ち回りする連続殺人犯がヒーロー」みたいな人気ドラマもありました(ぶっちゃけ好きな時代劇でしたww)。
『子連れ狼』に至っては、、やめておきましょう。

報道番組、特にワイドショー的な必ずしも報道局作成では無い編成のものほど、
「トップニュースは殺人事件」です。
えー、視聴者意識的には、
「さーて、今日はどんな殺人事件があったのかしら?なんてこと、あら〜酷いわね〜」うんなことになっておりまして、事件が難解だったり、動機がどうしても理解不能だと更に盛り上がります(犯行が猟奇的となればもう大変です)。

人間の考えるエンタメへの期待にお上品なもの期待するほうが間違いだと思いますが、
(所謂7つの大罪だとか仏教哲学における煩悩なんてとっかかりで考えるなら→ビデオレンタルやネット動画サイトの”カテゴリー”見りゃわかるなんてものでございます。悲劇があるんですから、そりゃ鬱もありますよ。)
■『興奮』は(快も不快も区別無く・善も悪も区別無く)全て脳内では「快感ジャンル」
所謂心理学でいうところの「快・不快原則」でありますが、
そうそう、
そう言えば、この話をすると以下のような疑問を呈される方いるでしょう。

「エンタメの代表各、外食の場合”おいしいもの”幻想に関連するから”快感”以外のエンタメが成立しないと言えるのじゃないか?」
ごもっとも、
おっしゃる意味はわかりますよ。
確かに食事において”ゲテモノ”などといって、いかにも不快な食事はエンタメとして一般化しておらず、マニア向けとして細々と拘りのお店でって感じなのでしょう。
そういうこっちゃないのです。
「大人の味」←ここが快・不快を振り分けしているのは『自意識』個人の事情に過ぎず、大きな枠組みとして『興奮』を伴うものは(必ずどこかの誰かにとってそれが快感であり得るところがポイント)、個人的事情で右往左往する部分は脳本体には預かり知らないところですから、脳的には全て「快感ジャンル」なのです。

■言い換えると『興奮』が脳にとって(快・不快判断を超越する)最上位の優先項目となる
つーことです。
(仏教の悟りでも体得しない限り、そこから逃れられる生き物はいない。)
草食動物にとって仲間の死は最優先の情報になりますよね。
(捕食獣には死にやすい草食動物の情報が最優先。)
そういうことです。

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posted by kagewari at 21:34 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

最近のエンタメ系異世界ものシナリオの変遷について

ライトのベルなどにおいて過去の「異世界に飛ばされ系ジャンル」(ほとんどこの業界では無料のweb小説などから後に出版となるパターンも多いため漫画界同様にパクリに関しては寛容で設定などの転用はリスペクトやオマージュとしてバリバリにOK)、
当初は何かの原因でゲームの世界などから帰ってこれなくなってしまい、その原因を探るのも主題ながら「最大の見せ場は現実世界に帰ってくるところ」つー筋書きだった筈なんですが、
「唐突に異世界」だけでなく「タイムリープ系」においても、
昨今現実世界に帰ってくるところは瑣末な問題でどうでもいいらしいです(笑

小説・映画・演劇・アニメに限らず、創作物はなんだかんだと登場人物の視点で語られるものですから(ストーリーテラー的枠役含む)、ドラマ性の無い日常を小津安的に描くほうが例外なので、総じてエンタメジャンルとして何も起きない日常を描いても仕方が無いワケですから、いっそ設定を異世界にしてしまうという禁じ手を用いても物語が面白ければいいのであります。
さて、関連する話に過去記事で「家族が登場しない・仕事をしている主人公が滅多に登場しない」などの分析もやってきましたが、今回は「異世界から帰ってこなくてもいいじゃないか」的な部分を考えてみようと、こういうワケです。

「かくかくしかじかの設定で面白い話」にはその時代の自我がなんとなく思う願望や現実世界への希望みたいなものが現れるのでありまして(そこに不一致があれば面白くないってことになりますから)、所謂「時代の求めるエンタメ需要」を知る手がかりになります。
(※昭和にスポーツ根性ものが流行したとか、所謂ロボット漫画には男の子のマチズモ的投影もあったのだろうとか、昭和ヒルメロ・エロドラマからレディコミの台頭へだとか腐女子の背景やら何気に重要なテーマかなと。)

■トンデモ宇宙論に「世界はプログラムされたシミュレーションに過ぎないのではないか説」なんてのもあるように、現実の客観性などというものに取り立てて実感などありません。
極論すると「寝て起きたら目が醒める保証」など誰にも無いのでありますが、そこは人間に関わらず経験的に視野外・想定外となっているだけで確率的に絶対が保証されるものなどこの世にありません。
さらに「明日目が醒めた世界は昨日と同じか」という検証も誰にもできないっちゃ〜確かにそうです。「唐突に異世界に飛ばされる設定」なんて話も、昭和における「異世界並みの秘境旅行記」と展開的には違いが無いって言えば違いは無いんですよね(笑

ここんところを考える上で重要なのは、
話のトンデモ方向性では”ありません”。
むしろ重要なのは物語としてのリアリティー(現実感)の方です。
たとえば異世界ものでも、飛んだ先の異世界の政治や文化の設定に無理があり過ぎると読者は面白いと感じません(感情移入ができないためです)。何気に緻密に設定されてこそ異世界ものは成立する。
一見空想ファンタジーとしてくくられてるのかも知れませんが(SFなんかもそうであるように)、あたるあたらないの鍵は”リアリティー”で決まります。

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posted by kagewari at 04:55 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

マスメディア権力の世界的凋落

タックスヘイブンのなんとかでちょっと活躍しているようにも見えますが(ウィキリークスばりの検証作業で)、そんなタックスヘイブンの話は誰しもが知っていたことなのだからジャーナリズムが活躍どころかネット時代特有の漏洩無しに無力だった証明みたいなものでして、
ひょうたんから駒で、事実上タックスヘイブン側が信用落とす形で世界的に法的規制が進めば世のため人のため大いに結構な話ですが、世界的にマスメディアが権力としての存在感を失いつつあるのは事実です。

その典型が日本の「叩けば叩くほど政権支持率が上がってしまう」現象であり、
似たような状況にある米国大統領戦でしょう。
(欧州も一般的保守層をネトウヨ扱いするジャーナリズムにネット世論が我慢の限界超えているようです。)
左翼言論特有の『共同幻想』依存が(職業がジャーナリストなのに)甚だしく現実との乖離を派生させ、どうしちゃったの状態を引き起こしている件は各方面で書いてきましたが、
彼らの記事の内容どうこうじゃないです、日本のネット世論で随分昔によく使われた「マスゴミ」的認知が皮肉な事に『共同幻想』化しちゃっているというね、、(この場合権威者からの流行発信捏造幻想的なものでは無く、口コミ情報共有による構造なのでマジものの『共同幻想』です)。

インテリ階層が学閥的と申しましょうか、何気に左翼政治思想に傾倒しがちって流れは日本だけでなく世界的なものです。
2chあたりでそんな姿勢が批判され始めたのはいつ頃からのことだったでしょうね、あまりにも昔からの話なので記憶も定かじゃありませんが、当時のマスメディアはネット世論をぶっちゃけ小馬鹿にしており(それこそヘイトですわ)、
情報弱者にも拡散性のあるSNS台頭で所謂ネット世論的なもののマジもの『共同幻想』化であったり、その反対にネット世論をヘイトしていた左翼言論はそのSNSの”仲間が集まる気持ちよくなる機能”で現実との乖離がさらに捗るというなんとも皮肉な展開になってまいりました。

■ようやく終わってくれました「F氏の報道ステーション」
感慨深いものがあります。
この番組の構造は朝日新聞をバックグラウンドに、エンタメ的にプロレス実況中継で有名なフリーアナウンサーのプロダクションが番組制作するというなんとも歪な「左翼エンタメ報道番組」という奇怪な代物でしたが(同じリベラルでもはるかにオリジナルの「ニュースステーション」のがマシでした)、中身はワイドショーに過ぎないこの番組が庶民を語ったり、左翼知識人の演出で世論を語ったり、まー見るに耐えないアレが乱発し「今日はどんだけ酷いのかチェック」でチラ見しても非常に耐え難い難行苦行なのか、
アフロの愉快な仲間や、ホラッチョネタや、あろうことか元祖ナントカの水道メーター屋が「ほっておけない」とばかりに登場した日には椅子から転げ落ちそうになりましたが(思わず音声OFFにしてしまいました)、それも懐かしい思い出となるのでしょう。

(放置していた左翼リベラル論壇に矜持は無いのだろうかと、、しみじみ思ったものですが。この間某公共放送の9時のニュースに「勘違いした高校球児」が登場するなど酷い時代があったものです。)


■何気に、某公共放送は早めに舵を切り、
そこが発端なのか知りませんが、ネット世論ネタ無しに報道番組なんてものが成立しない時代になってきています(番組構成上ほぼその線ですわね最近)。
かといって、職業としてジャーナリストが不要になるワケではありません。むしろ大変に重要な存在ですし、政治におけるリベラル派の存在もそうです。
現状に多くは望まないけれど(免許制なんですから)社会的・法的責任として「ちゃんとしてくれ」と、、、(現実と乖離しないでくれの意)。
日本の政治においても「反動的保守リベラルが明治維新サイド」「幕府開国派が保守リベラル」みたいな形で自由改革論点は文明化を社会に波及させていく”仕組みのひとつ”なのであり、
本来リベラルが=左翼って意味ではありません(見ようによっては安倍政権もリベラル派です)。

リベラルって基本は自由主義的意味の改革派みたいなことなので、
たとえばですね、
世が保守主義一色だと「蒸気機関が発明された時に、強い保守性から「蒸気様信仰」などの『共同幻想』に及び、電気や石油など技術革新が政治思想的に否定された」←みたいな事にもなるワケで「新しい技術である電気や石油の利用を進めるべく規制改革を」とかのスタンスがリベラルの本旨です。
知見として、所謂一般常識が蒸気の時代に電気などの先見性をジャーナリズム的にキャッチアップしてなんとかかんとかって仕組みが無いと世の中は動かないのですわ。

うーんと、古代文明なんかでも「太陽神のアレが強すぎて本当の趣旨だった天文学の研究が偏る」だとか、社会が保守系一色だとあちこちに無理が出るんです。
そもそも『共同幻想論』的に当該社会が保守系一色って構造からして”あり得ない”話なので、リベラル派の存在は構造論的に「予め織り込まれている」つー事です。

米国歴史などを背景になんとなくそういう事になっちゃったのか、
■「なんとなくリベラル系の言論を左翼が(独壇場と言わんばかりに)占拠してしまった」って方が正解でしょう。
そこを逆算すると→なんとなく(『共同幻想』社会適応的に)左翼になってちゃっている人のかなりの数に「本人確信犯的に左翼思想を選択しているのでは”無い”、左翼的論調はその時に流行に近く中身もよく考えられている話でも無い」という階層が存在するのだろうって事も想像できる→これが学生紛争から後に保守系サラリーマンとなる団塊世代の事。

(※米国政治におけるリベラルの解釈が「社会運動的な方向への改革」が何気に目立つため、「米国特有の公的権力は何事にも介入するな保守系の自由主義と対立」するから、なんだかリベラル=左翼の思想のように思われますが、米国保守系思想の特異性でそうなってちゃっているだけで、語彙というか本来そういう意味では無い。)

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posted by kagewari at 21:35 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

災害においてのメンタル問題(トラウマ論)

■一昨日九州で大きな地震がありました。
被害にあわれた方、不運にも亡くなられた方、お見舞いお悔やみ申し上げます。
このブログでは限定的なものになりますが心理的な部分について記載しておきます。

トラウマ論に発展するか否かで重視するべきポイントは、
「不快興奮や恐怖が反復連続しているか」です。
(勿論一度の衝撃的な体験でも起こり得ますが、メンタル問題に至るには反復連続するか否かが重要な要素です。)

今回の九州における震災がやっかいなのは余震の数が多くその揺れも大きいところです。
かといって現状揺れの少ない場所に避難移動する事も容易ではありません。
疲れているかも知れませんが「情報の確認」ここは必要です。
手がかりとなる情報が無ければ事前の予測・準備というものができません。
次に起きる可能性のある震度や頻度の情報は(忌避する感情があっても)なんらかの形で取得しましょう。
■自治体は(電源等の問題から)まったく情報取得ができない住民のために「避難所における会見」でも、ホワイトボードによる告知でも手段は構わないのでこまめに情報提供に努めるべきです。
避難所にそのまま放置状態となるのを避ける。

避難所などでTVやラジオの情報取得な可能なケースもあると思います
■報道機関は劇場型の救出場面を繰り返すようなことはせず(現在進行系のものは例外ですが)、今後の動向、学術的見解、自衛隊等の支援開始スケジュールなど避難住民にとって関係する報道に努めるべきです。コメンテーターのスケジュールもあると思いますから研究者の発言こそ録画を繰り返し報道していただきたい。

非現実状態の”常態化”も避けたいところです。
避難場所で日常性を取り戻すのは容易な事ではないと思いますが、無理をせず最低限の日常性を決め「寝ることが難しい場合には、しっかり起きる時間の確保を優先する」「少しでも屋外を歩く」など(自身に合った)一定水準の内容でも日常性を回復させるよう努めましょう(お子様いる世帯は単純なもので構いませんから”遊び”に関わるような時間を設けられないか考えてみてください)。

■ペットを飼っている方、とても大変な状況にあると思います。
他避難住民の方の苦情を心配して「ペットだけは車に」という飼い主の方もいらっしゃるかも知れません。大変だと思いますがそのまま放置する時間が少ないように配慮してください(飼い主サイドのメンタル的にもその方がベターです)。
言葉による情報が完全に伝えられない分、ペットの抱えるストレスはどうしても大きくなります。
それでも、情報はその都度言葉で話して伝えてあげるのがベターだと思います。
トイレの砂などが全く入手できていないと思います。昔ながらの方法ですが「土、砂利」など現地調達など工夫して可能な範囲で環境整えてあげてください。
前述同様に、最低限の日常性を決めて一定水準でも日常性を回復させるよう努めましょう。

心理的な不安や興奮状態が反復連続継続するのは避けたいです(それが永続してしまうかのように脳が錯覚してしまう可能性があります)。
できることに限りはあると思いますが、可能な範囲で留意いただければと思います。


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posted by kagewari at 22:14 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

切り分け論

どういう懸案事項を解決するにしろ、最も優先されるのが「問題の切り分け」です。
その反対が「何もかもあれもこれも」って奴ですね(文字通り収拾がつかなくなる)。
後者は依存性を冗長する形で後だしじゃんけん的にいくらでもその場で増殖可能です、故に際限がありません。
何かの希望条件のアンケート調査で思いうかべてくれるとわかりやすいと思います。
「うーん特別希望とかないです」
「では、お金に上限が無く、今1億円自由に使えるとしたらどうですか?」
(似た事例に「今あなたがこの国の独裁者で何でも自由に決められるとしたらどうですか?」)
このような聞き取りで集めた情報に意味が無いのはご理解いただけると思います。
 ↑
いちおうこれらの設問がある程度有効だったのは、
『共同幻想』適応系の度が過ぎて、全く本音を聞き出せないケースがあるため、社会適応の枷というべき階級・階層的条件(身の程知らずの”身の程”って奴)これを解除したら本音が聞けるかなって試みに始まったものですが、
そういう投げかけだと枷が外れて『単独者』的な意見が出てくるみたいな都合のいい話は無いんですよね。このスタンスの投げかけは「依存性(幼児退行)フラグによる誘引(誘導)」となるので、聞かれた側はなんだか必死に”お願いできるもの”を探して答えるだけで、(好き勝手に自由意志を表明しているとう意味ではないため)聞き取りした結果を「これが本音だ」みたいに語られても違ってきちゃうワケです。

誰にでもあることですが、
心理的にストレスかかっているとか、過労ぎみだとか(或いはメンタル問題があるだとか)、
ナチュラルに退行寄りな状況にある時「通常では思いもしない無理難題を言ってみたくなる」のが人間ってものでございまして(高齢者における退行も同じ)。
(悪循環的意味で)その気になって調子が出てくると「あれもこれもとポンポン出てくる」ものですが、これは本音ではありません。
「何もかもあれもこれも」な依存的状況にはめ込んでいる(或いは落とし込んでいる・落とし込まれている)だけです。

■何か懸案事項があって、『自意識』頭ひねって解決策を考えようって時、
いやいや依存性助長しているみたいな話に”ならないように”、話のついでに出てきちゃっているような部分をバッサリ切り分けするのは西友じゃありませんが基本の”き”です。
(メンタル問題における自己防衛的な『妨害』が発生すると、幼児退行そのままに「あたかもこしゃまっくれた小学生の言いそうな」状況が出る時あります。「だったらこれもあれも解決するんでしょうか?私の憧れの○○△□に絶対なれると保証できるんでしょうか」、、、みたいな、、。)
つまり、つらつら語られる希望条件的なものをそのまんま真に受けると懸案事項や問題の解決どころか、ありがた迷惑な方向性で話が余計にこじれます(派生部分の話までいい人気取りでそのまんま聞いてちゃいかんのです)。
ぶっちゃけ懸案事項や問題解決の試みどころか、話が斜め上に現実と乖離していくだけですから。

喧嘩の仲裁やってる時なんかにお巡りさんが言うじゃないですか、
「まーまー落ち着いて、落ち着いてから話そう」
話を広げる方向にいっちゃっている行為は、行為そのものが紛争を荒れされることを意図しているのに等しいので、まずそこをストップさせなきゃいけない。
「なんてか、そこは関係無いでしょう」だとか「いやいやそこの話はまず最初っから無理筋(本人も状況がこうでなければ普段そんなこと思っていないでしょうに)」のように。

■<微妙なポイントが出ているので>
話をここに絞ってみます、
ここです。
 ↓
話を広げる方向にいっちゃっている行為は、行為そのものが紛争を荒れされることを意図しているのに等しいので、一番最初にそこをストップさせなきゃいかんワケです。
 ↑
これね、退行現象の典型、
小学生ぐらいの年齢で(勿論基本属性は依存系です)、何か面白くないことがあって興奮から言う事が話を広げる方向いってちゃっう時でよくある話です。
「何々すればいいとかって、それやったらエベレストにも登れるんですか。」
みたいな、、。
メンタル問題には退行化が関係しているので、あれも問題これも問題(その反対は「それができてあたりまえ、これもできてあたりまえ」であることが何故か認識されない)みたいになりがちなので、

●退行化や依存的認知を無効化(それこそ”切り分け”)するために
心理学には「この世にどうでもよくないことなどない法則」って原則論があるワケです。
(岸田心理学においてなので、厳密に言えば学術的に総じて全ての心理学においてなる意味にはなりませんが、岸田教授の見解は『唯幻論』においても『共同幻想論』においても、フロイトの快不快原則を「言うならば的に説明しただけ」なので、新設を加えた話じゃない。)

そして本当の自分なる概念の原則「好き勝手に自由に考えている状況か」ってところから言えば、あー言えばこう言うみたいな興奮状態ってだけでもうNGですから(その様がもう強迫的なのだから)。

■案外問題のコアとなる要素ってのはシンプルなものだったりするものです。
逆さに言えば(切り分け論的に)メンタル問題に限らず、あーでも無いこーでも無い状況の時には「案外どうでもいい事に振り回されている要素が凄く大きい」とも言える。
(※この辺って”ゴミ屋敷問題”などもからめて俯瞰で見れば「際限なく拡大する様」ってものが別角度で確認できると思う。)


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2016年04月06日

自己分析について「主体はひとつか」

(※自己分析の危険性という話の背景事情として、用も無いのに『共同幻想』適応系人格な人がフロイト心理学や精神分析関連に接すると通常は自我構造上の事情から「無理解と防衛的批判」で終わるところが、意固地に理解しようとすると危険な場合があるのは各所で書いてきているのでここでは省略します。)

『単独者』系人格タイプや、メンタル問題を発現している自我の場合「論理的に精神分析などに耐性がある」と考える事ができると同時に、心理学の書籍などを読んで自己分析に至る場合も少なく無いでしょう。
(てか心理学が好きだったり接点ある人は「何らかの角度なりで自己分析をする」でしょうよそりゃ。占いの本読む人が真っ先にやる事何かって大概が”自分の占い”でしょうからね。)

さて今回は自己分析単体をどうこう話のネタにしようってのではありません。
某2chのネタになっていた「哲学科の友人が面接でブチ切れ」みたいな話が面白かったものだから、
統合上の問題も何も「自我論としての主体はひとつなんだろうか」ってテーマで考えてみようって話です。
(就職の面接で担当者から自己分析の項目は気軽にこたえてくださいと言われてたが哲学科の友人は「気軽にに自己分析など出来る筈が無い」とブチ切れしたみたいな話。)

■「自我における主体は『自意識』ひとつだけか」
結論「違います」。
これで終わってしまっても仕方が無いので、えー心理学的に説明しましょうか。
個人の特定というか、考える人は『ひとつの自意識』なので自覚される主体としての自己はひとつですが、ハムレットにおける脳内の善悪の人じゃないけれど昔から”中の人”の設定は必ずしもひとつではありません。
いつの時代の小説でも、
「その時、もうひとりの私が」なーんて台詞登場するじゃないですか。
以降は心理学のメインストリームからも若干外れる個人的推測も含む話なので(勿論個人的には推測では無く鉄板でそうだと思っているワケですが)、いちいち細かい事気にする人は今回のエントリーはスルーでお願いします(笑


■殊更哲学的な意図のカオス論をどうしようとも思いませんが(てか哲学におけるカオスなんとかのことなど知りもしませんが)、自我は常に統合されている存在かと聞かれば『否』であり、常態は場当たりカオス(混沌)状なのだろうと思っています。
ですから私はジキルとハイドのような多重人格みたいな話を「ほぼ全般的にマユツバである」と考えており、そもそも『共同幻想』適応系人格な人など「日常的に複数の人格を自由自在に操る人(お父さんになったり課長になったり飲み屋では社長になったり)」ですが、果たしてその統合も案外ちゃらんぽらんだと思っているのです。
(※それが多重人格として観察される理由は別のところにあると考えてます「統合というより辻褄だとか整合性の問題でしょう」。)

自分で言うのも何ですが、
文章など書いていると、そりゃ随分昔に書いたもののことなど詳細に覚えている筈もありません。
原稿の中にはその都度調べてる部分もあるので余計です。
で、時に何かの事情で過去自分で書いた記事を読むことありますが、
「この人面白い事書いているよ」と心底本気で思ったりします。
おおよそ自分が書いた自覚などとうの昔に失っているってワケです。
(※この現象「卒業文集に何を書いたか」ネタとして多数の方が体感されているものだと思います。)
んなね、完璧な自我の連続性なんてものがありますかっての、
「ある筈が無い」
(だいたいが飲み屋の話をすっかり忘れている人はどうすりゃいいのさ。)

■確かに自分だと自覚されている『自意識』はひとりです。
しかし、その時その時の自分ってな優柔無碍と申しましょうか都合のいい使い分けが誰にでも可能であり(その使い分けができなければ構造的に人は嘘がつけないことになる)、
統合失調ってのは「適当な事情でいい加減に自我を使い分ける事が”ある意味できないから”こそ問題として自覚されるのだ」と考えてます。
「そういう使い分けは許されない!」みたいなさ(ある意味強迫心理なワケだが)、

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posted by kagewari at 15:56 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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