2016年02月21日

『国際情勢』 やはりそこ「皇帝病的側面」に備える必要はあるでしょう

特別に皇帝病などという用語があるって事は無いのだが、読んだまんまで、心理学が認識しているメンタル問題事例は原始時代から封建社会以前は「皇帝クラスの特権階級にほぼ限られる話」だったと推定される。
その理論的背景は、
権威主義やら子供の養育環境としての帝王学的バラつきやら当時の特権階級が現代社会の先進国メンタル事情と似たものだからだ。
一般庶民については、根本的なところで言うと原始時代など生死のギリギリの生存環境ではメンタル問題は発生しない。→自我構造的にも高度にロジカルって事も無いし(表記文字の無い文明もあった)「強迫心理やら現実との乖離だとか反動形成やら権威性認知の問題だとかやれ社会適応など」もろもろの背景事情は少なくとも生存競争において先進国水準の生活安定度が無ければ一般庶民階級には生存環境として存在していなかったから(暴論覚悟で言えば「自我の性能的にやれ自分がどうこう悩む能力や活動背景が無い」)。
少なくとも「識字階層」においてナイーブな自我的振る舞いが台頭するのは紫式部以降でしょう。
※特に自我関連は識字率との関係はかなり深いと思う(言語学的にも)。

漠然とした印象論としても「戦前軍国主義下の大日本帝国で職場プチ鬱がどれほど発生したか」みたいに考えて「現代と変わりなく多かっただろう」などと思う人はいないのであって、
そもそも論として、心理学などが「学問としてのニーズ」ってところかどうなのと考えれば話が早い。
心理学の仲間と言っては何だけれど、哲学なんて代物の始まりからして有名どころだと「ギリシャ哲学」てな事になるけれど、勿論それが”始められた”背景には、都市国家として当時突出したギリシャとその中でも特権階級として君臨する貴族自由人の存在あっての話。

これに対して、原始時代は「シャーマニズム」などの信仰が存在するのだが(ネアンデルタール人ですら遺跡に葬儀の痕跡みたいなのが確認されている)、災害などに起因する自然の驚異と相対する人類の(自分の生命の)ちっぽけさって関係に応じたもので、簡単に言えば生き残る事に忙しくて「やれ自分の事象がどうした」など考える余裕が無い(平均寿命からして30代以下だったりする)、→「自我的な生活の出番が少ない」「自我を使ってなんとやらする機会も無い」、自然災害以外で思い悩むようなネタを持っているのは皇帝などの特権緩急に限られていたってな話です。

それとは別個に皇帝病なる代物が派生する背景を考えると、
当該自我が「マジに凄い権威性認知」「本物の特権階級」などなど、現代メンタル問題より更にタフな”現実になってちゃっている”環境に直面し続けるって事情がある。
そこはそれ、
官僚や議会対策でがんじがらめで大変な方が権力者のメンタル問題リスクは”下がる”。
故に、現代民主主義国家の場合はそれほど皇帝病のリスクは高く無い。
更に、王権みたいに”伝統文化的に”世襲のルートが明快であれば(これも外堀を軍や官僚が埋める系になるので)ある程度は抑制できる。

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posted by kagewari at 20:00 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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