2016年02月25日

前に一度紹介した「田舎掘っ立て小屋自給自足」の派生形でしょうか

確かそんなネタを過去記事に書いた記憶があります。
ええ、田舎の凄く安い土地を買って自力で家を建てちゃうエコライフな話です。
(住まいの心理学の話だったらゴメンなさい。)
それと似たようなベクトル上の話かなと思います。

あくせく働かない“山奥ニート”増殖中…新しいライフスタイル?自由気ままに暮らしたい
http://www.sankei.com/west/news/160215/wst1602150007-n1.html

素晴らしい”なりゆき”だと思います。
一部引用させていただきますと、
「最低2万5千円あれば、ひと月暮らせる」と石井さん。家賃が必要ないのが大きいという。しかし、近所の手伝いだけでは生活費が不足することも。そんなとき、メンバーは“出稼ぎ”に出るのだという。
地方の観光地やリゾート地で短期間のアルバイトをし、必要なだけ稼いだらまた山奥に帰ってくる。この日も4人のうち1人は出稼ぎに出ていた。「なくなったら稼げばいい」。石井さんは笑顔で話した。

『引きこもりから卒業』
実は「特別田舎暮らしが好きというわけではない」という石井さん。「できれば都会と同じように暮らしたい」といい、持ち込んだパソコンでインターネットを利用している。ネットがあれば、山奥でも必要なものはたいてい手に入る。「(ネット通販の)アマゾンを使えば2日で届く。ネットさえあれば、実際暮らせますよ」と笑う。
また、住人で漫画など娯楽をシェアすることで、暇つぶしも共有できる。「しゃべらないけど気にならない。もともとみんな1人が好きなので」

「こうでなくちゃいけない」

(唐突にやれ職業訓練だなんとかだってなるほうが偏ってんですよ。予算ばかり食ってそこで官僚のポストができちゃったり、、業界団体がどうしたこうしたになっていちゃアホなんですかっての。)
勿論そんなスローな生き方が殊更なんとやらって話をしているのではありません。
「そういう選択肢もある」ことも自然だって意味です。
(関連報道にはネットの意見として国民年金保険はどうなっているのかなどの話も出てきますが、記事中の金額とはアレですが、国民年金だけで余裕だというスローさが記事の主題でありポイントでしょう。現行でも基礎部分である国民年金の半分は国庫負担であり、未納問題で明らかなように消費税の動向によっては将来100%国庫負担となる可能性も有力です。)

そんな「自由な空間だからこそ斬新なアイデアが」出てきたって驚きません。
記事中で彼らは「希望を言えば都市生活志向」と触れているように、社会との接続においては貪欲であって(山奥ニートはあくまでも戦術)、世捨て人のノリじゃありません。
『共同幻想』的な予定調和の延長にある強迫的な社会適応に対するアンチテーゼとしてのアレですから。
社会的成功みたいな努力目標がある生き方も大いに結構な事ですが、「”幸福な姿”に雛形があったり、部外者が努力目標を課す」みたいな話になってしまうと「目標と手段が逆さま」ですから文字通り本末転倒です(怪しげな新興宗教じゃあるまいし)。

幸福の形なんてのからして100人いれば100種類あります。その誰かの幸福がどんな姿なのかなんて誰にもわかりゃしませんよ。
(昭和サラリーマン『共同幻想』系スローガンのひとつ「一国(一石)一城の主幻想」にしたって、どんなマイホームを思い描くのかってプライバシーエリアに関しては100通りだった。)

話の流れ的に(今回のアンチテーゼな話を受けて)、
次回から「『社会適応』とはなんぞや」的な話に転じてみましょうか。


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posted by kagewari at 23:26 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

『国際情勢』 やはりそこ「皇帝病的側面」に備える必要はあるでしょう

特別に皇帝病などという用語があるって事は無いのだが、読んだまんまで、心理学が認識しているメンタル問題事例は原始時代から封建社会以前は「皇帝クラスの特権階級にほぼ限られる話」だったと推定される。
その理論的背景は、
権威主義やら子供の養育環境としての帝王学的バラつきやら当時の特権階級が現代社会の先進国メンタル事情と似たものだからだ。
一般庶民については、根本的なところで言うと原始時代など生死のギリギリの生存環境ではメンタル問題は発生しない。→自我構造的にも高度にロジカルって事も無いし(表記文字の無い文明もあった)「強迫心理やら現実との乖離だとか反動形成やら権威性認知の問題だとかやれ社会適応など」もろもろの背景事情は少なくとも生存競争において先進国水準の生活安定度が無ければ一般庶民階級には生存環境として存在していなかったから(暴論覚悟で言えば「自我の性能的にやれ自分がどうこう悩む能力や活動背景が無い」)。
少なくとも「識字階層」においてナイーブな自我的振る舞いが台頭するのは紫式部以降でしょう。
※特に自我関連は識字率との関係はかなり深いと思う(言語学的にも)。

漠然とした印象論としても「戦前軍国主義下の大日本帝国で職場プチ鬱がどれほど発生したか」みたいに考えて「現代と変わりなく多かっただろう」などと思う人はいないのであって、
そもそも論として、心理学などが「学問としてのニーズ」ってところかどうなのと考えれば話が早い。
心理学の仲間と言っては何だけれど、哲学なんて代物の始まりからして有名どころだと「ギリシャ哲学」てな事になるけれど、勿論それが”始められた”背景には、都市国家として当時突出したギリシャとその中でも特権階級として君臨する貴族自由人の存在あっての話。

これに対して、原始時代は「シャーマニズム」などの信仰が存在するのだが(ネアンデルタール人ですら遺跡に葬儀の痕跡みたいなのが確認されている)、災害などに起因する自然の驚異と相対する人類の(自分の生命の)ちっぽけさって関係に応じたもので、簡単に言えば生き残る事に忙しくて「やれ自分の事象がどうした」など考える余裕が無い(平均寿命からして30代以下だったりする)、→「自我的な生活の出番が少ない」「自我を使ってなんとやらする機会も無い」、自然災害以外で思い悩むようなネタを持っているのは皇帝などの特権緩急に限られていたってな話です。

それとは別個に皇帝病なる代物が派生する背景を考えると、
当該自我が「マジに凄い権威性認知」「本物の特権階級」などなど、現代メンタル問題より更にタフな”現実になってちゃっている”環境に直面し続けるって事情がある。
そこはそれ、
官僚や議会対策でがんじがらめで大変な方が権力者のメンタル問題リスクは”下がる”。
故に、現代民主主義国家の場合はそれほど皇帝病のリスクは高く無い。
更に、王権みたいに”伝統文化的に”世襲のルートが明快であれば(これも外堀を軍や官僚が埋める系になるので)ある程度は抑制できる。

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posted by kagewari at 20:00 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

「恐怖症」のあれこれ

「○○が怖くて何がいけない?」なら何も問題ありません。
更に、それがアレルギーの対象なら生理的に好ましいことです。

恐怖症の原則論は100%「機会的に慣れていない事」です。
どうしてもその機会がある「歯磨き」などに恐怖症はありませんが、歯磨き不慣れなペットであれば「歯ブラシ恐怖」もあるかも知れません。
だいたいの恐怖症は「どっちでもいいような機会において起きる」ものです。

※「視線恐怖症」の人はそんな事無いと思うかもですが、そもそも「視線恐怖」の人は自分と社会との関係性という概念から能動的行動選択となっておらず(社会適応そのものに対する主体的考えが曖昧なままであるとか強迫的であるなど)、仮に「俺は人間嫌いだから都会生活とかが元々嫌いなので人口少ない地方で自給自足するのが夢です」となっていると通勤が苦手でもパニックにはならない。
●一般に知られる恐怖症とメンタル問題が並列に発現している恐怖症は中身が「違っている」のですよ。
社会との関係において「どっちにするのか深く考えていない」だけで(或いは本音で考える行為そのものが強迫心理などで思考停止している)、その準備不足ある意味「現実との距離増大」が結果としてメンタル問題を呼び込んでるのであって、一般的な単なる恐怖症だけなら=「場合によっちゃどっちでもいい機会」に起きるものなので特段メンタル問題と”関連しない”。
「視線恐怖」があっても「迷わず『共同幻想』社会適応オンザレールな人生」で”無い”のであれば→「機会としてどちらになるのか未定(誰も彼もが社交性に秀でている必要など無い)」のですから、機会的にどちらでもいいことだと認識されていれば、「いやあ他人が近いとか苦手でいつもサングラスです」などの個性化へ関連することで本人OKである場合も少なく無い。
(重要な事は、恐怖症がパニックなどのメンタル問題と関連するのは”別問題である”ってとこです。)

■「機会的に慣れちゃう関連項目では恐怖症は発生”できない”」。
恐怖症となるためには、「怖い事が起きるイメージ(非日常的確率)」が必要ですが(もしこうなったらどうしよう)、慣れちゃっている”習慣”に「レアで起きる失敗を凄く意識する」ことは無いからです。←てか習慣とレアが矛盾するので日本語として成立していませんわね。
 ↓↑
「失敗が習慣化している」=「あんなに気をつけようと思ってもまたやってしまった」←これは恐怖症の様子ではありません(注意力散漫→それこそ「他の事が気になっている」のですよ)。
結果失敗の多さから意識過剰で余計に失敗続きって事例はありますが、勿論これは恐怖症ではありません(この場合は「むしろ何に失敗しているのか」が誤解されている)。

結論「どっちでもいいような機会において起きるので、不慣れである」のですから、
大概の恐怖症なんてものは『歩留り選択』などで、苦手だとか嫌いなのであるといっちょあがりになっていればもう個性なのでどうでもいいことなのですが、

●問題になるのは以下ようなケースじゃないかと
「その恐怖症があるばかりに、更に上位の欲求が阻害されている。」
「結果どうしたって恐怖症の機会を意識してしまう。」
 ↑
そもそも”更に上位の欲求”って本当なんだろうか?
「あこがれのとび職だったのに、高度恐怖症があるからなんとかだ」←これじゃ前述の話になりません。「あー残念だ」で終わりだからです。「どうしたって恐怖症の機会を意識する」事になりません。
「対人恐怖症なのに、接客業務に配置転換になった。このご時勢なのでそれを機会に転職というワケにもいかず毎日が大変だ。」←これでも前述の話になりません。機会が増えるのでどうしたって慣れてくるからです(重要なポイントは接客業なんてものは対人接客ばかりが重要でもないですから)。

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posted by kagewari at 22:15 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

『被(こうむる)』の諸問題(2)

>■などなどつらつら書いていると、
「幼児期の自我に原型があると言うが、そんな事なら子供の自我は全員大変なメンタル問題になっているのでは無いか?」などいう疑問を持たれる方いらっしゃるでしょう。


そのまんまです(笑

■泣き叫んでいる子供相手に途方に暮れている親の姿なんて日常の風景です。
地下鉄で絶叫している幼児を姿形だけ大人にして職場に出勤させたらどうなります?
「ちょっと大丈夫ですか(2chならお薬足しておきますね)」になりますわね。
子供の自我は「親権という特権と幼児の権利の法的制限」の枠である意味『共同幻想』的に(端的に言えば通学の除きひとりでは表に出せない人物と)管理されているのであり、仮にその状態で大人の姿なら「全員が明快なメンタル問題自我です」。ええ、そのまんまで。

逆に言えば親の特権や相対的権威性を付与するために「恣意的に問題のある自我に据え置かている」一面もあります。
理由は簡単です。
近代以降設定された「親権」なんてものは特別な教育を受けた訳でも無い親世代にとって「かなりの無茶振り」であり(親は全員保育師や教職資格だとか無いので権威者として振舞う知見も教育も無いのですから)、権威者として振舞う能力の無い親世代に半ば無理やり”偉っぽい権威付け”を行う必要があります(盲目的に子供が従うような)。
つまりR15指定じゃありませんが、子供は情報取得にも制限がかけられ「どうでんぐり返ししても親に劣る姿」を法的に強制されます(なので保守派は様々な媒体を成人指定したりやっきになる)。
●今回のシリーズ初回に触れた「高齢者の収容型介護の問題」とまったく同じ。
上記の制度は子供の心理状態を依存性に追いやる事を”意図”しており、子供自我は『被(こうむる)』スタイルを半ば国の制度により強要されるんです。
(覚醒が早く勘の鋭いませた子供は「自分で意識的に”子供っぽい”振る舞い」を演技でやりますから。)

※また『原始共産的な共同幻想』においては、必ずしも子供の養育権が親権というものに集約されてないし、そもそも家族などの家制度の概念からして存在しない(勿論子供の自立年齢も早い)。封建時代は「階級制度的な枠組みの中」人権の概念しら存在しないが、こちらも子供の自立年齢は早い(長男以外は子供年齢のまま売り飛ばされたり丁稚奉公などもあったので「とても早く親の手を離れた」側面もある)。

■子供特有の泣き叫ぶアレなんて「認知の過剰化、現実の乖離そのまんま」です。
主人公主観も子供全般に言える傾向でしょう。
ある意味、そんな不当な状況から「60年代の権利獲得闘争」のように子供自我には『反抗期』が発現し(応じた年齢で法的制限も外れていく)、冗談じゃないと大人になるのが『近代から現代の子供の成育環境』です(その際親世代の言動に無理があったりする事も反抗期を促すから丁度いいだろう的理解だったりする)。

果たして近代以降の子供に対する権利意識がいかがなものかって論議はひとまず置いておくとして、
いずれにしても乳幼児には自活する力ありませんし、宇宙のどこかでは子供を親が育てたりしないよって惑星があるかも知れませんが、慣習的にもいきなり親の親権剥奪が国の政策で行われるとは思えません(実のところ保育園・幼稚園の充実は「間接的な過剰な親権の制限狙い」なんですけどね)。
子供自我を半ば狙って(大人であれば)メンタル問題のある自我に追いやる育児がそう簡単に変化することは無く、生物学的にも「生殖能力獲得以前に完全な権利付与を行えば”性的能力欠如の問題”を織り込まなければならない」ためそれはそれで無茶な話なんです。
●ここでは子供の育児環境をどうするとかの場では無いのでこの話はここまでとして、

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posted by kagewari at 18:58 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

『被(こうむる)』の諸問題(1)

メンタル問題における「自我スタンスが『被(こうむる)』状態に陥る」って図式は、幾度と無くどころかいたるところで解説してきました。
(※この用語は独自に説明の利便性から使っているものですが岸田心理学において『共同幻想論』全般の中で”認識が共有されない場合”の解説として示唆されているものですが、某心理学のアダルトなんちゃとか甘えのナントカなどとも似た着想の説明上の”略号”です。)
前回の『深刻さ設定』認知シリーズの補完です。
■「『被(こうむる)』か『抗(あらがう)』か」

各所解説にあるように、この略号の中身って言うと、
『被(こうむる)』=パッシブ・リアクション・受身・被害認知・依存性
『抗(あらがう)』=アクティブ・主体的行動選択・攻撃的・能動認知・独立性
などなど、
基本中の基本があやふやな方もいるかと思うので「主に『被(こうむる)』心理」の説明を主眼にちょっと掘り下げておきましょう。
(『共同幻想論』まで話が及ぶとえらい大変な事になるので、ここでは簡略な説明に留めます。『共同幻想論』は過去エントリー各所でかなり突っ込んだ解説やっているのでそれらを参照の事。)

■前述の各言語に関連付けられる概念を更に補足するところからいきましょう。
▼『被(こうむる)』=認知速度として被害認知が先行する
△『抗(あらがう)』=認知速度として外的事実認定を優先する
時に臨床系が「被害妄想」なんて言葉でまとめちゃう場合もあるので、アレなんですが、妄想も何もそういう認知は「誰にでも」あります
そんな「誰にでもある」認知が何故問題化するのかって話です(それだけなら過度でもせいぜいが『視野狭窄』)。
彼らの言うところの「被害妄想状態」ってのは、被害認知速度関連の状況において「認知のエスカレート・現実との乖離」が甚だしく進行した状態と考えればよい。
『認知速度』ってのはですね、
たとえば「眩しいのが苦手な人」が屋外に出た時に(今日のお天気は眩しいだろうかに強い関心事項があるので)「いやあ今日も眩しいぞ」なんて言ってる間に足元の犬のウンコを踏んじゃったみたいな話で、既にちょっとした『視野狭窄』になってますよね。

或いは「色的に青に強い反応ある人」が、アパレルショップで「あまりにもお気に入りの青があった」と喜んで(本来購入目的ジャンルの衣類を失念し)、帽子を衝動買いしてしまったみたいな話でもあります。
更に「肉に目の無い人」が、昼飯時に(昨日の飲み会で胃もたれしているってのに)うっかり「カツどん頂戴」と言ってしまう瞬間の認知現象でもあります。
はたまた、「趣味はバードウォッチングだ」な人が、都会生活通勤時に通常誰もみつけられない小鳥を次から次へと発見し「あ〜もうナントカ鳥の渡りの季節なんだな」と同僚誰一人理解できないワビサビを味わっている様も同じであります。
 ↑↓
勿論のこと「やれ頭がおかしい」みたいな話と”まったく関係無く”ありません。ましてや「被害妄想」などの妄想話でも無い(認知症の「お財布盗まれた事件」も結果論であってそういう”妄想”が固有に存在するのでは無いと考えます)。

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posted by kagewari at 15:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

エスカレートの構造 発端となるトラウマ論(補足)

想像するにシリーズ前回記事以下のくだりがイマイチよくわからない人もいるでしょう。
 ↓
>ここまでを踏まえて、個人心理学としての自我の『深刻さ設定』回避を考えると、
鍵となるのはやはり「トラウマ論」なんですよ。
人類の耐性として、現代人であれば「ここも極論ですが、怖いもの無し」の筈なのです。
どっかこっかに必ず「いやいや、それはこうだからで、そうだから(深刻さ設定)じゃないんだよ」の答えはある。
しかし、誰にでも起こりえることですが、
「諸般の事情で、その時凄く切羽詰っていた」「関係他者から強烈な圧力があった」「トラウマ論の事象とは別個に個人的なコンプレックス事項があった」「トラウマ論の事象とは別の背景で当時興奮状態にあった」「快感原則的に欲求不満状態にありトラウマ論の事象が興奮代謝に関連付けられてしまった」などなど、、、。
(その時の諸般の事情を解決するとかの話じゃありません。その時に諸般の事情で無理やり筋立てした『深刻さ設定』みたいなものがあることを発見する事が解決の鍵なのです。)
●結論「その時には無理だった(深刻さ設定もやむを得なかった)」

>心理学の有用性ってのは、諸般の事象の発端となるところへ遡る分析が可能ってところに尽きます。
(よく似た学問の経済学が、経済の破綻事例などを遡って発端となった政策やらに辿り着くのと同じような話です。「バブル破綻がえらいことになってしまった原因の発端は”総量規制”だった」みたいな分析です。)
重要なポイントですが、「目先の現在トラブっている個別事例を解決しても何も意味は無い」←この状況を派生させている心理構造が別にあるのであって、そこの始まりに戻って「最初の『深刻さ設定』のネタバレ解体」に至らないと、単なるもぐら叩きに終わるからです。
認知症で「私の財布を盗んだのね事件」の時に、財布を見つければ解決だろうって話じゃ無いよって事です。

 ↑
ベタでわかりやすい補足事例は「醜形恐怖の悩みは整形手術などで全く解決しない」みたいな話。
(コンプレックス部分だけは解決しても問題の本質は解決しないのです。)
ちなみにですが実際に『美形恐怖』みたいな実例すらありますからね。
この場合は常に職場でセクハラを受けてしまうみたいなネタが(更に職場の他女子のやっかみで大変なイジメを受けるだとか)、複数回の転職中に100%の確率で展開し、、、みたいな話に及びます。
何を発端に、当事者が何に”認知速度的に着目するのか”など別にして、心理現象としてコンプレックスとなる背景の方が本丸なんです。←コンプレックスってのは自分で自分に貼るレッテルのように選択されている一面があり、「このネタが底打って使えなくなったら次のコンプレックスはこれ」のように乗り換えが可能なんです(それが”無意識的”に行われてしまう)。

■てなわけで、発端となるトラウマ論の心理的対応部分をより詳細に考えてみましょうか。
重要な鍵は「こうだったからこうなったのだ」という『深刻さ設定』のストーリーが結果として、トラウマ級だと反応が起きた事象を「それは本当に大変な事件だ」と裏書き追認してしまう部分です。
 ↑
と、書いてもまだピントこないでしょうか。
たとえばの話、
・しいたけが凄く苦手な人がいたとします。
身近な人はそれを知っていますが何かの集会で出た料理にしいたけが入っていた。苦手な人は「ウワっしいたけが」とその会食が大惨事になった。勿論”被害者”にとってそれはトラウマ級の出来事になるかもしれませんが、そこで起きた事は「料理にしいたけが入っていた」というなんてことのない(しいたけ好きな人には大歓迎な)出来事です。
そんな事件の後に、被害者が「トラウマ級の不安」から逃れるために「私のしいたけ嫌いが会にまったく知られていないことが原因だ、私はこの会で孤立しているのではないか」みたいに考えてしまった場合、「私を仲間はずれにしてイジメがある」てな展開もあり得るし、反対に「事あるごとに会に関わるイベントに顔を出して過剰な自己顕示を続けなくちゃいけないんだ」な展開もあり得るし、「自分の容姿が地味だからこんな事になったのではないか」と過剰に流行を気にしたり、、。
いろんな形で(100人いれば100通りの)「現実との乖離可能性」が派生するんです。
更に、
しいたげ嫌いどころか、その食品がアレルギーで致命的なショック症状を引き起こす個人的事情があったとしたら?話は本当に”深刻”になります。→前述と同じ心理があった場合→実ネタとして深刻になればなるほど『深刻さ設定』に起因する認知の斜め上可能性は高まる。
必ずしも比例するような数学的方程式はありませんが、トリガーとなる事実関係が当事者のツボにはまるとかすると(地雷を踏むとか)、ドーンと現実との乖離も活性化する。
「誰かが私の命を狙っているのだろうか」
この当該人物の人格傾向としてそういう『深刻さ設定』のアレがあるのであって、仮にこの人物のアレルギーが何かの拍子に治ってしまったとしても「本質的問題は解決しない」のです。←実ネタとしてのアレルギーだけが強い心配事として存在してもそこに『深刻さ設定』が無ければアレルギーの治癒によってスッキリ実ネタとしての心労も解決しますが、今回のテーマは『深刻さ設定』ですから。

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posted by kagewari at 22:23 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

国際情勢にどえらい噂話がいくつか出ている

ヤバイよヤバイよかなりヤバイです。
【スクープ最前線】米、東アジアで異例の軍備増強 北朝鮮急襲「Xデーは2月末」の衝撃情報
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160127/frn1601271140001-n1.htm

 ↑
勿論これは怪情報の域を出ませんが、軍関係から出ているってことは「そんな想定の作戦シミュレーションぐらいは当然やっている」という事で、上記報道は「今年はそこんとこの作戦含めての演習やりまっせ」という”噂”なのでしょう。
何がヤバイってね、
再三北朝鮮が米韓軍事演習をやめてくれと訴えているのは「本当に軍事侵攻があったら怖いので、全軍挙げてその対応配備が必要」となり、その予算が半端無いので困るっちゅう事なんですわ。
その演習で、作戦的には「核ミサイルと体制破壊目的の大規模爆撃訓練もあり得る」となればですよ、北朝鮮が本気でビビっちゃってあられも無い事になる可能性も出てきちゃうんですよ。
(とにかく演習やめてくれと、根拠も無く「米国の某都市に狙いを定めた核ミサイルの発射準備をするぞ」とか言い出した日にゃ、ホワイトハウスも洒落にならない話になります。)

勿論そんな事情は米軍も百も承知です。
なのに上記噂が流れている。
(そこがこの報道の重要なところであって、、)
「米国は北朝鮮指導部の精神状態にぶっちゃけ本気で心配している」って事でしょ。
(こっちもマジに牽制しておかないと本気でおっかないからという趣旨で、)

■そもそも何故微妙に経済成長にも成功しかけているって噂の北朝鮮が今核騒動起しているのか?
北京政府の振る舞いと関係無く、旧満州の瀋陽軍区(しんようぐんく)との関係は軍も経済も強固で、北京政府の言う事も無視できる状況です。取り立てて大騒ぎしなければいけない危機的内容はどこにも無い。
にもかかわらずのこの騒ぎです。
思い出してくださいよ、
何をって「あのモランボン楽団が中国公演ドタキャンした話」。
噂によれば、高らかに核開発とミサイルの映像バックに演奏するって舞台に中国要人が「出席とかできねーよっ」て言われて帰っちゃったらしいんですが、、、
何故、北京政府相手にそんな挑発的なことが必要なワケ?
考えても考えても「偉大な指導者扱いされてないのはおかしい」みたいな(自己顕示的)理由以外思いつかないんですよ、これが(承認欲求じゃないですが「それがないと体制崩壊不安が止まらないんだ」という個人的事情があるとかさ)、

その言動が理解できない米国は「本気で攻撃の訓練しておかないとヤバイかも」と思っている。

■そして、そこに混迷極めるのが『米国大統領選』です。
こんな事になってんですって
トランプ旋風が止まらない!?アメリカでいま何が起きているのか
2016大統領選「異変の構図」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47496

 ↑
はは〜なるほどねと、
(前回はリバータリアンのロンポールのじいちゃんがネット世論で大人気ってとこが話題でしたが、)
いやいやいやいや「洒落にならない」って(米国でも本気で困っているっての?)。

私はオバマ政権誕生時にヒラリーは副大統領になって、(どっから考えてもどん詰まりの)オバマが何らかの事情で辞任しヒラリー大統領になるのじゃないかと思っていたのですが(ヒラリー自身が国務大臣から自らの大統領選考えて連投せずでしたが)、
そこには漠然と「ヒラリーって選挙で勝って大統領とか流石に無理ではないか」って感じがしていたのもあったのですよ、実際のとこ。
勘っていうかさ、クリントンの奥さんでしょ。日本の世襲議員どころの話じゃないもの(クリントン家が貴族みたいな事になるじゃん)、
今回の堅い本命ヒラリーしかいないとか、、大丈夫なんでしょうか。
(前述記事でショックだったのはトランプ氏の話よか民主党のバーニー・サンダース人気でした。ノリが完全にウッドストックじゃないですか、、。←これさ軍関係にも強い保守系へ変節前のヒラリーが目指していた姿まんまじゃん。)

プーチン大統領が腹抱えて笑っている図が、、、

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posted by kagewari at 22:10 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
Amazon 2
所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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