2016年01月30日

エスカレートの構造 発端となるトラウマ論

重層的な分析をあれやこれやと続けてきましたが、
認知のエスカレートを引き起こしかね無い自我リスクとして「深刻な事象が連続するような蓋然性の設定」というところまで話を進めてきました。
そして、それが起きる事例の分析として、ある種の「トラウマ論」としして前回以下説明まで進みました。
 ↓
当該人物に何らかの事情で「凄く強いストレスとなる不快であった場合」、大事どころかその再現は悪夢でしかないので”非常に強い不安要因”となります。
そこで「不安原則」を考えると→人は耐えられないほどの不安がある場合「対象が確定的な恐怖の方がよりマシ(具体的対処を考えられる)」となりますから、発端となった事象や事件を無理やりにでもストーリー仕立てで解釈してしまう事があります。
その代表例が「私が悪かったから(或いは誰かが極端に悪い人だったから)」のようなものです。
「その原因が何々が何々だったから」というような筋立てです。

■悪循環の解決策を考える場合の鍵は上記の発端箇所における「トラウマ論」です。
さて、唐突ですが原始『共同幻想』のお話をします。
何故って、前述の「その原因が何々が何々だったから」というような筋立て代表例が原始『共同幻想』に見られるからです。
「それは神がお怒りになったからだ」ですよ。
神話における奇跡ネタや大災厄ネタなどが元祖”深刻設定”です。
勿論実際に起きたのは災害や飢饉などの自然現象です。しかしトラウマ論的にその災厄ストレスがおおよそ耐えられない不安となった場合(原始時代には自然科学の概念も無ければ気象庁なんかありませんから)、「対象が確定的な恐怖の方がよりマシ(具体的対処を考えられる)」となり、神話などのストーリー仕立てで無理やり解釈してしまうんだと。←人類の自我固有の特徴のひとつ。
原始時代にはそんな迷信から生贄を捧げてしまうなどトンデモも多数発生しているのでありまして、原始時代のシャーマニズム信仰の「現実との乖離や認知のエスカレート」が現代カルト宗教も真っ青だってのも不思議ではありません。心理学的には論理的に証明な可能な話です。

この原始『共同幻想』の話が個人で言う場合の問題解決の答えを示唆してます。
「当時、自然科学の概念や気象庁があれば(同じスケールの災害があっても)そんなトンデモは起きていない」
トラウマ論そのものに考えるべきポイントがあるんです。
●重要なポイントは実際の災害の水準では”無い”ところです。
極論すると「具体的事実関係や被害実体のスケールには”関係が無い”」。
(ここ心理学の原則「この世にどうでもよくないことなど無い」に被っているところに注目。)

■あえて話を動物行動学に振ります。
自然界の動物と本能による活動に対して、ローレンツ辺りの動物行動学では人類を指して「狂ったサル」などと恣意的に表現する場合がありますが、
ここで問題です、
自然界の動物は前段説明の自然災害などに強い耐性があるでしょうか。
(本能的に避難できるとかそういう話じゃありません。)
ズバリ、自然界の動物にはそんなストレス耐性が「ありません」。自然界の動物がメンタル的なストレスに激しく脆弱である事は、動物園や自然動物保護の逸話でご存知のとおりです。
●「仮にノアの箱舟の伝承が本当であったら?その作戦は失敗したでしょう。何故なら移送時のストレスで保護された動物が全滅するからです。」
(絶滅危惧種動物保護のため麻酔で眠らせて保護地に移送なんて手法ありますが、このような保護活動ではバタバタと失敗例として保護した動物が死亡するのは有名な話。)
大災害があれば、避難時のパニックやその後の環境変化により多数の動植物が死滅していると考えられます。

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posted by kagewari at 19:09 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

エスカレートの構造 深刻さ認知

<前回エントリーの続きとなっております>

「大事なことだからね」
或いは
「きっとこれが大事なことに違いない」
この辺の認知に関係しているかなと、
勿論、本筋の『深刻さ認知』には「とんでも無い目にあったものだ」な経験則がメインであることは間違い無いのですが、
前回のエントリーでクローズアップされている→エスカレート認知の構造に関わる人格傾向としての「深刻さ判断が恒常的に”深刻だ”にブレがちな人」を考える場合、経験則の一般論では語れないでしょう(数学的確率上あり得ない)。
特定条件の深刻な実経験に対応しているのでは”無い”からです。
 ↑↓
ここがまた論議になるのですが、
エスカレート認知の構造に関わる人格傾向としての「深刻さ判断が恒常的に”深刻だ”にブレがちな人」、当該人物は明快に「経験として深刻体験が実際に凄い頻度で連続している」と主張することになります。つまり、客観的事実関係と認知される事実関係はこの段階で既に乖離してしまう。
 ↓
当人の人格傾向が(軽微な状態なら「単に真面目な人」水準なのでしょうけれど)「深刻さ判断が恒常的に”深刻だ”にブレがちな人」なのですから、「一般的事象に対しても本当に深刻な問題だと認知しちゃっている頻度が高い」のであり、更に「認知における深刻さ認知は=大事な事分類」になりますから、この状況を「たいしたことではないだろう」などと周囲が指摘すると当人は「道徳的反発」により激怒し否定しちゃう流れになります(当事者認知上では一大事なのですから)。
(注:説明するまでも無く、人類の日常生活に異様に深刻な自然現象が誰かに固有に”偶発”する数学的確率は皆無である。)

上記の括弧書き内容がまた微妙な話でありまして、
●「深刻な事象が連続する」これを当人自我も流石に自然現象に関連する事は無い。
上記がとても重要なポイントなんですよ。
自我に『深刻さ認知』に過剰傾向があったとしても、自我の現実認知に”意識的偏向は無い”証明なんです(簡単に言うと”機能的な問題が無い”証拠)。
自然現象の発生頻度と深刻性の確率は十分に理解しているので、仮に『深刻さ認知』傾向が自我に存在しても、それは日常の自然現象において表面化することは”無い”のです(自分でも誰かに特別深刻な状況や大事な問題が偶発するなんて起こるとなどとは思えない)。

■ですから『深刻さ認知』過剰傾向が派生するのは「蓋然性(がいぜんせい)状況に限られる」。
「自分のここがこうだから」「誰かのあの行動はあーだから」「自分は何々っぽい人に特に関係しやすいので」「自分にはかくかくしかじかの固有状況があるから」「自分はとにかくミスが凄く多い」などなど、
メンタル問題においてそれが代表的に現れるのが『醜形恐怖』です。
『醜形恐怖』のような設定さえあれば、自分が関係するあらゆる事象を蓋然性から「深刻な、大変な、大事な問題が連続している」として認知可能で(重要なポイントは当事者自我には現実認知判断に何ら機能的問題が無くても可能となるところ)、前回の法則と組み合わせると「深刻な状況だ判断が連続するため=機会的に”この程度だろう認知”が働かない状況が派生しやすい」のであり、
現実との乖離発端となる「誤解や勘違いや憶測」を数学的確率論として派生させやすい状態が恒常化するワケです(後は時間の問題的な)。
お察しのように『醜形恐怖』は(人の美意識など所詮相対的なものですから)「言ったもの勝ち」的に、誰でも容易に始められる”設定”です。
(その始まりは今回の論議とは別のなので深く掘り下げませんけれど)

つまり、
■全ての人類誰にとっても、自我は蓋然性となる設定があれば『深刻さ認知』過剰傾向を自由自在に発現可能なのです(前回記事で言うところの現実との乖離「認知のエスカレート」を引き起こす条件)。
そこで
「大事なことだからね」
或いは
「きっとこれが大事なことに違いない」
なる背景に立ち戻って話を展開してみます。
何の話をしとんのかと言いますと、
(あえて軽微な事例から)所謂真面目な人ってのを評する時「大事な事が多い人」とも言えるだろうと。人間の現実においてやたらと大事な事が偏る事はありませんから(ここは前段で論証したとおり)、何気に物事を大事に扱う人を「責任感の強い人」と呼ぶ場合もありますが、ここのポイントは人格傾向としてこの人物は「同じ事象であっても、当人主観がそれを”大事な事”として認知する頻度が高い」って部分で、外的事実が大事な事やそうで無い事に切り替わるのではないってところです。
(「同じ外的事実に直面していながら”その人物だけ”が真面目な人の風評を得る」現象そのものが、その証明。)
仕事上の鬱フラグに「昇進」があったりしますが。この場合も「管理職になった」など社会的地位が外形事実を大事な仕事が増える(責任が重くなった)と理解されるからで、「昇進」がトリガーとなって潜在的な”真面目さ”が過剰化した場合などに鬱症例が派生するという流れです。

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posted by kagewari at 15:15 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

エスカレートの構造 現実との乖離

認知の過剰化を説明する時によく「反動形成」を使ってますが、この仕組みは経済学の乗数理論じゃないけれど二次的選択となった場合の「倍返し的認知スケール拡大」の説明です。簡単に言えば現実認知のスケールが倍化していく仕組みですね。
この状況にはもうひとつの動きが併行します。「認知のエスカレートが止まらない仕組み」です。
たとえて言うなら中国の言うところの南京大虐殺犠牲者数が毎年倍増していく原因みたいなところの話であります。
人間の認知において「だいたいこのぐらいだろう」という尺度というか歩留りというか(『共同幻想』専売特許の常識論とは少し違って個人的な”さばを読むのさば”みたいな)『量的目安』みたいなものがあります。勿論それは経験的に獲得された殊更難しい事も無い若干の推測込みの”どんぶり勘定”のようなものやだいたいの予測値ですが、認知の過剰化プロセスが進行・加速化するためには、そこの機能が思考停止していなければなりません(自分に「そりゃいき過ぎだろう」とバレますから)。

所謂「反動形成」に転じるきっかけや背景となる条件って部分です。
それは「ほんとに些細な現実と想像の混同や誤認」から始まります(というかそんな規模で十分なのです)。
「誤解を発端にした憶測」だけで”このぐらいかな機能”は機能停止します。
ぞこで、”このぐらいかな機能”が働かないほうが自然な状況からその仕組みを考えてみましょう。
代表例が戦場における『戦況判断』です。
見誤れば致命傷ですから戦況判断は慎重でなければなりませんよね。どんぶり勘定でやられてはいかんケースです。しかし戦況判断ってのは目を皿にして”情報取得(事実関係の確認)に躍起になる”ことで過剰化のキッカケとなることはありません。
のように、人間の認知には”このぐらいかな機能”をあえて停止させる状況もあるのですから(その判断は事の深刻さなどで決まってくる)、誰にだって認知の過剰化リスクはあります。
特に、前述例のように「事の深刻さ判断」が”深刻だ”にブレている時には停止させるフラグも立つワケで、戦況判断の例に照らし合わせれば「そんな時ほど事実関係の情報取得(ファクト)」を最優先としなければ(或いはそんな第三者性が担保されるテンションの継続が無ければ)、容易に「誤解を発端にした憶測」に始まる認知の暴走が起きます。
(注:この状況になれば非常に高い確率で「反動形成」も織り込まれる。)
(確定的なことは言えませんが、「誤解を発端にした憶測」ってものからが”どんぶり勘定”の「反動形成」である可能性もあります。→故にその段階で過剰化が始まっている。)

しかし戦況判断でもそうであるように現実認知を繋ぎとめている鍵は”情報であり現実そのもの”となり、「事の深刻さ判断」が”たいしたことないから”な時には”どんぶり勘定”が機能し、言うならば二段構えで認知は滅多な事では暴走しません。
(ちなみに鬱症例も一種の暴走)
厄介なのは、「事の深刻さ判断」が”深刻だ”にブレている時、深刻さって判断が不安や憶測を呼び第三者性を担保するような冷静さが欠落してしまう場合(合わせて言うと『興奮』関連でやたら事象を”深刻だ判断”連発すると数学的にリスクは高まる)、この状況で「認知暴走予備状態」となります。
(注:前述の補足括弧記載の法則から逆算すると、「『興奮』関連でやたら事象を”深刻だ判断”連発すれば、認知の暴走を自動的に派生させる事も可能だ」とも言えるでしょう。)

「嘘が雪だるま式に」ですとか「パチンコの借金がトンデモに」などなどの現象も広義で言えば同じ。初期認知に「ほんとに些細な現実と想像の混同や誤認」が発生し、「反動形成」が展開すると自我は現実との接点を喪失し(当人は現実を取り違えている自覚をもてないままに)現実との乖離が進み帰ってこれない事になる。←そんな状況はさして難しくもない構造で発生してしまうんです。
この状況は「当人は現実を取り違えている自覚をもてないままに」進行するため、何かのキッカケで乖離に気がついた後に「今考えるとあの時はどうしてあんなことを考えてしまったのだろう」と自分でも不思議に思ってしまうのです。

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posted by kagewari at 16:40 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

所得分配政策の意図

昔の記事にどこかで書いてますが、
経済において「お金が増える仕組み」にあるとおりで(金融機関を通じて派生する信用創造などで無い筈の金がある事になるとかを経て”回れば回るほど”どんどん市場のマネーが額面として増加する←融資を受ける企業も翌月一括で返済などしないのでこの辺のタイムラグ込みで100万円が1000万円になったりする仕組み)、富が増えるプロセスってものは「極論すると労働や生産とは無関係である」。
(重要なポイントは生産性の向上は「ほら話の辻褄あわせ」に必要なものなんだわ。)
投資の合理性ってのも、本来的には「生産性が増し大量生産などが可能となり」などなど需要と供給がタイムラグを経てバランスしトータルで生産量が増えるところがポイントで「勤勉さやハードワークが道徳的に奨励されご褒美で経済成長が起きるみたいな御とぎ話」にるなろうものならはっきり言って経済学にとって迷惑な話(週休二日制の普及などの方が合理性を高めるのだから)。←そこはインセンティブで担保される話になってないと合理性失うから。

なんだか「楽して儲ける与太話」のように聞こえるかも知れないが、
経済学の大前提として、この学問は山師的な要素や心理的錯覚を取り扱い専門にしているのもので、WW2のトリガー(世界大恐慌)となった米国市場の大暴落だって、信用取引(購入した株をまた担保にして手持ち資金以上の投資を行い倍々ゲームで投資額を倍増すること)をバックグラウンドにしており、同時に資本主義で信用取引に制限設けるなんてナンセンスである。
投資なんて言葉を使っているが、背景に博打要素(経済ではリスクと呼びますが)の無い投資などあり得ない(←かといってキャピタルゲインが本質だみたいな事は言ってませんよ)。
西欧諸国などにおいてもその『共同幻想』の殿堂である宗教的倫理観を宗教革命により世俗化できたから、資本主義・自由経済があり得たのであって、原理主義的道徳観が本質的に経済の足を引っ張る要因だってのはガチですから。

当時笑い話にもなったが、ライブドア事件の時の経済界が「汗水流さず物作りがなんとかこうとか」みたいな腰抜かすような道徳論をツラツラ発言した無知蒙昧な方いらっしゃいますが、お宅のメインバンク含めて金融界の仕事をご存知ないのかと、、。
資本主義を批判した、マルクスの共産主義だって背景に労働者革命的な理想論や倫理観はあるにせよ(案外ここ重要なんだけどね)着想としては「資本主義のリスク管理が市場経済だけで合理化・最適化されるなんて幻想だ早晩過剰在庫で破綻する」ってな話で、名目上は「過剰在庫がノーリスクな経済の拡大が可能なのだから計画経済のが正しい」てな話(ま、結局そんな理想論の方がよっぽど根拠の無いリスクだったのだが)。
この共産主義が心理学的に「事実上宗教改革を経て世俗化を受け入れた資本主義に対する、キリスト教的反動的批判である」と分析されてしまう根拠は、なんだかんだと彼らの資本主義への批判は宗教教的道徳や倫理観に始まるものであって見方を変えれば「世俗主義への原理主義的批判」に他ならなかったからだ。
(あたかも人間主義的に労働者なる階級を聖人視したとも受け取れる。←これじゃ宗教的『共同幻想』手法と何ら違いがない。)

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posted by kagewari at 16:39 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

もう一回書きます今年の国際情勢はかなりヤバイ

上海総合株価指数があっさり3000ポイント割りました。
いやいや流石に2000あたりから始まり投資を募る法改正などしてのアレですから3000が底かと思いましたが、まさか狙いは2000まで落とすっちゅうことですか(2000以下も視野にってことになると単純な計算で投資を募って以来投資した人間全員が損失に等しいでしょ)。
中国の経済が飛ぶだろうってのはガチ折込済みですが、これじゃ大恐慌ショーックみたいな極ハードランディングにまで可能性が広がってしまいます。
日本単体ならだからどうしたって高みの見物ですが(日経株価に乱高下あっても実体経済と関係の無い話なのでどうという事は無い)、知りませんぜ中国さん。
今から機関投資家軍団を形成するにもバブル崩壊で大丈夫かいな状態ですから、資産リスクでしかない追加投資には尻込みするでしょう(てか理財商品の破綻だけでも倒産する勢いなのに)。
ぶっちゃけ中国は成長も急だったため、対外諸国との友好関係維持無しに自分だけで経済を運営できるほどの”中身”が無いのでありまして(何故急速に経済成長したのか考えれば中学生でもわかるでしょうに)、謎の市場介入で外資根絶みたいなの続けていては「取引できない市場が生まれるだけ(=全部紙切れ←しかも金融機関にその担保価値を認めろみたいな話らしい)」などという経済学的にも理解不能な異世界に突入します。

■正直どうしたいのかがわからない。
(仮に民主政治だったら疑いようの無い支持率低下で速攻政権交替ですから、中国にそれを当てはめると→「権力闘争や内戦リスク、それを抑える強権による粛清や締め付け」となり、ほぼ100パー香港の独立運動に火が付く。そして今年台湾は独立派に政権交替することが確定してます。)
通貨安(元安)すら、やれ中国が輸出競争力のために下げを容認しているって人もいれば、海外市場でバンバン元安に追い込まれていて防戦一方って話もあれば、本当のところはどうなのってところもよくわからない(いずれにしろ元の暴落ってことになればデフォルトの可能性出てくるので麻生財務大臣の発言「買い支えに必死」という話が本当なのだろうと思うけど)。

ドイツ失政によるEU崩壊が輪をかけて、中国主導したAIIBなんて雲散霧消するんじゃないスか?
(先日AIIBの債権を韓国に買わせるみたいな話もありましたが、韓国からして外貨準備の不安から日本にスワップを泣き付こうかって閣僚が発言している状況で、無理無理でしょこれ。大元の中国と日本のスワップが水面下でなんて話も出ている始末。中国の外貨準備も粉飾かもしれませんぜ。)
中韓関係に至っては、北朝鮮の水爆騒ぎで中国とのホットラインを鳴らしたらガン無視放置プレイされたとかで、騒ぎになってますが、、。
EU大騒動の直前にVWのディーゼル不正でトンデモ賠償金になりそうって、台本でもあったかのような展開もありますしね。
もういろんな方面の思惑が入り乱れてしまって、現象を陰謀論でも説明できなくなってます。
こういうのって「誰彼となく疑心暗鬼になる可能性が高まる」もので、
安全保障上極めて危ない状況です。

日本で暮らしていると体感することありませんけれど、
欧米諸国にとってそれは「漠然としたキリスト教文明存続の不安」になるのでしょうか。
まさか米国に「トランプショック」なんてこと起きないと思いますが、、、
あれあれあれ、
まかり間違って勝ってしまう可能性が1%以上になっちゃってるような(仕掛けた人の思惑からも外れて)。

話としては面白いんですが、
欧米の「報道しない自由的な偏向」コイツへの批判で大規模なデモに発展とかなった時にどうすんだろ。各国政権は収拾つけられるのでしょうか。
(メディアがそうなった裏返しには「メディアが煽る側に転じると凄いんだわ」ってあるんだしさ。←市場経済ですから、煽るメディアが爆売れって話なら考えちゃう経済人も出てくるでしょう?)
しみじみ「ここが日本でよかった」と思う今日この頃です。


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詳しい経緯は下記リンク及びサイドバーコメントリンク表示の説明参照
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posted by kagewari at 03:31 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

欧州におけるメディアの偏向も相当なもののようで

海外掲示板翻訳ブログなど読んでいて昔から頻繁に欧米ネット世論に登場していた「PC(political correctness:差別的表現の規制を含む政治的・社会的配慮)もいい加減にして欲しい」という言葉の意味・意図するものなんですが、所謂日本で言うところの「放送禁止用語」なんて類の意味では無いようなんですよ。
どうやら彼らの言ってる「PC」って言葉には「報道における左翼的偏向」という意味も含んだもののようで、日本のネット世論の言うところの「(左翼的主張にとって都合の悪い事件を)報道しない自由」に近いのかなと。

うんで「PCもいい加減にして欲しい」という欧米ネット世論に拡大する不満は「全くマスメディアは真実を報道しない」的な意味として「ネット世論からのマスメディア批判」として常態化しつつある。
ネット世論によるマスメディア批判は日本だけの話では無く、下手すると左翼的偏向は欧州の方が本場なのかしらってな事なのかも知れません。
(米国の場合は右派のFOXとかもあるしで左翼的偏向一色って状況には無いと思う。少なくとも欧州と米国においても社会学的背景は明快に異なる。)

以前のエントリーでも触れた「なんだかんだインテリ階層のたしなみ的にアカデミックな左翼化なんちゃらかんたら」な傾向は世界的なものです。
理由は実に簡単で、論理的に『共同幻想』系保守思想は根拠が伝統などの正統性根拠に依存する事が多いので、根拠自体が聖域タブー化する仕組みを織り込むので理論体系化され難いからです。
(『単独者』時代への変遷の中における「確信犯的『共同幻想』選択」となって始めて、再選択時に始めて保守思想は理論的に説明されるので、ネット世論などでは構造的に保守思想の再評価が発生しやすい傾向がある。)
「宗教社会においても学問のように熱心なアレがあるのじゃ」と思うかも知れないのですが、その後のアカデミックに至るアレは「宗教改革」のトリガーとなるようなリベラルでなければならず(てかこの構図がインテリ左翼論の始まりなんだけれど)、保守系の学問は聖域を徹底保守する学問になっちゃうので盛んにやればやるほど原理主義に至るルートもあるワケで、保守思想が素で体系的に研究されるって事は『単独者』化時代への転換期(=『共同幻想』の再選択型)となるまでなかな進まないのですよ。

そして前述記載のように古代から近代においては「宗教改革」に至るようなリベラル主義がアカデミズムへのルートだったため、保守派から見ればその動きは「所謂世俗派的」な格好になります。
うんでー、
現代欧米でも統計的に「多数派が無神論系」なんてDATAを目にすることありますが、実態の過半は「宗教も文化慣習的なもの」という理解のプロテスタントが過半であったりするらしく(彼らが自称「無神論」と分類するのは対象となる原理主義派を念頭においた相対的なもののようで)、
現代社会の欧米ネット世論における「アブラハムの宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)はもうダメダメだろう」みたいな無神論はまだまだ無視論派の中でも尖った人達の論議だっちゅう話(相対的にアナーキストみたいに見られるのかも)。

なんだか話が見え難くなっておりますが、
何を言わんとしているのかと申しますと、欧米社会と中東アフリカを巻き込む欧州・アフリカ圏(地中海文明圏と呼べばいんでしょうか)の問題は、諸外国で「宗教的保守派とリベラル世俗派の相克がどの程度の水準にあるのか」という側面があり、
社会学的変遷として、欧米は世俗化的アカデミックななんとやらでインテリ左翼論的状況がまだまだその基調にあり、
西洋的世俗化に対してイランのイスラム革命みたいな歴史も内包しているモスリム圏は「果たして世俗化ってものを宗教的にどう捉えるのか」みたいな広い意味の文明の相克みたいなものが(まだまだモスリム文化の歴史が浅い分)欧州中世の宗教改革100年戦争みたいな時代に至る変遷期にあって(イスラーム化以前のアラブ文明の歴史は欧州より古く長いんだけどもさ)、そこには社会学的な乖離がやっぱあるんだと思うよね。

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posted by kagewari at 13:24 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

年明けそうそうヤバイ雰囲気ぷんぷんですね

やっぱイラン関係には何かあるんだな。
サウジの動きなんか予め台本でもあるような(イスラム連合軍結成時から決めていたのじゃないですか)イランとの断交も即断即決でした(笑
そして、折込済み案件とは言え中国の株式相場も(年度末にも大幅下落していた)ドーンと下げますよと言わんばかりのストップ安で取引停止とか(昨年から総合指数見ていますが当局の介入によって力技で3600に何度挑戦しても「ダメなんだよせいぜい高くても3000ちょいが適正だよ」と市場が答え続ける押し問答状態)。
すっかり小ネタ化して報道も少なくなったウクライナも経済が大変な事になっているそうです(ロシア財務省ウクライナをデフォルト宣言ですが、ニュアンス的には債務の免減や支払い延期交渉をロシアが拒否って話のようですね)。インフレも60%だとか(IMFも面倒見切れるんですかね)、
北朝鮮の水爆にはもう「感想の述べようも無い」という始末。

国際情勢が各地域でダメダメとなっており立て直しの機運も無しと、
順調なのは日本ぐらいで(韓国との交渉もあからさまに年末で報道番組閉店中を狙ったものに思います)、鼻息荒い安倍政権は「ロシアとの平和条約を諦めていない」なんて言ってます。
皮肉な事に、資源に依存することも無く内需型経済で、海洋国家で国境が不安定化することも無く(安全保障上においても海自は圧倒的に強く)、そう意図していたとは思えませんが「知らない間に高みの見物グループにいた」みたいなことなってます。
かといってお宅は余裕あるのだから国際平和に汗をかけと言われても、憲法含めて経済規模的にもそこまでの圧倒的力は無く「TPP加盟国の平和と経済的安定」あたりが限界。
(ここも都合よく台本があったかのような流れになってますね。)
米国の手仕舞い間は相変わらず強く、ヒラリー引き立て役のトランプ氏も盛んに軍事的プレゼンスの縮小?っぽい話を煽ってます(ちなみにこれ昔から米国経済界一派の持論)。FRBの段階的利上げがスケジュール化された今、米国としても海外へ出しゃばる利益がありません。
譚的に言えば「グローバル経済からの店じまい」。
原油の輸出も解禁したので中東が紛争で荒れて原油価格でも上昇してくれたら大歓迎でしょう。武器も売れますしね(←注:この点において実は米ロの利益は一致している)。

国連は?ってご覧のとおり何もしない系で有名なの方がアレですし、、。
日本が米国のリバランス(安全保障ラインの後退と再配置)に対応すべくこつこつやってきたのと比べて、欧州は何をしとったのかと。間違ってもウクライナで有事とか全力で阻止しなければいけなかっただけで無く、暴走ぎみのトルコもEU・NATOの枠組みが間接的(ウクライナ的)に煽ったってことになるのじゃないスか?まさかWW時代のように英国がそれを意図的に仕掛けているとも思えないので、結局、世論の総論としての評価は「ドイツの失政」に集約されていくような気がします。←フライスとドイツの見解が決裂するような状況としてそれは表面化するのじゃないスかね。
EUの成立時から時代遅れのブロック経済に過ぎないと批判してきましたが、こりゃ今後本当に荒れますぜ(TPPも同じブロック経済なので基本賛成ではありません→ただし日本は憲法解釈上NATOのような安全保障条約に参加できないのでその代用として”対中国総論部分にだけ”賛成です)。
現状「国連などの国際社会の枠組み」にも期待できない。

時代の変遷が、安全保障と国内統治に関しては各国(というか個々人レベルでも)自主的にやってくれって方向性なんだと思います(所謂国家間における『集団的共同幻想』の崩壊)。
個別に考えれば「紛争で得する人など誰もいない」のですから、国論を素でまとめれば(ISISを例外に)おおよそどこの国も結論は同じでしょうに。
どこやらから”やいのやいの”と煽る反動的勢力なるものの勃興を許してしまうって状況そのものが、この場合主体となる国家統治上の問題なのであって、
なんだかんだリビアのカダフィにしてもイラクのフセインにしてもシリアのアサドにしろ、治世の結果論では無く方法論において「もうそのやりかた無理・北朝鮮と変わらんよ」だったのだし、この点は中国やロシアにも向けられているのは事実だから(アホみたいに米国の介入を批判していれば平和になるって単純な話ではありません→それで米国は「もう知らんがなほら見ろや」な事になっとるんだし)。北朝鮮などに関しては彼らが米国を指名しているのですから当事者として介入してくれないと逆に困ってしまう状況ですが、、
(しかしその北朝鮮の件が最も米国の介入が期待できないケースになっている)。

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posted by kagewari at 03:38 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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