2015年12月02日

『自我と現実』(試し書き)

あからさまな現実ってモノが無いのは誰もが知ることかと思います。
(”おいしいモノなど無い”の原則論と同じ→おいしいモノ分類の射幸心のある食べ物が”おいしい食べ物”なのだけれど、「これがおいしいんだよ」な食通ほどそれは増えるワケで、個体によってその母数が変化しますから「おいしい食べ物を知る人」がいるってのが正解なのかも。)
現実ってのは相対論ですから「未来とは言わないが内容的には未来のこと」です。
「直面する隙間の無い次の時間」とでも言いましょうか、
「過去では直近のこと」とでも言いましょうか。
結果として前述括弧の”おいしいモノ論”にあるように、「(未来であって想定できない筈の)現実を知る人ほど現実の幅が広い」などと言う、言語として極めて怪しい状態が”あり得る”のでございます。

所詮イメージや認知の幅って事なのかも知れませんけれど、
「何をもって現実とするのか」みたいな捉え方は=「自我構造のファンダメンタルそのもの」でもありますから、メンタル状況が変化すると「現実すら可変する」という図式が成り立ちます。
※勿論、科学的にあり得ないことなので言語表現としても極めて怪しい説明になっております。

つまりメンタル問題がアレになるとなりますと→「想定する現実を指名(固定)することすら可能」となってしまい、この状況は(未来と過去の定義にあるとおり)「そこまでいっちゃうと”現実を喪失している”」という形で証明されます(不確定な可能性を否定するからです)。
「想定する現実を指名することすら可能」と表現するのは”×”で
「そこまでいっちゃうと”現実を喪失している”」と表現するのが”○”みたいな、
随分いい加減な説明になっちゃってますが、
なんせそこは自我や言語ってものからして、かなり制限のある(実態としては幻想)カオスな代物なので(”制限のあるカオス”ってからして言語的に壊れてんですが、、)、すっきり説明する事はおおよそ不可能なのであります。

なんだか場当たり的説明に終始する感じになりますが、
ぶっちゃけ「そこが説明限界」です。
■話を原則論に戻しますが
現実を「過去では無い直面する未来」と定義した場合、
空間的には屋外や外界などのイメージになりますが、そりゃネット空間だろうと脳内イメージだろうと場所も空間も特定されません。「次に脳内で思いつく話(直面する未来)」だってありますから。
そうなっちゃうと、現実ってのは自我そのものでもあり得るのでありまして(鏡像論でしょうか)、
さて、この場合自我の統合(自己の概念)も「これという制限無く可変」する事になってしまいます。
実体からして「そうなんです」が(笑
極端に言えば「1秒後は別人」なのが人類ヒト科の特性でもありまして、
それでも自我の統合が何故壊れてないのかって理由は簡単です。自我の統合ってのは「過去を材料に造られている」からです。
「1秒後は別人だが、1秒後はもう過去なので、その経過毎に”1秒後”は自我に取り込まれれ続ける(統合に途切れが無い)」ちゅうワケです。

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posted by kagewari at 05:14 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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