2015年10月22日

普遍的『共同幻想』となればそりゃ本当は”幻想”と表現するものでは無いのだが

わざわざ『共同幻想』と呼んでたりするのは、まー心理学的にはそれのがわかりやすかという諸般の事情からで、地域や国籍や言語など固定的な『共同幻想』を幻想では無いから『共通認識』としちゃうと社会学的な概念としての「共有化される現実認知」なんて部分がワケわからなくなるってんで(しかも地域の概念や言語には元素みたいな普遍性あるワケじゃないからね)、呼称に困る部分でもあるんだが自我心理学的には「脳から見れば『共同幻想』と同じ代物だから」って事で『共同幻想』分類になります。

なんでしょうね「固定性の強い非幻想『共同幻想』」←言語として無理あるじゃんみたいな説明になってしまいますが、いずれにしても自我のID(帰属:アイデンティファイ)として固定的な部分が存在するのは事実です。
所謂封建主義的社会認知から始まった「原始『共同幻想』」が文明化により自然崩壊(迷信や神話の科学的ネタバレ)するプロセスは改めて説明の必要もありませんが、重要なところを抜き出すと「この崩壊現象が文明化に準じて進行する」ところです。
言い換えると「『単独者』社会」つーのは経済的に当該国家や社会なりが豊かである事が前提になります。
故に、近代以降の高度経済成長時の幻想(たとえば「アメリカンドリーム」のような成功神話)が随分と喧伝し煽った「滅私奉公な頑張りで働きましょうぜ(それが優れた認定市民)」みたいな”幻想”は既に社会的に壊れているのが前提になります。
 ↓
すんごく単純化して説明すると「水汲み業務を旧世代で高貴な仕事だ(神官の仕事)みたいに定義していた」とする場合、水道インフラの整備の後発端となった概念は崩壊して風習や文化として残るにしても(宗教系原理主義でもない限り)『水汲み業務の権威的上位性』は自然に解体するって仕組みです。
■そんな「固定性の強い非幻想『共同幻想』」ですが、
過去のエントリーでも書きましたが、日本は明治以前から「諱(いみな)・字(あざな)」を使い分けしており、ぶっちゃけ自分の名前の通称は好き勝手に決めていた(うんで歴史的にはそちらが公称だったりする)。苗字に関しても家というより(そのスケールから)氏族名に近いものですから、親も子も無いぐらいの自由度ありました(そもそも名のある武家では親が子供を直接育て無いし)。
※農家や町人に関しては「そもそも苗字が無い」。
 ↑↓
てことはケースバイケースで、『共同幻想』崩壊水準が逆転する場合もあるって事です。
現代社会はマイナンバーじゃないですが、社会契約説以来個人のIDには別の意味ありますので好き勝手に変えられても法治国家の都合上困るワケです。
しかし、本来封建的な家制度(所謂権威性階級社会)は法的にNGとなっておりますから、現代社会においては徹底する意味で「より明快に親権の定義(なにからなにはOKでなにからなにはNG)」などを中等教育ぐらいのところで広報すべきなのかなと思います。
(「強迫心理」に勝手な解釈されかねない曖昧さを残してしまっている。)

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posted by kagewari at 22:45 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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