2015年10月31日

人間にとっての現実(2)

前回の論議
>だとすると、当初の疑問に戻りますが、
>●何故に「リアル現実を時に超える人類特有の解釈の幅」なんてものは無自覚なケースが多く、むしろ「狭隘な現実に苦闘する自分」等の方が強く意識されるのか?
>なーんて時に、外部的現実との接点を繋ぎとめている者この自我であることがわかります。
>(ひょっとするとそれが自我機能のレーゾンテートルなのかもしれない。)
>「自我は現実の観察・観測者であって、ジェットコースターの乗客では無い」
>「これはこういうことにしようか」と決めている主体こそが自我である。


これはどういう意味なのか?

いやいやいや、人類は神にも似た「現実の設定を操作する主体だ」みたいな話をしようってんじゃありません。
ゲームの設計じゃないですけれど、「こうなってこうしてこうなればクリアとかにして」のようにですね、「どういうことになったらこうだ」を予め認知(仮にそれを自分で無意識に解釈していても)する流れが無いと、「何でもアリになり過ぎて、何もしていないのと同じになる」という根本的な矛盾の論議にぶち当たります(「フリーJAZZ崩壊の法則」って奴です)。
 ↓
そこが実存主義でいうところの「不条理こそがなんとやら」って論議の元ネタになるんです。
「全く意味が無い行為でもシューシュポスが岩を押し続けるから実存があるのであって、その意味は重要では無い。」
人間ってものは「好き好んで自分の手足を縛り、そこから抜け出す悪戦苦闘の中に喜怒哀楽を感じるド・Mなのじゃないか?」←案外それに近い話なんですね(笑

そもそも論に戻れば答えはそこにあるんです。
「人類ヒト科特有の現実解釈の自由度」←これこそが(BGMやファッションやメイクや想像や詩的解釈や様々のナントカ)→「ド・ナンセンス」だからです。
かといって?「自然に帰るんだ。明日から僕は孤島のヌーディスト村で暮らします。」なんて話をしようってんじゃありません。
『外的現実と観察される現実との相克』→わかりやすく言えば”ギャップ”ですか、
これをあたかも”お題”であるかのように、自ら格闘していく様がシューシュポスなんですよ。
その格闘はとても似非っぽくて偽者っぽくて意味が無いように思えますが(現実のが先にあるんだから)、それでも行くんです。
「どういうことだこれは!」って。
この時、自我は自分の存在を知る。
(「今、怒っているのは誰だ」みたいに。)
馬鹿馬鹿しいことですよね(笑
少なくともそんな馬鹿騒ぎは生存に関わる部分だけにしておこうって判断もアリでしょう(そんな宗教一派もあったかと思います)。

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posted by kagewari at 18:06 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月28日

人間にとっての現実(1)

過去記事に空想と妄想の違いみたいなの書いたことありますが、
現実って言ってもですね、これ知覚判断しているのは脳でありロジカル構造の自我ですから「一段解釈されたもの」に過ぎません。
といってもそれが人類ヒト科の観察・体感する現実なのであり、人類ヒト科がトンボが感じる現実にあわせなくちゃいけない事情などありません。

リアルとしての現実と生物が知覚する現実ギャップの典型例に”色”とかもありますが(見ているのは”色”じゃなくて反射光だよみたいな)、まー自我を持つ人類の現実は相当の幅があります。
詩歌に謳われるワビサビなんて代物も加えるならば、趣味性や芸術表現や比喩表現含め「文学の幅ほど現実はある」のであり、「現実は小説よりなんとやら」なんて話もありますが「小説で表現可能な幅を自我自体が持っている」のでありまして、
たとえば地球上に巨人が暮らしているのであれば、人類が体感する”大災害”も「小さな出来事に過ぎない」のでありまして、物事は常に相対的なものです。

人類ヒト科が映画やアニメやドラマを観る時に「効果音や・BGMの存在をリアルな表現と感じる矛盾」なども典型的ですが(元ネタはオペラなどの歌劇かと思います)、現実社会にいきなり背景音楽が流れる事は間違ってもありませんが、自ら鼻歌や自家用車で運転中に再生された音楽に合わせて歌っちゃう人がいるように、もうね脳内では音楽かかっている状態だってあるのです。
(典型例のひとつは昭和のスポーツ的に激しいトレーニング時に脳内でロッキーのテーマが流れちゃうだとか。)
「それは現実なのか」なんて話を紋切り型に考えてしまうと、「ヘアーカットだメイクだファッションだ」などなど演劇的というか演出的に導入されているもの多数で、そのバリエーションや可変性って部分は下手すると”素の現実”を容易に超えちゃいます。
(それを超える事があり得ないのであれば、この世に演劇は成立しません。)

さすがに「どうにでもなる」とは言えませんが、
少なくとも「権威性『共同幻想』な人」以外であれば可変性というかその自由度はとても高くなります(「権威性『共同幻想』な人」のTPOは好き好んでの制限なのでそれを不自由と解釈するのも間違いですが)。
先進国化の方向性を『単独者化』『共同幻想の確信犯的再選択化』として見た場合、自動的に「現実の選択性」は高くなる傾向にあり(そりゃ封建時代の身分制度などと比較すれば段違い)、
現代社会の現実は「後天的であり選択的なものである」と言うことも可能です。
すっごく単純化してしまうと「気分転換に音楽でもかけちゃおうか」と言った瞬間に現実は変化するのですから。

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posted by kagewari at 21:20 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月22日

普遍的『共同幻想』となればそりゃ本当は”幻想”と表現するものでは無いのだが

わざわざ『共同幻想』と呼んでたりするのは、まー心理学的にはそれのがわかりやすかという諸般の事情からで、地域や国籍や言語など固定的な『共同幻想』を幻想では無いから『共通認識』としちゃうと社会学的な概念としての「共有化される現実認知」なんて部分がワケわからなくなるってんで(しかも地域の概念や言語には元素みたいな普遍性あるワケじゃないからね)、呼称に困る部分でもあるんだが自我心理学的には「脳から見れば『共同幻想』と同じ代物だから」って事で『共同幻想』分類になります。

なんでしょうね「固定性の強い非幻想『共同幻想』」←言語として無理あるじゃんみたいな説明になってしまいますが、いずれにしても自我のID(帰属:アイデンティファイ)として固定的な部分が存在するのは事実です。
所謂封建主義的社会認知から始まった「原始『共同幻想』」が文明化により自然崩壊(迷信や神話の科学的ネタバレ)するプロセスは改めて説明の必要もありませんが、重要なところを抜き出すと「この崩壊現象が文明化に準じて進行する」ところです。
言い換えると「『単独者』社会」つーのは経済的に当該国家や社会なりが豊かである事が前提になります。
故に、近代以降の高度経済成長時の幻想(たとえば「アメリカンドリーム」のような成功神話)が随分と喧伝し煽った「滅私奉公な頑張りで働きましょうぜ(それが優れた認定市民)」みたいな”幻想”は既に社会的に壊れているのが前提になります。
 ↓
すんごく単純化して説明すると「水汲み業務を旧世代で高貴な仕事だ(神官の仕事)みたいに定義していた」とする場合、水道インフラの整備の後発端となった概念は崩壊して風習や文化として残るにしても(宗教系原理主義でもない限り)『水汲み業務の権威的上位性』は自然に解体するって仕組みです。
■そんな「固定性の強い非幻想『共同幻想』」ですが、
過去のエントリーでも書きましたが、日本は明治以前から「諱(いみな)・字(あざな)」を使い分けしており、ぶっちゃけ自分の名前の通称は好き勝手に決めていた(うんで歴史的にはそちらが公称だったりする)。苗字に関しても家というより(そのスケールから)氏族名に近いものですから、親も子も無いぐらいの自由度ありました(そもそも名のある武家では親が子供を直接育て無いし)。
※農家や町人に関しては「そもそも苗字が無い」。
 ↑↓
てことはケースバイケースで、『共同幻想』崩壊水準が逆転する場合もあるって事です。
現代社会はマイナンバーじゃないですが、社会契約説以来個人のIDには別の意味ありますので好き勝手に変えられても法治国家の都合上困るワケです。
しかし、本来封建的な家制度(所謂権威性階級社会)は法的にNGとなっておりますから、現代社会においては徹底する意味で「より明快に親権の定義(なにからなにはOKでなにからなにはNG)」などを中等教育ぐらいのところで広報すべきなのかなと思います。
(「強迫心理」に勝手な解釈されかねない曖昧さを残してしまっている。)

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posted by kagewari at 22:45 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

平和主義

その反対は『戦争論』でしょうか。
話を『戦争論』から始めると、なんつったって「始まりが安全保障目的」の『共同幻想』バリバリの時代は”戦争の時代”でもありました。
権威性の価値論より個人的価値意識が優先する『単独者化社会』になって初めて「社会的戦争欲求(覇権主義)」みたいなものは消えていきますが(金持ち喧嘩せずじゃないけども)、「社会の『単独者』化」要件は「後期先進国であること」ですから自動的に当該国家は経済的に豊かな国になります。

世界の全ての国家が先進国化するまで、その平和主義な当該国は「豊かな生活を見せつける大金持ち」同様なので、先日の心理学テキストレポートじゃありませんが、周辺国などの間では「激しくその姿が気になる、癪に障る」なんて社会心理が醸成される可能性を否定できません(心理学の原則から言えば自立性に問題があったり民主化が歪な国ほどその可能性は高まる)。
この状況で平和主義を安定・継続させるためには「ちゃんとする事」が条件になります。
(ちゃんとするってのは『共同幻想』権威主義の秩序意識では無く、自然界の法則に逆らわない合理的判断という意味です。)
法令遵守含めて高い合理性やら、バブルなども発生させず、経済は内需中心で、自前のエネルギー政策を持ち、政治的安定、言論の自由、などなど「特別不自然なところ無く合理的である事」が、周辺国家含めて域内の平和を成立させる条件です。
勿論そこに安全保障の空白があってはならず(『単独者化』により安全保障への社会的関心は後退しますから)、理詰めの軍事力保持は必須条件です。
PCスキル上位者がセキュリティーソフトを入れないなんて不自然な現象はこの世にありません。

理詰めの軍事力ってのは、意図として対艦巨砲主義のような国威発揚目的の派手なハードを並べるというものでは無く、現実の有効性をゴリゴリ検討したプロ意識の高い防衛に特化した軍事力の事です。
 ↑
●ここがですね、ちょいと前に書いてある「金持ちを見せ付けられた」みたいなほとんどメンタル問題のような周辺国の社会心理とならぬようにって目的としてもクレバーな判断になります。
(某国のようにいきなりこれ見よがしな航空母艦をお披露目するみたいなのが、”煽り”という点から最大の愚作。←逆に域内の戦争可能性を高めるだけの不安定要因になるだけ。)

そんなこんなを考えてみると、
■日本の自衛隊って概念は「実に都合のいい軍事組織」です。
ナチュボーンだと思いますが「戦略兵器無し・実質軽爆撃機すら無し・高度なシビリアンコントロール(身分がほとんど警察官)・突出した迎撃能力」域内の平和維持する上で、米国との軍事同盟が無ければ予算倍増してもいいぐらい優れた組織です。
将来的には米国の予算の都合で米軍規模が縮小し、それを根拠に予算増額もあると思いますが、規模の拡大は国産武器開発などにも好循環となり効率はむしろ高まるでしょう。
個人的意見ですが「憲法9条改正」が良作とは思えないんですよ。
自衛隊のまま徐々に規模を自然増させるのが得策だと思います。
(政治がしっかり機能している事が条件ですが。→その都度解釈改憲でいんじゃないですか?。政治についても『単独者』増により「日本の民主主義は機能する方向」になってきてます。)

■以前の米国のような「軍事制裁力が無くていいのか?」な側面ありますが(国連の要請的にも)、イラク紛争で判明してしまったように、現代社会において”対国家規模”で軍事制裁が有効なケースなんてもうあり得ないでしょう。民族浄化のような戦争犯罪が現在進行系である状況を例外に攻撃力が必要だとは思えません。同様ケースがあったとしても戦力的に大規模なものが必要ないのですから。
その程度の攻撃力は今後も米軍において健在だと思います。
ゆくゆくは「国連常設の無人攻撃機とあらゆる国家から独立する傭兵部隊」なんて構成になるのかもしれません。「国境なき傭兵団」とかね。
●日本の軍事力を考えた場合『存在しない攻撃力』と『突出した迎撃能力』←ここがキモでしょう。
海上自衛隊にとってイージス艦の存在は大変都合のいい兵器であり、9条的にも「なんぼでも増やせる」艦艇ですし、国連の要請があれば、紛争国に「ミサイル迎撃だけ専業で派遣」するのもアリアリでしょう。

『自衛隊』の要員も新卒採用に拘らず、幅広く募っていくのが今後ベターに思いますから(隊の『単独者』化促進)、そういう意味でも現行憲法9条のまま「警察の派生軍事組織」の姿の方が都合いいと思います。
関連する外局とかも軍事組織である必要無いですし参加する個人や企業にも自衛隊である方がハードル低いと思います(サイバー部隊なんてアウトソーシングのが効率いいでしょう)。
推測ですが、今後は「非軍事の自衛隊業務」が増えていくのではないかと思います。
(実際自衛隊は軍隊じゃありませんから。)

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posted by kagewari at 18:56 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

ロシアが半端無い

みなさんネットで散見されていると思いますが、これには(不謹慎と知りつつも)笑ったです
「シリアは絶好の空爆日和」 露国営テレビが天気予報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151006-00000037-jij_afp-int


こちらは大々的に報道されたようですが、
海軍も(果たしてその必要があるのか意味不明ながら)ロシア初の巡航ミサイルによる攻撃参加、
カスピ海からミサイル発射=シリア攻撃、一気に拡大―ロシア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151007-00000143-jij-int



ネットの有名なミーム(コピペされる情報)に、ロシアの特殊部隊が突入したテロリストの人質立て篭もり事件で、人質もろとも皆殺しにしてしまう話がありますが、
ロシアが中東テロリストに身代金目的の人質事件で狙われない伝説も別途あります(実際はそれほど極端なものではなかったという説もありますが)。テロリストの家族を拉致し肉体の一部をテロリストに送りつけるだけなく、血族皆殺しにしたみたいなナントカがあるんですよね。
(笑っちゃいけないのですが、KGBがやったとされる暗殺事件「プルトニュウム寿司」なんてのも、、普通思いつかないだろう、、みたいな。)
ご存知のとおりプーチン大統領はKGB出身です。

ISIS問題に関しては(米国にはサウジへの配慮もあって思い切った軍事オプションを取りにくい背景がある)米国の意図も汲んだのか?ってプロレス説もあります。
シリア爆撃には米国に恩を売るための意図もあるかもって話です。
(表向き批判一色の米国の発表もプロレスじゃないのかって、)

しかし、ロシアって国は何を考えているのかわからない凄さがあって(個人的意見としては「凄く単純なだけ」にも思うのですが)、「戦争と聞けば血肉沸き起こる『共同幻想』」と申しましょうか本気で容赦無いです。
こんな国相手に憲法9条が国を守るみたいな寝言は冗談にも通用しません。
「国際法とは戦争をやるためのルールだろ」なんて声が聞こえてきそうです。
(ロシア空爆が関係の無い地域にって米国抗議の直後に「米軍の医師団誤爆」ですから、そこも容赦無いですな。米軍の誤爆は今後戦争犯罪案件で追求されかね無い話となってます。←ひょっとするとこれ米国内の内紛である可能性もありますが。)
■米軍プレゼンス後退による空白はあまりにもデカイのですよ。
(安倍首相の新安保もそれを見込んだものですが、)
空白がそこにあれば「じゃあ俺がやろうか」と誰かが出てくるのが国債関係ってものです。
世界経済の成長率が鈍化しているなか、そんな動きを先取りしていた「日米貿易摩擦」を経験した日本は内需中心の経済にシフトしているので、ピンとこない話ですが、輸出依存型経済のまんまきちゃっているドイツなどの主要国や、エネルギー輸出依存のロシアのような国家は”死活問題”ですから。「必要とあれば何でもやる(友好国でも平然と裏切る)」それが国際関係である事を忘れちゃいけません。

平和を願う人がいるなら、最優先で研究すべきなのは(アホみたいな反戦運動では無く)『経済学』です。根拠の無い話をしても説得力ありませんから。「こうすれば余裕で食えるんでしょ」と言い切れる根拠の提示無く何が平和運動ですか。
(しかも”反戦闘争”ってもう言葉として冗談でしか無いでしょうに。自分で平和のための戦争だって言っているんですから。)

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posted by kagewari at 14:47 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

補完記事:他人が幸福そうに見える誤解


こんなの昭和の方々には「他人の庭がなんとやら」だとか「友人の女房がこうである」なんて話で説明するまでも無くご存知かと思いますが、平成生まれの若い方にはピンとこない場合もあると思います。『幸福論』を独立して書く意図じゃないですが、補足説明やっときましょう。

この話は一般的表現でいう「ねたみややっかみ」などという単純なものではありません。
本人自らそう選択しているのではなくて、所謂「あてられる・見せ付けられる」って表現ありあますが(みたまま受動系で『被(こうむる)』なんですけどね)、
「そういう感情に支配される、どうしてもそう思ってしまう」場面の解説です。

『単独者』の場合、所謂(『共同幻想』用語であえて言いますと)”価値観”を共有する他者がおりませんので(またその共感を他者に求めることも無い)、前述のような状況「他者による幸福そうなプレゼンテーション」が仮にあったとしても苦笑するだけです(コントですか?ぐらいの受け取りになる)。
しかし、やたらとそんな状況に不安感を訴える人物も少なくありません。

■典型事例は「女性の結婚願望強迫系のケース」となるでしょう。
「友人・知人の結婚式帰り道で強烈に鬱になった」などなどです。
ご存知のとおり『結婚願望』というものは思い切り「強迫心理」であり、本人がそこを問題と訴えれば疑いようも無く”メンタル問題”の一種です。
話の前提はこうです。
・『共同幻想』はその母集団の力を維持・向上させるため後継者や新規加入者などの自然増を求めます。
・原始的『共同幻想』の権力の源泉は”性行為の管理・監督権”であり、端的に言えば『共同幻想』権威や権力が”認める”正当な性行為の許可が「結婚制度」です。
(発端である目的が前述内容であるため「やたらと子供は何時生まれるのか」などが付随する。)
・『共同幻想』には内部競争を煽る目的で”インセンティブ(利益誘導)”を効かせており、認められるという概念の延長には出世などがあるように、「結婚を認められることは(権威が認定する)祝福であり、組織内身分も上位者になる」という幻想が”連想”されます(風が吹いたら桶屋が儲かる話と同じ)。
・結果として(話全体をぐるーっと見回すと)「あたかも独身者でいることが”下層で劣る人間”であるかのように連想」されてしまう場合があります。←勿論これは錯覚で、そもそも『共同幻想』がなんちゃって設定したインセンティブが”勝手に祝福であって幸福”という物語になっている都合があるだけで、『共同幻想』もその”逆インセンティブ”とも呼ぶべき「独身者の憂鬱」などに至る思考を織り込む予定はありません。
・旧来の『共同幻想』黄金時代の場合、ある意味「独身者」は想定されない(地域の有力者などが『共同幻想』のネタバレ崩壊を防ぐため損失補償のように「幸福の導き手としての『共同幻想』の神話」を守るため「結婚を斡旋」した。有力者は後家の面倒までみました。→勿論当該『共同幻想』に対する忠誠を宣誓した構成員が前提)。
 ↑
つまり、結婚があたかも幸福であるかのような興奮も「そもそもネタ元は一種の捏造」であり、そういう設定のドラマを見た視聴者が(こうなったら勝者みたいなドラマ固有の設定)、その後の展開に一喜一憂しているのと現象としては同じです。

●重要なポイントは、『結婚願望』が広く発生した時代の『共同幻想』は「自由恋愛や結婚によらない性行為を宗教道徳などで禁じており」→戦後日本の自由恋愛・自由結婚(親の許可がいらない)以降は本来消滅するのが自然です。

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posted by kagewari at 13:20 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

『平等論』(3)

■さて、そうなると『幸福論』的に「たとえば『共同幻想』適応な人達はやれ何が幸福だ何が嬉しかっただ、楽しかっただの」と(本質的にどうでもいいことでしか無い差異に)一喜一憂しているのか?
 ↓
基本的に「演出されたドラマに興奮する図」と違いがありません。
てか、詐欺にひっかかった人の(そのネタバレする前の)騙され中ハイ状態みたいなものです。
これ『平等論』(1)で、そこはかとなく書いているんだが、
えーと、『共同幻想』をぶち上げた張本人(長い歴史になるのでぶっちゃけ誰と個人は特定できない)この人物は地域の名士や権力者だったり王だったり宗教的指導者だったり様々ですが、
事の発端は『安全保障(草食動物の群れる理由)』ですから、組織の防衛上と権力の求心力のためにも(或いはそもそもその地域の人類が集落を組む経済的理由からも)「組織が上昇志向に発展、乃至現状の再生産を可能とする永続性」などの機能を必要とします。
それが「インセンティブ(利益誘導)」、
一番わかりやすい事例は、権力者や権威者が(典型例は聖職者)「青年の性行為を管理」し、「言ったとおりの秩序社会の論理に適応選択するものには性行為の許可と斡旋もするよ(結婚の縁組するよ)」という利益誘導です(そもそもが古い時代の結婚式には聖職者が必要不可欠)。

おおよそだいたいの伝統宗教が性行為をなんからの方法で許可制みたいに管理してますが(勿論公衆衛生に熱心だったイスラム教あたりには性病を予防する意味もあったと思う)、ほとんどの宗教道徳には性行為に関わる戒律があります。
ぶっちゃけ性行為やりたければ『共同幻想』に参加するようにって誘導です。
(日本が異例の発展するのは、フリーSEXいいじゃないとかのたまったヒッピーみたいな坊さんがいたからで、江戸時代以前から日本は米国60年代なノリがあった異例な国なんです。)

さて、話は戻るけど、
自由恋愛などの時代を迎えても、「結婚の条件は年収何百万以上」なんてアホみたいな話がついこないだまで平然と語られてきましたが、勿論これも「経済成長に邁進するインセンティブです(みごと出世すればいい女が抱ける)」←これ昭和まで普通にあった幻想です。

■かくかくしかじか「家庭」なるものの業務における最大の祭典は「夫婦のSEX」なのであり、
(結婚=公明正大にSEXが許可された男女の意だったのだから)
その成果品として、やれ子供がどうだのあーだのって幻想が付随します。
同時に、その許可云々は『共同幻想』側権威が”認める”って工程経てますから、なんだか知らないうちに「権威者に褒められる立派な家」みたいな肩書きがくっつきます。
(家族法人がやっている最大の業務は「単なる繁殖行為」なんですけどね。)
すると、その成果品もあたかも神の祝福だみたいな事になるワケで、
 ↓
こっからは人間の自我特有の連想的幻想ですが、成果品の子供が有名大学に入っただとかですね、このような事になると「我々夫婦の性行為がどんだけ神に祝福されたことだったのか」のお墨付き度合いがそこに表現されているみたいなトンチンカンな乗りになり、
封建時代には「名家」や「貴族」が登場します。
ぶっちゃけ「有名ブリーダー」とそう違わない職業です。
子孫繁栄の目的は勿論、集落の繁栄のためです(本質的には個人の利益ではありません)。
そりゃね、人間だっ動物ですから、本能の残滓で「小さなものやか弱いものや丸っこいもの」をかわいいと感じたり、大事にしようかって思う反射的認知はあります。
ですから、子供をペットのように可愛いと本気で感じる親御さんもいますよそりゃ。
そういう仕組みになってんだから。

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posted by kagewari at 22:32 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

『平等論』(2)

さて、前回の説明に引き続き。
>ここまで説明しても
>「私は特別な待遇を求めていない」だとか、
>「個別の結果論に意味は無いことはわかるが、特定の結果しか得られない状態は被害と言うのじゃないのか(選択の余地が無い)」だとかの反論が(鉄板でその間違いが論証されていても)、ずらずら出てきているのだろうから、次回にpart2としてもう少し具体論を書きます。
>
>たとえば、被害実体が疑いようも無く介在するPTSD事例あたりから話しを始めると(今回の『平等論』と話の前提は同じになる事が証明されるので)、幾分かわかりやすいかもしれない。


■100%論証の必要の無い「絶対被害実例が確定のPTSD事例」、
運不運評価からその非選択性まで確実に”被害者でしかあり得ない事例”においても前回の平等論が鍵となります。
(そもそも世界で最初にPTSD症例などの話が出たのは第一次世界大戦に徴兵で”非選択的”に兵士となった「帰還兵の戦争後遺症として」ですから。)

冒頭の「ありそうな反論」から言えば、負傷や戦火の凄惨な状況に出くわす事無く戦勝国の市民として普段どおりの暮らしをしている市民との比較から「私はどうしたらいいのでしょうか(私ばかりが損をしている)」という着想になります。
(事実ベトナム戦争後の帰還兵は何食わぬ顔で反戦運動などしていた母国の状況の中、PTSDが悪化し、、後にデ・ニーロ主演『タクシードライバー』に始まる様々な映画のテーマになってます。)

■PTSDにおける心理学的アプローチは「事実を”事実としてだけ”切り分けて向き合うこと(ネタバレ効果)」です。カウンセリングなどにおいて強度の第三者が介在することで(善悪の判断含むことの良し悪しを持ち込まない聞き手・完全な中立者)過去を吐露する事のハードルを下げ、何があったのかその事実を確定していく作業になります。
その認識時に相談者が事象に対して善悪や良し悪しの印象を持ち込まないよう「事実だけ話す」状況を作り、話す事によって”始めて”印象やイメージや憶測や先入観や罪悪感や後悔などの様々な感情的フラグ抜きで「何があったのか」を知ることができます。
ある意味、カウンセラーはその場を提供するところが(善悪の判断含むことの良し悪しを持ち込まない場を提示する)、重要になります。
更に、当時の行動なりの聞き取りから「不明確な点」を深層心理交え分析し、事実関係から感情的フラグや固着を切り離していきます。
PTSDに悩んでいる人は、反動や強迫心理などの「エスカレート構造」が自我に発生してしまっていると考えられますから、ある意味「当時何があったのか事実関係を知っているのに、脳に認知される記憶の種類や認知の構造によって、話が違うスケールに及んでいる」状況にああるからです。

所謂新聞における社会面や報道などで、私達は様々な凄惨な事象を知り、時に目を背けたくなる映像を見ることもあります。しかし、ホラー映画を見た後でひとりが突然怖くなる人とそうでない人の差異があるように、その情報が脳内でどのような処理が行われたのかによって「自我が体感する情報の効果やスケール」は全く違ってきます。
重要なのは「印象がエスカレートする場合がある」という点です。
特に、PTSD症例の発端となる事件や事故や災害や戦争の場合、その状況で冷静でいられる人物などいません。感情的にも興奮状態にあり反動や強迫心理などの「エスカレート構造」が自我に発生し、認知されたまま常に自我を脅かすなどの発生可能性は高い確率になります。
前述の報道の話のように、目を背けたくなる状況などでたとえば当該自我が「ノーコメントに陥る」ような状況だと、その事象をロジカルに説明できる人物がいなくなります。
何があったのか(認識レベルで禁忌となり)語れなくなるという意味です。
エピソードにリンクするのは当時の興奮や極度の忌避などの感情的フラグとなり、ロジックにより成りたっている自我にとって、この記憶は”コメントできない印象やイメージのまま”当時の感情的フラグが固着した複合状態で残存する事になります。
動物の脳にとって、上記のようなエピソード記憶は「外敵や捕食獣に襲われた時」などに発生する”アラーと的な重要事項”となりますから、今後の危機回避の教訓とするためにも脳の情報処理構造上「簡単な連想でも即座に再生される情報」として格納されます(所謂フラッシュバック機能です)。

ですからPTSDの場合、それが日常発生していて今後も嫌ってほど繰り返すのが予見されていない場合、前述の動物の危機回避記憶では”無い”のですから、「そんな事があったのです」と後に語られる事により脳は「大変な事だったが現在再現される確率は低い。過去であり終わった。」と認識し、いつでも映像再生可能な情報として貯留するのでは無く、過去フォルダに圧縮格納されます。

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posted by kagewari at 07:27 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

『平等論』(1)

なんだか、ワケのわからないナントカがあったので、書いておきますが。
(最近のエントリーはそういうの多くてスイマセン。)
「そもそも平等の概念を完璧に履き違える認識パターン」ってのががあります。
よくある典型例でもあるんですが、
考えてみると、この「平等論の誤謬」って相当多いのかもしれません。
これやっちゃうと、前提や定義や語彙がひっちゃかめっちゃかでしょっぱなから説明がすれ違う事もあるので(心理学の話を進める以前に)、ひとつ説明しておこうとそういう企画です。

■平等の概念ってのは、
歴史上に名の残るパイオニアはイエスあたりかも知れないけれども、
「特権階級に対して、無知な貧しい民衆であっても”平等に”礼拝を受ける権利がある」←みたいなところが始まりなワケです。
間違っても「不平等だから特権階級を貧困に落とすか、貧しい民衆を特権階級との平均値に総中産階級社会として上昇させなければならない」みたいな話じゃありません。←こっちは左翼共産主義における『階級闘争』で平等論では”無い”。
『階級闘争』的な概念が成立する要件は「貴族階級などが不平等に上位の暮らしをしている」という認識が無ければならず、自動的に貴族階級の生活が人類普遍の”上位権威”である事を追認しとるのね。前述のイエスの論法で言うと、『階級闘争』論者は「貴族階級にしか礼拝を受ける権利が無いのである」と定義しているワケさ(不平等論者だから=人種差別的論者)、故に貧しい階級を上昇させなければ人として平等になれない(=特定社会における上昇志向の権威性や正当性を妄信してるよね)と、自分が言ってることに無自覚だったりする。
『階級闘争』的概念ってのは無意識に→貧しい階級は金銭的事情により「ワインが準備できないので」礼拝の権利すらないと言っているのと同義なので(それが『階級闘争』派の言う”中産階級に上昇しなければならない理由”なんだからさ)、実は貧困階級などに対して強い偏見を持っているのが『階級闘争』派の平等意識って事になる(言い換えると『階級闘争』派の内実はとても権威主義的である)。
これは致命的な論理矛盾で、不平等主義者の詭弁です。

イエスが言っとるのは、権力者だろうと金持ちだろうと生活に困らず庶民気取りの市民だろうと、誰が上位も下位も無く(せいぜい「そんな趣味なのね」程度の差異で)、人間が実存する上において「全く関係が無い」と言っているワケ、故に人間は平等である(権力者も貧しき人にも”差が無い”=権力者は貧しき民衆と同格である)。
「王もド貧民もその価値は平等に同じである(暗喩は成功者だとか庶民気取りの市民だなどどいうことはクソの役にも立たないどうでもいいことである)」→これが後の「所得や身分に関係無く、民主主義とは全ての国民に平等に同じ一票」に繋がるワケですよ。
どうもね、以下の意味を理解していない層がいるようなので補足するけれど、
●「特権階級に対して、無知な貧しい民衆であっても”平等に”礼拝を受ける権利がある」
(この話のバックグラウンドは、礼拝に使用するワインを貧しい人は用意できないから。)
仮にイエスが『階級闘争』主義者だった場合は→「全ての貧しい人にも(平等に)ワインを!」という闘争になるのですよ。
しかし、イエスがやった事はまったく別です。
「私がこの水をワインに変えましょう」←信者の皆さん的には奇跡ネタとして有名な話。
実際に起きた事は→「水で礼拝して何か問題でも?」です。
(礼拝はワインでなければいけないなどという権威主義者が愚かなだけである。)
その貧者のバックグラウンドなどを全く問わないところがポイントで、
イエス曰く「ド貧乏でも”いいんです”(等しく平等です)」って話さ。
「私にはあなた達と金で着飾る貴族達の区別がつきません。神の前では等しく迷える子羊達です。」
だから、後の民主主義において「全ての人に一票を」となるのです。
(これが『階級闘争』似非平等主義になると「貧困層には投票権は必要無い(劣る)から→特権階級を打倒して総中流階級を約束する事で全ての人が”上級市民”的に投票できる社会にしましょう」ってな筋書きになる。→それが「全ての市民を党員に」になっちゃったんだけどさ、)

●いえいえ、投票権の闘争は”左翼”がやってきたことだろうって異論も聞こえてきますが(笑
そういう事いっとんのじゃなくて、
前述の『平等論』の概念があるから、女性の政治参加運動やっていた人も貧困層含む全ての国民が参加する民主主義運動も、はては米国の奴隷解放運動もですな、時のリベラル派がやってますけれど彼らは「不平等だからと『階級闘争』をやっていたのでは”無い”」ワケよ。
そのままで(大金持ちも昨日まで奴隷階級だった黒人も平等な人間なのだから)「同じ一票を」という概念から始まってる。
以下のように考えたのでは無い。
 ↓
「まず貧困層を全員中産階級化する、そうすれば一票の権利が行使できるだろう」←こうじゃないのだよ。
(※つまり共産党的な『階級闘争』の発想は、無意識に権威主義的な差別的不平等主義者の発想にあるワケ。言いだしっぺのマルクスもそういうつもりはなかったと思いますよ。彼は単に「過剰資本やら過剰生産やら過剰在庫の経済学」として始めた話だと思うんだが。)

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posted by kagewari at 02:14 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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