2015年07月16日

『共同幻想』の論理(掘り下げて考えておく)

どうにもこうにも『共同幻想』ってものの理解が難しい部分も多々ありなので、
掘り下げて考えてみます。
※ひとつ参考になるので少し前のエントリー参照ください
ワーグナーとへヴィメタル
http://kagewari.seesaa.net/article/422011240.html


えーっとですね、
『共同幻想』ってのは「共有化された(神話や概念などの)幻想」って意味ですから。
一番わかりやすい例が「宗教と信者達」の関係です。
或いは前述エントリーのワーグナーじゃありませんが、クラッシックになどの「楽曲のテーマ」も、そう設定された幻想です(映画で言えば「これはフィクションです」)。
シンプルな例だと「貨幣の信用」や「国籍認識・民族意識」や「言語」もそうです。

最近書いた「超自我論」と被っているんだけれども、『共同幻想』は「超自我の共有化(クラッシックの演奏で言えば譜面の共有)」に限りなく近い概念であり(拘束強い事例だと絶対君主の正統性認知や所属宗教の正統性認知など)、
必ずしも単一なものでは無く(会社員なら「アフター5は個人の時間」となる)、
その時その時帰属が認知されている当該集団との間に形成される「共有化現象」です。
(単純な「集団心理」のことでは”ありません”。)
超自我ジャンルの「道徳倫理や正義感・社会的コンセンサスから、貨幣や言語の基本的価値や前提となる設定や、希少性・重要性のある情報と”その解釈”の共有(昭和の新聞制とかだね)や一般常識など主に『自意識マター』の更に”上位概念”に属する事項」←これらが主要な『共同幻想』ジャンルとなります。
 ↑
『当該所属社会の関係性』と符合する『共同幻想』がその都度適応選択され「あたかも役者が”課せられた”多数の役を演じ分けるように」上位概念が「場に応じてクルクルっと変化する構造」を持ちます。

オーケストラの演奏家も演奏会の帰り道に小規模室内楽をやれば別の『共同幻想』所属に変化する。
勿論超自我マターに限らず、社会の運営に関わる一般常識も含まれ(服装など)、
その共有化の範囲は「規定も制限もありません」当該社会の事情で勝手に変化します。
所謂”その小集団なりを束ねる上部概念関連項目”は何であれ全て『共同幻想化』します。
(そこ成立しないと『共同幻想』組織はヒエラルキー構造にならない。)

注:近代以前は『共同幻想』の中身を所属個人が論議する事すらタブーで、王の命令や革命でも起きない限り中身の入れ替えは無し(超自我には本来入れ替え機能があるんですけどね)。
明治維新以降でも「どれだけ迷信と呼ばれようが村単位で近代医療を拒否する」とかザラに起きてます(現代でも先日エボラ出血熱の時にアフリカの地元住民が国際医療団を攻撃したりしてましたね)。
現代社会においても所属社会のコンセンサスを得ないと中身の入れ替え論議はできない。
(「あれ?なになにだよね?」同意を求めつつ語尾は疑問系となる。)
明治の健康診断やエボラの例にあるように「いかに説得する側に鉄板の合理的根拠の明示があっても」容易に『共同幻想』は壊れません。→「悪魔の使者だ」みたいなノリで悪者扱いされ徹底抗戦されるのが”落ち”です。←極論すれば「その論理的証明の必要も無い」。

前述は勿論「ごく普通の『共同幻想』適応系の人達の話」ですが、『共同幻想が』強迫観念化し「強迫心理」となっているメンタル問題における自我防衛でも、勿論『共同幻想』適応一般と同様に激しい抵抗が発生します。
それは「強迫心理」が『共同幻想』同様に内部的には道徳系上位概念なので(=超自我系)、
自我内において『自意識』に対し比較”上位”の概念だからです(ザックリ言えば”憲法”)。

しかし近代以前の『共同幻想』も社会学的変遷(所謂産業革命に始まる社会的コンセンサスの大転換)によって大規模崩壊し、高度経済成長系の『共同幻想』へシフトしてきました(ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ)→これが先進国化への始まりです。
(勿論現代社会に至るルートでは「民主主義」という社会”コンセンサスの変更可能制度の確立”により、『共同幻想』の変遷が「社会的入れ替え選択」みたいな形でその都度選挙などにより施行される形になります。←民主主義は言うならば「革命権の自由化」みたいなものです。)

注:一般常識や日常の共有化ジャンルとなると、旅行時の記念撮影(証拠写真の共有)やおみやげ(旅行先産品共有感のアリバイ)などなど「全員参加の旅行で”なくても”抜け駆けや情報の個人所有を認めない」その情報共有化は場合によるとプライバシー領域に及びます。←勿論旅行の理想系は所属社会の全員参加。
”おみやげシステム”の性格上、同じ商品が羽田空港にあるから羽田で買えばいいか←どうしてもこれは禁じ手であり、面倒なので羽田調達みたいな行為に”おみやげシステム”は罪悪感を発動させなければならなない。←ここにも超自我特有の道徳的縛りかかっていますね。
昭和に見られた「温泉旅行でハダカの付き合い」も同列で、『共同幻想』共有感や”共有密度・濃度”は「秘密の共有(希少性=上位価値概念)」により更に高まる法則がある。
●プライバシーの喪失と引き換えに共有水準は上昇するため「すっ裸の共有」は強い連帯感を演出する。←恋人関係における「裸の付き合い」も同じ法則であり、共有される情報は単なる裸から更に恥部の公開に及び『共同幻想(恋人関係幻想)』密度・濃度を増す結果を生む。
モスリム社会の場合「嫁の顔は家族内にしか公開しない」ってありますが、ここも『共同幻想』の優先順位をよく表していて、アラブはどちらか言えば現代でも氏族社会であることを証明してます。

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タグ:共同幻想
posted by kagewari at 17:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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