2015年06月17日

鬱的状況の基本的な解説

(最初に言っておきますが今回かなり難解且つ長文です。)

※基本的に以下解説は慢性的な背景のある鬱状況の説明であり、ホルモンバランス変化による更年期鬱や限りなくPTSDなトラウマ系を発端とする鬱の説明ではありません。
重要なので誤解の無いよう宜しくお願いします。

■「思い悩む事や、ふさぎ込んでしまう」
誰にでもあることですね。
この状況と対象性となる状況を表す言葉は「立ち直り」などでしょう。
だいたいにおいて言葉ってものは均衡する語彙とセットで”ひとつの概念”を表してます。
ですから、本来「立ち直り」までで完結を前提とする”さる目的”が、その途中で→たとえば「思い悩む事やふさぎ込みが継続し、立ち直りが発生しない」場合に「それは本来目的からして困った事が起きている」ことになり、ざっくり言えばこの継続する”さる目的”の途中停止状態が『鬱』って代物です。
当事者は”誰よりも立ち直りプロセスの発現が起きてこない”のをわかっているのですから、鬱的状況は深刻な問題であり、更に他からここにストレスが付加される事になれば「悪循環が重層化」してしまいます。

●事の発端というか「鬱的状況の仕組みとはどんなものか」。

■冒頭説明の構造読んでいただければ、具体的に悩んでいる”個別事項”やふさぎこむキッカケとなった”個別事項”にやれどうしたこうしたなど個別具体的な対応をすることは「実はまったく意味がない」ことがわかります、重要な鍵は「立ち直り」が起動しないところだからです。
個別事項に過度の関心を向ける事は逆効果になる場合すらあります。
時に相談と言えば「話すだけでも楽になる」なんて言説もあるため個別事項を詳細に話す事に意味があるようにも思えますが、個別事項の解決が有効性を持つのは→「話す事により”標準立ち直りプロセス”を促すキッカケとなり得るから」であって、「立ち直りプロセスそのものが発現しない状況」となる鬱状態の場合だと全く違う意味にもなるからです。
(※目先の具体論がいかに”立ち直りなど起こり得ない深刻性”のあるものかの説明に利用されてしまうケースが多い。)
(※2「限りなくPTSDなトラウマ系鬱」の場合は発端となった事件を語ることによりジャーナリズム的に発端となる事件のネタバレ解体という意味で”効果を持つ”ものとなるため、ここの判断は重要。)

なかなか説明難しいところなので、更に解説していきましょう。
 ↓
●標準立ち直りパターン
 「思い悩んじゃうよね」
 (パチンと膝などを叩くとか、吸っていたタバコをぐっと消すとか、お茶や珈琲を一口飲んでカップを置きのような「転換ポイントみたいな”拍子”」を取った後に)
 「さて!」
鬱的メンタル問題がある時には、このプロセス「さて!」が発現しません。

では、標準の立ち直りプロセスが起動時に自我は内部で何をやっているのでしょうか?
 ↓
「思い悩んじゃうよね」
事実関係のジャーナリズム切り分け発動→「何があったのか第三者的見地で確認」→「何ができて、何ができないか」→「”できる”判定行動の中から何を選択するべきか」←こんな感じのオルタナティブ思考のプロセスがスパコン並みの速度で脳内展開され、
自意識にはこの瞬間の自分を「うーん」だとか「あ〜あ」だとか「え〜っと」などの感覚で認知されます。(※機能的には無意識DATAとの中間点のような位置にあるので”前意識領域”みたいなところでパパパパパと自動で反射的な脳活動が派生。←立ち食い蕎麦やの券売機の前で「えーっと何にしようかな」な時に脳内でメニューがパパパパパと展開する時の”アレ”です。ちなみに「フラッシュバック現象」もこのパパパパパの類。)

簡単にまとめると「問題の切り分けと整理による状況判断と可能な選択肢の確認」です。
このプロセスの起動と実行の一区切りが、
『パチンと膝などを叩くとか、吸っていたタバコをぐっと消すとか、お茶や珈琲を一口飲んでカップを置き』などの行動で認知・確認されてるワケです。
(或いは自意識が「はいここまで」と終了命令を出している。)
軽い日常時であれば、この選択はぶっちゃけサイコロのような場当たり選択で構わないため、脳内にパパパパパと展開しているイメージを「はいここまで」を勘だけで止めて(パチンと膝を叩いた時に見えたものでいいやとか)アバウトに決めちゃっている場合もあるかと思います。

パパパパパの部分は”前意識的”に行われており(自意識と無意識の微妙な中間点で意識的に考えるというよりも過去用例のDATAベースを閲覧しているような感じ)、あたかも「DATAベースの結果リストをザザーっと一目しているかのように」展開し→自意識は「うーんと、どれだろう」検討する格好になります。
呼称付けるなら「脳のシミュレーション機能」でしょうか。
選択が終わると「さて!」の発音でプロセスは終了します。
勿論この状況は前述のように「アバウト過ぎ」な場合もあるのでww
「あー、ちょちょっと待って(もう一回)」とやり直す場合も珍しくありません。
 ↑
上記のように思い悩むほど選択事項が深刻では無い場合、この時間は(蕎麦屋の券売機前のように)とても”短く”、その様も「深刻そうな様子」には至らず、「一瞬真顔になる」程度で完結します。

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posted by kagewari at 22:27 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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