2015年02月27日

「共同幻想」適応選択保守が安易とかまったくないので

時に現代社会の『共同幻想』崩壊を随分と話してきたので、あたかも『共同幻想』なるものは(司司で文明化により時代が迷信などと破壊してきた経緯のように)壊れるべき内容も無い幻想であるかのように誤解される方もいらっしゃるかもなので、ここ説明しておきます。

社会学的には幻想論の幻想たる所以ですが、原始宗教などもそうであったように識字率すら低かった時代にある概念を不特定多数に普及させようと思えば、その根拠となる学術的専門性をいちいち説明することは逆効果になります。
所謂「話をわかりやすくする」って概念(時に久米宏が言った「中学生にでもわかるように」も同義)の極致なんですが、
この「話の省略や誇張や意図的神話性の付与」←こいつが幻想論の幻想部分のコアです。
とても典型的な事例を親子の会話であげると、
「何をしているの、ライターでいたずらしちゃダメじゃない」
「どうして」
「神様が許しませんよ」
 ↑↓
『神は人類に火をもてあそぶ事を禁じた』←なんてドグマになったりする。

ただし、確信犯的保守思想論なんて(前述の社会学的分析ではなく)個人の自我論となれば全然話は別になるのです。
通常前述の神話・幻想部分は『反抗期の現実アップデート』により「合理的再選択」されます。
(なんちゅうかその都度当人にとって「こういうことかな」みたいな理屈により補強され現実論として取り込まれる。←或いはアップデート時に間違いであると否定され代替概念(オルタナ)と差し替えられる。)
で、それらの各種概念が「社会的な周知を求められている権威性のもの」が「共同幻想」であり、まるであたかもそのまんま幻想という意味ではありません。事の始まりがトンデモSFやオカルトみたいな話だったりする文脈の全体が幻想なワケです。
更に重要なことは「既に誰が言いだしっぺなのかわからないのだが、最初に”話をわかりやすくしちゃった人”はぶっちゃけ本気出して論理的哲学的学術的に何を根拠にその発言に至ったのかが説明されていない」→各人の再選択は「言うならば現場解釈」に過ぎず「幻想であるからそれは広く社会に普及するが、確信的論議となると専門性が高く”わかりにくい専門業界の話”のようになるので、それは広く普及しない。」=構造的にそれが普遍性を持つことが無い=幻想となるのです。

で、幻想ではありつつも「歌舞伎界や相撲の角界」のように当該社会が専門性をもつ小集団の場合、構造的にその幻想性は後退し現実性の高い「保守哲学思想」のような傾向が強くなります。
文化伝統のような具体的「過去範例(判例)」も多くなり、神学的に幻想論の反対側を担当する学問みたいな在り方も成立します。
その権威性も「当該社会の社会的権威のような軽薄なもでは”無く”先祖・先人を絶対的権威とする文化伝承主義」のような体裁になってくるワケです。

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posted by kagewari at 21:53 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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