2014年12月27日

銃とペンの話

(今回わりと馬鹿馬鹿しい話なので心理学ネタ期待している人は飛ばしてどうぞ、)
ペンは銃よりなんとやらですとか、
先日2chなどでジブリの名監督が小火器オタクが一番幼稚なんて話もありました。
昔ガンマニアだった人間としては看過できない話ですが(笑
この論議も一種のレトリックです、
名付けて「平和主義気取り」或いは「左翼インテリ気取り」って話っス。
(この話には階級意識が必要不可欠なのがポイント)
いえいえ私も米国のシューテングレンジなどに出没する(本当にそういう人いるんだそうです)米国における中二病的なですね、皮手袋で「君は何秒で抜ける?」などと質問してしまう(早漏の話してんじゃないスよ)あーもーな人をしょうもないと思っているので、何も鉄砲オタクは曇りの無い眼で現実を見ているなんてーな考えもっちゃいませんがね。
だいたいが真面目に鉄砲詳しければハンドガンのカートリッジの切ないパワーなんて誰でも知っているのでありまして、かといって別の意味の中二病的に「俺はアンチマテリアルライフルだから」みたいな発想もどうかしちゃっていると思ってます。
(勿論パヤオ氏のように戦闘機オタクは高貴な存在なんて話がある筈も無く、、)

あのですね、
この辺の話の特徴ですが「論陣を立てる時の設定が都合良すぎる」のです。だからそこに(隙ができて)レトリックが発生し話があられもないところに行く。
別段全米ライフル協会の肩持つもりはありませんが、米国の確信的保守の言うところの「市民が武装する自由」って話の始まりは米国内戦である南北戦争をベースにするもので、日本の秀吉がやったような刀狩を否定するってのがその趣旨です。
中央集権連邦政府が(当時で言えば現在の東部を指す北軍)軍事力による支配を絶対のものにするため市民から銃を取り上げてこれに反抗できないようにするってのに(民主主義のため)反対するのが本質的意図で「市民が武装する権利(権力が武器を独占する事で強権的な独裁政権などが発生する事を抑制する)」みたいな発想になっとんです。極論「市民権の条件は参政権と武装の自由で保証される」みたいな。
端的に言えば「市民は武装する=連邦政府は無駄な軍事力を持つな」みたいな事なんです。
だからリバータリアンは国が海外出向いて戦争する事を忌避している。
左翼的に言い替えると「全米ライフル協会的発想の根本は反戦の証としての市民の武装である」みたいな事。(更に事の始まりに触れると、暗黒政治からテロリズムまで様々なグロテスクな政治をプルーフしたフランス革命から始まっているのであり、権力という暴力に市民が対峙するため銃を持て的ななんとやらがあるんですよ。)
だから西部劇でお馴染みのコルトSAAのアーミーモデルのペットネームは「ピースメーカー」であり、その短銃身モデル(民間流通用)のペットネームは「シビリアン(市民)」なんです。
 ↑
勿論そんな原則論はとっくの昔に形骸化しているので(文化的にも形骸化している)、今現在の米国にガンコントロールが必要無いだとか反対であるとか考えるのはド・ナンセンスです。
なんつーか米国にとってのハンドガンには日本の武士道に通じる部分があるんだってのって象徴的意味を説明したかったつー話です。
※古くは映画『ワイルドバンチ』で主人公のパイクが最後までガンベルトのピースメーカーを抜かないだとか、イーストウッドが『硫黄島からの手紙』で栗林中将が米国赴任時代に贈られた腰の45ガバメントを象徴的に描いていたのも同じ趣旨。
犯罪に使用される安価な銃をサタデーナイトスぺシャルと呼んだり、全米ライフル協会的識者がギャングが好むSMGから連射機能を除いた多弾倉の安物民間モデルを非常に軽蔑していたりとかその筋にはその筋なりにイロイロあるんですってば。

歴史を踏まえて言えばですね「ガンベルトのハンドガンってのは米国人にとって、微妙に江戸時代の武士における二本差し的に安易に抜くような代物では無い」って要素があるのでありまして、(この抜く抜かないって部分は)古く中世欧州の決闘作法のなんとかってところにまで通じているのです。
なものだから、戦争の時の自動小銃なんてものは微妙に愛銃とは言えず「敵からかっぱらったもののでもなんでもいい」的な描かれ方する事多いでしょ(キャッチコピー的には”汚れた銃”扱い)。
しかし勲章ものの戦功だとか挙げた時に贈られる銃はやっぱサイドアームのピストルだったりします。
(※主人公がスナイパーなら違ってくるけれど、この場合には「主人公が槍の達人でその得物は」みたいな展開になっているので、意味が根本的に違うから。)
ご存じのとおりいざ戦争なんて時にサイドアームはほとんど役に立たない豆鉄砲的なスモールアームなのであって(実は自動小銃もほとんと役に立たない)、意味合い的には「サバイバルキットのひとつ」程度の代物です。
随分とくっだらない長話になってますがww
つーわけで、腰のサイドアームは弾が出りゃなんでもいいって事になってないワケ。
そこには趣味性が発生する要素があるんだよ。
攻殻のトグサのマテバじゃないけれど、そういう描き方してキチンと脚本になるんだっての。
ジブリの名監督も「次元大介の銃なんて何でもんんだから改変しちゃえ」なんて事してないよね。つかさルパン三世1期なんてEDの歌詞が「ワルサ―P38なんとか」なんだからルパンの銃を変えるなんてどの監督にもできなかった筈だろ。シナリオ人物設定の基本設定になってんだからさ、
(元ネタは007の愛銃がPPKとかに始まるのかもしれないけれど、)

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posted by kagewari at 21:00 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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