2014年12月17日

まあひとつの鏡像論でしょうか

ある意味本質的なネガポジ論かも知れませんよ。
「やっぱりここがこうだからダメだ」
こう来るときには、だいたい論点がずれている事が少なくありません。
或いはこじ付けや無理のある言い訳っぽいとか。
事実認定の問題を言っているのではありません。
前提となる枠組みが無ければ発見できない些末なポイントだったりするからです。
何の話かと言えば、
「やっぱりここがこうだからダメだ」などという結論に至る場合、経緯として「それ以前にこれもありか」などの期待値である程度話というか現実の展開が進んでいなければなりません(ある程度大きな枠組みでは肯定される雰囲気の中で「話がいっちゃった先の後日談」として成立している)。
などのようにですね、あれこれするなかで後出しじゃんけんみたいに「やっぱりこうだ」という結論が導き出されるからです。
(本筋漠然とした大枠の肯定があるならば、その話全体の文脈には自分も当事者として参加しとるという事はいつの間にかすっ飛んでいる。)

仮にそのポイントが些末では無くって、大枠がらみの重要事項である場合どうでしょう。
だとするなら、事が進む前に「それはかくかくしかじかダメなので論外だ」となっていなければならないからです。
※「あれこれあったが”やっぱり”何々が」に至る以前に結論が出る筈という意味です。「いやいやいやいや”やっぱりそうか”じゃないだろうよ」とね。

典型的な鏡像論つーか、
(そもそも鏡像論とかよくわかっている訳じゃ無いんですけどねww)
端的に言うならば「”やっぱり”の言葉の後にその原因とされる事項ってのは(それが些末である事は前述で論証済み)」媒介だとか媒体に過ぎないんですよ。
何の?って根本的に挙げられた事象のほうでは無く、自分自身に起因する”何”が投影されたものだって事です。「或いはその事象が触媒となって呼び覚まされた」みたいな。
(そのストレス信号により)→「やっぱりなんとかだ」となる構造。

勿論明白な選択ミスや失敗の場合にも似た言葉になりますが、この場合は「やっぱりダメかあーあ失敗した」と殊更「ここがこうだから」などの説明を必要としません(ドジ踏んだ自分が主人公の語りになる)。
冒頭の説明同様に大前提に関わる”自分の”判断ミスに気が付いたとなる訳です。
「しょっぱなからこりゃ論外だったのか」などなど。

よく会話の流れの感想などで言うじゃないですが、
「細かい事をネチネチと」なんてね。
多分、同様の会話にも同じ構造が発生しているんだろうと思います。
一刀両断に大枠の決断はしておらず、総論賛成各論(些末)反対手法で総論をネガティブに否定する。
 ↑
なんか言語としておかしくないかのご意見あるかもしれませんが、
いえいえい上記でいいのです。
ワザとそういう風に書きました。
「否定はネガティブなんだから二重否定になってないか?」
ところが、
違うんですよ。
実は総論賛成各論反対の手法を使っている時点で「実は総論賛成には違いが無い」のです。あたかも残念だみたいな?ネガティブな印象付け?みたいな流れで「やむなくこれは否定せざるを得ない」形の流れになっている。
あたかも「大枠を否定しているつもは無い、私が否定されたのだ」みたいにね。
(注:この時点で構造論的に『被(こうむる)』になってしまうレトリックが成立している。)

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posted by kagewari at 23:45 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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