2014年06月27日

ネコと『単独者』

『単独者』の元ネタは勿論の事実存主義哲学なんですが、
CNNのネコcafeニュースで
猫カフェが世界に続々登場、予約殺到の店も
http://www.cnn.co.jp/business/35049517.html

ドイツの哲学者アルベルト・シュバイツァーにはこんな名言がある。「人生の惨めさから脱け出す唯一の方法は音楽と猫だ」。確かにそうかもしれない。

なんて紹介されています。
(wikiによるとシュバイツァーは実存主義の哲学者サルトルの親戚なんですと、)

漱石じゃありませんけども『猫の視点』はモチーフとして人間には随分と第三者的に見えるのでしょう。実際私はプロフィールの画像のとおりの”猫飼い”ですが群れを嫌い単独行動を基本とするネコの行動からはいろいろと学ぶべき点多いのです。
人間と違って生活が著しく不安定な単独行動系の捕食獣は「運の流れが悪いだとかぶっちゃけ獲物が全然いない」などの状況でバタバタするだけ損であるという状況でホルモンなのか酵素なのか「落ち着いちゃう機能」が備わっており(痛みを抑える麻酔の機能も確かあった筈)、「爪と牙を持つ生き物の性能」これが自我構造などをすっ飛ばして『単独者』足る本能を体現しているという事です。
(※この辺狂ったサル論じゃないですが、異常な生殖機能を規格外のモチベーションに代える人類ヒト科の本能は最初から壊れているという説が有力なだけでなく、後発的に獲得した人類特有の”武器”に対応する捕食獣の様な”制御機能”も持ち合わせていないとされてます。)
言うならば『ナチュボーンの単独者』となります、
更にペットとして飼われているネコは避妊手術するのが常識になってますから(この点飼い主視点で言えば生殖能力を欠く事を何らネガティブに感じていないしネコの側からもそれが特段のストレスを派生しているように観察される事も無い)年に一度の繁殖期の暴走も起きません。
この猫の状況が成立するバックボーンが(人類で言えば社会資本)、ペットしての「生活の安全だけ」であるため、人類に置き換えれば「先進国であればOK」を意味します。

短絡的に結び付けちゃうと「先進国なら人類は誰でも『単独者』になれる」。
「しかし、ネコのように生体機能や本能レベルでそれを容易に達成する能力を欠くのが人類」でもあるのです。
■いくつか人類固有のなんだかんだと心理学パッチの関連を挙げておくと
・繁殖期年中無休は目的が既に「文明化をも志向する膨大なモチベーション」に転じているのであり、猫のようなダイレクトな繁殖時の生存競争を意味していない。
・フロイド心理学でしょっちゅう誤解される「リビドー論」は広義の性欲(広範なモチベーションの源泉)であって、繁殖時の生存競争のような狭義の性欲では無い。
・『共同幻想』を時折草食動物などの群れに誤解している場合もあるが、その発端ではあっても原始宗教成立以降の『共同幻想』はそのような安全保障上の本能から完全に乖離しており、近代以降は完全に「富国強兵などの経済成長やヒエラルキー構造などの関連事項である」。
・猫同様に、先進国化の果てに人類の置かれた環境は「安全と生活の保障」という原始時代以来の文明化の発端とも言うべき目的を完全達成している。
・先進国特有のメンタル問題の大半は「既に必要が無くなった『共同幻想』崩壊過程の諸問題」と捉える事もできる。
 ↓
■更にネコ的に解釈してみる
・「非武装中立はナンセンスである」→「武装があるから制御する機能の実装が追求される」
・「平和な社会の中で「縄張り争いが仮想されるような」『共同幻想』が残留しているのはド・ナンセンスである」→「既に食い扶持はあるのだから過当競争を競争主義市場主義のように置き換えていたり誤解してしまうのは認知障害であり、現実との乖離に他ならない」
・「先進国特有の諸問題などというものは、避妊手術をしていないペットが繁殖期に暴れたなどに対応できない飼い主がペットを虐待しているような図そのものだ」→「ネコの場合はすわ避妊手術とかになるが人類の場合しょっぱなから性欲は広義の性欲に派生しちゃっているのであり、膨大なモチベーションを趣味や仕事に代謝する事のが対応としてはデフォルトだ(狭義の性さえ先進国ではダイレクトな繁殖行動では無く文化である)」
・「昼間寝ているのは怠けているからでは無い」→「平和な状況を快認知してこれをトリガーにのんびりする事こそ経済原則的最適化だ」

■なんかこの論議をしていると、心理学は「先進国では『単独者』がマストであるような主張をしているのか?」と誤解されるかもしれないので補足しておきますが、
先進国の『共同幻想』はその代表として『天皇制』があるように、権力や権威構造から”分化”した”文化”として再構成(リストラ)可能なだけでなく、むしろその方が自然であって(大きくなったら天皇になりたいとか言う子供は皆無に近い)心理学的『歩留り論』があり得るように「権力や利益・市場拡大主義をインセンティブとして成立する近代的『共同幻想』がオワコンだ」と言っているだけで(天皇制の目標は世界征服では無い)、伝統文化として『共同幻想』が再構成(リストラ)されていれば何ら弊害は無い。←そもそも『単独者』の趣味なども元を辿れば『共同幻想』がその成立を行った社会資本のひとつであって「一著上がり的に完結していれば(無限の成長みたいな現実との乖離が解決していれば)『共同幻想』崩壊後の再構成は完了して『単独者』にも愛好されている」と見る事だってできる。
(この『共同幻想』の再構成(リストラ)は”社会的・個人的”同時進行且つ同義である。)
注:原則的な事を言えば「この農地でどれだけの収穫量が、それだけのコスト低下が可能か」という問いに対して「限界など無い」という発想がナンセンスである事は熟練の農家ほど当たり前の事であり、仮に「更に高品質の農業を」と志向した瞬間から「単純な拡大主義拡張主義競争主義は再構成(リストラ)されている」と考える事ができる。
 ↑
この辺の話って所謂哲学などにおける『歴史の終わり論(簡単に言うと成長や革命の終点見えたり論)』とかに関連している話です。←てか心理学的裏付け。
(『歴史の終わり論』もある意味ニーチェ哲学の再解釈ってか再構成みたいなものでしょう。)

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posted by kagewari at 22:31 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月18日

哲学と心理学なんかの社会的背景

哲学と心理学ってかなり似ている代物です。
間違っても心理学は「かくあるべし」みたいな哲学論争には至らないのだけれど(そこは各人ご自由にがテーマなんで)、人間の自我を対象にしている点は同じなのだから参考になるところはあるよね。
文明化の果て後期先進国になるとファンダメンタルから変わるって話は心理学としても「誰もがそれとなく論じている」ところになるけれど(所謂社会的な大規模メンタル問題の発現が先進国病である点)、そこに普遍的なんとかの発見ってところまで突っ込んで行こうって姿勢は心理学としてはお門違いなのであんまり関心は無い。
てか、心理学やっている人間から見ると「そんな難しい事考えて意味があるのかね」なんて思ってしまいますがそこはそれ人間の飽くなき探求心なのでしょう。
(心理学の世界から見ていると哲学者って「空手家」とかそういうジャンルなのかなと思う時もありますな。)

■確かに『共同幻想』崩壊とフリーエコノミーや無労働社会、下手すると不老不死への欲求の顕在化(時代はアンチエイジングなんて言葉でお茶を濁してますが)かなり人類が経験した事の無い方向性に突入しようとしています。
『共同幻想』における神話性は「象徴的文化」のような位置づけで残るにしても、神話をそのまんま信じる人は現代社会においては既にオカルト扱いなのであり、近代あたりから見れば大変な変化なんであります。
(欧米における宗教系『共同幻想』のそれもネット世論においては相当の瓦解っぷりです。)
国際情勢においては左翼人権派の方が「欧州全体を覆い尽くす右傾化反動の波」なんてーな部分に着目しているかもしれませんが、この退行反動化はもっぱら「経済状況の悪化」に起因するものなので表面的とは言いませんけど(欧州の移民問題にしても発端となる途上国経済が円滑ならそもそも移民しようと思う人がいないのだから)、問題の本質は経済学なんだと思います。欧州右傾化なんてのはあくまでも”程度の問題”なのでは無いかと考えるワケです(当事国として「ここはどこの国だったのだろう」水準まで変貌してしまえば反動もクソもアレルギー出ますよそりゃ)←てか欧州の移民政策の背景には過去の植民地政策のナニも絡んでの話なので元から時代錯誤だったと言ってもいいのじゃないですかね。
何度か触れてきましたが、先進各国の経済政策の誤りは「市場主義経済グルーバリズム」なんていう「縮小均衡のミクロ経済学みたいなものをマクロでやってしまった弊害」でしか無いので、G8なりG7なりが本気出せばどうにかなる水準の話かと思います(欧州の立て直し自体はかなり時間を要すると思うけれど)。
重要なポイントとして世界的に見れば「需要は豊富にある」のですからそれほど深刻な話じゃない。
(先進国が憂慮すべきは潜在需要の枯渇ですが、世界見渡せば人口増中の発展途上国多数なんですから、少々為替をいじるだけでも世界的総需要の積み上げは容易っちゃ〜容易です。)

■思い出してみると「昭和のカタストロフ神話の代表ノストラダムス」あたりも、本当のところは『共同幻想』崩壊の雰囲気を当事者である社会が集団心理的に共有したって捉える事もできるのであり、
そんな終末論の一環として「エネルギーや資源の枯渇」がやたらと喧伝されましたが、最近じゃ天然ガスがじゃぶじゃぶ余っていて、市場価格を気にするロシアみたいなね(笑
OPECの会議が夕方のニュースになる事も無くなりましたけど、資源枯渇で騒いでいた日々はなんだったのでしょうね(笑
米国なんて大規模な軍事作戦まで随分やったのに、米国が軍を引いた理由も簡単で「シェールガス革命があったから」って話ですよ。戦前のモンロー主義なんたらも当時米国は石油輸出国でしたから、そりゃ売る側からしたら世界は平和な方がいいのだし。

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posted by kagewari at 23:12 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

ナンセンスなもの

学生時代までガンマニアだった私的にはほんのちょこっと翻訳サイトで紹介されていた「日本のエアガンマニアがグアムの草シューティング競技で(スティールチャレンジとかなんとかでしたっけ)優勝した」なんて話に微笑ましいなどと思ってしまうのですが、日本のエアガンは外国では実銃並の扱いでガンショップで販売していたりします。
15年ぐらい前ぐらいからでしょうか、エアガンメーカーも著作権云々を憂慮したのか本家メーカーと提携したりして更に取り扱いやパーツの採寸など本物と見分けがつかない水準にレベルアップを続けており、正規軍の演習で使用される事もあるそうです。
(正規軍でも口で「バキューンバキューン」言いながらやるアホみたいな演習もあるんですよ、それに比べればエアガン使用の建造物突入訓練のがはるかにリアルでしょうから。)

日本においては厳しい銃刀法があるので、そこを気にしてなのか(本来は関係無いのですが)エアガン用の照準器が本物より優れていると噂になり某国軍人の方がこぞって日本のエアガンショップで購入したパーツを実銃に使用する例があるとの噂から(なんとなく憂慮した)日本のエアガンメーカーが取りつけ部品の仕様を変えたなんて話ももれ伝えられております。
確かに、どこの国の玩具メーカーも「ここまでアホみたいにリアルさに拘るとかそういう発想無い」でしょうから、日本固有の「馬鹿ナンセンス極まれり」みたいな事例なんですよね(笑
(多分専業メーカーさんは実銃のチューンナップとか容易にできてしまうのではなかろうかと思います。)

日本の銃刀法で言えば、先日の『3Dプリンター銃事件』が話題になりましたが、
この設計図を公開しているのはNRA支持者なんでしょうかね?確か米国の大学生だったように記憶しています。
■実際のところ現代社会の先進国においてNRA的に「基本的人権としての武装の自由」なんて話をし出すと、日本におきましては「刀狩りの時代の話でしょうか」ぐらい遡ってしまうので(笑、ガンコントロールをしない事方が現代社会ではナンセンスとなっているのでありまして、
冒頭の話のとおりスポーツ競技として見た場合「日本のエアガンは競技性においては実銃と同じ」だったりする世界があるのですから、「その不格好でトンチキな3DGUNを模倣した男」のズレっぷりというか、斜め上過ぎにも驚きますが(元ネタの米国学生もそうだけど)、
匠の技術で玩具メーカー渾身のエアガンって世界を見ていると「文明足たるものの進むべきナンセンス上等な世界」ってこっちだろうにと思ってしまうのですよね。後者の方がよっぽど平和です。
(※単純化して言えば、狩猟の自由を証明するために食べもしないのに山で動物に向かって銃を乱射していたら「何か違い過ぎ」と誰しも思いますよね。先進国的には文化としての狩猟から自然保護やらを考えるのが筋論でしょうから。)

流石に学生時代でも無いので今更サバゲーとかやろうなんてこれっぽっちも思いませんがww、スポーツ競技としてサバゲーが盛んになると軍国主義だとか言いだす方角のナンセンスにもずっこけてしまうワケです。
同じナンセンスでもやはり個人の趣味趣向や拘りあってのモノってのは、そこに人の意匠なり実存なりが宿りますから(こうなると銃本来の機能としての威力なんてのは”皆無”でもいんです)、そういったナンセンスなモノは平和だしバカ商品的な存在感と意味合いも大きいのじゃないかと考えます。
(趣味性高いカーマニアは必ずしも暴走欲求を持たない←とかの話と同じじゃ無いでしょうか。趣味性高いオーディオマニアも大音量再生欲求を持っているワケでも無い←とかとも同じでしょう。:自己顕示欲に関連しないからです。)

ある意味、人の人生も「高度に趣味性高くなればなるほどそういう馬鹿みたいなナンセンスがアリアリだ」って事を表しているのじゃなかろうかなどと思ったりもします。
(そこに”どうでもいいって意味では無い”「どうでもよくない事などこの世に無い(結果論に意味が無い原則)」が暗喩するものも関連しておるのじゃないかと思ったりするのです。)

関連過去記事はこちら
『無駄な技術』
http://kagewari.seesaa.net/article/332533341.html



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posted by kagewari at 17:33 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

『モノが壊れるといい事がある法則』

自己暗示でも何でも無くてですね、ジンクスのようなものですな。
『モノが壊れるといい事がある法則』
暗喩しているのは
何かモノが壊れるほど時間が経過しているってのがネタバレで(笑
「数学上の確率状況が変化するほど時間が経過した」←これを何かモノが経年変化で壊れた時などに自分でも気が付くって話の”落ち”です。
(ですからこのジンクスの条件は「経年変化による破壊や故障」限定となります。)

インチキな私水準の言語学的ナントカから言えば、
「随分と時間が経過した、愛用の○○が老朽化し壊れるほどに」
というメタファーやらなんちゃらやらって暗喩表現の話であります。
(君が代の「こけのむすまで」ってのも同じ表現形式ですな、)

実際人間の脳はそんな感じで「何かにより何かの暗示を裏コード的に気が付く(裏コードの内容は無意識なまま)」なんて事は頻繁にあるのでして、
いかに脳内ロジックが「関連付け」により構成されているのかがよくわかります。
思えば趣味なんてものも、
ひとつの快感体験と言いますか、「あるジャンルのなんとかって曲を聴いて以来すっかりそのジャンルがお気に入りになった」など(逆に言えばトリガーとなる曲を聴く前はそのジャンルに興味も無かった事になる)、イメージ化された印象記憶の関連付けというのは各個人の自我にとってかなり大きな影響を与えもします。
そこの数学的偶発性や偶然性が、予測計算できない個性化の枝分かれの根拠でもあり、
『自意識マター』で意図的にできることもあれば、その状況や時代などの外的環境との関係性などを選択的アイデンティティーとして『歩留り認知』する事もあるって話です。

それのどこからどこまでが「自分の本質か」のような論議に意味は無く、
観測者しての自分が抑圧や強迫によりただならぬ事になっていないかという事のが「それこそ本質である」となります。
(結果論に意味が無い法則と同じで、何が観測されたのかには意味が無い。)

■冒頭の話で言えば、
自由度の高い自我であれば「おっ愛用のなになにが経年変化で壊れたってーと吉ですね」とかを(認識ってのかなんでしょうねこれ)「来たか状況変化」とかと思う事ありますが、
この時、自我が抑圧下や強迫下にあれば「単にモノが壊れて散々じゃないか」という被害認知しか残りません。
(この話って昭和のプロ野球でもよく聞きましたね。「(実況)先日のデッドボールで痛みの残る脇腹が気になりますね〜」「(解説)いえいえ野球選手はねどっか痛いぐらいが力抜けていんですよ」)

これもひとつの関連付けです。
「俺は何故なになにどうこうなどを思いつけないのか」なんて考えても逆効果なんですよね。
これは探し物を始める時にうっかり「あれ?無くなった!(物品に足はついていないのに)」と言ってしまって、自分で見つけられないフラグを踏んでしまうのと似ています(どこかに置いたのは自分なので一番それを探す有力手段は「あれれどこ置いたっけ」と言う事になる)。
反対向きの関連付けもあるって事です。
(そもそもそのどちらが正面で反対なのかを選ぶのも自分なんですけど。)

■この話をポジティブなんちゃらみたいに考えちゃうと話があっち方向に逸れるので困っちゃうんですよ。「それは無いから」、
(どっちがポジティブかを選ぶもの自分ですからから。)
 ↑
既に次なる暗喩が成立しているの気が付きませんか?
「誰もなになにこそが我がポジティブ」と言っていないのに、外側から漠然と「はいこのようなポジティブななんとかかんとか」なんて説明した時点で、何かポジティブなのかってのが与件化されちゃってますよね?=『共同幻想』だって事です。
話しの中身如何に関わらず、「それは『共同幻想』セミナーですね」みたいな事になる。
(同様タイプの簡易なアプローチでもアリアリなのは、スポーツのメンタルトレーニングの場合です。スポーツ教義の場合共同幻想もクソも「勝つ事がポジ、負ける事がネガ」と競技の概念として(幻想では無く)半ば定義されちゃっているからです。←そんなスポーツでも「参加する事に意義がある」なんて関連付け仕方もあるので、スポーツのメンタルトレーニングに普遍性があるなんて言いませんけどね。)

●ええもちろん「好循環」ってのも単なる確率上の分散なので、
「それが好循環だと確認されるほど長くは続かない」のだけれどね(笑


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posted by kagewari at 15:16 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

心理学のあれこれ

あれこれってか俺は研究者では無いので「誰々のなんとか論がどうこう」とかには全く興味が無いのであって(結局のところフロイドの発見した自我構造的な見立てってのは「見えちゃた的発見」なので変わる事が無いわけだし殊更難解な事でも無いからさ)、さて心理なるものの『姿』は分かったんだけれどそれをどうやって説明したものかというような世界観で様々に分派しているような話で、
研究者的スタンスになった時点で(自分の頭を整理する上でも)そこの何を伝えるのかって部分には「観察者の視点」が影響するんだよね。
『そこに見えている橋は同じ橋だが、橋の絵は同じ橋でも随分違う』ような違いですよ。
何が正しいとかそういう事じゃ無くて「橋の上の歩行者に着眼する観察者もいれば、橋桁やら橋梁構造の設計に目を奪われる観察者もいる」ってワケだ。
その各人も、分析者のスタンスにもなれば「話はほとんど修練してくる」ので、普段話している学説やら論文やらが分派によりあっちこっちと分かれている事にはそれほど大きな意味は無い。

それは「相談者の依頼内容」が(観察者の志向はともあれ)観察の目的ってものを特定するからで、研究者のスタンスでは無い事項となるため(好きに橋の絵を描きましょうって話では無く「橋のナントカをこんとかする目的の場合に橋はどうなってますか?」の依頼に答える話になるのだから)、普段言っている話は各人バラバラで論争にまでなっていても、そこは大した違いじゃないんだわね(笑

仮に違いとして明確になるポイントあるとすると、
そこはやっぱり『共同幻想』を意識するあまり分析範囲というか観察視点に、分析者までもが『視野狭窄』を発生させる場合となる。
■なので、分析者の条件は「すっとぼけたぐらいの第三者性」と考えればいい。
(なんちゅうか「道徳的琴線と矛盾の無い話をしたがっている」ような話に及んでいたら「ちょっとこいつの分析大丈夫かおい」みたいに捉えておけば間違い無いでしょう。)
学会というか研究者的にはここから下に書いている方向性こそ違いじゃないかと思っている人いると思うんだが、それはどうかなと思うワケさ。

と、ここまでの話を踏まえてですね、
研究者としての分派の別れ方ってとこを少し取り上げてみたい。
(●最初に言っとくけど誰それのナントカ説はどうですかみたいな質問をコメント欄に書くのはNGにしてくれぶっちゃけ「わかんない」し前述のとおりその人物がそれをどう思って何を言ったとかってのは「橋の絵の解釈」と同じなんで美術批評みたいな論議になるだけで意味無いんだわ。←その人がキテレツな絵を描いたらどうってね、、特に感想も無いから。)
ちょっと横道逸れたので話戻しますがww
大きく分けるとさ、
「無意識側から主に見る奴」「自意識側から主に見る奴」「自我構造論ベースな人」などなどだよね。(岸田がエポックなのはマクロ経済学的な視点を持ち込んだことにあるわね)
この時にさ、殊更それを批判するつもりは無いんだけれど、
『無意識』なるものをオカルトチックにというか情緒的に持ちあげちゃう系の論議ってのはちょっと危ういと思うんだわ。
(ちなみに当事務所の見解は『無意識領域ナントカ』って部分は動物行動学などで補完するのがわかりやすいと考えてる。人類ヒト科固有の特徴は「永久繁殖期的バックグラウンド」であり、経済学的均衡論的に抑えておけば十分な話だから。)
この辺の視点の違いはなんてか当人には趣味や志向の範囲だから。
やってる当人も薄々そこはわかっていると思うし、思い入れから若干のデフォルメが出ていてもさそれはいんですよ。「当人にとっては。」
面倒なのはさ、フロイド心理学の基本と言うかそこから「やたら凄いものなのじゃないか」みたいな(発見それ自体は本当に凄いんだけれどそういう意味じゃ無く)「それこそ個人的バックグラウンドを『投影』しちゃう読者層」それ自体にあるんだわ。
この場合「キタこれ本当なんだ」みたいなさ、この状況に陥ると使い道を間違っているワケだから別の意味で若干の問題だと言えるでしょ。

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posted by kagewari at 04:07 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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