2014年05月24日

「凄い歌だとか怖い歌」

その時代なりの『共同幻想』を観察する方法に(いつの時代もマスメディアやTV番組があったわけではありませんので)流行歌の歌詞などを真面目に読んでみるって手法もあります。
そこで、古い歌の中から強固だった時代の『共同幻想』の姿を推し量ってみようなんてな考えでいくつか事例を出してみました。

最初はこちら、
坂本龍一教授じゃありませんよ、坂本九の歌です。
(これって元はスペイン民謡だったんですね、全く知りませんでした。)
■■■『幸せなら手をたたこう』■■■
幸せなら手をたたこう
幸せなら手をたたこう
幸せなら態度でしめそうよ
ほらみんなで手をたたこう

幸せなら足ならそう
幸せなら足ならそう
幸せなら態度でしめそうよ
ほらみんなで足ならそう
<中略>
幸せなら最初から
幸せなら最初から
幸せなら態度でしめそうよ
ほらみんなで最初から

■「凄すぎ」
幸福の押し売りどころか、これ現代で言えば新興宗教真っ青なセミナーソングみたいにも聞こえます。そこにからめた集団行動のそれは少しだけ戦前のそれを感じさせてもくれます。当時の『共同幻想』がどれだけその浸透力の点で強固だったのか(或いは強迫性水準に対する合理性が担保されちゃっていたのか)わかるような気もしますね。

もっと古い時代に行ってみましょうか。


■■■『かごめかごめ』■■■
wiki:籠目籠目「細取・小間取(こまどり)」「子捕り・子取り(こどり)」「子をとろ子とろ」とも言う。
概要:鬼は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。各地方で異なった歌詞が伝わっていたが、昭和初期に山中直治によって記録された千葉県野田市地方の歌が全国へと伝わり現在に至った。 野田市が発祥地といわれることから、東武野田線の清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建立されている。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?

■「怖すぎ」
これはタイムスリップの歌なんですかね?
古い時代の『共同幻想』がもうねオカルト水準の神話性で彩られていた事がわかります。
(この当時は歌詞の意味がどうとか頓着も無かったのでしょうか。wikiによると歌が広まる過程で替え歌まがいに複数の歌詞が地方に見られるとの事。)
歌詞のアバウトさには『共同幻想』=「ある意味グルーブ感」なるものを体感させてくれますね。
同時に言語の呪術性にも関係するところかも知れません。
(更にこの時代より古くなると庶民の識字率は大変低くなりますから、歌詞の意味のアバウトさや言語の呪術性や神秘性はより高かったと思います。)

某説によると、
現代の流行歌のコード進行は「黄金律的なパクリとも言える法則」みたいなものがあるそうで、製作者も半ばそれを知って「王道」としてそのまんま作っちゃう事が珍しくないそうです。
ここにも『共同幻想』における仮想普遍性の鍵が表れているように思います。
古く民謡や民族音楽ともなれば、そのコード進行やマイルス的に言えばモード(旋律法みたいな)のような「類型」のようなものがありまして(方言もその意味では勿論『共同幻想』が露出されている事象のひとつ)、現代社会で言えば「特殊な洗脳技法」なんてオカルトな説明を始める人もいるかも知れません。
案外この話は「昔の歴史の年号覚える記憶法の、なくよウグイスなんとやら」なんてーな習熟術みたいな流れで(歌にすれば覚えやすいとか)『共同幻想』の共同・共通・共有化の流れの中で技術的にひろまってきたものかなとも思います。
(思えば日本も戦中は、国威発揚で軍歌ばかり流すであるとか→そもそも軍歌ってのがリズムやコード進行に”軍歌調”って定番あっての話でしたね。)

なんだか投げっぱなしの話ですが、
今回はここまでです(笑


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posted by kagewari at 23:38 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

左翼インテリ気取りのみなさんの劣化が著しい

米国で台頭したネオコンや韓国のニューライトなんかと同様に、日本における安倍政権のそれは短銃に「旧来のタカ派の再来」ではありません。保守系論壇というか所謂右寄りの人達の間で旧来の『共同幻想』は相当幅崩れており(組織論とそてではなく)個の主義主張としてそれぞれが「保守とは何か」みたいなものを再構成してきてる部分があるんですよ。
(勿論、結果として行き過ぎたネオコンだとか欧州の移民に対する暴動などダメダメな部分もやたらと目立ってはいるんですが、概ねそれらも個としての行動からエスカレートしていってるのがポイントではないかと←大問題は大問題なんだけどさ。)
昨今の新興保守は理念やイデオロギーでは無く「事実関係の積み上げによる理論武装」を重視しているところが特徴で、それは昭和の保守反動(或いは反動保守)のようないかにもな『共同幻想』懐古主義では”無い”のですよ。
やれブラック企業問題などを喧伝したネット世論などにも所謂ネトウヨなどと称されるネット世論と同じところから出ているのであって(結果的にこの喧伝はブラック企業指定された企業の求人難につながり労働条件の改善に繋がっていたりもする)、これは安倍政権が経済団体に「賃上げしろ」とどんな左翼系の政治家より強い圧力かけたみたいな皮肉と被ってます。
何も私は安倍政権を持ち上げようって話では無くですね、
バタバタもするし、問題も起こしてますが「新興保守」には事実関係の積み上げ=現実の中であらがおうってスタンスがどこかしこにある(正攻法でぶつかれば実は論議の余地もある)。昭和のタカ派思想を一度破壊させて(石原氏的な世界が取り残されているように見えるのが象徴的な部分かもしれない)、事実関係を前提とする問題意識はそこいら辺の理念型左翼なんかよりちゃんと考えているって事です。
アベノミクスにしても安倍首相が当時浪人中に個人的勉強会で検討されてきたものなんだし、

俺は個人的には小沢ファンな訳だけれど、小沢氏の政治力凋落(ほとんど政治生命終了)の背景には「左翼リベラル系が使えない人材になってる」部分大きいんですよ。
小沢は田中派の政治の延長で、旧社会党や公明党などの所謂左翼リベラル系とも国対レベルで連携してって手法を昔っから継続していて、新進党で失敗してもまだそこ諦めずにいるから。
(しかしだ、この左翼リベラルがダメダメで、もう昭和の「左翼インテリ階級的なる『共同幻想』にしがみつくがごとくで反動革新だとか革新反動という言葉がふさわしい状況で」話が通じない。現実的判断なり行動なりができない。→小沢的には「まだ昭和の国対裏取引の時のが話が通じた」感じじゃないか?)
昨今の安倍政権が進めている「解釈改憲的な集団的安全保障論」に対する批判にしても、左翼インテリ系は救いようが無いほど的外れな事を言っており、、劣化してるとしか言えないんだわ。
そりゃ検察の小沢パージ騒動の時への鈍感さからもわかっていたことだけれど、
仮にでっせ、安倍政権の集団的安全保障論を批判するならばさ、
安倍首相は本気で「戦争などやろうと全く思っていない」という真意を少なくとも尊重した上で反対の論陣張らないと説得力は無いのであって、
(安倍政権がやっている論議は小沢PKO法案の時の話の拡大バージョンで、その手法はともかくだが「趣旨は似たようなもの」です。最初に機雷除去とかへの参加を検討したのなんて小沢PKOの時からの話だし、安倍首相が今回拘っている部分には「岸内閣への当時の批判は的外れで、日米安保により日本の平和は継続したじゃないか」って彼にとってここの比重大きいのは事実だからね。)

一番驚いたのが、某有名左翼報道番組の扱いで、
今回安倍政権が「PKO活動における問題」などを実例としてあげた時の反論がだ、
「なんだかんだ言ってイラクのサマワにおける自衛隊活動が十分評価されているじゃないですか」みたいな事を言うんだよね(笑
「オイオイオイオイ、お前達小泉政権がイラク派遣決定した時どんだけ反対してたのか忘れたんですか?」ズッコケそうになったんだけれど、、
「健忘症なのか、支離滅裂なのか、、」
一番笑ったのが「安倍政権はこれこれこういうケースに対して集団的安全保障の論議抜きに対応できないと言ってますが、十分にそれは現行法における個別的自衛権でできちゃいます」って批判で、ちょっと待ってくれよ。この人達は「集団的安全保障の論議など必要無く、現在の個別的自衛権の範囲でグレーゾーン的な自衛隊の活動における戦闘行為も絶賛可能なのであり心配無いとか言ってますが」←なんですかこりゃ。「安倍政権の集団的安全保障論が気に食わないから、自衛隊は何ら憲法解釈抜きでどんどん戦闘行為できちゃってもいいって話をしてるのと同じじゃね。」
幾らなんでも酷過ぎるだろこれ。
■安倍政権への批判を正攻法でするならば、彼らの言う「集団的安全保障の制限論は内閣法制局の問題であり、元々現行憲法下でもここからここの範囲の集団的安全保障は可能な範囲に含まれており、今回の集団的安全保障の話は解釈改憲では無い」って論議に対して→「改憲では無い」部分にどういう保証をつけているのかってのがポイントでしょうに。
(安倍政権自体、憲法改正を政策課題に挙げているのだから、それが解釈改憲なのであれば憲法改正の必要が無いと自分で言っているような事になる点は「これは解釈改憲では無い」って言質を取る事はできると思うんだが。)
ところが、左翼リベラルが「自分でこれは解釈改憲ですね」と言っちゃうとさ、改憲では無いという担保が無いって批判をできなくなるじゃん。アホなの?
「安倍政権の集団的安全保障論の趣旨は”よくわかりました”、では(今回の論議が解釈改憲では無いのですから)現行の平和憲法との整合性はどこで保障されているんですか」←批判したけりゃこっちのルートじゃないと筋違いの妄言になるだけでしょ。

所謂左翼リベラル的インテリ気取りのみなさんが、小沢に対する検察の謀略論みたいなのがあった時の鈍感さを「なるほど裏から圧力が」なんて思っていた時代もありましたが(勿論こいつらもグルみたいなそういう一面もあるけどさ←この時のマスコミの動きに関しては落合中日時代の落合パージとも似ていたわね)、
本質的には違うんでしょう「どこに問題があるのか彼ら本当にわからないわけさ」。
だから安倍政権なんかへの批判も「やればやるほど話が意味不明空間」に突入してるんでしょう。
(小沢民主時代にも二言目には「政治と金」とか言ってた水準と何も違わない、てかもうこうなっちゃうと批判の興奮が先にありきで、現実との乖離がとてつもないことになってる。)

最近の日本は右傾化がなんてね(笑
そういうこっちゃないワケですよ。
左翼リベラル知識人気取り階層の反動的(退行的)『共同幻想』依存が酷い有り様で、この没落がデカいんだわ。頼むよ、ほんと。
(現実見ろよと言いたくなるマジ。)
論議の是非はともかくも、現在『共同幻想』に対するリストラ認知は保守系のが一歩先んじているって事なんでしょう。


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posted by kagewari at 20:09 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

飄々(ひょうひょう)とだとか颯爽(さっそう)とだとか

ここんところ妙に「言葉」回りに絡んでる訳なんだけど、
考えずに放置していいような話では無いと思うんですわ。
(なんせ心理学がまんま言語学を取り込むとか全然無理なんだからほんの着想程度しか考える事できないんだけど、)

たとえば古参の物書きさんの取材レポートのようなものが「カウンター論的均衡」で、強迫的思考状態のイメージに対して(コイツが『自意識』を抑圧しているんだが)、防戦一方の『自意識』に(PKO部隊のように)戦況をとりあえず停戦状態にしようっていうのが、言えば精神分析なんだが、この仲裁的均衡力が頼りないとかでは無くですね、効果的小細工みたいな着想もあっていいかなと。こういう話です。
絵画や映画や一枚の写真なんてなものが(衒学的攻撃力のある若干意味不明の専門用語もそうだけれど)『ハッタリ効果』とでも言えばいいのかしら、敵方が「印象記憶」というようなものなのだからこれに対峙する『自意識』の戦闘力って言うんですか、「先方が象徴化と権威主義を弄しているのだから」古参弁護士さんの演説も「なんか凄そうな」っていう手法を技的に用いるもそりゃアリでしょうと思うんですよ。
所謂「野村監督だから何かしてきそうだ(実は何もしないんだが)」のような、えー若干のインチキ心理戦ですね。
昨今の戦争じゃ『電子線』常識じゃないですか、心理学においても確かに正攻法で堂々とってのがあるべき姿だと思うんですが、「心理学って自分で言ってんだから『心理戦』ぐらい常識じゃないと」と思う訳ですよ。
(なんだか詐欺的商法みたいな話じゃないでっせww)

さて『鬱』において「その様子をイメージしてみたらどうなりますか?」と問いかける時、だいたいこんな言葉が出てくるだろうなってここ予測付きますよね?案外そのイメージは固定的になります。
当たり前の話ですよね「そういう分類が鬱ってことなんだから」。
(ここでニワトリと卵論争を考えてみる)
どこか自分自身でその空間を造って保守しているようなものなんですよこれ、
(無意識にこの構造を保守する方向に感情的反射が起きるのは事実ですから。)
何回か前に書いた「時制・時空間の着想におけるロスタイム・シンドローム」に出てきた「中二病的に言えば固有結界閉鎖空間か」みたいなアレと被ってくるだろうと。
ということであれば、
■逆も真なのではなかろうかと。
最初に『心理戦』をしかけて、『自意識』抑圧に成功しているのは「強迫心理状態」なる自我の構成で(そうなっちゃった的なものなんですが)、ここに『自意識共犯』『自意識共謀』みたいなポジに押し込められた『自意識』さんがもう苦しい弁明を始めた時に、なんかこうね藁をもつかむように「これなんですよこれ!」(鬱イメージが投影可能なネタ主張)に手を出したしりから「鬱ワールドが展開しちゃっている」のだろうと。
(そして「これなんですよこれ!」な投影時に言語学的なナントカを無意識に使っているのだろうと、←超自我フラグじゃないと抑圧効果が期待できないのだから。)
チョイ前のエントリーで書いた「超自我言語」に手を出しちゃうってのかしらね。
http://kagewari.seesaa.net/article/395638080.html
 ↑
私はカウンセリングの過程で(公開掲示板などでも何度も書いているので公開して構わないと思いますが)禁止事項的に『道徳であるとかいい悪い論』『恋愛禁止』『必ず一拍置く・反射的認知を表明しない』『比較級・偏差値認知の使用禁止』『取り巻き(謎の友人など)の話を持ち出さない』などなど状況に応じて説明しているんですが、結果的には「超自我ワード」の使用を抑制しようって働きかけでもあります。
(とにもかくにも『自意識』がまだ抑圧される傾向残っているにしても、ズルズルと『自意識共犯』に引きずり込まれるのはストップさせたい。←ここ止めないとリバウンドを抑えられんのです。)


→続きを読む

posted by kagewari at 19:02 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

『共同幻想』と『単独者』のプライバシー論

ザックリ言えば『共同幻想』は自身の記憶著作権の一部が”共有化”されているので(記念写真の閲覧や旅行の報告義務やそもそも一緒に外出など)、私的所有権が制限されていると考えられます。
それこそ分譲マンションの区分所有権みたいな話ですよ。
これに比して『単独者』は土地付き戸建て同様に完全な所有権であり、私的情報をワザワザ所属『共同幻想』に共有化のため報告義務などもありません。記憶の著作権=私的所有権が最大化します。

前回の話の「安全保障」を考える場合、『共同幻想』は所属母体である団体なり社会を守る事は自分の存在にも関わる最優先事項となりますが(国なら国対)、『単独者』の場合私的所有権が侵害されない事が最優先になります。
つまり、先進国化の流れの中で「プライバシー保護法案」などが執行されるという流れにも『共同幻想』の崩壊と『単独者化』が現れている訳です。
見当違いな社会学者におきましては、この背景を「コミュニティーの崩壊」なんて見方している人おりますが、全然違う話です。「私的情報の共有化が半ば制度化している社会から、その使い方が個人の判断に任される時代への変遷」つー話でありまして(昭和に”クラウド”なんて存在しないのだから)、個人に管理者権限がありますよってのが『単独者』であって=プライバシー保護のために一切ネットに接続しないとかそういう意味じゃないから。
(『単独者』の時代だからネット情報起点にデモによって独裁政権が倒れるとか象徴的な事件が起きているのであって。)

ここまでの話で「安全保障論的に『共同幻想』社会では戦争が起きやすく、それが国家間の全面戦争でも行為としてそれが合理的である」ってのがわかると思います。
更に先進国化した国家においては『単独者化』が進行しますから、『共同幻想』適応人格の典型とも言うべき「軍人メンタル」というものの保持が大変困難になります。個人のHNである前に「軍人誰々」って呼称で自分が存在するって幻想に対するストレス認知が否応なく高まってしまうので、想像するにそんな社会で徴兵制敷いても制度でスカウトされた兵士はまったく使えないでしょう。
先進国においては志願制の国軍以外考えられないんです(その動機と人格選択の点から)、
「となれば先進国の軍人は『共同幻想』適応人格に偏るのか?」という論議もあると思いますが、確かに傾向としては「保守系共同幻想」が比較多数かもしれませんが、『特殊部隊』やら『情報工作』なんかのヤクザな業務の派生も先進国の軍隊ほど増えてきます。そっちの業務には「単独活動」も含まれてきますから、人材として軍隊に『単独者』の志望動機が成立しないって事ではありません。
(一般将兵としても「ガス抜き役」だとか「ジョークで緊張を和ませる係り」みたいな単独業務は重宝されるので『共同幻想』適応人格だけに偏重する部隊のがかえってアンバランスにもなるでしょう。)
とにもかくにも先進国になれば、国家の安全保障も大事だが、自分のマシンのIEセキュリティーアップデートの重要度も同様に高いって現象が起きます。
事実、昭和の住居では「玄関の鍵もかけない」習慣がかなりの地域にありましたが、現代社会で玄関の鍵をかけないって話は少なくとも一般的ではありません(ディンプルキーにしようかなってぐらい)。(■多分この流れは先進国における同性愛カミングアウトなどの増加とかにも関係している。←プライバシー領域の拡大と管理者権限。)
『先日勃発した2chをめぐる様々な様相』
http://kagewari.seesaa.net/article/393612459.html
(同記事末尾のリンク参照)
この辺の動きなんか、2chに関心強い人にとっては「戦争」そのものですよ。
「電子戦情報戦の一部」といって差し支えないでしょう。

翻って考えて見れば、世界で先進国の先端を行ってた米国は随分前から訴訟社会が到来して、有力政治家のかなりの数が弁護士あがりだって時代を迎えたりしているのも同じ流れにあります、
(日本でズッコケた民主党政権もそうでしたから、官僚あがりと弁護士あがりの対比ってところはそこいら辺をよく表している。)
伝統的保守派は『共同幻想』における階級社会における競争という合理的強迫が消える事でやれ経済成長がどうだのってアホみたいな話してますが(その市場経済学派の張本人が金融工学経済学やっちゃっているだから洒落にもならない)、先進国は経済成長なるものも社会資本として所謂市民の労働力なんてものに頼らなくても運営できるようになってるのが筋論で(近代じゃないだからさ)、NPOやNGOやらボランティア活動のそれがあるように、マンパワーってのがどこで活躍するのかってそれは国家の民度なりに比例する話なんだから、ムチとニンジンが無いと労働者が働かないので国家が滅びるって「お前いつの時代の話ってか市民は奴隷や家畜と同じか」って話になるからね(笑

さてそんなワケで、
『共同幻想』時代においてはマジ国家間の戦争も前提とした安全保障って姿が合理的だったんですが、後期先進国時代ともなりますと『単独者』を軸に「軍部も戦争を前提とするというより安全保障全般の総合的なスペシャリスト的な内容」が求められてきますから(『共同幻想』時代より何倍も本当に戦争になったら軍部にとって最大の失態だのように)、国際的な軍事演習などの交流の在り方なども意味合いが大きく変わってくるとなります。
それこそ「演習で見事なナントカを見せつける事は実際の戦闘行為以上の本物の戦争だ」的ななんつーか「軍事機密も見せつけてナンボの時代」のような変遷があるだろうと思います。
国家を守るのではなく、個人を守る(そこには軍人としての個人も含まれる)。
左翼の非武装中立みたいなお花畑な話とは全く違う方向で、戦争を抑制する社会を探っていくべき時代へ移行するだろうと思います。

■日本の自衛隊も今年はステルス実証機飛ばすみたいですが、
バシバシ見せられるところは公開すべきでしょう。
かえってその方が戦争抑止できる(或いはそこが本番みたいな)世界になっていくんでしょう。


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posted by kagewari at 18:23 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

『共同幻想』と戦争

実用面において『共同幻想』とは「安全保障」の事です。
こう言い切ってほとんど問題ありません。
なんせ原型が捕食動物に対する種の防衛として群れを形成するって本能に始まるのですから。
異常な(異例でも可な)進化を遂げた哺乳類人類ヒト科は草食動物などに顕著に見られる(ちなみに人類ヒト科は雑食なので草食動物では無い)群れによる安全保障を「ロジカルに定義して運用した」のであり、それが『共同幻想』の存在意義です。

戦争か平和かなんて論議の時によく話に出るのが「世界で戦争を最も避けようと努力しているのが軍人」などの話です。卵が先がニワトリかに似た話で、「安全保障という名の軍備」これは国連のPKOじゃありませんけど「平和維持のための軍事組織」ってのが大前提であって、とち狂った権力者の「世界征服の野望」を例外に世界の軍隊のほぼ全ては所属『共同幻想』の防衛のために存在してます。
(防衛のためを錦の御旗にした侵略がどれほど多数あった事かって、論議にしても決してその発端嘘じゃないですから。←不安心理で認知が誇大化すればそんな事余裕で有り得る事ですからね。)

となればですよ?
『共同幻想』崩壊過程においては『戦争』は行為として大変難しくなってくる計算になります。
事実そうなってます。
あの米国ですら大規模な全面戦争遂行は大変難しいことになってます。
(無謀な地域紛争への介入にしても、前線兵士のローテーションに悩み「人材不足が原因で戦線を意地で無い」というのが現在の米国の本音です。)
『単独者論』としても、『単独者』があらゆる『共同幻想』から無限に独立するようなバリバリのアナーキズムのような事にはなりません。それは「フリーJAZZの顛末」のようにナンセンスであり、人間の個性はなにがしかの『歩留り選択』により成立するのであり、極端な話「性別が選べないのはナントカだ」のようにあらゆるアイデンティティーに対して単独化(反抗化)するというもの程度問題です。(加えて自らの容姿にまでそれが及んだ時、果たして人類はその状況で個性を保持できるのかと聞かれれば「そんなオリジナリティーを創造する芸術性を全ての自我が持っているなどという想定はナンセンス」だし、芸術という視点から見れば「その話はルネッサンスである意味結論出てるでしょ」と考える事もできます。)
■いやはやそんな『単独者論』などになってしまえば、人類の基本”属性(皮肉ですよね)”には「哲学的思考や芸術的創造性がなければならない」なんて斜め上の話になり、それは『単独者』が単独者として望むものでは無いでしょう。

話を戦争に戻しますと、
社会的『単独者』試行錯誤の一断面である「米国のリバタリアン(自由主義者)」は、もっぱら反戦保守と知られますから、社会の『単独者』が『共同幻想』的な起点からの戦争を怒り難くしていくことは説得力のある話です。

「安全保障もおろそかになり、リバタリアン運動のように個人が武装する時代がくるのか?」
と聞かれれば、そういう意味にもならないと思います。
この類型というか典型は「インターネットにおけるPCの運用」で見るのがわかりやすいでしょう。
旧来の『共同幻想』はまさに「法人などのイントラネットや汎用大型コンピューター時代」の様子そのままです。接続する端末は「そのまんま末端の端末に過ぎず」自立性や自由度が無いかわりセキュリティーは共有化されるホストに依存する。
しかしPC時代の台頭により、各PCは自身でインストールしたセキュリティーソフトや自身でMSなどのアップデートの可否を選択し導入します。
「別に個人がハッカー的スキルを身に着けて攻撃能力を保持する事にはならない」ってオチですよ。
目的は安全保障なんですから(笑
(事実先進国では民間警備保障サービスなどの利用が述ビル結果となっても、資産家が自宅にミサイル防衛システムをひそかに導入するなんて話にはならない。)

『矛盾』って言葉で言えば、
「盾の需要がうなぎの滝登り」って話スかね。
この状況が成立可能なのは、社会的ダーウィニズムが棲み分け論に否定された経緯に表れてもいるのでしょう。
攻撃スキルや情報を持つ者が、その専門性を元にして「高性能な盾」を作りそれを流通させる事が「需要」として成立するのであれば、合理的均衡論のような法則で「誰かがそれをやる」って話で、
『共同幻想』の機能性が、先進国というの社会資本により代替されていくことにより『単独者化』が推進されるって話と同じです。
(先進国の『単独者化』が仮に爆発的に推進されるのだとしたら、そのトリガーは『ベーシックインカム導入』だろうって話。)

■本来はこの話って「『共同幻想』と『単独者』のプライバシー論」やらないと始まらないので、
これは<次回につづく>としましょうか。


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posted by kagewari at 13:32 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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