2014年04月26日

最古の『共同幻想』”言語”について

普遍的では無く普遍性ってところがミソでしょうか。
言葉も世代によって変遷しますし「新語・造語・外来語」と変わっていくものには違い有りませんが、日本語は日本語ですから。果たしてそういう言葉があるのか無いのかはともかく『原始共同幻想』とも言うべきこの部分に関しては『単独者化』や『共同幻想』崩壊過程と関わりなく日本文化という伝統が続く限り(この点で文化の裏付けのあるので歩留り個性的意味で幻想と言い切れない)、その普遍性は保たれます。

故人である野坂昭如氏が朝まで生TVのレギュラーだった時代に随分と「言葉を大事にしない」と怒ってましたが(誰に怒っているのかもわからない調子でぶっちゃけ酔ってた)、ここには二つの方向から意味が発生していると思う。
勿論一方は「言葉が語彙だけで無く文化伝統なりの韻を踏んでいるから安易に意味だけ通じる新語を使うな」的な話と、もう一方は「安易に意味だけは通じる新語や略し過ぎの若者口語や横文字流行語」などの使用時に「無意識に違う意味の韻を踏んでしまうかもしれない」などなどです。
(平成初期典型事例のひとつが「若者言葉の語尾”だよね”」で、これは米国の「you know語尾」的な『共同幻想』弱依存性が発現したものだった。各地方言もその語尾に特徴があり、無意識的意味合いは案外馬鹿にならないものだと思う。)

言葉にそんなオカルトチックな意味があるんだろうかって人もいるかもですが、それこそ言霊じゃありませんが(或いは陰陽道的な呪(しゅ)でもいいけど)、「右や左などの単なる記号的な言葉」にはそういう心配無いのでありますが、心理学的な世界から申しますとですね「なんだか一見意味が通じる日本語になっているようでありつつ、第三者がそれを聞くとあまりの支離滅裂でズッコケる」みたいな話はいくらでもあるんです。
原因は「夢うつつじゃありませんが」かなりアバウトで論理的合理性を必要としない無意識的言語(夢見ている時や泥酔時の意味不明の口語がその支離滅裂度を一瞬垣間見せてくれているように)、この領域にトラウマ論的感情的固着なんかが沈んでいるので、『自意識』の承認などどこ吹く風で自我全体を強迫的方向に持っていくような状況下にあると、勿論それを自意識が論理的に説明できる筈も無く(相手に元々合理性が無いのだから)「後追いで非常に苦しい立場の弁明を繰り広げる国会答弁」みたいな話があるように(『自意識共犯』や『自意識共謀』なんて呼んでたりします)、強迫心理状態により抑圧傾向にある『自意識』が、誰に問い詰められるワケも無く”この苦しい立場の弁明みたいな話を自我内部で独白させる場合もあるんですよ。
(特に鬱状態なんて場合にはそういう状況が繰り返されていることも推定できる。)

さて、この時故人野坂先生じゃありませんが、
(実はそれこそこれって「超自我構造」の”悪用?”的戦術なんですが)
「言葉を大事にしないとダメだ」的な標語を頭に持っておいておくと幾分「今の自分の話って意味不明過ぎないか?」と自分でネタバレする可能性を幾分か上昇させるんですな。
『一拍置き』効果が期待できる。
(同じ手法を使う名人が「野村監督」だったのだと思う。彼は師事した偉い坊さんなんかの言葉をうまい事戦術的に使って「超自我ジャンルだからこれ」的に四文字熟語的なもので強迫心理的なものに対して自我内で先手を打つみたいなを流れを期待していたと考えられる。)
強迫心理に対抗する上で「目には目を歯には歯を」じゃないけど、
「自意識もさ自分の頭で理屈考えてると疲れるんだよ(笑」てかね、
しかもこの話の面白さってのは、
野村監督なんかが得意とした四文字熟語がだ(これ英語横文字と同じ衒学効果なんだけれど)、
聞いている側意味不明であればあるほど「なんだか殊更意義深いお言葉じゃないか」などと思ってしまう事で(意味不明により意味不明に対抗する的な)、それこそ「言霊であり呪文じゃないのかね」って話だわね。
一種の(若干インチキ臭い)自己暗示作戦。
公共広告や標語やスローガンやプロパガンダからキャッチコピーなどなど、同様手法を用いていると考えられる(なんか響き優先で意味不明でよくて何回な横文字とかのが効果あったり:四文字熟語も語源中国語だから外来語の範疇だと思う)。

まー、こういう戦術を個人がひとりで実演するのは簡単な事では無いですが(だからノムさんのエンタメ講演って今でも人気あるんでしょうな)、ベタな話になりますが、メンタル的にどうかなという状況ある時には、「これ日本語として文章になっているか俺?」的なチェック入れるのが吉だ程度に考えておけば十分かなと思います。
(存外に人は文章など書いているとその表現に迷う事あります。それぐらい文法や言葉の選択は”表現”として自我に相当大きな影響与えていると考えていい。)
 ↑↓
■逆パターンもあるんですよ。
「アラモ砦を忘れるな」のように、トラウマ的な事象を超自我水域に確定させて「これはトラウマや強迫心理では無く公式的な我が”ナントカ”の生存意義ですらある」
(本来歩留り選択に付随している『昇華』の手法によりでっち上げる手法)
やたら特定のフレーズに拘るとか、そのフレーズが出ると自動的に興奮状態になるだとか、
「自己弁明に追われる『自意識』が、鬱傾向に対して依存的である事を公言してしまうようなパターン」で(「やっぱり○○だから絶対また○○になるんだ」)、 

■重要な事なんだけれど、その効果内容の大きな差異は、
『一拍置き』効果狙いの場合は「『自意識』にその言葉の意味や内容がイマイチよくわかっていなくてもよい」のに対し、
『強迫心理を昇華にでっち上げる』場合は、「すっごく感情的なぐらいにその意味を理解している感がデカい」って事ですね(あたかも意味や理由を後付けしたかのように←始まりが『自意識』による後追い弁明ですから)。
つまり、後者は象徴化や投影現象が起きているって事です。
その投影対象が超自我を刺激するような「階層上位感(権威性)」あると、思いついた自分が途端に虜(とりこ)になってしまうかのように強迫心理に”更に”取り込まれてしまう(囚われる)。
言うならば『錦の御旗』効果。

しかし、前述の『昇華』的な手法にも「それを思いついて強い感情的興奮を伴う」的傾向があるのだから→強迫心理系の論理って「必ず中身破綻している」状況に変化があるのではない。
(なんてーか「一拍置き狙いの超自我利用法」の時の(自意識から離れた教義的領域なんで)意味わからなくてもいいよって、側面を「論理破綻しててもいいよ」で逆用しているとも言えるんだよね。)
 ↓
「必ず中身破綻している」ワケですから(論理矛盾が無けりゃ自意識を抑圧する必然性が無い)、「言葉として無理があり過ぎじゃないか?なんか意味通じている感大きいわりにおかし事言って無いか?」的チェック入れるだけでも「これは『自意識』介入では無く、なんか偉い超自我からチェック入ってます」的な構図ができるので(超自我返し)、「強迫心理による「アラモ砦」手法にも対抗しうる作戦」と言えるんじゃないかと思う。

(うーん多分ね、旧世代の言葉にあった「偉そうなこと言うな」って口語にはそういう意味があったのじゃないかな。)


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posted by kagewari at 23:50 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

いよいよ感極まるものがありますねウクライナ

ウクライナ軍の一部がロシアに寝返る(海外の反応)
http://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/archives/37601211.html

誰か最初の(ソチオリンピックの時の)デモ型武装クーデターの責任取れって、
結局そういう話しに修練してきましたね。
アメリカは間違っても軍事介入したくないし、
ネオナチのいるウクライナ暫定政権をドイツ中心のEUが軍事的に支援するとか有り得ないし(ドイツはロシアの天然ガス無いと困るんだし)、中東の自分のシマでは盛んに口出すフランスは随分大人しいですけど、何やってんでしょうか(笑
(まああれでしょう、当事者的にはポーランドやらからんでウクライナにとってのEUは複雑怪奇な人間模様の中ドイツの事なのかも知れませんね。)

今度はエジプト式の軍による逆クーデター的な民主逆革命?とかになっちゃうんでしょうか。
しかし、今回の紛争『驚くべきポイントがあります』。
とにかく銃撃戦による正面対決を避けまくってます。
これってかなり進歩なのでは無いでしょうか?
取り立てて目くじら立てるような話が発端では無いんですから(EUに参加して反ロシア陣営ごっこがしてみたいポーランド並の成長が何故できないとかが始まりで)、ドンパチ初めて血みどろの争いというか、間違ってもロシアと全面戦争なんて誰も思っていないのであって、
「俺たちなにやってんだろう」状態の中、
ロシアが支援していると言われている武装組織も自動小銃で威嚇射撃するだけで、クリミアとかの時にも部隊が銃にマガジン装填していないだとか、PKOより平和的な軍事介入ですか?とか思っちゃったり、顔真っ赤にしてロシアがデマだとか騒いでいるアメリカだけが微妙に浮いているという、、、
コントなんでしょうかね。
「ガス代ばっかりあがっちゃって」みたいな。
(アメリカが責任とってシェールガスを加工した上でダンピングで売って責任取れ→即「ゴメンです」って漫才が見せたかったのか、、、。)

なんか初めて軍ってものが(織田信長登場以前の)本当に将棋の駒のようなもので、「本気で撃ったりしちゃダメだろう」な姿としてそれを目にしているような気がします。
(実際この後どうなっちゃうのかわかりませんが、結局ロシア主導で妥協案が策定されると思いますよ。ドイツがWWU再びで出張る腹無い段階で終わりの話ですから。←そもそもはなからドイツにはその気無いみたいだし。)

中国でも似た状況が出ておりまして、
米軍司令官が尖閣奪還作戦が容易だとかリップサービス的な話に食いついて、何故か「中国が先に軍事介入する事など有り得ない」と意味不明の方向で激怒されていたり、、
「これがカードゲームですか」という展開を。
危ういは危ういんです、
何が危ういって、世界的に『共同幻想』崩壊の中「大政治家」って人材が急速に落っこちてきてまして、小物揃いに核兵器となればおっかなくてしょうがない。

思うんですが、これを機に「新しいジュネーブ協定」みたいなものを策定できないのでしょうか。
戦争のルールとして「限りなく人が亡くなるような事の無いルール」って考えてもいいのでは無いかと思います。
軍事交流と称して敵対各国の模擬戦を日常的にやって、敵方戦力を勘違いする事無いように十分に確認しておくなど、そういうソフト面というか「ゲーム的な要素」も織り込みつつ間違っても間違いが無いように事実関係だけは摺り合わせておくのがベターなんじゃないかと思います。
どこの兵士だって殺し合いはしたく無いですよ。
タテマエからしてもジュネーブ協定では殺傷力の高い銃弾を禁止していて(スマートに敵方負傷兵だけで進軍してくださいと)、50口径のスナイパーライフルも厳密に言えばジュネーブ協定違反なので「対人とつけると違反だから、アンチマテリアルスナイパーライフル」なんて(これは商標なんでしょうか、、)ワザワザ「対人じゃありませんスナイパーライフル」なんて掟破りの名前付けちゃって。
(どっから考えてもインチキなんですが)
本来は銃弾はカッパージャケットであたっても貫通銃創になるようにってなっている時点で、ダブルオーバックのショットガンは使用NGだと思うんですけどね(多分ショットガンは鉛玉だがライフル銃では無いからOKって事なのかな)。

大変地味な話ではありますが、
地雷問題であったり、各国話し合いが合意される事もあります。
(この際グレネードも禁止にしたら?現在クレイモアはまだアリなんですか?)
非武装派の方にはナンセンスかもしれませんが、”人道的兵器”として堂々と「小火器はカッパージャケット銃弾使用の小銃に限る」これでいいじゃないですか。
その先に「核兵器使用禁止」とかの合意もあると思うんですけどね。


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posted by kagewari at 20:19 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

自我の『入れ子構造』

これも心理学テキストならではの試案みたいなものなので、仰々しく捉えて読んでもらっても困るんだけど、実際自我を図式表記するなんてな場合でもフロイドしかり岸田しかり「入れ子的な図式」になっていると思うのね、
てかそうなっていないと「自我統合」が説明できない。
(多重人格がマジで存在するかのようなオカルトチックな話になるんで、)
『入れ子構造』ってのはご存じ「マトリューシカ人形」や「HTMLタグ」などで知られる「箱の中にまた箱があってそのまた中に箱がある」みたいな構造の事。
自我論的にフロイド先生時代から言えば、
『<自我<超自我<自意識<前意識<各種記憶モジュール<無意識カオス(エス)>/各種記憶モジュール>/前意識>/自意識>/超自我>/自我>』
(「無視式カオス」ってのは計量できないので内部にありながら同時に全体の外部でもあるみたいな話ね。住所は自我内部だが自我では無い。という、ちょっとアレな代物。現実に自我の外に広がっているのは現実空間なんで、無意識が外部にあると言い切るのは間違い。)

退行化の流れも、単純化すると「超自我(建前)→自意識(本音)→前意識(過去用例)→無意識(カオス的内面閉鎖空間の海)」みたいなね。
まあ対抗保守化ってのは厳密に言えば違うっていやあ違うんで話をそこまで単純化するのもどうかと思うけど。簡単に言ってしまえばそんな感じの理解でもそれほど間違いでは無い。
そうなると「強迫心理ってのは前意識の事かい」みたいな事にもなると思うんだが、
厳密に言うと「強迫性」だとか「強迫構造」というのが成立するのであって、そのまんま(あたかも元凶のような)『強迫心理』って名前の”モノ”が固有にあるのでは無い。
 ↑
イマイチそこピンとこない人に補足するなら、
「教訓的記憶(一歩間違うとトラウマ論)」←こういう現象はみなさん体験あると思います。
「昔カキ毒にあたって酷い目にあって、もうそれ以来生ガキは食べられないんですよ」とか。
(これでピンとくる人はもうわかっていると思いますが、)
「このカキは大丈夫ですよ」って(それなりにこの話に根拠ある設定で)いくら説明しても、
「いやあそういう過去の経緯があってダメなんですよホントに」大変よくある話で(一歩間違わなくてもほとんどトラウマ論でもあるんだが)、これをもって「強迫心理」だなんだとメンタル問題性を意識する人はいないと思います。
(大丈夫なカキでもNGという論理的現実乖離の発生)
更に、
「カキが苦手なナントカ君」と代名詞化するとこれは『歩留り論』になるんだよね。
■この話に強迫性が無いのは経緯の流れを全て自覚認識しているから。
(わかっているから→仁義切る時に名乗れるから→歩留り個性論が成立する。)

仮に「なんか知らないけど、もう凄くダメ、耐えられない」的な反応が起きているのだとしたら、それは「トラウマ論的反応の因果関係なり流れを自我がトレースできていないので強迫性認知」となるワケだ。
(故に「強迫性」解決の方法は「ネタバレ手法」となる。)

さてさて、そうなると、
■「過去用例」として半ば入れ子でフォルダ管理されている『認知と反応モジュールみたいな奴』(前意識なんてカテゴリーが必要なんかはともかく置いておいて)、この内容経緯を中間管理職の『自意識』が知らないってのはなんだいって疑問になると思うんだが、
一般的に心理学で言う潜在意識だの無意識領域だのってのは、「何々が何々故に何何である」みたいな論理化されない全ての過去と欲求がないまぜになったカオスと考えていんだだけれど、
更に重要な話がエディプスコンプレックスの発見というか論理的説明で明らかになった、「未体験でも生成される記憶」って話です。
「その時の心象風景も記憶モジュールとして生成される」ため。
典型例が、
「ついにF1チャンピオンになった、この時から私はそれを追う人間から追われる存在になったのか。」
まだ追われる展開は始まっていないんですがww
自分がその前に追う人だった事もありつつも、追われる展開が勝者になった事実により自動生成されてるところがポイントで、
脳内で言うところの「”もう(まだ何も起きていないのに)”何々かもしれない」的杞憂や不安は自動生成されるんですよ。
逆パターンもあって、
「俺には失うものなど何もないので怖いもの知らずだ」←なんて台詞もありますわね。
(成功体験が無いのでその反動も無いみたいな。→しかし象徴的失敗体験や象徴的不可能体験は印象性高いのでその反動的ロジックが自動生成されるので、大成功と大失敗は図式として相似ってそういう話でもある。→象徴性ってのは権威がらみのフラグがある場合。)

現象としちゃ反動形成とかもそういった自動生成記憶に含まれます。
この機能のベーシックなモデルあげてみると、
「お母さんこのプラモ買って」
「ダメよ、だってうちはと〜っても貧乏なんですもの」
「お金持ちだったら買えちゃうだね」
「そう、お金があればどんなプラモもお望み次第よ○○ちゃん。」
「金だ、金、金、金、金、金さえあればなんとかかんとかが全て・・・」←まあね、これほど極端な話はそうそうありませんが、
ともあれこんな台詞あるじゃないですか。
「あの時から、俺は金が全てなんだと思った」←現実に大金使った経験無しにこういう”記憶”が生成されちゃうんですよ。ある種の連想によって。
(連想というか、これ言語学的やるともっとうまく説明できるんでしょうね。心理学では連想とかって言葉使っているけど表現として適正では無いと思います。メタファー(暗韻)的な概念の比喩的自動展開みたいな?ベタに言うと「俺の中ではそういう話になっちゃったのだ」て奴。)

そして、
「強迫現象」を語る上でもういっこ説明必要な部分があります。
「歴史のタブー」です。
これに類する現象が起きる背景は「勿論権威性」ですね。
(モスリム教徒にとってアッラーやムハンマドの事を軽率に語る事ができないですとか、戦中の日本で天皇陛下の私生活なんかを語るなど罰当たりだとか。)
■ここで冒頭の「入れ子構造」に戻ります。
自我成立の過程から言って、
3歳のガキが偉そうにベラベラ話し出す(自意識の台頭)前から、もう外部的な「なんていうか粘土を外から押して形にするような彫刻的な」人格形成プロセスがあります。言うまでも無く躾など親側のアプローチです。
後に専ら道徳的なロジックが住人になる場所がこの『超自我』って奴です。
領域的に『自意識』の上司にあたるので、『自意識』はなかなかこれに逆らえない。
しかし、『超自我』も所謂各段階の反抗期大規模アップデートの時に「憲法改正動議」的に修正や上書きが行われるので、絶対の聖域ではないのですが(現世利益的だとか世俗派自我の場合この『超自我』自体かなり軽量化ってか『自意識』が常に民主的に介入できるみたいな「憲法改正条文」みたいなんがビルドインされると考えればわかりやすい)、
 ↑
しかし事「メンタル問題」のバックグラウンドにあるのが『反抗期アップデートの不全』になります。(これも卵が先かニワトリが先か論議のようにどっちがどうとか言っても始まらないのですが)
『権威性のブラフが強すぎてタブー化したのか』
『何らかのタブーがあって誇大権威性が温存されてしまうのか』
勿論両者見解が微妙にないまぜの中タブー化している場合もあるでしょう。
ともかく、「硬い憲法」を前に『自意識』が民主主義的プロセスを発動してもそれが『聖域』となる場合、←こっちがらみの「反動形成」ってどんどん無意識下するんですよ。
■なんとなくわかりませんか?
『入れ子構造の最外殻の反動だから><反動も入れ子構造の最深部になる』
ちょっとやそっとじゃ「前意識的フラグやフォルダ名で『自意識』もアルアルそれ知ってる子供時のカキにあたった事件だよね」と思い出せないというか、思い出す的行為がもうNGみたいな場合って話。
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posted by kagewari at 07:02 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月11日

『自我と時間』

私の造語になるんでしょうかね『時制』。
頻繁に用いている概念ですが「その時の時間の事」です。
ここで何の時って聞かれちゃうと説明が面倒な事になるんですが、メンタル問題であるとか『自意識』が長考状態ある時だとか強迫思考的切迫感の在る時やフラッシュバック現象や悪夢もそうだと思いますが、「自我が現在時刻を錯誤行為でロストしている」と考えてます。
(この分析はまだ試案的なものなので、まだ細部は判断変わってくる部分あると思いますが、個人的にはかなりデカイなにがしかの意味ある話だと思ってます。)

そもそも夢判断でお馴染みのフロイド先生、
■『夢』自体からして睡眠中に自我が「それをあたかも現在進行形注の話と勘違いしている現象」ですわね。
人間の自我はそのリソース空間的に「相当幅のシミュレーションが可能な仮想空間を持っている」と考える事ができますから(中二病的には固有結界ですかね)「その脳内閉鎖空間に滞在中は現在時刻を喪失し(乖離)想定されている時間のほうにいっちゃてる」と見る事ができます。
その空間の背景にはカオス状の無意識の”ナントカ(詩的に言えば海)”が広がっていて、夢とはそんな自我内の仮想現実空間で展開される「イメージだとか想像ドラマというか」なんとも説明の難しいものです。てかみなさん夢見るんで内容に関しての説明はいりませんわね、
(※ちなみに夢は無意識からのストレスで誤って自意識が睡眠中に覚醒しないように「なんかもうやっちゃってるから大丈夫だよ」的なシミュレーションのひとつだと考えられてます。←エンタメ的に日常スケール超え過ぎると夢バッファの容量オーバーで本当に夢で目が覚めてしまう。)

かくかくしかじかことほど左様にですね、
自我はその時間の滞在先が必ずしも現在時刻(リアルタイム)では無い部分あるんですよ。
(そもそも過去を回顧する場合も機能的に同じ脳内空間でその追体験が試みられるんだし、)
で、「強迫心理問題」と言えば過去に由来する話なのであり典型的にこの現象がわかりやすいのがPTSDです。
(トラウマ論的なものが今も現在進行形だと体感してしまう現象と考えればよい。)
『フラッシュバック現象』というものも、この脳内仮想空間内に展開中の”アレ”が、現在時刻滞在中の自我に介入してきてしまう(前述の夢機能の容量オーバーで本当に目が覚めてしまうのと類似している)と考えられます。

だとすると、
大風呂敷広げた話になりますが、
■「メンタル問題の対処とはその時制(自我が滞在している時間)を現在時刻に合わせればよい」
こういう事になります。
するとですよ?
イモずる式にあれもこうか、これもあーだって話が出てくるんですよ。
囲碁将棋の長考時、自我は「何百手先読み」を脳内の仮想空間の中で展開しています。そこで考えに考えて長考を終える時「扇子でパチン」とかやりますよね。
或いは、選択後将棋の駒や囲碁の石を置く音も「パチン」なんですよ。
この音って、催眠術の「はーい私の合図で気持ちよ〜く目が覚めます。3、2、1指パッチン!」と同じでしょうこれ。
『現在時刻に戻る号令』
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posted by kagewari at 09:34 | Comment(2) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

久しぶりにHPの『心理学テキスト』更新しました

どこかの誰かのインタビューか何かで読んだのだと思いますが、
「(小説とか)長編書く人は体力勝負」
実によくわかる話です(笑
アップの遅れていた『心理学テキスト』の中で、
「V 恋愛と自己嫌悪、、『被る』」
「[ エゴイズムと実存主義」
この二本は書こうと思うだけで憂鬱になるぐらい長文が予想されるので、ぶっちゃけ逃げ回っていたワケなんだが、折を見てあちこちで途中まで書いていたりしたんだねこれ。
暫く後から書き出して「あっ他の場所にも下書きあったじゃん」みたいな事になる始末で、ままよと全部上書きしやうだの(読み直しするだけでも結構大変なもので)、あーもーどうすんのこれな状態だったのであります。
そんだけ長いのは大変なんですよ、書き出しからひとまず全体が脳内リソースにこう全部掌握している状態のテンション無いと最後まで書けないんですよね。
真面目な話、長編小説とか書ける人の頭の中を覗いてみたいと思いますよ。

そんな折、ちょこっとHPのメンテナンスに手を付けてしまい(何が始まりだったのかと言えば全体通して幅を広げてってところが始まり)、そう言えばフォントを変えたいと思った時に半分ぐらい書いた「V 恋愛と自己嫌悪」を思い出してこうなったらやるぞとかなり無理やり書き上げたって流れです。なんかバタバタしているテンションの方が一気に書けるとかだったりするので、時間に余裕があるとまるで筆が進まないものなんですよ(ええ俺のばやいってだけの話スけど)。
あんまり長文になったものだから、これ読みにくくネと思い「フォント遣ろうぜフォント」と思ったのが地獄の始まりでした(笑
編集フリーソフトにMSのなんちゃらWebを使っていたんですが、スタイルシートで定義されちゃって無茶苦茶無駄なタグが乱発されてしまい、挙句の果てに編集画面でチェックしていたhtmlをアップして各種ブラウザで見たら「フォントサイズが絶望的な状況に、、、」。
(htmlにもビルダー使っていた当時は自動的にバックアップファイルが生成されていたんですが、今残っているのは「いつの時代のBAKファイル?」な状態で)
 ↑
「あっこれ書いてて、完全なバックアップが別メディアにあった事思い出した、、」
あら〜、、、
ま、そんなワケで、普通にフォント定義でやり直しとなると無数に出来あがっているスタイルシート関連の不要タグを結局エディターで手作業で消すとかいうね、もう「それこそ馬鹿か俺」状態になりまして。な、、なんとか修正できたと思われです。

そんなこんなで『心理学テキスト』「V 恋愛と自己嫌悪」アップとなっておりますので、
興味ある方は以下で閲覧してくださいませ。
http://kagewari.cside.com/kage_tex31.htm

残すところ「[ エゴイズムと実存主義」ですが、
勢いある間に、なんとかこれも年内にやっつける予定です。
規模的にはあの程度のスケールで『心理学テキスト』全てが完成する筈も無く(ブログの心理学テキストカテゴリーのが膨大に書いちゃってるんで)、更に概論的にまとめるとなると一体いつの話になるのか見当もつかないのであります(笑


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posted by kagewari at 18:29 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

メンタル問題関連の勘違いとか

臨床系は症状に応じていろんな名前をつけるもんだから、固有名詞に弱い人は”そういう病気が固有にある”と思っちゃうから困る。←これはあくまで彼らの処方上の分類だから。
(うーんと「固有名詞に弱い=キャッチコピーに弱い」となるので=リテラシー(『共同幻想』ではなく個人的検証性)に弱いって事にもなるので、それも強迫心理の一種ではあるんだけど、)
実際『適応障害』なんて言葉もありますけが、専らそのストレス要因とされる事実関係が何故過度のストレス要因になってちゃっているのかって部分は医療界は管轄外ですから。
自然に考えれば、何々が固有にストレス要因になるってところがポイントなのだから(後遺症的に併発した症状への対処療法は別個に考えるとしても)、そこ心理学的なアプローチをほとんど検討しないってのも”そういう病気が固有にある”と思っちゃう誤解を更に助長するところがある。
(※勿論医療行為に属さない心理学的なんとやらを医療界に求めるのは根本的に無理なのだから、医療界として「そういう文系部分は自主的」にって立場に問題あるとするのもアレなんだが。)
ここを説明不足って言っちゃうのも酷な話で(そもそも医療行為に属さない学問的説明をする知見が無いのだから)、平たく言えば『心理学』なんて往々にして一般教養科目だったりするのだから、建前は自分で勉強なり情報収取してくださいって事になっている。

この点、インチキも多分に含む学問である経済学だと「ナンチャッテ心理学」を市場の均衡予測の根拠に使っていたり(ナンチャッテでいいのかってアレじゃないかって話は置いておくとして)、文系仲間ならではザックリ心理学的研究を学説に織り込んだりしているので、こういう融通が医療系にも少しあってもいいのかなと思う部分はある。

■それはともかく、ザックリ言えば医療界の受け持ち範囲は「派生する症状に対する個別対処」なのね(たぶん医療法的にもそれで正しいんだと思う)。
しかし、メンタル問題ってのはフロイド以降明快な「自我構造上の偏向なり偏重」として研究されてきたもので(フロイドは精神科医だったのにね)、専ら症状への対処では無く「原因となる”そうなっちゃう理由”」の方が担当分野になる。
(逆にこの場合対処的な部分にニーズあるなら診療内科なり市販薬を使うなりしてね的な、)
線引きすると、原因となるポイントが自我問題でありそれを病気であるとか病名分類するとかそういう建前になっていないのだから、根本的にはメンタル問題は病気では無いワケですよ。
(その派生症状が医療界受け持ち範囲で病例的に認定されているっちゅうこと。)
社会的にそれを説明する時には(誰しも心理学的知識豊富とか有り得ないのだから)「病気です」と堂々と説明するのが誤解の無い説明になるんだけれど、
自分自身に対しては「根本的には病気では無い」と考えなければならない。
概念としては「生活習慣病とほとんど同じ」です。
緊急性のあるような派生症状があれば「それは別問題」なのだから医療的対処が必要な場合もあるだろうけれど、それは原因となるポイントに対処しているのとは違う話なんであって、
重要なのは「厳密には病気ではない部分」が(生活習慣病的に)本丸なワケです。

■それこそ冒頭の「固有名詞に弱い」なんてところから書いていくなら、
(この面では臨床系の貢献が大きい)
『メンタル』であるとか各種病名分類が巷に普通に流通するようになっている現在、
そっち方面の認識も十分深まっているのだから、冒頭の「『心理学』なんて往々にして一般教養科目だったりするのだから、建前は自分で勉強なり情報収取してくださいって事になっている。」的な話の有効性はある程度担保されている話だとも言えるでしょう。
(更に付け加えると「人間が心理学的な矛盾の無い自我でなければならない法律」なんてありませんので、自分で『歩留り選択』的に「心理学とかで自我がどうたらとか俺は御免だ」という判断があればそれはそれでOKなのであり、)
 ↓
思えば昭和に比べれば、随分とこの辺の認識は一般的になってきたものです。

■時系列的にこの部分の社会認知が進行した背景を考えると
巷で『心療内科』という言葉が一般化したキッカケは阪神淡路大震災だと言われています(PTSDの診断)。ここは米国における現代の戦争などの後遺症事例と同様に「事件内容により拡大したのでは無く、現代人の自我が『共同幻想』崩壊に応じて変化しているから増加している」と考えるべきところで、こういう表現はどうかと思いますが「メンタル問題が発生する自我」はある意味時代のフロントランナーな訳であり、
「『共同幻想』社会適応の回復が治るを意味する訳では無い時代」がようやく社会にも認知され始めた背景でもあります。
(昭和であれば「治る=現場復帰」でしたが、流石に現在の米国の戦争後遺症的PTSD事例で「軍に現場復帰して元気に戦争に参加しなければ治ったと言えない」とか考える人はいないでしょう。)
→続きを読む

posted by kagewari at 05:56 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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