2013年11月29日

『自意識』と『無意識』関連(4)

今回はフロイドじゃないけれども地味に『夢』の話にしましょうか。
フロイドであるとか岸田にいおいて「夢」は『昼の名残』などと解釈され、不安なんかがある場合には「睡眠を継続するために」フラグが関連するような夢を見て(起きなくてもいいように)などなど派生的な説明もあるんですが(覚えていない夢についてなど)、
現象的に単純なプロセスで考えてみましょう。
夢の中には随分と意識的?というか(さっきまで考えていたことまんまの)話が登場することも珍しくありませんし、睡眠を継続するどころか現実かと勘違いしてがバッと起きてしまう場合もあります。
オカルト話ではやれ夢枕に立つであるとか巷間た伝わる逸話は尽きませんが、それこそ電波じゃないですけれど仮に人類にユング張りの超能力でもあれば(かく言うオカルト心理学のユングをしてもそれは無意識領域のなんとやらな話に向かいますから)、それを受信しているのは『無意識領域』となります。
『自意識バレバレ』だったら所謂一つの「超能力」なんて言いませんからね(笑
(まーほとんどの設定は眠っている脳の機能が100%になど、自立的現象というより潜在能力的なお話になるじゃないですか、これはですね「そのイメージが人類普遍に無意識領域の話」をしているからだと考えれば話が早い。)
ある意味電波が飛んできたとか声が聞こえるとかですね、勿論ここで語られているのは『無意識』の話であり、
そんな『無意識』の機能性なり内容ってものを推し量る材料として『夢』は有効なんです。

■ザックリ言えば『自意識』はほぼ完全後退状態にいおける『無意識』の振る舞いが『夢』現象にかなり露見していると考える事ができる。
さて、脳関係の学者さんの話によると人間は人の顔なんかも記憶する際も特別な連想フラグでも無ければ速攻(ファイルを軽くすような感じでしょうか)○×△などの象徴的記号にバラかして記憶野に格納すると言われてます。
(テストの時間に思い出せない現象の背景事情)
連想フラグってのは「なくよウグイスなんとやら」だとかのごろ合わせの記憶法だとか、身体の部位に関連付けると忘れないだとかありますよね?「これ重要」ってフラグを『自意識』が主導的にやっていかないと、『無意識』の処理は『自意識の都合(明日テストだとか)』などお構い無しに生体機能としての効率性重視でサクサク情報処理してしまうワケです。

ちなみに「絵の下手な人」という現象は「今目の前で見て確認可能な一時情報すら、速攻○×△に分解されていくため(テストの時に答えを思い出せないように)現在進行形なのに『自意識』がイメージを再現できない」という話です。
(※逆に絵を掛ける人は情報をそのまんま無意識に素通りさせて送らず、前頭葉に溜めこんでイメージとして再構成したものを保存して描いている。←相当の仕事量を脳にさせているので疲れるって話です。「チョコレート持ってこい」的な。絵が上手いのでは無く、絵を描く行為に動機付けしている仕事量が多い(苦労係数開放みたいな)と考えればわかりやすいでしょう。)

▲それじゃ無意識は全然無能な存在なのか?と言えば大きな間違いであります。
そもそもが、『自意識』は人類ヒト科のヒト科の所以となるもので、直立歩行を選択したのか追いやられたのかは知りませんが、結果肥大化高機能化した前頭葉により古い脳(脳の中枢方向)が行う本能的自立器官(エヴァンゲリオンで言えばS2器官みたいなもんスかね)を上書きするほどの『自意識テーブル』を持ちます。
端的に言えば自然界の動物はDOSマシンで、人類ヒト科だけ「OSを持っている」的な話です。
ですから人類ヒト科の古い脳もそりゃサルの本能自立器官的な機能を”実装”されているのであり、
それが「生命に関わる教訓性フラグ」であるとか「成功確率の高い快不快原則代謝の優先フラグ」であるとか「快不快原則(動物で言えば高カロリーな食品に興奮したりなど)と関連する興奮による需要度判定フラグ」であるとか皆さんご存じの「繁殖関係の行動は最強に優先され命をかけても無理くり実行(これはフラグでは無くホルモン分泌含む生体機能ですね)」などなど生物が生存する上で自動実行しておけばこれでよしみたいな部分をカバーしてます。
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posted by kagewari at 05:12 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

『自意識』と『無意識』関連(3)

ここのところシリーズ化しているこの『自意識』と『無意識』の話なんですが、
どちらか言うと心理学の中でも真骨頂とも言える精神分析の話っていうより、分析が終わった後のリハビリ過程であるとか、『新卒3割3年以内辞職』などの自発的『共同幻想』懐疑系の状況において散見される話になってます。
(それこそガチで精神分析云々のとこはフロイドなり岸田秀読んでくれればいんで、)

前回は「360度逆転もあるよ」な話をしましてが、今回は「『無意識』の強迫心理への対抗としての未来論」とでも呼びましょうか。

■自我の『動機形成』においてぶっちゃけ何が意思選択されるのか?
時に使用される言葉に「本当の」なんてありますね。
用例的には「本当の自分」だとか「本当はどうなの」だとか。
勿論この「本当」が差し示しているのは『自意識マター』でそうなの?って確認です。
(反対は『無意識』的にそうなっちゃってるの?)
生物学的には『無意識』的だとか「強迫心理」だからと言って偽物じゃないだろうと、こういう見解になると思うんですが、事人間の自我でこの部分が「偽物と本物論」になってーのに『共同幻想論』が関係しているのであります。
(逆さに言えばナチュボーンな『単独者』の無意識はトラウマ的教訓フラグ以外の項目はよっぽどカオス過ぎなのだろうを暗喩している。)
えーっとこれはどういうことかと言えば、まず「強迫心理」の元ネタは『共同幻想』であるって原則論から始まります。
つまり「なんだかまことしやかな(聞いた風な)日本語になっている」時点で、「強迫心理」の元ネタは『共同幻想』なんでありますが、その概念が「強迫心理」或いは”強迫性がある”などと表現されている理由は当該人物の『自意識』にとって、抑圧的であるとか所謂『共同幻想』適応人格におけるような合理性が成立していないって事を意味してます。
(=無理筋、『共同幻想』に見えているようで実のところ「現在の『自意識』との関係に祖語があるぐらい偏向した”ナントカ”である」←おおそそ「子供時代に修得された『共同幻想』の一部が”現実アップデートされないままに”変容したもの」なんですが。)
ですから「体感上も偽だ」って事ですね。

勿論、歩留り論的に『自意識』が確信犯的にその自分の無意識的着眼なり認識を「俺の個性だ」と選択するのであれば(その時点から『自意識』との合理性はリンクするのであり)、哲学における性悪説じゃありませんが「偽物の偽物は本物」的に「それは強迫心理では無くなる」のです。
(自意識を強迫するような関係性じゃ無くなるんですから。相当偏向された認知でも「フェチシズム」であるとか「マニアック」なる範疇に解釈可能になる。)

■つー事はメンタル問題などを併発している状況ってものは、
「それが偽物状態だ」と自爆的に自白しているようなもので、最初に対処すべきは「その内容や特性を知る」って事に尽きます。
(勿論その予測って点で精神分析が大きな役割を発揮する。)
映画ダーティハリーの台詞じゃありませんが、
「あ、あ、考えている事わかるぞ、俺が今6発撃ったかまだ5発かだろ、」←のような台詞回しをですねノリ突っ込み的に自問自答できればいいのです。
(※重要な事は結果はどーでもよい。「確信犯的『共同幻想』志向か、反抗的『単独者』志向のどちらでも”偽物的問題”は解決した事になる。」←後は選択に応じた自己責任を受け取ればいいだけ。)
ダーティハリーの台詞に戻りますと、
「俺も夢中になっていて何発撃ったのか正直覚えて無い。だけどこの銃は44マグナムといって拳銃としては世界一破壊力があるからお前の頭は吹っ飛ぶだろう。試してみるかい?(6発撃ってもう弾が無い方に賭けてみるかい?)」と続くんであります。
見事に「未来に対する賭け率論」にも繋がっておりますね〜、流石名作(笑
映画の問答は、銀行強盗など行う犯罪者の心理(そこはいかにも無理筋な動機形成しているんですから強迫性無しに説明できないでしょう)に対して「未来の賭け率」を提示する事で、その心理的均衡の偏向性を中和する(自意識を引っ張り出す)論理構造になってます。
暗韻されているのはシンプルに「バカな事はよせ(わかるよね)」ですね。
ある意味カウンセリングなんかにおけるカウンター論にも通じる話でもあると、
(※カウンター論ってのは意図的に極端や乱暴な表現で無意識的背景を表に引っ張り出すみたいなこれも均衡論のひとつです。)

■どうにも逃れようの無い普遍的現実として「未来は決まってません」。
ところが、
先例主義を基本原則とする(教訓フラグですから)「強迫心理」にとっては、あたかも未来は決まっていないと困るんであります。
なので「強迫心理」的なやりとりとなると「○○に決まっている」的押し問答が延々続いたりする。
ですからダーティハリーに登場するハリーキャラハン警部のような無意識辞書『想定外』の存在や44マグナムなどのこれまた『想定外』の道具仕立ての中未来を語られると(無意識特有の力動論的な過剰化妄想と”1対1”に均衡してしまうため)抑圧下の『自意識』が浮上(解放)し、
「おいおい何やってんだ俺」の可能性を担保するというワケです。
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posted by kagewari at 19:00 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月15日

『自意識』と『無意識』関連(2)

「180度逆転現象と、再逆転の話」
この前の続きになるのかな?てか繋がるか微妙かもなんですが、ままよでいってみましょう。
殊更鏡像論みたいな話をするつもりは無いんですが、なんというか「均衡論」だとか「対称性」の話です。
前回「なんだか力動的に『無意識』領域にこんなフラグが自動で立つ場合」みたいな話をしましたが、この話ってある意味『トラウマ論』と同じなんです。
風評レベルの話になっちゃうけども、映画の台詞なんかでよく聞くじゃないですかこういうの
 ↓
「あの凄惨な事件から自らを守るために○○はその時の記憶を失ったんだ」なんてね。
トラウマ論的な話も似たようなもんです。
その強烈な不快事例から自我を守るために「ホニャララホニャララみたいな強烈な忌避フラグを立てた」、自己防衛的視点で解釈するとそういう視点になるんだけれど、
心理学的に言うとですね、
『均衡論』なんですよ。
破綻が起きそうななんとやらがあったので(経済学で言えばデフォルト)、緊急避難で大きくテコ入れして「こういう事にしたから」となれば自動的に「かくかくしかじかのフラグ立つのでよろしく」みたいな事になる訳。←ある意味一件落着させているから→『均衡論』ね。
場当たり的とも言えるその均衡を、歴史を振り返る的に落ち着いてから『自意識』が「えーっとどういうことだっけ」と振り返る・省みる(これこそ本当の意味の反省)をしていくと「すわ現実から乖離してんじゃんレベルのフラグ」は解除されるんだけど、
ここからが心理学の真骨頂です。→仮に『無意識』領域から超自我的圧力(言うならば道徳野的いい悪い論や常識論圧力)を受けて「やっぱり○○に思ってしまう」などのように『自意識』が凹んでしまうと(抑圧)、そのまんま放置されるんですよ「過剰ともいえるフラグ」が。
 ↓
前回の話を引き継ぐと、
「某投手の剃刀シュートを見て以来、外角球が全く打てなくなってしまった。」
これが心理学的問題レベルとなれば、
「そのまま選手引退する話に及び」と派生するんです。

(細かい事言えば『二次的利得的な反動バネ(係数)』も効いてその乖離具合は拡大しとかにもなるんだけども)

■ザックリ言えば、『自意識』がやれ打席でかっ飛ばそうと思ったのに、かくかくしかじかで「一生外角球が打てずに引退することもある」って事ですね。
思惑の180度逆転現象によって。
(対抗策は「強迫切り」とも言える『自意識』の関与となり、仮に構造的に『自意識』が抑圧され続ける環境であれば、そのまんまですが「構造的に自分では解決不可能」になる。)

しかしこの話には後日談がありまして、
逆さまになるのは180度だけでは無いのです。
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posted by kagewari at 19:04 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月11日

『自意識』と『無意識』関連(1)

「本人はそんなつもありがない」しかし、現実に起きている事は「本人の思惑と180度違っているかのような言動が続いており、その様子が本人には自覚されない)」。
 ↑
実はこのような状況は頻繁にありまして、
時折スポーツなんかで「身体とこころがバラバラ」だとか、プロ野球における「内角攻めの後の外角変化球がわかっていても泳いでしまう」などなど、
■果たして感情なるものは”自分”と合理的に統合されているのだろうか?
てな話になるんであります。
これらの現象はむしろ自然で、たとえば『共同幻想』なるものが発明されたバックグラウンドにはこれらの工程を(特に無意識部分を)権威性認知で管理してしまって「想定外の無い世界」みたいな幻想世界への適合を社会適合と自己暗示するようなプロセスだったりします。
(※「兵士の均一性」みたいな需要から)

ですから高度に発達した先進国=『共同幻想』崩壊プロセスにおいては誰しもが「身体とこころの非統合感」みたいなパフォーマンスの低下が社会的にも常識化するってな理解で間違いありません。
力学的に説明すると、
「アンダーステアセッテイングの車両をコーナーで曲がろう曲がろうとハンドル切っても逆にアンダーステアが出て曲がらない状態」みたいな非統合感ですな。
アンダーステアセッティングにおける運転ってのはアクセルとブレーキのコントロールによって前輪に制動力なり集めないといけなかったり、アクセルコントロールで曲がるっていうような判断があれば容易に旋回できるワケなんでありまして、いうならばこれが(前回ちょっと触れた)「自分を知る」って意図になります。

つまるところ前述の話に出てくる「自分」だとか「こころ」ってのは『自意識』関連であり、
「身体」だとか「特性」や「内角攻めで刷り込まれた意識」ってのは『無意識』関連となる。
 ↑
■ここからわかる重要なポイントはですね、
巷で知られている「気性だとか感情的レベルの思い」の大半は『無意識』関連でありまして、
そこに「美意識や情緒や詩的解釈」とかって別水準の言語があるのは『自意識』が主体的に関与してそこをサルベージした場合の話を表現しているからで(ひと手間かけている「一拍置く」工程)、芸術なんかも後者に属します。
ザックリ言えば『無意識』=カオス論って事です。

ところが、
前述の「内角攻めの後の外角変化球がわかっていても泳いでしまう」
この現象を掘り下げて考えてみると、『無意識領域』の総体は確かにカオスなんですが、
『無意識的な概念の成立部分』ってのは随分と法則的な部分があるって事です。
(それこそ心理学における力動論やるならここかなって思います。)
●重要なポイントは『快不快原則』と『自我均衡論』です。
そして「『無意識』とはパッシブ構造(被(こうむる))で構成されていること」ですよ。

1)野村監督で言うところの「頭で考える打者」ならどうなるでしょう。
(勿論暗喩は『自意識マター』起動して打席に立つ打者、)
初球に内角のシュート、身体に近いところを攻められた。
配給の読みは「外角に緩い変化球で勝負してくる」となります。
初球の内角球は見せ球なのだから、打者は「何らかの意識的対処」を捕手に見せればいい事になります。(これ外角変化球対策の正解があるのではなくって「わかっているから」的に捕手を威嚇するハッタリ効果のが重要)
・ワザとバッターボックスで開いて構え「内角待ちの”フリ”」をして、保守に内角への配給をさせないようにする。
・ワザとバッターボックスのギリギリ前に立ち、同じ内角ショートがきたら間違いなくデッドボールになるよう内角の配給をさせないのと同時に、外角がど真ん中に見える位置に立つ。
・バットを微妙に短く持ち、内角球にも対処できる様を見せて「初球のシュートが効いていないから」的な様子を捕手に印象付ける。
 ↑
などなど方法はなんでもいいんですがw、狙いは「簡単に初球内角で崩されたって形をいかにチャラにするかという捕手に対する心理的ブラフ(脅し)」です。
●捕手の狙いは「初球内角攻めで反射的に腰が引けて外角に泳ぐという揺さぶり」にあるので、打者はなんらかの動作でその配給をした捕手に「揺さぶられてないから」を伝えれば解決なんです。
(以降捕手は楽な気持ちで「余裕の外角変化球の配給」がやり難くなる。)


2)野村監督の言うところの「才能だけでやっている打者」ならどうなるでしょう。
(勿論暗喩は『無意識』に来た球を反復練習した技能で打つだけの打者)
初球見せ球の内角球でのけぞります、
反射的に内角を意識します(=パッシブに対処し心理的均衡を成立させている)
「次も内角で身体にあたりそうなシュートがきたらのけぞる準備を組み込む」
同時に「クッソこの野郎危ないじゃないか!」←これで『無意識』のフラグ成立です。
パッシブに『無意識領域』に何が起きたのかというと、
・経験則からくる自動危機回避のスイッチを警告レベルに上昇、カキーンと気持ちよく打とうと思っていた欲求が事もあろうか内角であたりそうな配給(打てっこない)に対する”強い不快興奮(激怒)”により代謝(不快感による快感代謝)。
 ↑
均衡しているので実はこの段階ではストレスは溜まっておらず完結している。
そんな「完結されている状況は?」
「内角球を意識するあまり、甘い外角や外角クソボールのスライダーにまったくタイミングの合わない打者として均衡しちゃっている」ワケですよ(笑
『自意識』の「打ちたい欲求」と裏腹に「非常に高い確率であたかも意図的に外角球を打ち損じる(自作自演に限りなく近い)」『凡打製造機の均衡』って事になりまさーね。
▲『自意識』と『無意識』の思惑は180度逆さまになります。

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posted by kagewari at 16:06 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

『自意識』と『無意識』

「自我」って言葉の構成的にどこの何を指すのって話にもなりがちなので、最初に整理しておくと、
大まかに言えば「自我は全体」であり「『自意識』は主体的な意思」であり「『無意識』はシステム上のロジックから記憶領域全般に至る全バックヤード」みたいな図式になる。
ですから「自我があるね〜」などの言葉の場合主眼は口語的イメージとしては『自意識』を指しているようだけれども、統合されたシステム全体としての自我を指しているって事。

更に言うと、この「自我」は現実との関係性で成立しており(地球がやれ太陽系だ宇宙だとかの関係性で成立しているように)、「自我の材料は現実を認識する言語ロジックである」と言っても過言では無いのだから(空間さえない領域に漂う意志みたいな宇宙人的生命体ではそもそも言語ロジックすら構成されないのだから)、「全部自作のロジックです」なる代物でも無い。
なんとなく「自分は自分」として他者との違いを成立させている感覚は(ま〜脳内に自分しかいなかからなんだけどさ)、専ら『自意識』に負うと考えていい。

ついうっかりすると「いかにも人間の『自意識』のような振る舞いは『自意識』だけでやっとんのか」というとこれも大きく違っていて、かなりの時間は「半ば自動化されたモジュールのような前例主義ロボット」みたいなんが動いている(人は自意識ボーっとしていても何気に活動可能だけでなく適当に調子を合わせた会話すら可能←伴奏か演奏かの違いみたいなもんかな)。
更に重大な事だけれど、人間の生命維持機能の主体には「ヨガの達人でも無い限り」『自意識』は蚊帳の外である(心臓は勝手に動いてくれるし意識しなくても呼吸も止まらない)。

自我の仕事のどこからどこまでが『自意識的』で、どこからどこまでが『無意識的』なのかってのも後から考えないと判然としないぐらい実はグレーであって、
■フロイドの『夢判断』なんて着想も、まーねあたかも意思を持つ『無意識』の発見のようなものかもしれない。

■人間と暮らすという特異な環境によって「自我」がかなり発達するペットにおいても自我の振る舞いの面白さっていうか、まーそういうものを確認できる。
ネット動画でかなり有名な二例を見てみよう。

犬に吠えている最中に飼い主に気が付いてニャーと鳴くネコ
http://www.youtube.com/watch?v=FAox2OrJ_3I


犬に向かってワンワン吠えている時のネコは『自意識的』なのか?と言うと、後段「こりゃマズイ飼い主さんに見られた、ニャ〜」んところからが「いかにも『自意識的』」であることが観察できる。

Sleeping Dog Runs Into Wall
http://www.youtube.com/watch?v=z2BgjH_CtIA


思いきし、犬も夢を見ているワケで、その時の行為は「あたかも意思を持つ『無意識』」のような行動を実際行っていて、「ここから『自意識』」ってのは見たまんま走り過ぎて目が覚めて『自意識』驚いてからである。

そんでさ、
自我論的にやっかいなのは、「頭の中の天使と悪魔の葛藤」のように相互に会話とかはできないワケでありまして、はっきり言って「『自意識』は『無意識』のやっとる事がよくわかっているワケでは無い」というところがポイント。
記憶に残る時の『夢』をあたかも振り返るように「自分の事」なのは自覚できるんだけれども、『自意識マター』として発動してないことなんで、動機形成の背景やら『無意識』のやる事はぶっちゃけよくわからないワケですよ。だから「なんでこんな『夢』を見たんだろう」などと『自意識』にも背景がわからない事も少なく無い。

そこでこのへんの関係性を案外当てている台詞を出してみましょうか、
映画やドラマなどにおけるどちらかと言えば陳腐な台詞にこんなんありますよね?
「自分を知る」
(知らない人なんかよっ!って話でもありますがww)
まー意図してんのは、よくわからん『無意識領域の自分』を認知しどういう人なのか考えたりするって意味です。←そんだけ通常は「よくわからないところ」があるからです。
(なんつーか推理小説に登場する犯人の動機を推理する的なアプローチが「自分を知る」ってことですよ。)

■そんでー
フロイドは「ははーなるほど」的に、と、。まー心理学が始まるワケなんだが、
『自意識』『無意識』の関係性とかよくわからない人は別段難しく考えずに、
「自分である意識はあんだけども、この自分がどうして”こういう人なのか”って部分を考えた事はないわな」的に捉えてもらっても、それほど違いは無い。
逆に言うとさ、
フロイドの発見は「何故そうなるのか」って自我ロジックの動きを「これって分析するとわかるんだ(バレバレとかになるんか)」つーところを発見したところのが偉大かも知れない。
それ以前は「人のする事など誰にもわからんよ」だったんだからさ。

紹介の動画に見られるように、案外「『自意識』参上」のシーンの典型的な場面は『謝罪』だとかさ、案外格好悪いものでありまして(寝起きだってそうでしょうに)、なんつーか『自意識』レベルで常時理論武装続けるってのも領域的に限界あるんで(実際は案外場当たり的なんだからさ)、ざっくり言えば『自意識』なんてものはたいしたものではないっていうか、知性的にはかなり馬鹿であると思っておいた方がいいのであり、
見ようによっては前例反復主義・官僚主義的ともいえる『無意識』のが下手したら知性的だったりするんですよ。
これがまた話をややこやしくする要因でもあるんだけどさ。


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2013年11月01日

日本におけるSNSの歪さ

みなさんご存じのとおりでTwitterやFacebookあたりのSNS発祥の地は欧米です。
(同期会名簿がどうたらとかでしたっけ)
戦後残滓と言うにはアレですが、欧米発の新しいモノはとりあえず導入してみる日本ですが個人的意見含めて日本にはSNSは必要無かったんですよね、ぶっちゃけ。
欧米社会心理においてTwitterやFacebookが新鮮だったのは、あたかも『日本式の緩めの共同幻想』(緩めというのは欧米的一神教的では無いの意)この包容力と申しますかいい加減さが欧米社会には体験として存在しておらず、そこいら辺は日本のRPGゲームシナリオなどに彼らが感じる感想などからうかがい知る事ができます。
(ここは以前のエントリー「言語学的『共同幻想』だとか『単独者』論」後半あたりの記載参照)
http://kagewari.seesaa.net/article/368944441.html

俺自身(副業では仕事上の関係でmixiにブログページをリンクさせてはいるんですが)SNSとか利用するつもりは無いので、せいぜいがニュース配信的感覚でフリージャーナリストのtwilogをチェックしているぐらいなんだけど、所謂ネット世論的には後発のLINEなんぞは「DQN高校生のナントカツール」的に見られているなど(Twitterが時にバカッターと呼ばれているのもあまりにも有名ですが)、元から懐疑的視点な人少もかなりの数いるんだろうと思います。
そんな流れの中、昨今Twitter関連で「店舗内のバカ画像騒動」などに発展し、2ch既女板が「道警がすわFBIか」と株を上げ逮捕にまで至った『土下座事件』なんてのもありました。
事日本でSNSが現在の状況に至る背景は勿論の事『共同幻想』崩壊を補完する”繋ぎ”のようなものなので、社会心理的には「保守系」というか前衛的なカテゴリーにはならないんですよね。
そんな関係でアウトサイダー的ななんと申しましょうか、おかしな方向の騒ぎが目立ってしまったというのがネタバレになるんですが、

ぶっちゃけSNSなんて「何故か日本のPCユーザには利用率の低いチャット」のような真っ先に削除してもいいようなアプリなんじゃなかろうかと思ったりします。私は2chヘビーユーザーでは無いので専用ブラウザなどインストールしていないんですが、
「PC買ったら真っ先に2ch専用ブラウザインストールして(昔のウインドウズならメッセンジャーはイラネであり)」な世界があったのでありまして、馴染まない感強いんですよ。
思うに、
日本が延々ガラケー作っててスマホに遅れた云々も「需要ネーから」というか「既にガラケーでかなりの機能実装していた」という側面大きいのであり、海外製のスマホを使う流れでなんとなくSNSとか便利だねな方もいらっしゃるかもですが「勘違いじゃネーか?」と考えるのであります(笑

一部にはナントカ発見器などと呼ばれたりもするSNSですが、社会心理的には「壊れ行く『共同幻想』の隙間を埋める保守系サービス利用者発見器」なる側面もあるのではなかろうかと思うんですよね。
勿論、将来的に地方自治体の高齢者安否確認サービスなどの運用においてSNS的なものは利便性などの点で有力視されてもいるので(実際に導入している自治体もあるようです)、技術・機能的には優れたものなんだと思いますが、スマホを買った流れでうっかり使いまくると無意識に自我が保守系に寄る可能性あるかも?な部分は心理学的に気になる要素かもです。
前述の高齢者安否確認なんとやらじゃありませんが、何か新しい運用法を発見すると違った意味で大きく普及するようにも思うんですがIT系開発事業者のみなさんいかがでしょうか。

それほど根拠のある話では無いのですが、海外の反応系の翻訳ブログなどをチェックしてみると「欧米における日本アニメへの親和性」は一般の日本人が考えるより深いようで、そこいら辺の感触も「欧米にはSNSが日本的『緩めの共同幻想』として新鮮だった」という側面に被っているように思うんです。であるならば、
”欧米におけるSNSの心理”は日本のアニメが多数暗韻している「単独者社会の可能性(親が出てこない主人公が共同幻想社会に所属していないなど)」みたいなところまで突入する可能性をも暗示しているのかも知れない。

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posted by kagewari at 21:08 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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