2013年07月26日

諸外国の『共同幻想』

勿論ひとからげにして語れないので、『共同幻想論』なんてものは研究者とか学者では無く市井のアングラ系論壇なりが(掲示板だとかで)各国でやればいいことなんだと思うんだが(かといって岸田心理学の『共同幻想』とか広まっているわけじゃないつーか欧州ではフロイド心理学をマジでやるのも難しい環境だったりする)、国際関係なり社会学的『共同幻想論』とかする上である程度想定しておかないといかん事項に違いない。
細かいところは無理だし「そもそも国が違えば『共同幻想』まるで別物」なんだから、ザックリ大まかなところでしか考える事はできない。
てか、そんぐらい想定できれば大丈夫な事かなと思う。

日本では外国掲示板なんかの翻訳ブログが「ひとつのジャンル」として定着しているので、参考程度の意味でしかないのだけれど、生情報的にはそこいら辺で発見される傾向なりは何とはなしに留意している。
(※前述のアングラ論題の掲示板などって話は、以前韓国だったかに「日本ネタを日本のユーザーとバトる掲示板」が存在し、日本の一部ネトウヨと比較的知日韓国ユーザーで連日激しい論争を経た中で双方で文化人類学的知識が大幅に拡大したなどの事例もある。)

さてアウトラインから話を進めると、
主に中東に由来する一神教伝統宗教と、古代ローマ帝国における国家像なるものが組み合わさった”なんとか”をビヘイビアとする各国の状況は(例外はヒンズー教のインドぐらいか)、「宗教権威や戒律」が『共同幻想』では無く共同体の中で「権威」として有無を言わさず確立している社会で(批判は普通にできるにしても「大前提の権威の存在」を無視して話ができる環境ではない)、
■この意味はたとえば宗教戒律をどこやらで論駁するとか全く意味が無く、社会なり個人なりのバックグラウンドや無意識に避けようも無く(その共同体では誰でも知っている神話でも同じ)『幻想』として成立しちゃってる(知らない人がいない)ところがポイントになる。
音楽にたとえると『共同幻想』は当該民族の伝統音楽などにみられるコード進行だとか誰しも思い出せるフレーズだとか音感などの現象とほとんど同じ。
(当該民族言語固有の語彙とかなどは更に決定的な『共同幻想』だと言える。)
或いは「その民族なり集落では皆が知っちゃっている記号で且つ意味をもつもの」、
こんだけで人の自我構造においてそれは無意識的領域から必ず個人の人格に影響を与えるので(個人が作曲しようとするときに「伝統音楽や流行音楽の」←とかで想像してもらえるとわかりやすい。)
▲「社会なり個人なりのバックグラウンドや無意識に避けようも無く誰もが知っている権威」
このキャラクターは「クラシック」に近いものなので(聖書は誰でも知っているがその解釈で様々な分岐がある=譜面は同じだがN響とボストンオーケストラじゃ別物)、関連する権威性指導者だとか母集団への浸透性などこれかなりハイレベルで、簡単に相対化による無力化とかも難しいワケでありまして(叙事詩みたいな長文相手に反論とかも何もね、、)、
「あーめんどくさいもう異教徒でいいよ」みたいな(事実ビートルズの台頭がそうだった)、確かにないかにつけめんどくさい話になる。

※ちなみにビートルズ台頭前は、ポップスも教会音楽やフォーク的諸民族の伝統音楽の影響下にあり、そのビートルズも60年代サイケデリックで(ロックの限界感から)インド系音楽だとか「所謂多民族の伝統音楽などをカウンターに持ち出す」手法にハマるだとか随分苦労するワケだけど、
(ちなみにヘビーメタルは教会音楽回帰的なロックだと思う。)

このさビートルズ台頭以降に「極端な世代の分断」が発生し(『共同幻想』お家断絶的な)、ヒッピームーブメントに代表される世界的な変革の予感のような状態に至るんだけど、
この時の『極端な世代の断層』のような要素は解決する事なく延々と現代でも「特に欧米系では続いている」。
(欧米でサブカル系に一歩踏み出すと、とにかく至るところから「何か言われる」閉塞感を体験する(あるいは心理的に感じる)のであり、東西冷戦は終わっているのだが文化的側面は「いきなり異教徒扱い」みたいな覚悟なしに個人の趣味もできないみたいな世界があるのは事実。)
理由は簡単で権威性の点で『クラッシック最強』のような知見は「誰もが知っている(自分も知っている)」ビヘイビアがそう簡単に変わる事が無いからだ。

■日本がトンデモ系henntai国家として異例な発展をした背景には「親鸞などの”斜め上”の宗教革命?」があるからで、かなり昔に「伝統的権威はこれだけトンデモです」みたいな前衛的伝統文化論が広く浸透した歴史的経緯があるからだと想像される。
(※勿論同様の「斜め上解釈」は欧米・もスリム社会などでも多数あったと思うんだけれど、「斜め上解釈」がメジャーになるためには、日本のような小さな島国じゃないとほとんど不可能なので極めて地理的環境の偶然によって日本の「緩い『共同幻想』」が発案されたと言える。←ちなみにこれは明治〜昭和の軍国時代に異様にネジを巻かれ歪み、現在ゼンマイがほどけるように崩壊中。)
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posted by kagewari at 18:40 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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