2013年06月29日

『芸術家心理』

基本的に『芸術家』は『単独者』であり、
その技能が芸術を超えている『職人』は『共同幻想』適応人格である。

『芸術家』と『職人』の違いは、
前者が「破壊と創造」がその特性であるのに対して後者は「性格な再現と忠実な保守を善」とする職責を誇る。
平たく言えば前者は『抗(あらがう)』形式で現実に反抗しており、
後者は伝統や歴史というものを権威として認め自らもその一部を構成する帰属(アイデェンティファイ)そのものを善や徳のような道徳性として”自ら選択”する。←端的に言えば『共同幻想』に対するアイデェンティファイがアイデェンティティーになる。

後者を補足すると、欧米の場合一神教的ビヘイビアがあるためそアイデェンティファイは更に上部構造の教会権威に(神と1対1的に)帰属するため、世俗や仕事上の帰属は一段下になるので見掛け上個人主義が成立しているように見えるんだが、あくまでこれは帰属構造上の特徴であって内容は同じだ。
※更に補足すれば「欧米における『共同幻想』適応を日本的に解釈すれば」その神の概念は親子関係に被っている訳だから、欧米の『共同幻想』適応人格は社会心理的に言えば日本よりエディプス的であると見ても間違いでは無い。
 ↑↓
日本が仕事優先で「親の死に目に会えない」事をある種の『共同幻想』的美徳としていたり、サラリーマンにおいてあっさり単身赴任を受諾する事を社会責任として正しいと判断する点なんかは欧米的には考えらえない事だし(彼らの「日曜日に家族で」の元ネタは「安息日は家父長(下士官)が引率し家族で教会へ」である)、あたかも日本人は組織論や集団への過度に従属的だなどと欧米から見当違いの批判をされる事も珍しくないが、彼らの帰属性は二重構造になっている。
彼らの自我に認識されている内容(家族を仕事や会社より重視)とは別にその深層心理には教会権威のフラグが後ろ盾になっており”見掛け上”各自我が仕事や会社組織に堂々と対峙しているように見えるだけで宗教的観念にはその反対に従順だったり、或いはその反対で「反動形成」込みでエキセントリックな反発を持っていたりする。
(※日本はその反面、岸田教授的に言えば「帰属組織にそのまま神様じゃなく『世間様』がそのまま被っているだけ」で、『共同幻想』適応の構図が欧米から見れば「日本人は緩い戒律の多元的宗教の聖職者」のような”二重”では無く”多重”構造になっているだけ。)

話は戻るけれども、
日本で言えば『職人』は家族であるとか自らの人生すら帰属する共同幻想権威の下部構造に過ぎないので、「仕事に殉ずる」的な振る舞いをその道徳として自我を拘束する道を”自ら”選択するのだが、
結果的にそれは「反芸術」的振る舞いでもある。
「冗談じゃねーよ、大工何年やってんだ○○ってものはな〜こうしてこうしてこうやんだよ」
(前回の話における「普通○○はこうだろう」文法と同じ)
あたかもその技法や伝統の継承は欧米で言えば宗教的戒律も同様って事になる。
(日本の『共同幻想』は”多重”構造で「緩くてなんでもあり宗教の聖職者」みたいな帰属の仕方をするから。←欧米人に比べて日本人がおとなしいだとか極端にマナーがいいとか言われる人格構造の理由。)

■ご存じのとおり上記の典型的『共同幻想』適応モデルの全盛期は昭和であり、平成以降その根底はガタガタと揺らいでいる。
「グローバル時代の『共同幻想』」←こんなもん成立する筈がないからね。
仕事が命の職人に「育児休暇取って家帰れ」とかねww
言葉として論理矛盾してしまうわけだから。

簡単に考えれば『芸術家』はその反対みたいなものなので、
『職人』から見れば天敵とまで言わないが「一歩間違えれば「異教徒」そのもの」である。
(※これ建築なんかにおける前衛建築家意匠デザイナーと職人さんの対立関係で想像するとわかりやすい。)

■しかし『単独者』=芸術家では無い。
基本的に『単独者』単体の特性は”組織って何?的感覚の自由人”みたいな概念なので(まーそのまんまリベラル主義者というか)、『共同幻想』特有の思考リミッター(『共同幻想』固有の『自意識抑圧』)が無いので、お笑い的なアイデアだとか馬鹿馬鹿しいことなど『共同幻想』から見れば破綻にも見える現実を知覚・認識する特徴はあるが、芸術的な表現を求めるモチベーションなんてものには関係が無い。
では同じ『単独者』から芸術家はどうして派生するのか?

心理学的に言えば芸術家は「歩留り的選択者」と言えるもので、『共同幻想』系メンタル問題でたとえるなら、たとえばだけれど「鬱的傾向」の一部を自らの個性として受容する事を歩留り的に選択する状況なんかと似ている。
(この歩留り選択ってのは『自意識マター』による自立的選択なので選択そのものに対する強迫性が無いので「鬱も俺の個性」として何ら問題が無いというか、本人がそれでいいのであれば無意識下で悪循環化するようなことは無い。←哲学的には性悪説的選択とでも言えばいいか。→「偽を知る偽者は中途半端な本物気取りよりよっぽど本物だ」)

■『歩留り的な単独者』って何?って話になると思うのだけれど、
芸術ってのは当人が”美”だとか”芸術”だとかまー所謂そういう神聖なナントカを個人の自我を超える上位概念として認めるとこないと始まらないんで、この段階で歩留り的なんだわね(上位概念を持っているんだから)。
そして芸術家の道を選んだとこから「構造的イバラの道」を歩む事になる。
 ↑
えーとね最初にネタバレしてしまうけれど、
これが『昇華』って現象。
職人のところで記載した「聖職者的『伝統保守』意識」とかも『昇華』。
(所謂確信犯的選択における『共同幻想』の”選択”のとこに合理主義を超える”歩留り的”な上位概念を置くとこうなる。だから「天職」なんて言語になるワケ。)

わかり難いでしょうかね、
『単独者』の歩留りは「共同幻想的な上位概念」だし、
『共同幻想』の歩留りは「単独者的な権威の勝手な自己選択」となるから。
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posted by kagewari at 20:00 | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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