2012年10月03日

アポトーシスとネクローシス

ニコ動ってのは凄いところで、先日某有名エヴァシリーズの解説動画を見たんですが、初めてエヴァンゲリオンに登場する用語がマジでフロイド発だったりしたことを知った次第です。(生・性の衝動リビドーと死の衝動デストルドーの相克がATフィールドって設定になってるんですと)

そもそもがフロイドのイメージした死の衝動論のところがフロイド心理学の一番アチャーなところなので、なんとも複雑な気持ちになりますが、
ふと思ったワケですよ、
フロイドは「アポトーシスとネクローシス」がごっちゃになっていたのではなかろうかと。
アポトーシス:プログラムされた細胞死←彫刻造形時の削り的機能でもある。
ネクローシス:外傷や老化などによって起きる細胞死(壊死)。

原始の状態に還元であるとか死の衝動論には簡単には理解しがたい着想が出てくるワケだけけれど、これは自然循環的なところの「灰は灰へ土は土へ」じゃないが、ネクローシス的な話なんであって、仮に死がアポトーシス的イメージであれば(幼体から生体化の過程で彫刻家の意匠のように細胞が積極死する)デストルドーは(エヴァシリーズのように生命が個体を保てなくなるとかの話の正反対に)固体化を促進させるって事になる。ここの答えが岸田の『共同幻想論』であり、社会学や文化人類学的に言うところの文明化プロセスにおける『共同幻想崩壊と単独者化』って話を被せると死の衝動の無理筋は解決する。

※確かに『単独者論』を単純化というかミクロ的アダム論みたいに捉えてしまうと、リビドー成立要件の広義の性欲対象者がいない事になるので、一見対立概念に見えてしまうだけど、そもそも現代社会の『単独者』ってのはマクロの話であって(そもそも社会が文明化するプロセスで派生するので=バックグラウンドの母数が前提になるから)、固体化=個体だけって意味じゃ無いから。
『単独者』は『共同幻想』のアンチテーゼとしてそういう呼称になっているけれど、純粋なスタンドアローンって意味では無いから。

なんつーかね比較対象として「孤立」って言葉でここ説明すると、
『単独者』には孤立って概念が成立しないんだわ。
孤立の概念が成立するためには「予め所属するべき母集団の定義」が必要で、これってさ「本来『共同幻想適応人格』なのに所属集団と折り合いがうまくいっていない状態」を説明している言葉であって、
『単独者』の場合にはその知見なり思考なりが文明との接続がスタンドアローンであることが(コンピューターで言うところの単純な意味のスタンドアローンでは無く、会社などのイントラネットであるとか大型汎用の端末のような従属的存在では無いインディペンデントな意味でのスタンドアローンでありつつ自立的意志でネットに接続する個体のように←既に純粋な意味のスタンドアローンじゃないのだが)、そもそも『単独者』概念のビヘイビアなんだから。

高度に文明化が進行するプロセスのなか『共同幻想の崩壊』というアポトーシスみたいな理屈で”組織論”だとか”権威主義的階級所属性”のような概念が積極的に死んでいき(それこそ客観的に見ればあたかも『単独者化』が必然であるかのような衝動に見えるのかもしんない)、『単独者』に至るんであって、
(※果たして『単独者社会』なんてーないかにも矛盾する言語が成立するのかは別として)

ここもさ、フロイドのリビドー論(動的には快不快原則かな)をついつい狭義の性欲と誤解してしまって話があっちの方にいくのと似ているんだな。
リビドーを広義の性欲(ってか生存の欲)で解釈すれば(これで昇華とかの話も同時に説明つくんだけど)、何も快不快原則ってのは「固有の人間の対象者を絶対に必要とするのではない」のでさ、
関係性の次元が違うワケだよ。
『狭義の性欲論』で言えば→そのまんま他者と性交して快不快原則がーとかのアダルトナントカかよみたいに話が矮小化しちまうんだが、
『広義の性欲論』で言えば、絵画を観て感動とかでも快不快原則は100%成立する、
(他者との関係もこの場合、直接知り合いでも同じ時代に生きたワケでも無い画家との関係が文明論的に接続しているってことなワケで、感動した”私”は孤立しないっつーか『単独者』の存在証明として孤立の概念そのものが成立しない。)

アイデェンティティー論で言えばだ、
アイデェンティティーは言葉の意味としては”所属・帰属”だから(IDカードじゃないけれど)、話の始まりは『共同幻想』を前提としている訳だが、
(『共同幻想』がマストなら個体の単独者化は=所属・帰属不明であり=個体を保てないっつーかアイデンティティーの喪失となるので、デストルドーが死の衝動だから云々となるのだがー、そもそも『共同幻想』の方が瓦解するのであって、)
現実我が国日本の語彙的解釈の中で「アイデェンティティー」って言葉の使われ方は帰属や所属だけではなくって自分の本質的存在意義的”憑代(よりしろ)”のように使われている。
そこんところの意味は潜在的にって事かもしらんけど『共同幻想』的解釈でも理解することはできなくもない。
何故って、
『権威性階級制』を極端に解釈すれば「私達の『共同幻想』は更に上位概念に帰属・所属しているのだから」、極論するとアイデェンティティーは「私が現在という時間に対してどういう関わり方をしているのか」って帰属・所属の問題って事になる。(共同幻想の構造が一神教の国家なら宗教的神性に対する云々となるのだろうけれど)
なんつーか、
「『共同幻想』が12進法や10進法(アナログ)で接続状況を定義するのだとしたら『単独者』は2進法(デジタル)だ」みたいな。
それこそ死の衝動論的に言やぁ、千利休の「一期一会」も死の衝動とかになっちゃうのかもしれないが(笑
勿論千利休は「一期一会」をおもてなしっちうか人との接点を概念として解釈しているのであって(「組織にスンナや」って事だから←茶道におけるホストは孤高に近い単独性が無いと意味無いのだし)、

なんか結論あるの?って聞かれると「なにもない」んだけれど(笑
つれつれなるままにそんな事を考えたのでしたって話です。


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posted by kagewari at 19:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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