2012年09月30日

『ネタバレ論』

精神分析なんてものの基本は『ネタバレ論』に尽きます。
「どうしてなのか→そうだったんだ」式に曖昧だったり一種のレトリックを成している「誘導性のある疑問形」を白黒つけて終わらせるとこがポイントになってる。
心理学メインで考えている人はどうなんかわからないが、精神分析だけに限っていえば一種のツールだから(強迫心理構造翻訳機みたいな)。
精神分析なるものそれ自体が何か凄いってことでは全く無い。
(それを開発っちゅうか組み上げたフロイドやら岸田が凄いワケで、)

精神分析は『ネタバレ論』的ものである。
のだとすれば、
世界的な共同幻想の崩壊(=世界的先進国化)は、世界的な『ネタバレ』なのであって、それに呼応するウィキリークスの登場やTwitteなどの情報拡散は「そのまま社会のネタバレ機関」なのであり、
考えてみれば昭和の世界情勢における(ある意味大活躍した)各国の情報部の在り様は「ネタバレを許さない情報隠匿機関」でもあったのであって、現在の状況はそのやり方が通用しなくなっているって事なんだろう。
当時はそのかわり”トンデモネタ”は現代より多かった気がするけどね。
(※先日の中国のなんだかよくわからないデモもあちこちにネタバレ情報が出ている)

勿論精神分析なんてやっている人間だから「ネタバレ時代支持」である、
昨今の「実はここには謀略が」だとか、「なんだそういう事だったのか情報」がいとも簡単に流通しているこの時代はとにかく面白い。

『共同幻想崩壊』を観察する上でとてもわかりやすい事象がある。
音楽業界だ、
ブロゴスの記事だったかで内幕が語られていたけれども、ipodにより大きくアップルが音楽ダウンロード配信で躍進した背景には、日本のハードメーカーが日本著作権協会(みかじめ料を要求して日本からJAZZ喫茶を絶滅させたので有名)との所謂業界の論理とやらでファイル形式やファイル変換ソフトを使用する方法やらわやくちゃになっていたらしく(とにかく使い難くかったということらしい)、米国のようなフェアユース(ザックリ言えば一度公開された情報のコピーを積極的に認める概念)の認識とフリーエコノミーを組み合わせて考えれば、マスメディアや地域ラジオなどで新曲宣伝を行う時代がネットコピー社会に移行していることは誰の目にも明らかだった。
仮にその場面で有料ダウンロード販売などに移行するのであれば、相当高いユーザビリティが必要で、ユーザーまではあれやこれや規制に縛られて「何ができて何ができないハードなのかわからない」状況は絶望的なのであって、
アップルが特別優れたメーカーだとはとても思えないのだが、時代の読み方で日本メーカーは敗退した。
(後に事実上の倒産となる東芝EMIの遠因には日本著作権協会含めて『共同幻想』にしがみつくあまり”時代と逆・逆いった”という要素が相当以上に大きい。)
そもそも音楽はダウンロードが主力となってから、楽曲の尺が事実上解体した(アルバムやシングルの記録限界やマスメディア音楽番組などの尺)。
これもひとつの規格崩壊だから『共同幻想の崩壊』と符合する話だ。
つまり一曲3分なんて概念は意味不明の枷でしかなくなっている、
それは構造が根本から壊れるって事なんであってさ。

ソニー陣営はブルーレイだけは成功したみたいだけれど(ここもどうかな〜って部分残るが)自らソフト陣営の主力となって規格戦争を制したのは”ベータマックスの悪夢”があったからに他ならない。
(※構図としては当時の”ベータ”は『昭和の単独者』みたいな在りようだった。)
言うならば組織固めで規格を制した事になるが、ブルーレイがソニーを救うほとのインパクトにはならなかった。
手法としては一時代前だからね、
 ↑
おそらくここは将来クラウドなんちゃらに食われる気がする。
(DATA容量が大きいとアップロード・ダウンロード速度がボトルネックとなるので、そんな時代は来ないと思っているのかもしれないが、どうやったらクオリティー落とさないでそんなに圧縮できるのみたいな話は昨今ゴロゴロあるので、今後どうなるのやらわからない。←クラウドサーバからファイルのストリーミング再生が可能になれば一発でアウトの可能性もある。)

■「ネタバレ」って言葉から思い出したのだけれど、
そう言えば昔の刑事ドラマにはこんな台詞があったっけ。
「ネタは割れてんだよ!」
前述後者の話は言うならばさしずめ「ネタ割れが近い」って事になるのかな。



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タグ:共同幻想
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2012年09月19日

国際情勢がキナ臭い

以前から問題視してるように、中国は必ずしも北京政府が万全に国家を統治しているのではない。
人民解放軍は事実上の軍事商社のような存在で(事実所謂正規の国軍では無い)、それ自体が軍産複合体のような代物だし、北京派と上海派の間の権力闘争も続いている。
今現在中国で起きている反日デモも単なる反日では無いし背後でどういう勢力がこれを推しているのかはっきりした事もわからない。
(又尖閣がらみの漁船を動かしているのも政治的派閥なのか解放軍なのか或いは解放軍の一派だけなのかわからない。)

確実にわかることは『北京政府が大慌てだ』という事だろう、
(愛国無罪云々では無いよ、これは安易に逮捕や処罰すると北京政府の首が危ないって意味だから。つまり天安門作戦は現代中国ではもう無理ってところが北京政府には重大問題だ。)
前から中国には内戦の不安があり、政治的派閥とそれを支持する解放軍の色分け(七大軍区・三大艦隊:瀋陽軍区、北京軍区、蘭州軍区、済南軍区、南京軍区、広州軍区、成都軍区、北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊)、
「誰がどっちにつくのか」が妙な形で顕在化してしまえば内戦の可能性は決して少なく無い。

事実今日あたりには反日デモが鎮静化しているのだけれど、今回の騒動の最中に軍部の人間が普通に香港などのTVで強硬意見を平然と発言している。

北京政府のできる事はとにかく「金をばらまく」「少々の地方行政でのガス抜きは許す(反日とは違う地域行政デモで自治選挙まで許した地域すらある)」、これしかない訳だが、肝心の経済が盤石とは言えない。
不満を吸収するためにここ数年猛烈なスピードで人件費を上昇させたため、そもそも国際資本を当初集めた売りの人件費がペイしない水準まで「後数年も無い」有様で、
ここにきて国内統治目的で江沢民時代にやった反日教育(わかり難いのだが=間接的アンチ北京政府の意味でもあるらしい)に経済格差不満が合体してしまって収拾がつかなくなっている。
(更に困った事に反日やればやるほど中国経済は打撃を受けるワケで、、)
 ↑
状況はまるで違うっちゃ〜違うんだが、2.26事件以前の日本と重なる部分もあるワケだよ。→「いきなり戦争ムードを誰にも止められなくなる雰囲気」これが台頭する可能性は否定できない。

■冷静に状況を読めば対日戦争やらかすとかではありません。
これ事実上できない、
(一部軍部の強硬意見の狙うははやり「党内権力闘争」だろう)
何故って尖閣だけの話だから威勢のいい事が言えるのであって、仮に沖縄の基地を攻撃するなんてことになれば「米国への宣戦布告」と同じになってしまう。
どう言えばいいかな、
米国と日本が仮に”そういう意味”で本気なら、あえて尖閣で大きな人的被害が日本人に及ぶ事件を契機に(パールハーバーのように)全面戦争に中国をおびき出すって事を考えない人物もいないじゃないだろうから、中国も軽率な事はできんわけで、

米国としてもヤル気のなかった日米安保が本当に発動するかでちょっとした騒ぎになるかもだけど(リッピサービスはタダだし)、仮に戦になっても費用を日本に全額負担させればいいのだからトンチンカンな右派には”やるべし”とかも出てくるかもしれない。
本土防衛なら憲法9条関係無く自衛隊を実力行使部隊として手足に使える上、日本にはできない中国本土への攻撃だけを米国が担うとなれば、その後の民主化中国の実権を米国が握るチャンスにもなる。←人民解放軍に米国への核攻撃の度胸あるかって、それ無いわな(毛沢東時代の中国じゃあるまいし中国大パニックになりますよ)。

中国が強硬に出ようとしてもぜいぜいが口先だけだったり、とにかく軍事衝突だけは避ける方向の挑発がいいところで(或いは今回のように中国国内の日本に対する攻撃)、マジに武力衝突となるような可能性はゼロに等しい。
かといってだよ、
「尖閣無血占領だけ限定で成功すると国内世論は大満足」とかそういう話にはならんだろう。(前述のように=沖縄米軍との緊張関係に発展する。)
 ↑
現段階でも海上自衛隊特殊部隊に待機かかっているという噂もあり、そもそも実力行使する上でも中国軍が成功する確率は低い。

■あくまでも中国が日本に対して優位となっているのは『米国を除く日中だけの全面戦争の場合』になる。
(それもミサイル攻撃で本土の基地を攻撃するなどの作戦までで、おそらく上陸作戦はできない。この時まさか沖縄の米軍基地だけは攻撃しないとかできんのかと、)
核戦略上今後米中が相互に弾道弾を発射しないなどの協定結ぶ可能性は否定できないけれども、自衛隊の現有戦力だけで(仮に中国の狙いが日本本土の上陸作戦になるのであれば)対抗できる。


どう考えても可能性高いのは日本への軍事攻撃では無く『内戦』でしょ。
例えば某地域のデモを武装警察が鎮圧しに行くとして、その際デモ隊内部(中に紛れ込んでますから)の治安警察なり人民解放軍なりと交戦状態になり、これを発端に大がかりな内戦となる。
(だから北京政府は表だってデモを強権鎮圧できない、)
今回のデモ鎮圧も「そもそも外で集まるな」により収めたわけで、
そうそう簡単に内戦になるとは思えないが、かなり危険水域に入ってきてる。竹島辺りで気勢あげた韓国は口ぽっかんでしょう(反日言う割には中国と比べれば大人しいですなみたいに)。


■今回のデモ”圧力”は北京政府の権力移譲が無事終わればある程度のところで収束するのかもしれないが、誤った情報で世論を権力闘争に利用するみたいなやり方は(戦前の日本じゃないが)非常に危険で、韓国も中国もそうだけれども「最初は冗談のつもりが」大変な事になる可能性だってある。
(※2.26のように軍のクーデターが絡めば最悪のシナリオとなる中・米日開戦も無い話じゃ無い。)

『共同幻想論』的に言えば、経済成長もそうだけれど「急激な文化人類学的な社会の変化」はそれ自体が社会リスクであり、注意しないと(『共同幻想』崩壊局面には必ず保守反動も起きるのだから)全く予定外の事を誰にも止められなくなるなんて事は起きちゃうのであって、
■少なくとも「十分な情報公開・報道の自由・民主主義・教育水準」などの『事実関係認知の安全装置』セットを担保しておかないと”あられもない方向(=社会的強迫心理)”いっちゃう可能性がある。
(今回の反日デモでも「間違ってサムソン焼き討ちした」とか典型だろうに)
事実現在の中国も韓国も政権に都合のいい恣意的歴史教育の操作(ナショナリズムの鼓舞)によって、後から政府が収拾できないような騒ぎに発展しているのであって(ここは戦前の日本に似ていなくも無い)、

『ヤバさの社会心理的意味』が”かなりヤバイ”。
(日本から見れば「あの人達何やってんだか」状態に違いは無い。)

そして例の中東のデモとその発端となった「宗教的にイスラムを侮辱する短編映画?」だかの話。
どっから考えても謀略の匂いがプンプンしますな、
(石原知事のなんとやらも勿論ですが←尖閣の東京都購入記者会見が米国だったのがポイント)


ナショナリズムを煽らないよう注意は必要だけども、
リアルにキナ臭いよこれな状況は”事実”だから。
日本も地味に自衛隊法関係の整理や(いざって時に米国議会が安保条約から逃げる可能性もあるので)米国抜きでも本土防衛が可能か市ヶ谷あたりでは研究しておくべきでしょう。
何も急に軍事大国みたいな予算をつけなくても日本の自衛隊は十分に強いし予算もあるので、ここは冷静に実務的な部分を詰める事が「実質的防衛政策」になると思う。
むしろ「仮に中国内戦になったらどえらい難民がくる可能性があるので」秘密裏に台湾の政府あたりとシミュレーションぐらいしておくとかの方が更に現実的かもしんない。
だから小沢が何度も北京政府に言ってきたように、混乱が洒落にならなくなる前に「北京政府が電撃民主化政策を打ち出す」とか民主化攻勢に出ておけばよかったものを、
(報道は無理でも表現の自由ぐらいは踏み込んでも良かったのじゃないか)
もう手遅れなんじゃないかね。
偏向反日教育しっかり根付いているし、
「権力さえ握ればれば独裁政権となる今の中国の政治的仕組みは」(権力闘争的に)別の意味で危険だし、下手に国力が増大しているので覇権的誘惑も以前の比じゃ無い。

日本周囲の安全保障やら中東の動きには暫く目が離せないと思うね。


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2012年09月15日

『秋の政局』

ちょっと面白い事になってきましたよ。
実質リアル野党がしかけた参議院問責に谷垣氏が乗って結局総裁選に立候補できない形で首を取られるなんて事になるとは思ってもいませんでした。
(しかも自民の長老派が石原氏を推すとは、、ここ極めて人間関係レベルでこんなことになってしまってどんだけ内部がグズグズなのかと、)

結果野田政権は来年まで延命しちゃうかもしれません。
(現段階で小沢氏の”読み”である11月選挙も無くなったように思います。)
理由は簡単で、谷垣氏が落っこちてしまったので財務省のシナリオも何も(首謀者は法案成立で一抜けたしちゃっているワケだし)、「三党合意って何?」状態になりましたから、野田氏は多数派工作で「選挙は無いよ」と言う事になりますからこれにのっかる形で野田氏は再任、来年にかけて支持率回復を狙い尖閣であるとか自民党との約束を反故にするなど強権な振る舞いを続けてリーダーシップをアピールするいい機会です。
(どうでもいいことですが細野氏の立候補を潰したことは支持率的に得点になった、)
勿論少々野田政権の支持率が回復しても民主党は選挙に負けます。
困った事に谷垣自民の後退は、三党合意に自民の次の総裁も批判的になることを可能にしましたから、野田政権の増税やら原発への対応など自民の次期総裁(視線の怪しい石破氏で堅いでしょう)はかなり強硬姿勢に出てくるでしょう。
解散の日程に関して追及されながら有効な手立ても打てない状況は(国会開けばすわ解散風になりますから)、麻生政権末期状態と似た雰囲気になってくるのではなかろうかと思います。

読み的には野田政権の延命は無しで(選挙対策的に)再選が無い事が決定的な流れにもなるように見てはいたのですが、まさか谷垣氏の方が早いとは。
(谷垣氏が容易に再選されることは無いと見てましたが、立候補断念とはね、これだけ面子潰されて谷垣氏周辺も穏やかじゃ無いでしょうな。)
そんな話は「どーでもいいこと」でありまして、
■政局の中心は『次の連立政権の形』に軸足移ってます。

自民党総裁選は「自公維新での連立派」と「自公民大連立派」になるかなと思っていたのですが、谷垣氏の立候補断念と石原氏の立候補という愚策により棚からなんとやらで石破氏が勝つでしょう。
そうなると石破氏は「自公で過半数」に軸足を戻すでしょうから、あわよくばキャスティングボードをと目論んでいた「大阪維新の会」はしゃれにならないぐらい自力でかたないと単に泡沫政党として埋没するだけになってしまいます。
(維新がある程度勝つためには事実上維新の勝が「自公維新連立」の保守連立になるような想定が有権者に予定されていないと難しいと見てます。)

選挙準備的にはそりゃ時間ある事に越したことありませんが、、
まー維新の評判は選挙までの期間が長ければ長いほど落ちていくでしょう。
(今現在でもワケわからん政党になりそうですから、)
思うに有権者は橋下氏の衆議院立候補が無いと「アレレ」だろうし。

民主に関しても野田氏続投の表向きの理由が「負ける選挙の責任」って事になってますから、大惨敗の果てに野田氏は辞任し新代表が選ばれる事になる。
(この新代表は小沢新党との連立を視野に入れる事になるので、)
小沢新党がそこそこ勝てば「民小沢連立」で過半数近くいけるかもしれない。
(小沢氏との再連携=小沢氏が社民などの旧連立党派をまとめることを意味する。)
特に小沢新党にとっては「何人候補者擁立可能か」が重要で、資金的にも仮に選挙が来年になってくれることは有利。
 ↑
■注目すべき政局のポイントは
民主党内部の反主流派のかなりの数の議員が「ダメなら大阪維新」と考えていたところです。
これが目算違いで(松井知事の意向らしいんですが)誰でも入れると思ったら大間違いだとか、資金援助はまったくません的に維新がワケわけらん状態に陥ってますので、よっぽど「あの時小沢新党に参加していた方がよかった」な議員が続出します。

つまり選挙前に『大規模離党の第二派』があるかもしれない。
選挙における小沢氏のネガティブイメージを嫌って別の新党になるかもしれませんが(結果は同じ事なので)、ある程度の数の離党者が出れば「空白区の問題」は小沢新党にとってかなり楽になる。

「民主党から離党の第二派がどれぐらの規模になるか」ここがポイントですね。
そして維新が現状のままの体たらくだと無駄にイミフなところに候補を擁立して自民党の票を食ってしまう可能性が大で(共倒れ)、保守陣営としては「事前の選挙協力が必須」なのですが、ここで前述の『石破氏だとちょっと』な話になってしまう。
ある意味自民長老派の「自公民大連立」は一番堅い策だったので(どうして谷垣氏で我慢でなかったものかと唖然としますが)、このルートが事実上崩れたのは大きい。
長老派は解散もいらない今すぐ大連立すべしだったのだから、これじゃ何もかもパーになるんじゃないスか?自民党。
(下手に下馬評選挙に勝てると余裕見せたのがスキになったか、)

暫くは「自民党党首選と維新のダメダメ感」自爆ネガティブキャンペーン状態を見せられる事になりそうです。そもそも維新って橋下氏と松井氏両氏からして政策的に一致しているのかすらよくわからない。
(不気味なのは小沢新党の支持率を低くするためにマスコミは現在小沢氏をスルー状態ですが、おかげで小沢氏が潜水艦状態で動きやすくなっているところ。←策が無くても思いついてしまうんじゃ?)

しかし自民も谷垣氏を立候補ぐらいさせてやれば良かったものを、
(立候補断念は谷垣氏の”何”なんでしょうけどね。)



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2012年09月07日

極端な『共同幻想協調(適応)人格』と極端な『単独者』

前回の話を引き続き進めてみよう
>例えば『共同幻想保守主義者』と『自意識マター純度100%の単独者』は同一人物ではないかという仮説です。
 ↑
呼称はまーなんでも意味がわかればいいので、どうでもいいっちゃどうでもいいことなんだが、極端な『共同幻想な人』と極端な『単独者』(双方とも実存する事は無いので仮定の話だが)この二人は同一人物と言える構造じゃないかという話。
いくつか仮定の説明が必用だろう。
実はこの話の始まりである前回エントリーの経済学が暗示しているのは環境てかビヘイビアの差なワケですよ。
そういう意味では心理学、とりわけ社会心理との関係や『共同幻想崩壊過程』と『文明化(先進国化)』などの関連ってのは所謂経済学で言う歴史的予測というか社会学におけるゲマインシャフトとゲゼルシャフト論も同様に時系列的予測なり推論に基づいているのであって、純粋に単体のというか環境なり時代考証抜きで個人を特定すると「アダムになっちゃう」という無茶な要素からわかるとおり相対化された論証なり観察が不可能になる訳だ。
言い換えれば心理学というか精神分析でもいんだけれど、それは「結果論的な断片」であって普遍的結論などでは全く無い(なんていうかなフロイドは力動論の展開でここんところズレちゃったんだと思う)。

何言ってんのかっていうと、
「仮にこの人格が封建時代に生きているとした場合」みたいな”IF”が全く成立しないワケ(なので構造論っちゅうことなんだが)、
経済学で説明する方がわかりやすいわな、
「現代的に高度に発展した証券会社をポンと戦国時代にタイムスリップさせても何ら考証すべき意味と言うか経済学の話以前のSFファンタジーになるだけ」みたいな話さ。
(果たしてそれを時間に対するアイデェンティティーと言うべきなのかはともかく)

なので『被(こうむる)』とか『抗(あらがう)』ってのは動名詞的っていうのかな、時間的なものへの関与に対する”形式”だよこれ。
(勿論『抗(あらがう)共同幻想』だってあるのだし、)

さて、そうなると、
極端な『共同幻想な人』は石器時代とかさ”原始共同幻想”な時代を背景とするだろうし、極端な『単独者』は近未来のベーシックインカムなんかが標準になっている時代の話になる(或いは人が死なない時代)。
”原始共同幻想”なんてものは極端に言えば「ほとんどサルの本能に関連付けされている生物の習性」にギリギリ近いワケだから『共同幻想』特有のドグマ性というか簡単に得言えば似非でインチキなところも過少になる。
=強迫性の論証が極端な合理性の前に負けちゃうような背景になるから「これはもう幻想とはほとんど言えない」事になり(ほとんど自然環境)、適応に対する強迫性のストレスも無いのだから「共同幻想らしさが無いのと同じ」とも言えなくもない。
この場合、無理筋を可とするロジカルなレトリックも必要無いから「おひれはひれが付いてあげく余計なところまで自意識が抑圧される悪循環性も過少」、
時代考証的に石器時代なんかに(そもそも語彙というか言葉の数が少ないんだし)「所謂抽象概念」なんてものはせいぜいが『神』などの現代社会でも限りなく空想の部分(最初から空想バレしていい幻想)だけで(具体的になるほうが無理筋だしかえって神話性が失われる)、その物語にもおひれはひれがつかないから自意識に余計な抑圧が派生拡大しない(第一共同幻想でお馴染みの権威主義なる構造も集落単位でシンプル過ぎてたいした意味を持たない)。
確かに現実世界の選択肢は少ないが(戦争になった場合の帰属性も強固)、自我が活躍する場面は「やんのかやんないのか的自己責任選択場面だけ」になるのだから、これってもう『自意識マター』じゃん。

この話の皮肉は「原始共同幻想は幻想性が無いので事実上”原始人類の習性”である」となるので、この段階で心理的に言えば”例外項目の固定部分”って事だよね。
(当時は「そこから外れる=死」なので例外の想定はそういう意味で無くてもよい)
実に簡単な話で『共同幻想』ってのは戦後の現代心理の分析から出てきているもので、時代考証的に先進国化への過渡期なりの”現象”であってその特徴が”幻想だ”ってのでそういう名前がついてんであってさ、幻想性がなければ『共同幻想』特有の特徴なり弊害なりが派生しないのだから、解体もクソも原始社会は「人類の習性以外は自意識マター」という点で”在り様は『単独者』みたいなもん”なんだよね。
(群れ(バンド)はあってもクラス(階級社会)ではない)

現代の『単独者』が得意とする屁理屈も元ネタは封建時代解体だとか古いドグマと闘争する延長にあって(リベラリズムでも何で社会的関係性はどうでもいいんだが)、結果論的に人類社会が身に着けて”しまった”オマケに過ぎないのは事実で、
(ダメダメ時代があるからその屁理屈が論証できたのであって)
言うならばだ『単独者ネタ』の大半は時代との関係で相対的に派生している事にならないかい?
(ほらその時点で「闘争として共同幻想ネタがらみの個人所有権・著作権的記憶を誇示したとしてもそれは幻想発ってことじゃないか?」)
でー上記仮説から『単独者の生業』をだ、ごくごくシンプルにそぎ落とすとですね、
「こりゃ原始時代のアレレ?」
(つまりぐるっと回って元に戻るって奴で、)
そもそもが「自分が人類である」という概念だって”概念”なんだしさ。

見方を変えれば、
文明化に舵を切った次点で「インチキ臭い共同幻想が必須になる」という歴史的経緯で、これは当初これを捏造しなければならなかった問題(近代以前で市民の民度に著しい差異があるなど)が解決してしまえば不要なものだったとも言える。
そこで『許容範囲の社会性ノスタルジー』みたいなものを最大公約数的に「保守思想なんかでは(その思想を背景にすれば)幻想性を派生させない共同幻想」として「現代社会でもあり得る共同幻想」みたいな定義が(或いは個人の自由領域的にも)成り立つのであって、
『共同幻想適応サイド』としても「所謂幻想性(強迫性の拡大)」を忌避している事には違いが無い。

■結論「所詮同じ人類なのだから同じであったりまえ」つー事か、
(原始時代でも現代でも農業は同じ農業なんだし)
時代背景との関係性からゴチャゴチャといろんな歴史が派生しているだけで、そこは本丸では無い。
(お話だとか研究テーマ的にはそれはそれは興味をそそる話だけれど、)

『単独者論』をする時なんかに、
「なんだかあたかもフランスあたりの実存主義文学者みたいな、気色の悪い社会運動みたいなアレな話」を持ち出すと興ざめする理由でもあるけれど、単独者なんてものは究極「今日の晩御飯はラーメンなんかカレーなのか」のような大問題に対してだ”気さくに””気ままに”””適当に”「さーてどうすっかな」的に関与する場面が真骨頂なのであって、インテリっぽい話と勘違いされると大間違いなのである。

歴史的経緯からすると「ワイルド時代(原始時代)に戻っていいかな」的なひとつの判断みたいなものだろう。
(歴史的に『似非共同幻想』を一度時代が経ているものだからイチイチ『単独者』みたいな定義が必要なだけであって、)

「どーでもよくないことなどない」的無頼に至らないと単独者論的にも食い足りない話になるような気もする。


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『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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