2012年08月31日

経済学と心理学

またもや(一部トンデモ系で知られる)武田邦彦教授が「経済学(文科系の学問)ってものは、、」的な話をしているのだけれど、確かにその批判は的を得ている。
話の内容はどうって事の無い話なので興味のある方は
対立の構図 対立を煽る人たちと知的犯罪
http://blogos.com/article/45831/?axis=b:315


てか今回はそこのところがメインの話じゃありません。
(経済学ってものが多分にインチキ臭い特性をもっている説は以前書きましたから)
経済学と心理学は非常に似通っていて(政治経済と言ってもいいかも)、経済学ってものもミクロとマクロがあるように、社会心理と個人心理じゃありませんが多分に不確定な事象を取り扱ってます(武田教授はここを誤解している)。
更に言えばその対象が予め確定であるのだとしたらもうそれはファシズムが横行する独裁政権などを”あるべき論”とする一部特定の政治思想でも前提とんしなくちゃ成立しない訳で(民主主義は結果が不確定だからその正当性が担保される)、
 ↑
実は案外この部分っえ忘れられがちです。
言うならば社会的レトリックというか、人類の寿命が短いところからくる歴史の連続性というか観察者としての欠落部分です。
話をシンプルにする時に「事の始まりは」みたいなとっかかりがよく登場しますが、それは極端に言えば原始時代であったり人類登場以前であったり、そんな当時の記憶を持ち得るほど人の寿命は長くありませんから(勿論歴史学的な当時の状況にも多分に推論が多くなって当たり前)、仮に人類誕生からずーっと生きていてその記憶を保持しているなら「事の始まりは」的な説明は不要になります。
(そこんところを欠落して思考する人もいなくなる)

つまり(ついうっかり欠落するのが当たり前だからこそ)歴史的に「事の始まりはどうなの」的な着眼は、寿命が限られていて自然に生きているのに「構造的に社会的事象の記憶が欠落している」地球上の生命にとって重要なポイントとなるのであって、
抜け落ちたままだと「そもそも最初は何で始めたんだっけ」を現有勢力の方々みんな刷れちゃっているみたいな話になる。
 ↑
これは”何が何でしょう”。

今回は経済学でみておこうと思うんだが、
『ベーシックインカムとリバータリアンは実は似ている』なるオチに繋げる論旨を展開してみたい。
無茶苦茶矛盾する両者に見えますが、いえいえ案外似ているのです。
それも両者極端なパターンになればなるほど似てきます、
左派的政策である『ベーシックインカム』ですがこの政策極端に実行する場合「労働の対価として給与を支払う事を禁止する」(社会全体が資産家状態)となりますから、これって相当極端な”自由”が保証されます。
(似通っているのは封建時代や帝国主義植民地時代の貴族や特権階級)
何も大金持ちが放蕩三昧ってイメージではありません、江戸時代には特権階級である武士はそこいらへんの農家より貧乏だったのであり(それが明治維新下級武士蜂起の原因でもあったのですが)、ノブレスオブリージュじゃありませんが特権階級が質素な暮らしを旨とするなんて全然普通にあった事です。
でー『リバータリアン』ってのは極論”無政府主義者”なのであり(なので個人が武装する事もセットになる)、目先の経済的豊かさより自由を尊重します。
でーリバータリアンは米合衆国設立時代のイメージを引き継いでおり、ここで言う「福祉無用論」のビヘイビアには土地の所有権もクソもみたいな西部開拓時代(極論書類より銃がモノを言う)に行き付きます。
アレでっせ、農業や放牧にとって土地ってドエライ資産なんですよ(ゴールドラッシュ時代の土地)なのに当時は権利も曖昧ってか「強いものが取る」だとか(そもそもネイティブアメリカンから国的にかっぱらった強盗みたいな国なワケで)「早い者勝ち」ってのはね、下手なベーシックインカムよりよっぽど資産分配が行き渡っている(しかも貨幣経済によらずコルト45がモノ言った)。
保守派の更に極端な右派に属するリバータリアンなんてものはベーシックインカム論をあれこれ検討しているリベラル主義の最左派と認識ってかビヘイビア似たようなもんなんですよ。

ベーシックインカム(国民総所得分配)を導入して人類の経済活動を自由化するってのは「ある意味極端なぐらいの自己責任社会」となるのであり、
その活動を邪魔せず国家はそこ(フェアユース含むフリーエコノミーなど)に介入しない事を前提とします。
(リバータリアンの主張とどこが違うのかってね、)

経済学のこの状況は何を示唆しているのか?
或いは(まー適当な仮説なんだが)『心理学も同じかもしれない』。
例えば『共同幻想保守主義者』と『自意識マター純度100%の単独者』は同一人物ではないかという仮説です。

<つづく>

※9/3追記
日本ではすっかりリベラル派の政策となっている『ベーシックインカム』ですが、
この着想は経済学では右派に属する「新自由主義派」から論議されてきた政策で(福祉給付の一本化により小さな政府を実現する)、リベラル派の専売特許などでは全くありません。
文中そのままの話です。

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2012年08月23日

『秋の政局』

「あーあ、やっぱりそうなのね」な報道・情報がチラチラと出てきました。

国会議員兼ジャーナリストの有田芳生氏のTwitterがまとめになってます。
「渡辺代表・橋下市長 合流含め意見交わす」http://goo.gl/5IMbb  渡辺代表は「新党」国会責任者に就任したい意向だが、維新側が受け入れるのは困難。合流の結論が出る前に「みんなの党」に激震が。だが「視野の拠点」(丸山眞男)を「いま」から切り離さねば、未来は見えない。
http://twitter.com/aritayoshifu/status/238067270914543616


マスメディア報道的にはこちら
渡辺代表・橋下市長 合流含め意見交わす
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120822/t10014442521000.html


ザックリ言えばみんなの党に渡辺代表と江田憲司幹事長(この人は維新の会合流に元から懐疑的らしい)二人だけ残るみたいな事になりかねないっちゅう話。
(国民新党の亀井代表追放事件にもちょっと似ている)
合流積極派の渡辺喜美氏が維新の会に圧力かけてみたけれど「突っぱねられた」という事ですね。
(大阪維新の会が何をしたいのかこれもさっぱりなんですが)

■なんというか微妙に大阪維新の会の存在が数年前の「東国原英夫知事が自民党選対委員長だった古賀氏に自民党総裁に担ぐことを条件とした事件」を思い起こさせてくれます。
(地方自治体内では具体的な政策テーマもあったし仕事もそれなりに評価されていたのに国政進出の意味が不明だった点で、現在の維新の会が何をしたいのかさっぱりなのとよく似ている。←橋下氏が地方行政で評価されているのかはともかく、)

思うに解散間近の議員さん特有の不安症のような状況ですよ。
大阪維新の会なら大勝できるのかなんて渡辺代表が一番「そんな簡単なものではない」事わかっている筈で(当初から連携を匂わせたのがみんなの党の判断ミスでしょう)、ままならない職業だなと。

現在政治状況的には尖閣・竹島・北方領土と国際問題が矢継ぎ早ですが(メドベージェフ首相の北方領土なんちゃって上陸が各方面の背中押したかな)、強気に出るも何も現在の日本は昭和の日本とまったく違いますので(経済の外需依存率は2割も無い)、本当の国力を見せる事が寛容なのですが(次々と経済協力話をサスペンドしても日本は痛くもかゆくもない)、
政治家的にも見せ場ですから暫くは丁々発止の面白いコントが楽しめるでしょう。
報道的に見逃せないはここですよ、
 ↓
外務省、首相ないがしろに? 米中韓大使人事、了承前に「内定」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120822/plc12082209010008-n1.htm

えー簡単に言うと『米中韓3カ国の大使人事案』を首相はNHKのニュースで初めて知ったと(笑
こういう状況で外交も何もねぇ。
(事実上野田氏じゃ首相不在と同じなんだから、)
松下印保守系の玄葉外務大臣が水を得た魚のように生き生きしているところも微妙になんだかな〜と思う秋です。


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2012年08月19日

『経済学』ってものそれ自体を問題視するのはアリだな

『住まいの心理学』の方でこないだ経済学に関して『政治経済の変遷』とかで突っ込んで書いたのだが、
『政治経済の変遷』
http://kagewari-retour.seesaa.net/article/282754522.html
http://kagewari-retour.seesaa.net/article/282896413.html
http://kagewari-retour.seesaa.net/article/283092283.html


こういう見方はアリのようで、
実際こんな本が出ているという話。
米国発の「市場主義経済学」では、いまの危機は解決できない!
『経済学の犯罪』著者・佐伯啓思インタビュー

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33285

米国発のリーマンショックからEU圏の国家破綻危機と、いまだに解決の糸口が見えない世界金融危機。長期間デフレ状態が続く日本。こうした経済の大問題の背景には、私たちの考えを規定している経済学そのものに問題があるからだ……。
経済学そのものにメスを入れ、私たちに思考の転換を迫る新刊『経済学の犯罪』(8月17日刊行)。その著者である佐伯啓思・京都大学教授に話を聞いた。
(佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。)

考えてみれば『政治経済の変遷』の流れでバックグラウンドには、現在に至る財政赤字は1000兆円とも900兆円とも言われているんだが、
つまり昭和から平成にかけてこの借入(企業でいえば回転資金)で国民所得を支えていたのであり、労働の対価というか生産価値に応じて合理的な給与が支払われていたと考えるのは間違いであり乱暴な表現をすれば900兆円の借入金を山分けしてきたというような事なのであり(更に乱暴に言えばご立派なその一戸建ても国に借金付け回ししてバラ撒かれたものと言ってもいい)、
この赤字は莫大な貿易収支の黒字と昭和には大変強かった貯蓄性向により(国債で投資の形で分配されたものが所得から貯金となってループし)円の価値や収支の均衡が行われており、どんだけ赤字財政でも日本はデフォルトしない構造にある。

それが財政赤字の累積で(対GNP比的に)そろそそ難しい状態にある的解釈で増税というストーリーなんだが、
対GNPなんて事言うならば今の赤字総額と昭和40年のGNPで比較すれば一発で破綻とかになると考えれば→経済成長とインフレにより破綻は永遠に繰り延べられるような構造が成立していた事になる。
対GNP非的に問題が深刻化したのは失われた20年とやらのバブル破綻以降の経済運営に失敗して「デフレ状況(=過去の借金が相対的に増額する)となったから」であり、現代社会で高度経済成長が無理だからとか、そういう極端な話をしているのでは無く(成長率のパーセントがどうこうどころか)構造論的に『逆逆』となっとるところに問題がある事がわかる。

更に言えば、英国の金融問題から
結果的に新自由主義は一見うまくいっているように見えた理由が読み取れる。
実に簡単な話で、新自由主義派のやった事は「国債発行から信用創造へ(金融工学的なレバレッジやら)」だっただけで(マネーを国債で見掛け上増やしたのではなく金融業界の信用枠の拡大でこれをやった)、結果銀行に任せれば投資が効率化して回収リスクも下がるのかっちゅうと、実際の投資は世界的な住宅バブルであり、銀行は帳簿上の不正をしてこれを繕っていただけで、
英国大手銀行の不正事件の要因
http://blogos.com/article/44821/

財政破たんする代わりに銀行が破たんするだけの”オチ”だったわけだ。
(効率化どころか利益の最大化を狙って金融業界はハイリスク投資をする方向だとしたら、これは市場主義公正論的な見方とも違ってるでしょ。)

日本のバブル破たんも米国のサブプライムでもご存知のように、この金融破たんは『公的資金』で救済されており、
「最後は国債で公的資金投入かよ」(笑
まるでバカじゃん。

『政治経済の変遷』でも書いたように、
「資本主義の最大の欠点は”借りた金を返さなければならないとことろ”」
だとすればだよ、マネーの供給元が財政出動の場合「問題発生してもインフレ(借金踏み倒し)」となるが、マネーの供給元が自由主義経済グローバリズム金融市場は「問題発生するとデフレ(借金が相対的に増大)」になるのだから、
全然ダメじゃん。
(しかも金融業界に所得が過剰に集中する)

■今だかからわかることは、赤字国債がどれだけ増大しても供給力に問題が無ければハイパーインフレは起きず(ハイパーインフレとの関係は国際為替の依存する部分も大きいので輸出における供給力という意味もある)、米国のような国際収支と財政二重の赤字にならなければ問題はそれほど深刻では無い。借金を相対的に踏み倒しつつ資本主義を循環させるのは「インフレと財政出動」の組み合わせであって、マネーの供給を低金利状態(流動性の罠)で金融セクターに任せるのは間違いであり、少なくとも金融の自由化もインフレ状態で初めて機能する。
※流動性の罠はいくら金利を下げてもデフレであれば「所詮マイナスの中での上下に過ぎない」から発生しているためだと考えればわかりやすい。

経済政策的には、そこを詰めるためには「ハイパーインフレを発生させない先進国の原理」を検討することと同時に、誤ってデフレによる税収減を発生させてしまった場合(極端な財政出動にはリスクがあるので)”経済成長までのつなぎ”的に積極的な資産売却と埋蔵金の整理+財政出動でこれを行い、経済が安定成長軌道に乗れば累積額を気にせず積極財政に転じてもよい。←となるのじゃないの?

かなり適当な事書いているんだが、
んな感じの方向性を詰めていけば答えは出てくるのじゃないか。


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2012年08月12日

メンタル問題の”歩留り論”

線引きとして「そもそもどういう状態だと解決なのか」という話はあるんだと思う。
これは「果たしてメンタル問題は病気か?」という問いとほとんど同じ話で(病気カテゴリには様々な問題があることはこれまで書いてきたので今回は省略する)、
更に言えば心理学は「ナントカ自己啓発インチキセミナー」じゃありませんから、解決後になんだかいい気分になって夢のように問題が解決みたいな大風呂敷は最初から無いというか「そんなん話からして最初からインチキやん」となります。

なのでこの”歩留り論”は結構重要なテーマです。
通常だと「分析をどこまで進めるのか」と「どこからどこまでが自分の個性として引き受けるか(たとえそこに強迫傾向があっても)」ここの相克ってものは自己決定で選ぶものなんだが(精神分析なりの終了というか線引き)、「そんな自己決定ができるぐらいならメンタル問題として相談しないから」って話もあるでしょう。

<この話は以前も書いているんだが今回はもう少し論証的にまとめてみたい>


「そんな自己決定ができるぐらいならメンタル問題として相談しないから」って話もあるでしょう。
 ↑
こうなるとこの問題と言うか線引きはかなりやっかいな事になります。
(心理学上の精神分析と米国などの”精神分析医”は別物なワケだが、参考までに米国などにおいて一部に金持ちの道楽というか「顧問弁護士と顧問精神分析医のいるエリート階層」などのイメージには必要無くなる前提が無いため、永遠に金がかかるみたいなストーリーもあるんだが、ここも「切り分けろと言われてもその判断を分析者に聞く状態」という禅問答のような状況が想定されると考えるのが筋論でしょう。)

■心理学とりわけ精神分析は『第三者性』でもってるようなものですから、事実上「第三者答申」のようなレポートが上がったところで事実上終わりです。
そもそも論としてそれを使って過去に切り込むのか切り込まないのかも自由であって、そこから”歩留り論”は始まっている。
名目上「相談なりを依頼した動機」って確認があるのだから「直面している問題への対処」という部分では「その答申を利用して過去に切り込む意志がある」という事になるので、分析者としてはその依頼に関わる妨害(強迫心理の防衛反応)を回避するなり対応するなりのところまでは守備範囲と考える。
▲「依頼内容から歩留り論的に線引きが明解なところまで」と言い換えてもいい。

そこから先に「やれなんとかだから、やれこれが全然あれだから」など「それは依頼の動機なのか、愚痴なのか判別できない状況」ってものも考えられるワケで、
(ここが米国における顧問精神分析医的に基本的に永久に関係が続いててもアリだみたいな局面)
「愚痴なのか判別できない状況」まで正式な依頼と判断していたら話が一生終わらない事になる。
 ↓
明らかに精神分析なり心理学なりの担当外の分野だから。
(そりゃ「人生相談」ですよ。)
心理学ってものは学問的に「あーいう人格、こういう人格」と説明もできるち、「こういう人格が成立するバックグラウンド」なりも説明できる。やる気があれば自分の人格を「あっちのこういう方向へ」とチャレンジすることもさして難しい話では無いけれど(これは論理的に難しくないだけで実際いざやる時に簡単という意味では無く)、そういう話にはコミットしないのが心理学だから。

前段読んでもらえれば「何故なのか」わかると思う。
この話のややこやしくなる分水嶺は「それは依頼の動機なのか、愚痴なのか判別できない状況」なのだから、その状況で依頼者が「こういう人格の方向へ」という選択ができるワケが無いのであって、
いくら心理学的に「あっちの人格の方向性」なる内容が論理的に説明可能だとしても、「依頼は選択されている」と認定するのは安易に過ぎる。
 ↑
そんな依頼が認定されるのであれば、人格がどうたら以前に「この問題だけはなんとかしたい」という初期の相談同様の「明快なメンタル問題の依頼」が確認できる事になる。

■切り分け論的に言えば、
初期相談のテーマに対する対処なりの部分まではカバーする事はあっても、
答申と説明が完了すれば(この答申をベースに本人がそれをどう利用するのかは自己選択)、当該事案へのアプローチは終了であって、
「それは依頼の動機なのか、愚痴なのか判別できない状況」になった場合には、
新たに(或いは追加的に)「明快なメンタル問題の依頼」が継続性を持って確認でき無い限り、ズルズルと引き受けるべきでは無い。
 ↑
心理的な問題を心配している側の立場から言えば、この段階で「面倒なところに関してはもういっか」と判断してよい。
(ほら歯医者の治療でどこまで徹底すればいいのかみたいな判断の仕方とかあるじゃないスか。心理学的に言えば微妙に”歩留り論”とは違うかもだが相談を受ける側の判断が、依頼する側の判断材料にもなると思う。)

上記状態は心理学的に「歩留り論が事実上選択されている」証明なのであって、
(人間誰しもスッキリ明快に「自分にとって今の自分こそが自分」などと明快に認識している人などほとんどいないのだから)
そこから先は「人生相談なのであり心理学の管轄外である」と分析者の方から線引きするのが証明されている。
見方を変えれば「歩留り論的な状態から先」は(精神分析などの介入無しに)一定状態の確保がなされている『本人の自意識マター権限で決める領域』であり(adominなんとかみたいに)、殊更心理学が介入する場面では無いって事。あり得ても”バカ話程度の口語調のやりとりまで”でしょう。
(対応間違えば「相談依存症を助長している」事にもなりかねないので注意は必要。)


■少々話は飛躍してしまうんだが、
『野性の掟』と言えばいんかね、
所詮人類ヒト科も動物なワケですよ。
「そっから先は死のうが生きようがわからないのが自然界の掟」って何の保証も無い状態が”自然”なのでありまして(←保証というか足があんだから的に)、
原則生きる不安なんてものは太陽がまぶしいのと同じぐらい当たり前の事なのだから、心理学が取り扱うのは「依頼が明解であることと、現象が強迫的であること」を条件とするワケで、そこから先状況がどんだけ心理的事項であったとしても「安全な森から二足歩行で歩きだしたサルの不安」は『これ管轄外』だから、
(いやいやそこも心理学の管轄だって言うならば「心理学ってのはいつの時代から宗教になったんだ」って事なんだと思うよ。)
ってかその不安は厳密に言えば不安では無く「フロンティア」と同類項だから(野心領域と言い換えてもいいし賭け率領域でもいい)、
そこが安定してたらマズイ訳でさ、
(そんなもんが安定しているって「そこはエデンの園ですか」って話になる)
自然界における絶対不安(野心の領域)ってのは動機形成におけるネタでもあるんであって、『私の賭場・私の狩場・私の縄張り・私の生存権・私の死に場所』なんでもいいけれどそれが現実資産って事だし。
(時間の流れに『抗(あらがう)』ことで実存する”現実不動産”みたいな、)

心理学なり精神分析なりがあたかも何かを指南するように(=第三者性を喪失して)関与してしまえば「そんな心理学は似非」なのであり、
(自己啓発は自己啓発が自らを自己啓発と名乗った時点でインチキである)

「あっちに行こうと思ったらなんだか知らないけど”どうして逆にいくんだろうね”」という(ギアが逆さまだとか)そういうところは心理学の守備範囲だが、
「あっちに行こうと思うんだがうまくいかない」って状況は「んなこと知らん」であるべきなのが心理学である。


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2012年08月04日

科学技術の”動機”

巷では市場経済的なインセンティブ(所謂合理性)が技術開発の動機としてもっぱらのものだと思われがちだが、結果として新技術には常に政策的投資が論議されていたりする。
しかしどうだろう?

機械技術に没頭する技術者の夢は『永久機関』だった筈だ。
化学の元ネタは錬金術であり(かのニュートンも錬金術に没頭し水銀中毒で死んでいる)、化学の夢は『賢者の石』ってことになる。
天文学は本来占星術だったのだし、
経済学の本質は労働からの解放であり『不労所得国家』じゃないと筋論としておかしい。

この辺の学問の野心というか冒険主義的な側面は常にあたかも哲学的な「イデア」に到達しようかというアプローチなのであって、「現実を突破していくという意味で現実離れした発想じゃないと本物ではない」。
■こんな話をすると『荒唐無稽なトンデモ論』でもしているのかと思われるかもだが、「原発神話」なるものは上記そのものだったのであり(無限エネルギーが視野にあるから原発やってるんで)原子力関係の技術は冷静な科学者から見れば「トンデモ系」なのであって、その動機は錬金術も真っ青な無限エネルギーってことになる。
(さしずめ「『賢者の石』とは核燃料ペレットだ」みたいな学問)

※バチカンが過去に宗教倫理との整合性で大もめみたいな関係性はなにも宗教サイドが著しく合理性の無い判断しているのではなくって、宗教側からは科学サイドの本性ってものが見えているからとも言える。
(なんせ中世の頃までは教会は文部省みたいに学問を統括してたんだから)

間違っても「やれ国際競争力」だの「生産コストの縮減」だのそんなチープな動機で本物の科学者は動かない。
町工場の本当の姿だってそうです。

どうですかこれ、見てやってください。

バカとしかいいようが無いところが素晴らしい!
■これこそ日本です
こういうことをやっちゃうバカなところが日本の最も素晴らしいところですよ。
(バチカンの科学批判基準の遥かに斜め上いってます)

さらに、
欧米では宗教倫理上「人型」の開発に制約がありますが(神が自分に似せて人を造った話からアンドロイドなどの人型開発に制約がある)、
珍しくロシアからこういうネタが出てきてます。
目指すは不死の世界! ロシアで「アンドロイド」に人間の意識を移す計画が着々と進行中
http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20120522/Rocketnews24_214006.html

ご存知ロシアと言えば、マジに超能力研究したり以前から西洋の中では「トンデモ系のノリ」が少なからずある国ですが、やってくれるじゃないですか(技術的には全くアレかもですが)。
日本であればロシアのような脳の摘出であるとかホログラフィとしての実存では無く「堂々人型アンドロイドに人間のゴーストを取り込む方向」にチャレンジするのでしょうね。


科学技術なんてものはですね、こういうのが本物なんですよ。
市場経済だの偉そうな事言う人いますが、
それは金融セクターの『資本家気取り』に過ぎなくって(言うならばローンの審査を振りかざして自分が偉いかのようの勘違いしている様そのまま)「科学者や技術者が本気出して燃える」って方向性とは全然違うワケです。
(ホンダだって世界的に評価されているのは販売車というよりも『F1』であり『アシモ』であり、その延長に『ビジネスジェット機開発の成功』がある。)
 ↑
現在この方向性に確実に一致しているのが『フリーエコノミー』であって、
(ひょっとすると前述の水道橋重工製の大型汎用ロボットKURATASはマジ海外などに売れるんじゃないすかこれ。現在ネットで広告費無料で激しく情報拡散中で、既に世界的にもKURATASは一定の知名度確保しているでしょう。)

■仮に『銀行』なる存在を世界的に法律的に見直してですよ、
この資本を『フリーエコノミーの担い手である個人が投資における信用性を担保する』のだとしたら世界の様相は変わるでしょう。


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posted by kagewari at 00:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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