2010年11月25日

何度か目の『経済学の話』(3)

思うに『フリーエコノミー』なる概念の位置づけを間違っていたのかもしれない。
経済学的には『フリーエコノミーの周辺におけるビジネスモデル』と考えるところなんだが、果たしてそこで止まっていい話だっただろうか?

事実ジャーナリズムの世界にはブログとの関連性だけっで無く『ニュースは無料』という形の新聞メディア崩壊的世界が進行している。
こういう論議となると「やれ一次情報は既存の新聞社であるとか」「引用と著作権」などの話に行きがちだけれど(日本でも通信社が電通を発端とする国策的会社だったりするのだし)、google的クローラーと『情報公開法の厳密化』さえあれば、一次情報発信システムを構築可能じゃないだろう。
(Twitteなども同様の一次情報元とみなす可能性もあるだろうし)
言うなら『無人通信社』、
勿論これを世界で統合すれば膨大なニュースソースの蓄積になるし、検索サイトのエンジンの差異によって「○○に特化」のような個性化も可能だろう、
既に現在も某ポータルサイトは一次情報であるニュースと2chログの融合的な情報配信を行っていて(この場合は掲示板だけど)、関連ブログ・解説ブログ等をニュース配信と同時にリンクすることでマスメディア的ジャーナリズムの過半は無料化可能になる。

常々無料化とビジネスモデルは対立概念だったんだけれども、当面分配の部分を無視して『供給と需要の関係が成立するだろうか』という問いには「可能だ」という答えがある事の意味は大きい。
(だからここいっそ切り離してしまえばいいのじゃないかと)
インセンティブ云々の論議は既にプルーフされているって事でしょう。
更に昨今やたらと盛んなフリージャーナリズム、
ここも問題点といえば有料化なんだけれども果たしてそうだろうかって一段先を考えてみると、
ビジネスモデルの成立=有料化=非公開となり、所謂フリーソフト的なオープンソースとしての”一種のリテラシー”が保障きでなくなる。
(ここブログジャーナリズムのリテラシー的なキモが「コメント欄の解放」にあるのと同義)
経済学的な意味でのフリーエコノミーってのは、資本主義的貨幣経済から”フリー”でありつつ生産活動が継続し拡大するって話と仮定してみると、
そこに『需要と共有の関係が成立』している事単体で評価しても何ら問題は無い。
所得の再配分や税収などの概念自体をここから切り離して再構築していけばいいのだから。

いったいどういう世界の経済学になるのか俺にも全く計算できないけれど(笑
少なくとも現段階でも有効な経済刺激策が(その効用に問題がこれだけ再三指摘されても)「なんだかんだとケインズ的公共投資である状況」の方がよっぽど歪なのじゃないか。公共投資は合理的だが所得の直接分配に合理性は無いなんてな話の方がナンセンスだ。農業における戸別所得制度は政策としての代替としてわかりやすい例。
(ケインズ的公共投資が高い有効性を発揮するのはインフラ整備の遅れている発展途上国:先進国になればなるほど投資効果が下がる)

あくまでも仮の話だけれど、上記の『リアルにフリーエコノミー』における生産なるものがGDPとしてカウント可能だとして(貨幣評価できないのでその財貨をどういう算定するかは又別論議だが)、そのフリー化が高度先進国特有の成長セクターだとするとだ、
国は諸政策で「更なる労働のフリー化」を進めればいいのであり経済政策の根本がひっくり返る。
(「最低賃金の引き上げと産業別戸別所得補償、そして一見額面上失業に見える労働フリー化進政策」が成長モデルとなる)
※就職形態無しに生産活動を構成できないってところがボトルネックと考える事はできないだろうか。

現在の経済学が置かれている転換点ってのはそのぐらいのスケールの話でしょう。
(実際のところ今のままじゃ「全くワケわからん」みたいな体たらくなワケで)

「ヒトという労働資源に依存する国家」と「ヒトというソフトパワーをフリーエコノミーに開放する国家」、
マスメディアの解体、汎用ロボットによるブルーカラー労働の消滅、インターネット検索サイトに対する独禁法適応の厳密化、国連主導による発展途上国の低賃金労働の禁止、先進国への資源・食糧等国連主導の世界的安全保障に対する貢献義務化(発展途上国への投資に際しILOが策定した最低賃金基準の適応)、

貨幣経済の概念そのものが現在怪しくなっていて、なんだろう『どんでん返し級』の発想が無ければ新興国が旧先進国が辿った帝国主義的歴史を又ぞろなぞるように繰り返し「世界が再び戦争の時代を迎える可能性」だってある。
(その危険性が金融経済の破綻をトリガーに発生する可能性大きいワケで、この辺をビシッとイデオロギーでは無く『経済学』が方向性を明示するべきじゃないのかね?国家や政治や社会学や心理学を結びつけて考えられる唯一の学問だろうに。)

とかなんとかで、この労働フリーみたいな話ってのは存外バカ話じゃないと俺は思っている。


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posted by kagewari at 21:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

何度か目の『経済学の話』(2)

生産性って言葉もキーワードになる。
案外誰も気が付いていない経済動向の中に『労働力年齢幅の減少』がある。
特別面倒な話じゃありません、
戦前前後って時代には貧しい農村の子供達は15歳頃から社会に出て働きました。
確かに当時は寿命も50台であったり現代社会の定年まで満期で働くって事は無かったかもしれませんが、現代社会において大学(ましてや浪人したら)仕事に就くのが『22歳〜24歳』となります。10年近く仕事に就くまで遅くなっているのです。

寿命も随分延びましたから高齢化社会となって、62歳なり65歳なりの満期で定年退職は決して珍しくありませんが、デフレ経済の中「早期退職制度」も珍しくありません。
(退職金を割り増しして50代で退職したりする制度です)
「どんどん短くなってないですか?」
社会人が大学に通いなおすとかも検討されていたり、
男性でも育児休暇を取るとか、
労働政策的にしっかり有給休暇を消化してくださいだとか、

別段経団連辺りが意味合いを歪曲している「ワークシェアリング」など呼ばなくても、普通に生涯労働時間は年々短縮化しています。
その分布と失業率などを組み合わせて考えてみれば(社会人の大学進学などと考えて)、生涯労働期間において「1年や2年未就業期間があっても特別不思議では無い」というか、知事が育児休暇で半年休職する時代ですよ?1年失業していても知事の育児休暇と半年しか違わないじゃないですか?

考えてみれば
「失業が問題になる方がおかしい」のじゃないか?

カインとアベルの話じゃありませんが、
エデンの園を追われた人類が半ば労役刑のように始めた”労働”ってものが、機械の発明や農産品の改良や文明化によって軽減していく方向「だったのじゃないの?」。
(この辺宗教論被っているのは認めますが)
実際アメリカンドリームっていうと「ビッグになって早期にリタイア悠々自適」ですよ。
成功したメジャーリーガーが揃って言う台詞が「引退後は牧場買ってのんびり暮らす」。

経済政策として『いかに生涯労働時間を短くするか』というテーマが無いのはどっかおかしいのじゃないかと思うワケです。
(その視点があれば「失業」の捉え方は180度変わる)
 ↑
■これって『所得税に税収をたよる財務省(大蔵省)の都合じゃないか』(笑

高齢化社会であるとか、
年金制度の破綻(年金受給者を支える勤労所得者の減少)とか、
『言うほど破断してませんよね?』
(そりゃ財務状況は破綻寸前なんでしょうが)
 ↓
視聴率気にしてなのか全く報道されていない現実として、
現在の高齢者の皆さんは(高度経済成長時代のインフレがあるのでそこは見なくちゃいけないのですが)、『超高利回りの嘘みたいな配当率で年金貰ってます』。
正に夢の錬金術並、
(国民年金の自営業者の方は例外ですが)

マスメディアは「子供手当」とかをばら撒きばら撒きと無責任に非難しますが、
同じ論調で言えば「高配当の年金貰っている高齢者は盗人猛々しい」となるんですよ。
「んな無茶な、、」
そういうインチキ錬金術みたいなのが『経済学』であり『所得倍増論』なんてな経済政策ってモノなんですよ。(或いはアメリカンドリームだとか)

ここで逆に考えてみる。
→続きを読む

posted by kagewari at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

何度か目の『経済学の話』(1)

ってか前どこまで書いたものかはっきり覚えちゃいないんだが、
雇用と経済関係の話で「働き続けるのが先進国だろうか」のようなところには一度どこかで触れていると思う。

そしてなんでまた心理学のブログにしては頻繁に政治経済が多すぎじゃないかとお嘆きの貴兄に送る言葉としては、
『政治経済こそ極めて心理的な実存マターであり、個人心理学における自我経済をミクロと言うなら国民国家という社会学的実存はマクロ経済的自我論である』のような話が成り立つのであり、ひるがえって個人心理学を考える事においても重要な部分があるんだわ、

ざっくばらんというか大雑把に言えば、国民国家自我経済における「政治とは自意識であり」「官僚主義とは超自我であり」→『国家における民主主義と個人における自我主義は同義』なんだな。
民主主義の発現が自己責任を伴う意思決定となるんだが、これを弾圧して形式主義(軍国主義などの強権ファッショ)に陥ればこれ個人自我における反動的強迫意識と同じであって、

所謂国境線(ボーダー)が成立している状況においては国家単体で戦争を望むものはいないように、個人においても本音の実存(これは現実化となるので現実世界における解釈が必要)が成立していれば過当競争みたないな個人差というか個人間の差異はたいした問題じゃない(平和の方が価値が高い)。
国家におけるインフレが躁鬱における躁であるなら、デフレってのはやたらと現実(貨幣価値)の重い鬱と解釈してもいい。

つまるところ現在日本はデフレなワケだが、
これは総じて日本社会は『鬱禍にある』と見ていい。

そこで、
逆に見てみよう。
個人自我経済学における鬱とは何か?
(心理学的な因果関係や法則はこの際省略して現象論で見ると)
「過剰に欺瞞的不安感が支配的な状況」となる
(不安の過剰を現象論的に解釈すれば→外部社会の過大評価)
更に局面で言えば「不安感を煽る強迫心理が連続している」のだから、
 ↓
恐らく「経済学者はデフレ経済なるものを過剰に不安視しいてる」事になる。

発想を逆から元にもどすなら、
「現在の状況を”それほど悪くない状況ではないか”と評価しないと実体経済の分析から乖離する」って結論に達する。

重要なキーワードを心理学的に『デ・コード(強迫逆算翻訳)』してみよう。
「失業」=『不労所得の貴族階級』
「円高」=『日本全国リアルな所得倍増』
「少子高齢化」=『社会は不老不死へジリジリと近づている』
「家族の崩壊」=『ローマ市民の自由』
「財政赤字」=『国民の国家に対する貸し(大家)』

一部欧米諸国が非常に強く日本を不思議がっていて、
欧米にも巷間伝わる日本の評判は「経済も政治も最悪で財政赤字も膨大」なのに、
欧米に比較して「異常なほど失業率は低く、(財政赤字なのに)金利の上昇局面すら無い」。 ↓
短観すれば日本は膨大な金融資産(昭和にやたらと貯金して金融機関を介して間接的に国民は日本国債を買っているので)を担保にして「生産によらなくてもお金を刷る事ができる状況」であって、暴論覚悟で言えば『仕事なぞしなくても紙幣をダイレクトに刷ってもまだドルに対して円高を維持できる』という”錬金術状態”にある。
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posted by kagewari at 20:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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