2010年10月04日

核武装に話がいっちゃうのは違う

中国との外交関係でやおら巷では核武装論などの話が出てきていますが、
(先日のNHK特集もその線上を感じますね)
核戦争はもう戦争では無いです。
軍事用語的に『核武装』と表現するのも間違いかも知れない
(正確には「核で武装」とか)
そもそも核を使用した段階で既に国際的な戦争法規に違反(大量の非戦闘民間人を殺傷する)しているようなものだから、素で考えて核が使用者管理者が軍部だとしてもその使用が軍事行為なのかすら怪しいでしょう。
何のために一般兵士の銃弾がフルメタルジャケット限定だっていうのかってさ(世界の軍はホローポイントなど殺傷力の強い銃弾は使用禁止)、それに比べて核武装がアリって話はド・ナンセンスでしか無い。

(ナチスのホロコーストを軍事行為と捉える人が存在しないのと同じ)
なので違法なところをどうにかこうにか合理的に説明するため”限定的使用”とか”局地的小規模核戦力”とかの論があるのだから→勿論第二次大戦の米国による核攻撃は明快な戦争犯罪。→こういう言い方は適切じゃないが「あの時代」だから国際世論も米国を戦争犯罪として非難しなかっただけ。
基本その時代こういう国だったんですから
64年前の「人体実験」で謝罪=米大統領、グアテマラに
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010100200137

現代でもこういう国ですが
エクアドル・クーデター:Ustreamが暴露した映像
http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-528.html

(エクアドルが米軍基地を撤廃したのが発端とも言われている)

「核戦争」という”別ジャンル”の虐殺的な攻撃手段があると考えればよい。
抑止論として圧倒的に通常戦力で劣る国が相手国に対して『核が大規模通常戦力に対する抑止力となる』みたいな調子のいい論議があるが、
「だったら何が面白くて超大国は大規模な通常戦力を保持しているのか」って話になるだけで無く、北朝鮮に対しての”通常戦力演習による抑止”であるとか大量破壊兵器を大義名分とするイラクに起きた”通常戦力の攻撃”など全く効果が無い事がわかる。

そして明快に核保有が想定されているイランにおいてはイスラエルとの間の核戦争の噂が絶えないのはどういう事か。
核武装では大規模通常戦力に対する抑止にはならないし、核武装を明快にすれば”いきなり核戦争”のリスクが天井知らずとなる。
(しびれを切らしたイスラエルが明日にもイラン核施設の空爆するんじゃないかみたいな話は今普通に論議されている:これが中東和平論議の崩壊と対比関係にあることを考えればどれだけ割に合わない話か明白。)
→続きを読む

posted by kagewari at 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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