2010年10月27日

『縁と運』

一種の哲学論なんだけれど、
人間は等しく”種として人類ヒト科である”という現実において普遍的に平等であり(不平等であることがあり得ない)、現象論としての「社会的不平等」は概念として狭義のスポーツにおけるルール上の公平さのような論議で(そもそも人間はどの社会に参画するとかそもそも社会に参画するか否かにおいて広義においては名目自由である)、この辺の平等論は哲学的話に馴染まない。
※ここ誤解が輪を広げそうなので補足しておくと、
日本社会というような実体はひとつの仮定的な概念であって(民族論も同じ)、
なんとなく「存在いている前提が一般的に流通している」といったような、これも即ち共同幻想である。
だとすると「野球のゲームをしている時に成績の平等を求める」ことは根本的な矛盾であって(それじゃ野球にならない)、社会的公平さ(平等)が求められるのは『ルール上の公平さ』となる。
(話を広がれば経験や練習環境含むとか論議自体は広がると思うけど)

話を日本社会に戻すと、
前述のように共同幻想である日本社会なる言語を自分自身の日常会話において”通用する”と認めている場合、それは=「その段階で平等性を肯定しているのと同じ」となる。
 ↑
これどういう意味かと言えば、
野球と言うゲームの存在を認知している場合、その段階で打席なり守備なりで派生する”機会”の現実こそが=プレイであって、野球と言うスポーツにおけるルール上の公平を知っている事になるので既に公平性は認識段階で担保されていることになる。
(一塁からいきなりホームベースに戻ってくる人がいるのじゃないか?のような不平等論は不平等とかそいいうレベルではなくて←これじゃ既に野球じゃないワケで)

日本社会のルールは憲法であり民主主義における政治であったり(国籍であったり永住権だったり)、そういうレベルの認識の共有(共同幻想の成立)をもって既に平等である。
(沖縄基地問題のように同じ日本国でありながら扱いが法的にも違うのじゃないかみたいなレベルで不平等論が成立する)

確かに結果において既得権益の世界であるとか「あたかも不平等っぽく見える」現象はあるんだけけれども(野球で言えばレギュラー確約のドラフト1位みたいなもんか)、”結果において”という要素が更に輪をかけて「どうでもいいような話」であるのは、『選手全員が全打席でホームラン打つ野球』が成立しないのと同じぐらいナンセンスであり、そもそも野球というスポーツの概念は打席なりの”機会”を楽しむもので、結果に差異があるから”し甲斐”のインセンティブとなっていて、
(その解釈も様々で3打席連続三振を語り草に面白がることは誰においても可能)
プロ野球のようにその結果を”実力”として確認する事が目的化しているのであれば別だけれど(言えばプロ野球選手は広義の野球世界や野球社会における原理主義者みたいな位置になるから)、広義における野球の概念としては「まーね結果はイロイロ差異があるところが面白いのである」となるので、極論結果は”ネタ”に過ぎない。
「されど野球」とかの言葉にあるように、
極論”ネタ”に必死になる様こそ「シューシュポスの神話」なんですよ。
(勿論共同幻想なのだから前提となる枠組みは好きに選べばいいのであって、何も日本国民は国技の相撲を必ず楽しむべしみたいな論議は無い→当然野球に興味が無くてよいし将棋でもゲームでも小説でも自給自足でもひとり山に籠って仙人めざしてもそこは何でもいい)
 ↓
結果の差異を一人称で考えると
”自分”は同じ人間なワケだから、
『ホームランを打つ自分』
『三振だった自分』
これ同じ自分なんであって、、
自分であることにおいて(結果に関わらず)平等(同じ自分)なんですよ(笑
(むしろ違うなんて事があればSFの世界)
そらね、プロ野球選手張りに原理主義的であれば厳しい努力をして「ホームランを打つ自分への変貌」のような世界は前後において”違う自分”なのだけれど、この概念の成立必須条件は”激しい努力の有無”なんだよね、
その過程(激しい練習)が間に挟まらないと結果の差異は意味を持たないんだな。
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タグ:強迫心理
posted by kagewari at 16:16 | Comment(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

なんかわかるな〜って話

民主党関係者のブログとして有名な『気弱な地上げ屋さん』の以下エントリーが面白い
ラ・ターシュに魅せられて
http://latache1992.blog56.fc2.com/
罪をつくって・・人を困らす。 まったくもって・・罪つくりな人たちです。 最高検察庁 7人のサムライ
http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-353.html


ここです
カンカラ菅総理が、どんな意図で・・
この元総理と会ったのかは定かでありません。
しかし、ホントに情報が欲しかったのであれば・・
これほど笑えるハナシはございませんし・・・
誰も同席させなかったというのは・・・
政権末期を予感させる・・不吉な兆候 (笑) です。
所謂・・官邸1人・・ですね。
この元総理も・・・
その前任者や・・後任を務めた阿呆さんも・・・
最後は、政権内で相談相手もなく・・
官邸1人ぼっち・・で、去って行きました。

チラッとしか拝見しておりませんが・・
国会でのカンカラ菅総理を眺めていても・・
なんか哀愁の菅すら感じます。

花見会場で、カルピスウォーターが飲みたかったのに、
カルピスソーダ買って来た秘書を5分以上も怒鳴り続けてた頃の
カンカラ菅さんには・・
嫌なヤツだな・・と感じはしましたが、それなりの "勢い" と言うか・・
パワーを感じたものです。

ええ、なんというかエントリーの本題では無くって最後のところが笑った
「なんかわかるな〜って話」ですよね。
>カルピスウォーターが飲みたかったのに、カルピスソーダ買って来た
なるほどそんな時菅首相は「秘書を5分以上も怒鳴り続けてた」人で、
そんな人なんだけれど、その”勢い”すら、、
この表現は”言い得て妙”というか、うまいこと言いますよ。

その人を語る上で
>カルピスウォーターが飲みたかったのに、カルピスソーダ買って来た
そんな時人はどんな反応するのだろうか、
丁度いい心理判定テストかも知れません。
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posted by kagewari at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

ようやく政治状況が落ち着いてきた、、のかな、

『菅(仙谷)政権力不足』
マスコミは相も変わらず菅政権の支持率をまたぞろ小沢元幹事長にからめようと必死ですが、菅政権にとって「小沢マター」は反小沢として支持率浮揚要因なんであって、そういう論評は「無理筋過ぎ」。
(小沢強制起訴ニュースに記者会見でコメントする仙谷官房長官が嬉しさのあまり興奮していたのは有名な話:この時点の政界観測は「小沢はひとりで離党の腹だ」だったので仙谷氏は早まって興奮してしまったと見るべきか)
※現在の菅政権は小沢カードを「困った時の支持率浮上カード」として考えている。

支持率低下は明らかに対中外交であり、国会論議における野党抱きつきであり何ら政治主導の方向性が見えないところにあるのであって(そして反小沢は政策では無い事:政治資金改正論議もその急先鋒が小沢氏ですから)、力相応の評価に落ち着いてきたって事です。

昨今のマスコミ批判に「世論調査の乱用」があるのだけれども、米国ホワイトハウスにおける論議同様に”支持率”そのものは民主主義において重要であって、この問題はマスコミの世論調査そのものに対する不信と込みで考えないといけない。
(株価の味方同様に○%のような絶対数では無くて、グラフの方向や変化率で見るべき。小沢マターで言えば昨今の世論調査結果は反小沢固定から小沢アレルギーがむしろ緩和していると言えて上昇とまでいかないが、反発方向への転換しつつあると見てもいいかもしれない。)

話は世論調査に戻るけれども、ネットの投票型調査結果では無くて同じネットでも調査会社による統計DATAとして継続的に行われている比較的信用性の高いインフォシークの支持率グラフによると、
(調査対象者:15歳〜69歳の男女・回収サンプル数:2,000サンプル・調査手法:インターネットリサーチ・調査実施機関 :楽天リサーチ株式会社)


市場評価みたいに言えば
「明らかに菅政権に失望感がありあり、大きく評価を下げた選挙期間中の消費税発言時の数値を下回るのかが注目される。変動率的には”反小沢”で浮揚させた代表選挙時の上昇率と同じ速度で急落中であり(消費税発言の時より下落速度が速い)、基本的なベースラインとして参院選中に安定的に推移した30%台後半の数字を菅政権に対する”実質評価”として見ると、現在の変動は代表選挙時の反小沢発言による風評によるもので(実体経済にはなんら変化は無いのだから→”反小沢”は政策ではないので)、上昇した風評相場が”実質評価”に回復する形で修正されていると見る事ができる。この変動は織り込み済みとなるので、今後の注目は現在の下落傾向が”実質評価”である30%台後半の数字を割り込むか否かとなる。」

『小沢とマスコミ』を単体で評価すると、
根本のマスコミ政治部の小沢に対する新興宗教ばり(或いは個人的怨恨)の小沢嫌いの原因は、彼らの商売である「売れる記事が書きやすい、取材しやすい、記者クラブで情報を独占したい」に対して小沢が協力的では無い事と、各社新聞TVなどの発行部数や広告費が減少し(赤字の会社もある)組織防衛として”数字の取れる小沢ネタ”を(自分たちに都合のいい取材ができないものだから)「小沢叩き」でしか書けないって側面も大きいだろう。
(なので”反小沢マスコミ批判”が売れるとわかれば編集部の人事をきっかけに中立に戻る雑誌媒体も少なくない)
 ↓
つまり、ここ1年からのマスコミの小沢叩きは「かなりマスコミ自身の切羽詰まった状況」の中で強引に行われてきているのであって、
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posted by kagewari at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

核武装に話がいっちゃうのは違う

中国との外交関係でやおら巷では核武装論などの話が出てきていますが、
(先日のNHK特集もその線上を感じますね)
核戦争はもう戦争では無いです。
軍事用語的に『核武装』と表現するのも間違いかも知れない
(正確には「核で武装」とか)
そもそも核を使用した段階で既に国際的な戦争法規に違反(大量の非戦闘民間人を殺傷する)しているようなものだから、素で考えて核が使用者管理者が軍部だとしてもその使用が軍事行為なのかすら怪しいでしょう。
何のために一般兵士の銃弾がフルメタルジャケット限定だっていうのかってさ(世界の軍はホローポイントなど殺傷力の強い銃弾は使用禁止)、それに比べて核武装がアリって話はド・ナンセンスでしか無い。

(ナチスのホロコーストを軍事行為と捉える人が存在しないのと同じ)
なので違法なところをどうにかこうにか合理的に説明するため”限定的使用”とか”局地的小規模核戦力”とかの論があるのだから→勿論第二次大戦の米国による核攻撃は明快な戦争犯罪。→こういう言い方は適切じゃないが「あの時代」だから国際世論も米国を戦争犯罪として非難しなかっただけ。
基本その時代こういう国だったんですから
64年前の「人体実験」で謝罪=米大統領、グアテマラに
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010100200137

現代でもこういう国ですが
エクアドル・クーデター:Ustreamが暴露した映像
http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-528.html

(エクアドルが米軍基地を撤廃したのが発端とも言われている)

「核戦争」という”別ジャンル”の虐殺的な攻撃手段があると考えればよい。
抑止論として圧倒的に通常戦力で劣る国が相手国に対して『核が大規模通常戦力に対する抑止力となる』みたいな調子のいい論議があるが、
「だったら何が面白くて超大国は大規模な通常戦力を保持しているのか」って話になるだけで無く、北朝鮮に対しての”通常戦力演習による抑止”であるとか大量破壊兵器を大義名分とするイラクに起きた”通常戦力の攻撃”など全く効果が無い事がわかる。

そして明快に核保有が想定されているイランにおいてはイスラエルとの間の核戦争の噂が絶えないのはどういう事か。
核武装では大規模通常戦力に対する抑止にはならないし、核武装を明快にすれば”いきなり核戦争”のリスクが天井知らずとなる。
(しびれを切らしたイスラエルが明日にもイラン核施設の空爆するんじゃないかみたいな話は今普通に論議されている:これが中東和平論議の崩壊と対比関係にあることを考えればどれだけ割に合わない話か明白。)
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posted by kagewari at 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

市場経済といっても根本は需要なんですから

国家経済で考えれば所得分配も投資の一種と考えていい(公共投資は事実上所得分配政策)。シンプルに考えれば財政出動で「需要ありき」の政策もあるし、新自由主義ですら減税政策による需要増を織り込む。
経済政策的には”国内経済対策”であり、同時に経済政策と言えば真っ先に同様政策が並ぶ。
ところがグローバル(覇権主義的)経済概念の登場で、認識が混乱している向きがある。
もっぱらグローバル経済なる代物は国是として覇権主義的思惑のある国家なり国家群の話であって、日本のように集団的安全保障の概念すら持たない国には「はなから関係無い」話で、所謂グローバル主義的な国際競争力など「本来どうでもいい話」です。
 ↓
どうでもいい証明として、やれ経済政策だと言えば国内経済の需要増の話になっておるじゃないですか。
(そんなにグルーバル主義が重要ならば、日本の輸出先の需要喚起でODAであるとか対外援助を大幅増する方が筋論ですが、景気悪化したので”大規模対外援助”など聞いたことが無い:現在の韓国経済・中国経済の基礎に日本が大きな役割を果たしたのは又別の概念の話)

二枚舌とまで言いませんが、
主張している本人が話の整合性が崩壊している事に気が付かないらしい。
文明論として『先進国化』が語られたときは又全然違う話になっていた筈です。
(『先進国化』と呼べば聞こえはいいが事実上自由経済ルールにおける帝国主義において勝者であるという事でしょ)
『先進国化』ってのは企業で言えば自己資本率も高く内部留保も十分なので、株式公開は止めましたって話な訳で、事実日本は資本に困る事は無く(国際も国内で消化できる)、国内インフラ整備で世銀にお世話になるとかそういう話とは無縁です。
郵政改革論議もその筋のせめぎ合いだった。
(郵政資金をグローバル経済に流すのか国内経済資本として使うかの論議)

巷にはアンチグローバル主義を鎖国主義だと誤認している人も随分多いようですが、
グローバル主義=覇権主義なのであって「まだまだ侵略しますよ」って意味になる。
日本は憲法9条もそうだが、集団的安全保障も無い国なので覇権も何もね隣国の経済乗っ取ってもその国と集団的安全保障関係を持つ事できないのすから「何が面白くて覇権主義なのか」って笑われますよ。
「お得意様が増えました」ってそういう話じゃ無いんだから。

『先進国化』に話を戻すと、
当時は「先進国は大量生産経済からテイクオフして多品種少量生産により単価の高い製品に特化していく」って話だったんじゃありませんか?
これはですね=対外的に言えば先進国間だけに流通可能な高級品って意味です。
なので中国の市場がどうこうって狂乱する目先の利食い(半ばギャンブル)に右往左往する必要は最初から無いのであって、
(中国の日本製品需要層もそう望んでいる筈です→秋葉原まで購入した日本製品が中国製じゃ彼らの満足度もげんなりでしょう)
=『日本ガラパゴス化』で全然いんですよ。
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posted by kagewari at 17:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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