2009年09月28日

心理学と経済学

確か昔似たようなタイトルのエントリーを書いたっけ、
http://kagewari.seesaa.net/article/118238233.html

それはともかく(笑
何の話を考えようかといえば(あえてカウンターあてて表現すれば)「心理学や経済学に共通する”インチキ臭さ”」についてといってもいい。
人の考えるロジックってものは「どうかしているよ」ってものがやたらと多くて、その大半は人類ヒト科特有の『自我の発明(=本能の解体)』→この量産型となる「共同幻想モジュールと社会化」に負うものが大半。

こいつは善し悪しの話じゃ無い、
仮に、誰かがこの世で最初に『野球』なるゲームを発明したとする。この人物は最初にこの競技を普及させる時に「まーね投手はおもいきし球を投げるんですよ」と説明する方が手っ取り早いし誤解も少ないワケだ、
このスポーツに対する知見がまったく無いヒトにやれ変化球だの配球がどうしただの話してどうするって(よっぽどナンセンスなのであって)、
後に一部の保守派が『全力投球しない投手は卑怯である』という固定観念を発明してしまい、変化球を禁止したとしても、歴史の変遷の中で「ま〜そんな事もあるよね」には違いが無いからだ。

心理学でうんぬん言っている話ってのは、
そういった矛盾が個人の自我内部で許容できない対立(葛藤や欺瞞)に至り、同時に(ココが肝心)憲法9条じゃないけれど、正攻法では自立的にこれを(改悪だろうと改正だろうと)取り扱えない構造ができあがると=『別の意図を実現するための特定機関』であるかのような”違う話に変身”するに至るためで、
さっきの話にたとえれば
野球をしませんかってくくりの中で「やれ全力投球しないのかよ」と、その保守性を発揮する分には構わないのだけれど、
『全力投球しない投手は卑怯である』→『全力投球そのものに意味がある』→『全力投球こそが野球である』のような三段(反動型の連想)論法で、結論:「全力投球する野球」に派生して(いやいや本音が新しいジャンルの野球発明と自覚していればいいだけれどココそういう話じゃ無いから)、
本人は「平凡に野球をしたいだけ」だったりすると
→『半ば強制的に「全力投球する野球」をさせられるシステム』が暴走機関車のように独り歩きするって構図が問題なワケだ(この強圧的な”何”が無意識下における強迫モジュール)。
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posted by kagewari at 22:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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