2008年10月23日

『家族の報酬(1)』

共同幻想の史的連続性から見ていくと、原始社会においては共同体村社会が”族”としてバンド(集団)を組織として束ねる存在意義(レーゾンテートル)であり”共同幻想あっての集落”と考えていい。
そのコアはシャーマニズム的神話性であって、近代宗教の登場までは「ある意味それは禍禍しいものを含んだ生生しいものだった」と見ることもできる。
これ比較としては”よりワイルド”なんだと思う、
ここに王制を中心とする封建社会が頭角すると、この組織にはヒエラルキーが明快に成立し、王権は世帯を管理する権限を含む(極端な事例でいえば王の処女権・一般的には制度による婚姻の制限)ことで、正当性の怪しさの一部を強権によって代替する、
ここが後に王権神授説として近代宗教成立以降は、概ねどの国も政教一致(国教を定め)の形で王家と教会権威が一体となって国家を率いるまでになる。
これだけ共同幻想は歴史的推移の中で”幻想のままの正当性”から”目に見える権力や権限”によりその正当性を担保するように変化するため、反対に現世利益的水準に神秘性が下落するため、文明化に対する耐性を失う結果となる。

共同幻想における正当性というコアに対する神秘性の欠如は、組織的政治力(社会性の頭角)により置き換えられるため→「革命の時代が到来する事で滅びた」。
この間世帯は、系列企業とか王家の子会社のような位置付けで(ヒエラルキーによって下層階級にはそれほど明快な世帯の概念は無い)、○○家の権威が当時の権力との関係でリンクしていて(良家や貴族と呼ばれる存在)、ここも革命により解体、この報酬(正当性)も革命で民衆に収奪される格好で近代国家へと進む。

元来とりたてて正当性があったワケではない家族の報酬は、革命による特権階級からの収奪という格好で水平的に拡大し、文明化と並行するメディアの登場により情報交換の形で広がりを見せる。
しかしこの情報伝達には(それこそ、ニーチェのツュラツゥストラが語るように)「そもそも正当性を個別の意思で現世利益的に維持している行為が→摸倣により根本的に解体を始める」ままに、近代国家における「核家族化」として分解しより利益的組織(事実上中小零細企業)たるベンチャーに推移する。
先進国の場合、ここで発想の逆転が起こり『民主主義』として正当性は個人そのものにあると宣言され(人権・個人の尊厳の尊重)、正当性を各個人が表現する社会として正当性の在り方そのものが「独立・自立する個人」に投げ返される(ぐるっと回って元に戻る)事になる。
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posted by kagewari at 19:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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