2008年06月17日

自己責任のロジック

ここのところ公開掲示板上で補足説明が必要になる事もわりかし多い言葉なので、テキスト的にまとめておいたほうがいいだろうと、
『自己責任』
このキーワードが重要になってくる背景は、
そもそも時代としての心理的な問題の過半が「共同幻想の崩壊過程」なる文明論的な時代変遷に起因するためで、
社会体制が「保守的政治」から「民主政治」を模索しているように(経済で言えば「管理経済」から「自由経済」へのシフト)、この社会的ファンダメンタルの変遷は”個人”であったり”自由”であったり”当事者責任”により始めて機能するもので、
その世界の中で爆発的に増えているメンタルな問題のキーワードとして「個としての自立」が大きく関わるのは自明になる。

参考として哲学で言うところの実存主義が使えるって話は以前しているんだけれど、
http://kagewari.seesaa.net/article/84296493.html
重要なのは、
この「個としての自立」が=「単独行動型の人格を模索」じゃないところだ。
実存主義が”使える”ように、
その後の自我選択は「単独行動型」でもいいのだし、「社会協調型」でもいいワケだ。
つまり投票行動における二大政党じゃないけれども、その後の選択を決定するものじゃない。
自我の構造変遷として、幼児期から一度「個としての自立」を挟まないと、どうにも自我構造のバランスに偏向を残してしまうので「過程としてマスト」だと考えてもらえると確からしい印象になる。

この「一過性でも可の個としての自立」なる特殊な環境は、昭和で言えば「若い人」と言う言葉に集約されたり「青春」と表現されたような「ちょっと調子に乗り過ぎなぐらいの理想主義」で”丁度いいぐらい”の過程を意味していて。
「ちょっと調子に乗り過ぎ」な部分が、旧自我における家族的保守性へのカウンターである事は説明の必要もないと思う。
強迫構造に喩えて言えば、デフォルメされ象徴化された(家族主義的)権威性(=妄想に近い)への幻滅から、これを補完するために理想主義が入り込みやすい状況からこの過程は極自然に起きるんだけれど、
この動作を、現代社会はかなり意識的に行わないと”自我の現実化アップデート”とも呼べるような仮想権威性超自我(子供の超自我→仮想道徳性)の解体が重苦しくなるというか、思ったように進まない結果となる。
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posted by kagewari at 14:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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