2007年01月27日

記憶の外部化をイロイロ考えてみる

俺自身自分が写真に写るのが大嫌いで、スマッチなんかのプロフィール写真は随分と苦労した(今は内装屋さんが偶然撮影した画像を使用中)。これ何故かというと「風景として人物が写っている写真は絵として実存しているが、人物が思い切り自分の顔を写真に撮ろうって行為が何を意図しているのかわからないから」だ。
現在ことほど左様にまんま生きているんだし、まさか遺影の心配して写真撮る人もいないだろう(笑
ましてや、思い出と称して人物写真を何か残しておこう(記憶の外部化)ってのもまるで実存が怪しいから証拠写真を必要としているようで、どうもなんてーのか「え、なんで」と納得いかないワケだ。
思い出す必然性のある記憶なら忘れないのであって、それって他人に見せるためのコピーじゃねの?ってね、だとすっと著しく実存感無いのであってこれやたらと意味合いが軽くなる。
それこそ結婚式後の出席者一堂の写真みたいに、何らかの実存(あれも一種の絵と言えば絵だからね)があれば納得もいくのだけれども、どうも外部化の意図=実存を記録するってその内容を「どんなもんだろう」と考えるのが習い性になっている。

PCに喩えるとそれこそ忘れやすそうな重要度の低いDATAほど「あれっ、これいるかも」的についつい保存するもので、なんせハードエラーでDATAが消失する危険性も高いからどうやって保存するのかにあれこれ気を使ったりもする。
そう「消えそうな記憶ほど外部化したいと思う」のだ、消えそうなんだから消えちゃ困るわな(笑
そんな意味じゃ「生きている」なんざ現象は記憶の連続性って実存になるので、これを切り離して外部化するとそれこそ遺影みたいに、なんかな〜と思う。
そのPCの記憶分野の論議もネットじゃお盛んで、
フォーマット形式の「NTFS派・FAT32派論争」だったり、最近話題の仮想シリコンディスクとでも呼べばいいのかCF内蔵型のIDEHDD互換フラッシュメモリの耐久性はHDDと同等か論争など、各論尽きない。
確かに些細な記憶(消えやすい)は、自意識マターではないので潜在意識に潜ってしまう事も多いから「メモリに憶えているのに読み出せないアーカイブス(肝心の試験の時に思い出せないってアレですよ)」をいつでも取り出せたらどんなに便利かって自意識特有のストレスに呼応するものかもしれない。
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タグ:記憶
posted by kagewari at 18:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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