2006年03月30日

『ネットの世界=無意識』から表層の現実を考えてみる

ブログの世界で起きた「松永英明=河上イチロー=オウム事件」が、一部で大変な騒ぎになっている(笑
事件の経緯は、ググればわかると思うんだけれども、簡単に言えば世論操作を目的としたと見られているも仕方のないパワーブロガーがオウム系陣ブルである事を、これ又ブロガー(雑誌系ジャーナリストだが)が告発し、追及されたブロガーが自らオウムとの関係をブログ上で公表した。
彼は民主党のネット関係の懇談会に出席し、前原党首と懇談会上で会食していた、

この事件はネットの世界では大事件だったが報道される事も無く、表の世界でデジタルデバイド下にある人々はまったくその事実を知らない。

『暗闘』と言えばいいのか表現は難しいが、この事件の経緯を刻々と追いかけている時には下手なTVドラマを越える緊迫感があった。
ネットの世界は下手すると現実というリアリティー(=「ティー」なのでヴァーチャル)を越えている。
匿名性が高い事も(かくいう俺の戸籍上の名前は岩原だが、ファミリーネームと言うか複雑な経緯で陰割も事実関係を踏まえた名前なので厳密にはkagewariは匿名ではない)「輪をかけて剥き出しの自我のぶつかり合いの場を生み出している」。
しかも、このやり取りは掲示板形式のダイレクトなものではなく、それぞれのブログ上で展開された。
これはネットの世界に有機的な関係性が成立している証明で、社会的関係を前提とする現実社会の関係性を超えている。
どこかかしか、テレパシーじゃないが「まったく社会的関係性の無い他人のブログの情報が、自分自身が発信している内容と被る部分がある時、グーグルがそれを結びつける事が不可避である」と言い換えていも良くて、ここには一種の恐れすら感じた。

そんなネットの世界から覗くと、表の世界は児戯に等しいというか「なんとかゴッコ」にさえ見えてしまう。


表層の曖昧さと、内面の頑なまでの実存

これは心理学的自我の構造そのものでもあり、デジタルに親和性のある人々だけが内面のリアルに触れその情報を取り込み、内面であるデジタルに対し親和性のない人々は、内包する実存を知る事無く曖昧さを理由に表の世界に漂う風評に流れていく。

果たして「現実の世界における認識等というものは蜃気楼に過ぎない」という岸田の唯幻論ってものが、際立ったアイデアであった事を再認識した事件だった。
タグ:ブロガー
posted by kagewari at 20:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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