2005年08月13日

心理学的考察「性格は存在しない、例えば“怒りっぽい”」

心理学的には「性格」という構造は存在しない(前にこのブログで「流れ」として話をした事がある)。
昔々の東洋には「粘着質」だとかの「気質」が論じられた事があるが、性格とは傾向で流れには違いが無い。

その流れを決定つけるのは、自我のロジックであって、このロジックの連想性(関連付けと追体験的回想)で、感情的な反応はきまる。
わかりやすくいえば「トマト美味しいと思う人」「トマトが不味いと思う人」の違いは、「トマトを美味しく感じる性格」等の存在が理由では無い。
「最初にトマトを食べた時の酸味が美味しいと思った」場合
この人物はトマトの種の部分が好きになり
「最初にトマトを食べた時のトマトは、トマトピューレでスープだった」場合トマトの甘さと塩味の調和を美味いと感じ、この人物は種の部分を捨てる調理を好む
両者に起きている話は次元が違っているのだが、各々のイメージで脳内で「トマトの味」の雛型が出来上がる事になり、この両者が「トマトってさ〜」と話している時頭の中で連想されている対象はあまりにも違う。

しかし「トマトにつていの会話は破綻しない」

そこで
「君は酸味好きだねぇ」とか「あなたは塩味好みだ」とか、、
なんて言えばいいのか、、
会話が成立していても、背景や連想の流れが違うと「実は話がすれ違っている」事すら多い。

話を戻して、性格と呼ばれているものについて考えてみる、
「怒りっぽい」
これはどういう現象なのか?
会話は体裁として通じていても、脳内のイメージ(トマトの種か種を捨てるのかぐらい)は飛躍的に「前々違う話になっている」可能性が高い。

何故か?
「あの人が怒るぐらいだからよっぽどの事だろう」
これは周辺が、怒る事由に納得しているからで、他人の立場からj判断しても(相対的に)“怒るのは妥当だ”と判断している状態で、「怒りっぽい(或いは短気)」という言葉が単語として特定のイメージで通用している事の背景は、「怒る合理的根拠を思いつかない時にも怒る人がいる」という意味で、実際怒っているので仕方がない(まさか「怒りっぽい人に怒るのはおかしい」と言っても、怒りの矛先がこっちにくるだけなので、こんな事を言うひとは通常いないので、)ので、「怒りっぽい人」という言葉がある。
「その怒りっぽい人が怒る理由は、と も か く」だ。
考えても自分は怒っていないので、怒る理由を容易に思いつけないのが自然。

そんな背景の中「怒りっぽい人」という言葉はひとり歩きし、なんだか本当に「怒りっぽい人がいるかのように」認識されている。こりゃとんでも無い話で、
「怒りっぽい人」や「笑いやすい人」という「人」のジャンルがあったら大変だ。

「○○さんは怒りっぽい」
これはアリ
「○○さんは笑いやすい」
これもアリ

しかし、
しかしだ、
「○○さんは怒りっぽい人だ」や
事もあろうに「僕は怒りっぽい方だ」なんて事になると、ほとんど言葉として壊れている。

たとえ本当に「自分でもよく怒る方だと思う」と思っていたとしても、だ。
怒ってしまったのは結果で、理由があるでしょうに理由が。

どうして誰もそれを不思議に思わないのか?


これがある意味「無意識の正体」、
無意識なんだから、簡単にそれが意識されたらそりゃ無意識じゃない。

なんとなく『性格』なるものがひとり歩きして、いかにも『性格』なんてものがあるかのようになってしまうのは、誰しも無意識の存在に気がつかないからで、
無意識について考える精神分析の世界では『性格は存在しない』となる事がわかってもらえるだろうか。

そう、その人が結果的に怒るのには理由がある。

「無意識的には〜になっているから」な時
この人は「無意識にこういう事例を常に○○○と反射的に判断(無意識先行で、意識的なロジカルな判断ではなく)する人だ」となる。
つまり、精神分析的には「怒りっぽい人」など存在しないし、
何かあったとしてその理由が「わたしは怒りっぽいからだ」などということがあったら大変な騒ぎだ。

繰り返すが
「○○さんは怒りっぽい(無意識についての背理がある事を前提としている)からな〜」
これはアリ、よーーーく読んでほしい。
「怒りっぽい性格を述べたものだ」とは読解できない筈だ。
本来誰しも無意識の介在とその結果について、どこか目の端っこあたりで薄々気がつているのに、これを妙な「言い回し」の流布で、麻痺させていないだろうか。
「健康」という言葉すら昔は無かった「社会」につていも最近の話。
言葉が一度「当たり前というかいっちょあがりの現実(的)」として認知されると、無意識の動きについての知覚度は後退する。
先進国化、文明化、流行語、無意識的な動きに鈍感になり、『性格』なる言葉がひとり歩きする、
これは「精神的悩み」や「鬱」が、先進国特有の現象である事の「関連性のひとつ」に違いない。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 03:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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