2005年06月16日

爆発事件を精神分析する

事件の背景は「無口を原因とするイジメ」となっている。
そこでそもそもイジメなるものを精神分析すると

イジメってぐらいだから、背景には母集団となる群れが無くちゃならないのであって、クラスや会社組織等の複数の人間の社会が存在しない事にはこれは発生しない(差別も同じ構造)。
で、イジメの動機だが、母集団の側から言えば「これまでが“そうであったような”予想の範囲内の構成員への排他性」であって、人体における免疫系の動きにも似ている。
つまり「異分子」の排除が目的になる、
しかし同じクラスだの会社だので、主体的に「いちぬけた」と言えない状況だと(なので、ドロップアウトしフリースクールって手段は最も有効)構造的にそれから逃れられない。

この「異分子」として排除される雰囲気って何か?
当然「異分子」でも尊敬を集め歓迎されるケースもある
「オリンピックに行った」「登山家だ」「芸能人だ」「プロの棋士だ」「プログラムの開発をしている」「イラストレイターだ」等々
これを「社会的に成功している人」と、捕らえるのは大間違いで、「異分子が社会的に認知されると、その人は普通じゃないのだから(異分子なので)、これを肯定するために社会の側は、自分達がそうではない立場から考えると、成功者と認定して、自分達がそうではない事から身を守るために、この人物を別格(この人は違う)と棚上げするしかなく、結果構造的にこの人物を尊敬せざるおえなくなる」って事。
この背景に「素の状態で尊敬しているのではない」という本音があるので、ホリエモンやノムラ、小沢のような引き倒し的転換は常にあり、有名人のゴシップが人気があるのは不思議な事では無い。
有名人が引き倒されるのはイジメとは呼ばれない、何故なら彼らが比較強者だからだ。
しかし、構造はイジメと全く同じ。

実はこれ簡単な話で、集団や社会を形成する事を肯定的に取るなら、必然的に個人主義的異質性は(母集団への批判性として影響力を持つので)その脅威である。


爆発物を投げた彼は、無口だった。
無口であることをからかい笑いものにしたいという動機は、何処にあるのか?それは集団を形成することは個々人全員にとってストレスであり、なんらかの「持ち出し」や「それなりの無理」をして、場を盛り上げたり、面白くない話に笑ったりなんて事が裏にあるんであって、それができるのは「そうするもんじゃない?」(これ秩序ではない)というなんとなくの合意(共同幻想)があるからで、集団の個々人はこの「そうするもんじゃない?」という雰囲気の脅迫(強迫)下にある。
そこから覗くと「個人的事情で、それを無視する言動」は、特権階級的振る舞いになる。
つまり、イジメられている側とは『比較強者』である、
で「なんで?」から始まり
それに誠意ある答え(=自己紹介「なんでかって言うと」の明快な答え)が無いと、この問いかけを愚弄されたと感じるので、それがからかいにエスカレートしても、母集団はむしろこのからかいに共感する。

大問題なのは「イジメ」の対象者が「なんでかって言うと」がわからず悩んでいる事で、かと言って彼の人生や、彼の家庭環境を知る由も無い母集団ににとって、それは理解しがたい謎でしかない。継続する謎は母集団のストレスを増大させ、母集団の中でもストレス限界の低い(この人物もかなり「無理をしている」から、そうなるのであってこの人物にも悩みがある証明)から、過激なイジメに発展する。
母集団としては、無意識にこの攻撃に共感しているので「いき過ぎだな?」を止めることは出来ない。
(今回の事件では「僕のせいだ」と、当時の彼への「からかい」を臨床心理士に泣きながら話をしている生徒がいるのは事実)

何故なら薄々母集団の合意はイジメへの共感である事を感づいているからで、当然「これはいき過ぎだ」との行動は、意識的にも「全員を敵に回す恐怖」として感じられる。

@母集団の過半数が「いき過ぎだ」と思っていてもだ、

そして重要な事は、彼が爆発物によって内在するマグマのような(無口が原因で表現できない“自分”って奴を)爆発させた事で、自己紹介が出来ない事は「彼にとっての悩み」に違いなかったワケだ。

集団なるものを無理に形成しない事は、既に規定路線で、社会の構成員を要請するための学校なる存在は、会社組織でも今日日集団の社会性等というものより個々人独自の判断を要請されているというのに乖離していて、
学校なる組織はどちらかといえば、左翼が多く大企業等に反旗を翻す立場だろうに一向にこの集団を組織する事を批判しない。(日の丸君が代なんぞが争点じゃないだろうに時代錯誤も甚だしい)左翼も社会主義とかって社会性偏重の思想があるせいかも知れない。

今日、「それはともかく俺はこうしよう」という自立性は、それこそ「イジメる側にもイジメられる側にも」重要なテーマで、社会秩序の退廃は、底の浅い共同幻想とこれへの根本的は母集団のストレス認知が原因(息抜きと称してバカ騒ぎをしたくなる)で、俺はこう思うという自分が明快なら、自分にとっても損になる社会秩序の退廃など起きない。

学校なるものは、もっとゆるやかな組織であるべきで(相対として個人の自由度は高まる)、彼にも自分を考える時間的余裕があるべきだろう(軍隊じゃないんだからさ)。彼が思春期を迎えて前以上に無口になりふさぎこむようになった事は「彼にとっても無口であること」へのストレスの増大を意味する。
何か特別に配慮して「はいかいいえで答えられるように配慮した」等というトンチンカンな対処(それじゃ「無口でいなさい」と言っているのと同じであるばかりでなく、公的にも「彼は無口な異端者なんだから」と認めたに等しい)をしているようじゃどうにもならない。


今回の事件で、死人が出なかった事は不幸中の幸いで、
この“幸い”を教育関係者は重く見るべきだろう。
彼が怖くなり、二発目のグレネードを投げなかった事は不幸な話の中で、幸いだったのだと思う。
彼には殺意など無かったのだ。
そして彼が比較強者であった証明でもあった。
posted by kagewari at 03:07 | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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