2005年04月17日

ここのとこ論議になる事が多い「報道」について考える(2)。

実際に中国残留孤児の焼き直しキャンペーンが、北朝鮮拉致問題とも言える。報道のスタンスが非常に良く似ている。

感情報道といえばいいのか。
「具体的な事実関係、政府に対する責任の追及、残された問題への戦略的な取り組み、とりわけ6者協議の枠組みをどうするのか」この辺の“実際の問題”はおざなりで、ワイドショー的報道が中心となる。

そこの端っこに、反日報道があるように感じる。
どうしても左翼的な論調に終始したジャーナリズムは、日本の教科書問題で主役級のキャンペーンを張った時期があり、その論点はアンチ文部省であり、日本の教科書が大問題と随分と喜屋武ペンを張った。
この報道が、韓国などに逆輸入の形で報道され国際問題になるのだが、この時に『他の国の教科書は?』的な詰めは行われなかった。現実、教科書問題を考えていた保守系のインテリが時々他国の例を挙げて問題視しても「仕方のない言い訳」のような扱いで、もっぱら問題提起は日本の教科書だった。

歴史の授業は「ほとんど現代史をやる時間が無いのに」だ。

方や「なくよウグイス」で大騒ぎしている現場にあって、ジャーナリズムサイドは現代史の問題で「きゅうきゅうと文部省批判をやった」、日本の自虐史観が「責任逃れ(天皇の責任追求を回避するガス抜きであり、もっぱら実際の戦争責任は世論にも多々あった)」の典型で、今更現行政府の文部省をつっついて「自分は平和主義者だ」的ノリで一方的に盛り上がられてもそれは、マスメディアのマスターベーションのような形でしかなかった。

つまり

反日教育の問題提起(反日教育)は、これまで報道されていなかったワケで、
突然反日問題を報道されても、「小泉の靖国」ぐらいしか背景に浮かび上がらない。
「何を怒ってるんだか、気味が悪い」的な反応が、この報道の結果で、各国の教育が反日を利用しなければならない側面の冷静な報道が中心になっていない。

特に中国は「文化大革命」なんかによって、伝統的保守が飛んじゃっていて(明治維新じゃないけれど)、ナショナリズムが適正規模に収まるのか非常に危険だった。韓国の場合には日本の占領による教育制度や、アメリカの軍事独裁政権設立なんかで文明化の基礎部分が構築さてしまっているのが、適正保守の存在を阻害し、不安定要因になっている。

◆これまで自分が日本の教科書を批判していた事と話が被ってしまってジャーナリズムサイドには、ヤバイわけで、、

あまり問題視されなかったが、そりゃ安保で大騒ぎしていた時期には映画監督(大島渚あたり)がよく裁判で表現の自由で戦ったが、「バトルロワイヤル」規制についての報道はとんだ腰砕けで、昔の表現の自由報道に腰が据わっていなかった事を証明してしまっている。

実は「ジャーナリズム」というカテゴリーや、このジャーナリストを志望する動機を持つ人物の人格傾向ってのが有る。
ジャーナリズムは、文明化が進む時のスクラップアンドビルド時の批判勢力(保守的思考の問題点と、リベラルサイドの主張の報道なんだが、もっぱら保守的思考に対する批判勢力である場合が多い)なのだが「自分自身で何かやっているワケでは無い」ので、これを中和するために『報道の中立性』が謳われる。
言い換えると「ジャーナリストへの志望動機自体、結果として特有の人材だけを報道機関に集めてしまう」。

これまでは、形だけ中道左派に置けば「なんとなくジャーナリズムっぽかった」しかし、これがねじれた。
村山政権だったり、
北朝鮮の拉致だったり、
小選挙区制による派閥解体だったり、
小沢が野党になったり、
巨人軍の人気凋落だったり

ジャーナリズムは自主的判断をする独立性を求められた。

しかし、今完全に取り残されている。
本音が行き交うネットの論議にとても追いついて行けないのが現状で、そりゃライブドア(Seesaaがエイプリルフールで茶化すぐらいブログに力入れているしね)が怖いわけだ。
posted by kagewari at 00:16 | Comment(0) | TrackBack(1) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

ここのとこ論議になる事が多い「報道」について考える。

ライブドアとフジの話によく登場したのが「ジャーナリズムとして大手メディアは機能してるのか」って問題定義で、ここのとこ「問題は深刻になってきた」と思う。

俺がそれを意識したきっかけは、ヤクルト阪神の野村監督のファンだった事から始まっている。元々が、天邪鬼が性分なのでメデイァが左翼寄りだった頃は、右寄りの評論家びいきだった。

そもそも野村の存在が、メディア論になっている。
野村の「月見草論」は、長島をヒマワリに喩えるところから始まるのだが、パ出身で最近哲学的なコラムを書いている豊田辺りから見ると「野村は月見草ではない」。パ・リーグの三冠王であり、野村が月見草なら、パリーグの「唯の選手はどうすんの?」、

つまり「野村月見草」を造り出したのはメディアだ。

メディアと相性の悪い人物ってのはいるもので、千葉すずだったり、サッカー中田だったり、、野村もそのひとり。
前にも書いたが、サッチーバッシング報道はあまりにも偏向だったため(そもそもヘリを飛ばすほどの事件では無い、商業報道のピークで、嫌気をさした報道部出身のキャスターが呆れて降板したほどだった)「メディア自爆したな」と思うきっかけとなった。意外と知られていないが(てか俺の分析なのだが)、このサッチーバッシングの元々は「月見草で、後にアンチ巨人的ヒールに過ぎなかった野村が、阪神の監督という表舞台に出たから」だった。象徴的事件はNHKの特集が「野村野球」を取り上げた瞬間。

この時、月見草野村は終わった。

激しい反動が起きた、それが「サッチー報道」、

鬼畜米英、大日本帝国連戦連勝報道を続けた体質になんら変化は無く、日本のメディアは予め報道内容(ストーリー)を自立的に決められないという特徴がある。
「横並びしているというより、自立性が無い」
「北朝鮮拉致問題報道」(北朝鮮を悪者としてガンガンやるのだが、これを解決する手段についてはサッパリしている。印象先行の報道)
「巨人中心報道」(現実として人気が凋落しているのに、なんとなく巨人中心の報道を変えない)
「アメリカなんとなく悪者報道」(とりあえず、コメンテーターにはアメリカに批判的な意見を言わせて、反権力のノリでアメリカをなんとなく悪者レッテルで引っ張る)
「村山政権いい人報道」(阪神大震災で、自衛隊出動の遅れをまったく批判できず、腰が折れたまま終わる。これができなかった理由が以下になる)
「小沢悪者報道」、、、
こういう偏向性(みな「同じ論調」が妙だと言っているので、殊更報道内容を個別に批判するつもりはない、「同じ論調」が妙だって話。)に、うんざりしている人は2chに流れた。

そして「ライブドア堀江悪者報道」
世論調査の結果だと、フジの論調に迎合する芸能人(大手メディアの論調と同じなワケで)に、世論は批判的だ。これをメディアはどう考えるのか?

そして「巨人がダメならメジャーリーグ」に変わり身するやり方(メジャーやるなら、日本人選手以外の報道がもっとあるべきでしょ)。

本当に伝えるべき情報を発信しているんだろうか?
posted by kagewari at 18:44 | Comment(5) | TrackBack(3) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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