2005年01月20日

『葛藤』(3)アイデェンティティーとの関係

葛藤構造自体が「この人だから」出来上がっているので、アイデェンティティーの在り方と葛藤の構造はほぼ同じになる。

実際葛藤構造が温存されて自我に保持されている所以は、それが『自分自身の一部』と化してしるからで、見方を変えると、『葛藤はアイデェンティティーか?』として考える事もできる。
しかし、この問いはパラドックスだと言える。

何故なら、

葛藤は、『必要とされて備わったアイデア』で、この必要性が事実ならともかく、(葛藤形成)当時の人間関係の事情に依存しているからで、ここには誤解が随分と含まれる。『偏見』に非常に似ている。事情がわかればそうと思わなかった事がアイデェンティティーだとしたら、それは「普遍」では無く「事情」になる。

皮肉な事なんだけれど、『葛藤の結果』こそがアイデェンティティーなのだと思う、「悩んだ事や、その経緯」誤解を元に起きたいろんな話は「自分が自分でなければ起きなかった話」で、これは事実だからだ。喩え精神分析なんかを経て葛藤構造が瓦解しても、昔の『葛藤時代の結果』は過去として残り、その時身に付けた嗜好や趣味、癖は自分そのものだと言える。

これまた皮肉な一面なのだけれど、葛藤をアイデェンティティーと定義すると、その後の『葛藤の結果』は単に面白くない不快な記憶に過ぎないけれど、葛藤構造が瓦解したところからみた『葛藤の結果』は、自分自身が戦った栄光ある戦歴で、それの動機がどうあれ、その内容がどうあれ「あー俺もイロイロあったな」と思い起こしても不快に思うことは無い。

『記憶の快・不快』は、180度逆転する。
タグ:メンタル
posted by kagewari at 05:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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