実際どうなのって、表向きの(本業は精神分析だと常に思っちゃいるのだが)仕事がハードすぎて完全に右手の人差し指と中指が腱鞘炎になっている。
これいかにPC(スティックのポインティングデバイスのせいなんだが)使っているかって事なのだが、とにかくPCを閉じている余裕もない、FIVAはリサイクルの大型バッテリー使用で5時間はもつんだけれども、バックアップで残量の心もとないノーマルバッテリーがコートの内ポケットに入っている始末。
このバッテリー二本差しで、「充電できるとこネーかな〜」なんだからそりゃ指もいかれるってワケだ。
昔の文明批判の典型に(チャップリン辺りがはじまりか)「人が機械に使われる」な表現があるけれど、実際どうなんだろう。
本人は「マシン使い倒してる」つもりで、「よく壊れネーな〜(実際壊れているのだが、、、)」なんて思っている。
昔の文明批判があたらないと思うのは、組織のオーダーで使っているのじゃなく、自分が勝手にハードに使って自分でヘバってるってとこなのだが、ヘバッてる事に違いは無く、どうもすっきりとしない。
自我にはバシッと「ここまで」とブレーキかける力が弱い特徴がある、何故ってそれは『本人マター』で、疲労がストレスとして自我に情報を与えるワケで「我疲労を思う」的に「ダメダメ」と自我主導で動くって事はあんまし自我の本職とも言えないからで、こいつは意識的に(超自我的に)「自己管理」なーんてものが出張る話なんだが、超自我の干渉をほとんど受けないだけ自我が前面に出ると「益々ブレーキかける力が見かけ上後退する」
これが又皮肉な話で、意思の器官である自我に「自我もほどほどに」って意思を持つってなー内的矛盾なので合理化(精神分析的には「辻褄を合わせる」の意)すんのがやっかいだ。等といいながら、又PCを使い倒して「指痛ェ〜」とか言ってるワケで何をしてるんだか、、
「自我もほどほどに」