2004年11月24日

自我の仕事か?『実存=レーゾンテートル』

自我にとって専らの仕事は「判断」や「整理」で、それは『現実に適応する事であって、現実を認識する事ではない』

実際、自我にとって「判断」や「整理」のためには雛型や名前のついたファイルやフォルダ、付箋用紙が必要で、予め準備されているこれらの「構え」がリアリティー=現実的。
そして、「それは現実的か?」を統括して管理するロジックは超自我とフロイドが定義した、前意識や無意識的なドグマの事で、この部分は幼児期に形成される、そして個別に「定番の行動化」した技術的な判断も無意識へ、そして「ふと思いついたが現実的ではないなこれ」という想いも無意識へ

自我の仕事は交通整理の警官に近く、そこに走る車の運転手の人生まで考える事ではない。
「考えていたら、車は衝突する」

この時、現実的ではない現実は、合理性と矛盾するので実存主義の哲学者はこれを『不条理』と呼び、又「(現実的に対し)反抗的に生きる」と認識した。そして現実への適応のために「現実的判断をしない人物」は、仮想(見かけ上)社会不適応ともいえるポジションであるので『単独者』と呼ぶ。

実存主義的なアイデア発祥の文明的ビヘイビアーには、キリスト教があったため、話しは「現実に在る」事を「神の前の実存」と彼らは感じたりもした。(ここで登場する神は、エディプス的シンボルではなく、『現実』だろう)、リアリストである事は、社会的にアブノーマルなアプローチになる。

ここで、現在の文明社会の心理的社会構造が被ってくる。
共同幻想が壊れ始め、現実的の的が揺らぎ、一時マニュアルが流行したが、保守本流の伝統の代用品にしては軽いワケで。

結果『実存しがち』なんだ、これが。。

自我にとって、この現象は皮肉な事に「在り得ない事に直面させせられて不安だ」と認識されるのが、構造的に正しい(?)のであり、こういう状態を「不安」とか「悩んでいる」とも言う。

精神的な悩みは、個々の問題と言うよりいわば社会現象とも言えて
この自らの「実存しちゃってる」を嘘や偽りと感じるのか、在りのまま「こういうことか」と担いでいくのかで、大きく流れは変わる。
自我に「仕事らしい仕事が増えた」と考えるのも悪くない。
posted by kagewari at 03:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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