2004年09月21日

プロ野球ストからいろんな事を考えてみる

簡単に世代交代という次元のものではないだろう。共同幻想の崩壊から個人の時代えと移り変わっている風景は、一見新時代が到来しているようだが、そうではない。
伝統的な共同幻想は街や村の個人達の意志によって構成されていて、決して企業や法人によってではない。共同幻想へ回帰するのではないが、共同幻想が個人の意志を解放するための条件だったのなら(矛盾するが、個人のあり方を定義するのが共同幻想の本旨だと言える)今起きている動きは平和な社会に起きる自明のもので、殊更不思議な事では無い。

日本は元々農耕によって文化的にも発展してきた、労働形態は雇用と言うより借地なのだから、『自営』であり、現在の日本の企業の大半が中小零細であることはその延長上の話で、本質的にはこの国は封建主義化の個人主義だったと言える。庶民の生活は自由であって、ヒエラルキーは社会的な実存だが、そもそも個人の実存にそんなものはさして関係無い。社会的な階層の流動化が個人の自由を促すのではなく、個人の発言が表現されやすい環境が自由を促す。
「農家から一般企業の課長になることが自由の象徴」なワケが無い。
プロ野球人気は、そんなチームにおける自由(好き勝手ではない、勝利に向けていかに個人のパフォーマンスを発揮するのかであって、「個人を自由にするサイン」がある、これが監督の采配の質を決定付ける)の表現にあるのであって、特にピッチャーとバッターの個人対決を基本に行われるルールは、それを象徴している。

そのプロ野球ストから、いろんな事が見える。
http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200409200265.html
  ↑
所謂日本ではマイナーな存在の「大企業の人間の発言」だ。
これじゃ小学生の喧嘩以下じゃないか、、
古田が「僕はガキのつかいじゃないので」といった発言と好対照だ。

いい大人の「交渉」なんてレヴェルではない。大企業のロジックそのものの地盤沈下が著しく、カルロ・スゴーンじゃないが企業の立て直しに、強い個人の意思(間違っても強権発動やワンマンではない)が不可欠なのは今や実証されている。
ナベツネの意志に逆らえず、今や巨人機関紙と巨人放送局に成り下がった読売と日本テレビの有様は、企業全体の信用を落としていると言えるだろう。皮肉な事にプロ野球巨人軍のイメージダウンになっている。

各球団内部の首脳会議で怒号が飛び交う激しい論議がないようでは、企業の発言自体はいつも軽薄で短期的なものに過ぎなくなる、まさか当事者がそんな無能である筈無く、「各個人の能力がスポイルされている会社だ」を意味している。

こりゃ問題だ、
古田君の株がプロ野球界を離れたとこで上昇しているとこが、それをよく表している。民主党だけではなく(連合にしてみれば、労組出身という意味では久々の大スター)テレビ局にとっても逸材で(彼はヤクルトの監督の方が大事だろうけれど)、オーナーサイドの人材で、そういう株が上昇しているのは久万(1リーグから180度方針転換した経営感覚は流石)ぐらいだ。
色んな意味でこのストライキは有意義なものになっている。
posted by kagewari at 19:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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